西荻WENZスタジオ。
『ジゼル(s)』の美術・衣装などのモティーフがそのまま持ち越されていたことに意表を突かれた。「ジゼル」=「ユーレイ」というつながりは当然としても、チュチュの薄い生地が紗幕のように吊るされていて、その奥に脚立と鉄パイプ、そして舞台周囲にはやはりチュチュが丸めて吊ってあり、冒頭、脚立の上にしゃがみ込んだ室伏自身もそれを付けて、顔にもグルグルと巻き付けている。さらに当人が踊っている様子や(おそらく)戦争の光景を重ね合わせたヴィデオ映像が、紗幕と背後の壁とに映し出される。室伏本人のこういうスペクタクル寄りの舞台は初めて見た。いつかぜひ、もっともっと本格的なものをドーンとやってもらいたいと思う。脚立の上の、幾重もの紗幕の向こうの室伏の顔がこちらを向いているのにふと気づいたりすると、その黒目の輝きが曖昧で不気味でものすごく怖い。脚立から降りて床に立てば大野一雄みたいにも見える。映像に映っているのがどうもキノコ雲のようでもあり、案外オーソドックスな「舞踏」的意匠に対して柔軟な人なのかもしれないなどと思った。昨日もあった白い棺を舞台奥からズリズリと押し出してきて、隅に転がっていた迷彩色のヘルメットをガンと押し退ける。何ということはない行為でありながら、ひどく禍々しいものに感じられる。これが詩というものだろう。棺に入って、中で唸ったりしつつ、出てくるといつもの素肌に黒いジャケット。ここからが本番で、この数日の劇場通いの疲れを吹き飛ばすような痛快な踊りであった。褶曲する筋肉に充填され内側へねじくり返るようにして放射されるエネルギー。ストイシズムよりも派手な暴力性が印象に残った。タメてタメて後へまっすぐ倒れるだけではなく、時には突き飛ばされたようにもんどりうって両足を宙に舞わせる。『マトリックス』みたいに、天も地も関係なく跳ね回る。その後も、鉄パイプを脚立にガンガンやり、それをチュチュに突き立て、グルグル振り回し、予定調和とは無縁でありながら確かな手応えのある実験的ストロークを並べていった。まったく充実した時間であった。ところで、今日の舞台で一つ考えさせられてしまったのは舞台における「怖さ」の種類について。鉄パイプを脚立にガン!ガン!とぶつけるのは主に生理的嫌悪感だと思う。目の前でグルグル振り回されたり、それが宙に張り巡らされているピアノ線に引っかかってブチッと行くのは、自分に当たるかもしれないからやはり怖い。視覚的イメージの恐ろしさや、想像力に訴えてくる怖さというのもある。棺を押すのとかチュチュをいたぶるのとかは象徴的な効果として怖い。
『ジゼル(s)』の美術・衣装などのモティーフがそのまま持ち越されていたことに意表を突かれた。「ジゼル」=「ユーレイ」というつながりは当然としても、チュチュの薄い生地が紗幕のように吊るされていて、その奥に脚立と鉄パイプ、そして舞台周囲にはやはりチュチュが丸めて吊ってあり、冒頭、脚立の上にしゃがみ込んだ室伏自身もそれを付けて、顔にもグルグルと巻き付けている。さらに当人が踊っている様子や(おそらく)戦争の光景を重ね合わせたヴィデオ映像が、紗幕と背後の壁とに映し出される。室伏本人のこういうスペクタクル寄りの舞台は初めて見た。いつかぜひ、もっともっと本格的なものをドーンとやってもらいたいと思う。脚立の上の、幾重もの紗幕の向こうの室伏の顔がこちらを向いているのにふと気づいたりすると、その黒目の輝きが曖昧で不気味でものすごく怖い。脚立から降りて床に立てば大野一雄みたいにも見える。映像に映っているのがどうもキノコ雲のようでもあり、案外オーソドックスな「舞踏」的意匠に対して柔軟な人なのかもしれないなどと思った。昨日もあった白い棺を舞台奥からズリズリと押し出してきて、隅に転がっていた迷彩色のヘルメットをガンと押し退ける。何ということはない行為でありながら、ひどく禍々しいものに感じられる。これが詩というものだろう。棺に入って、中で唸ったりしつつ、出てくるといつもの素肌に黒いジャケット。ここからが本番で、この数日の劇場通いの疲れを吹き飛ばすような痛快な踊りであった。褶曲する筋肉に充填され内側へねじくり返るようにして放射されるエネルギー。ストイシズムよりも派手な暴力性が印象に残った。タメてタメて後へまっすぐ倒れるだけではなく、時には突き飛ばされたようにもんどりうって両足を宙に舞わせる。『マトリックス』みたいに、天も地も関係なく跳ね回る。その後も、鉄パイプを脚立にガンガンやり、それをチュチュに突き立て、グルグル振り回し、予定調和とは無縁でありながら確かな手応えのある実験的ストロークを並べていった。まったく充実した時間であった。ところで、今日の舞台で一つ考えさせられてしまったのは舞台における「怖さ」の種類について。鉄パイプを脚立にガン!ガン!とぶつけるのは主に生理的嫌悪感だと思う。目の前でグルグル振り回されたり、それが宙に張り巡らされているピアノ線に引っかかってブチッと行くのは、自分に当たるかもしれないからやはり怖い。視覚的イメージの恐ろしさや、想像力に訴えてくる怖さというのもある。棺を押すのとかチュチュをいたぶるのとかは象徴的な効果として怖い。