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ダンスとか。

Cisne Negro Dance Company

2005-11-02 | ダンスとか
NY, The Joyce Theater.
Hulda Bettencourtを芸術監督として1977年に作られたブラジルのカンパニー。
▼Patrick Delcroix, Cherche', Trouve', Perdu
男4女4。ペルトの『Fratres』と『Tabula Rasa』にしっかり寄り添ったデュエットやトリオ、群舞(しかし録音が衝撃的にひどく低音に至っては全く出ていない)。振付家がNDT出身なので動きは完全にキリアン風というかNDT調だが(トリッキーにしてスムース)、踊りを見ることによって音楽をより深くより広く聞くことができるということは特にない振付。ダンサーたちは、身体能力はそれなりながらコンタクトやアクロバティックなリフトになると異常なほど腰が引けている。まるで腫れ物に触るかのような覚束ないパートナリング。初日なのかとも思ったがそういうわけでもない。20分。
▼Vasco Wellencamp, Canticos Misticos
男5女6。ヘンデルの『メサイア』を使って短いシーンをつないだものだが曲間など無音でもずいぶん踊る。七つに分けられたシークエンスはそれぞれ歌詞(聖書の詩句)をいささか説明的に表現するもので、バレエとモダンが基礎だが説明や描写に引っ張られて動きとしては浅くのっぺりした、面白味のないものに落ち着いてしまっている。ただし四番目のシークエンス、1mくらいの棒を持った三人の男性と一人の女性のカルテットは、棒に女性が捕まって(なぜか)市中引き回しの刑みたいにされたり、その棒を使って器械体操のような複雑なリフトが展開して斬新。男性が女性を持ち上げる、あるいは跳ぶ女性を男性が支えるというプロセスが省略され、女性はいきなり高いところへ舞い上がり逆さまになって別の男性の肩をつかみ背中を伝って降りて来たりする。28分。
▼Dany Bittencourt, Rings
男6女6。アドリアーナ・カルカニョットがオリジナル曲を提供していて、凝ったローテクや叙情的なメロディが起伏のあるサウンドトラックになっている。多様な語彙を摂取した振付はところどころに奇抜な工夫が見えるものの、見たことのあるものが強引に集まっているという印象を免れない。その内股はベジャールのあれで、かと思いきやいきなりマイケル・ジャクソンの『スリラー』、はたまたカポエィラや民族舞踊風のエキゾチックな動きに、ジャズ、ヒップホップ、こうしたものが瞬間的に現れては消える。銀の輪がたくさん出てきて新体操みたいになる後半はあまりにもひねりがなくて脱力。カルカニョットの音楽が手の摩擦音からドリルンベースみたいなのに移行していく終盤はダンサーも細かいビートで体を左右に振って盛り上がった(このような反復はなぜ気持ちよいのか。そしてその反復の気持ち良さに対しては様々なオルタナティヴな態度が想定しうる。反復しないというのがある種のモダニズムの極だとすれば、反復周期を長くとって再認を遅延させるという仕方、反復要素を複数化あるいは重層化させて再認のためのハードルを高くするという仕方など)。20分。
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