(さぬきみさき灯台)
2009年9月19日(1500-1640)訪問

初点灯 昭和34年1月
改築 平成13年2月
香川県三豊市詫間町三崎
(34.15.30 N 133.33.37 E)
高さ 地上~塔頂:11m、水面~灯火:69m
香川県西部の荘内半島の尖端にある小さな灯台で、沖合約5㎞にある六島( むしま=岡山県笠岡市)灯台と対峙して瀬戸内海の安全航行に重要な役割を果たしています。

六島
幕末に坂本竜馬の乗った「いろは丸」が紀伊藩の舟と衝突したのがこの六島沖です。
荘内半島は全長10㎞程度、 幅は広いところでも3㎞程度の小さな半島です。
この半島の真ん中あたりに母校があり、3年間余りをこの地で過ごしたので非常に懐かしい場所です。
この灯台には昭和40年頃に友人達と自転車で訪れたことがあります。

今回再訪しましたが以前の記憶と印象が随分違っていました。
それもその筈で平成13年に改築(と言うよりも建替え)されたそうです。
当時のほうが灯台らしい灯台の形をしており、今の灯台はあまり好きになれない形でした。


現在の灯台

昭和40年当時の灯台
この灯台への道は「四国のみち(自然歩道)」に指定されていて、半島の東側の室浜からと西側の仁老浜のどちらからでもアプローチできます。

どちらからアプローチしても駐車場から歩く距離はほぼ同じです。
私は今回、R11~県道21号~県道234号経由で仁老浜に車を停めて歩きました。

駐車場(有料表示はありましたが誰もおられなかった)の近くに入口の標識があります。
ここから灯台までは1.9㎞ありますが、歩きやすい道です。

途中にどんどろ石や立石休憩所、関の浦、三崎神社がありそれぞれ云われ等を解説した案内看板が設置されています。
関の浦は鎌倉・室町時代に沖を通る船から通行税をとるために設置された関所だったそうで、山口県の上の関、中の関、下の関と共に四大関所と言われていたそうです。
昭和初期までは漁船が水補給や潮待ちのための休憩所として栄えていたらしいが今はほとんど訪れる人もない。

途中から仁老浜を望む、
樹木が邪魔をしてよく見えませんが美しい仁老浜海水浴場があります。
まだ子供達が小さかった頃ですが四国旅行をした際(当時はキャンピングカーではなかったので旅館宿泊)にあまりの美しさに、急遽近くのスポーツ店でテントを借りてこの浜で泊まったことがあります。
また荘内半島は浦島太郎の伝説の地であり、浦島太郎が生まれた「生里(なまり)」、玉手箱を開いた「箱」、玉手箱から出た煙が紫の雲となって山の頂にかかったという「紫雲出山」の他「糸の越」「積」「不老浜(室浜)」等の地名が残っています。
もっとも浦島太郎伝説は他の全国各地に残っていますが、昭和40年頃ここ詫間には何代目かの子孫だと言う方が住んでおられました。
2009年9月19日(1500-1640)訪問

初点灯 昭和34年1月
改築 平成13年2月
香川県三豊市詫間町三崎
(34.15.30 N 133.33.37 E)
高さ 地上~塔頂:11m、水面~灯火:69m
香川県西部の荘内半島の尖端にある小さな灯台で、沖合約5㎞にある六島( むしま=岡山県笠岡市)灯台と対峙して瀬戸内海の安全航行に重要な役割を果たしています。

六島
幕末に坂本竜馬の乗った「いろは丸」が紀伊藩の舟と衝突したのがこの六島沖です。
荘内半島は全長10㎞程度、 幅は広いところでも3㎞程度の小さな半島です。
この半島の真ん中あたりに母校があり、3年間余りをこの地で過ごしたので非常に懐かしい場所です。
この灯台には昭和40年頃に友人達と自転車で訪れたことがあります。

今回再訪しましたが以前の記憶と印象が随分違っていました。
それもその筈で平成13年に改築(と言うよりも建替え)されたそうです。
当時のほうが灯台らしい灯台の形をしており、今の灯台はあまり好きになれない形でした。


現在の灯台

昭和40年当時の灯台
この灯台への道は「四国のみち(自然歩道)」に指定されていて、半島の東側の室浜からと西側の仁老浜のどちらからでもアプローチできます。

どちらからアプローチしても駐車場から歩く距離はほぼ同じです。
私は今回、R11~県道21号~県道234号経由で仁老浜に車を停めて歩きました。

駐車場(有料表示はありましたが誰もおられなかった)の近くに入口の標識があります。
ここから灯台までは1.9㎞ありますが、歩きやすい道です。

途中にどんどろ石や立石休憩所、関の浦、三崎神社がありそれぞれ云われ等を解説した案内看板が設置されています。
関の浦は鎌倉・室町時代に沖を通る船から通行税をとるために設置された関所だったそうで、山口県の上の関、中の関、下の関と共に四大関所と言われていたそうです。
昭和初期までは漁船が水補給や潮待ちのための休憩所として栄えていたらしいが今はほとんど訪れる人もない。

途中から仁老浜を望む、
樹木が邪魔をしてよく見えませんが美しい仁老浜海水浴場があります。
まだ子供達が小さかった頃ですが四国旅行をした際(当時はキャンピングカーではなかったので旅館宿泊)にあまりの美しさに、急遽近くのスポーツ店でテントを借りてこの浜で泊まったことがあります。
また荘内半島は浦島太郎の伝説の地であり、浦島太郎が生まれた「生里(なまり)」、玉手箱を開いた「箱」、玉手箱から出た煙が紫の雲となって山の頂にかかったという「紫雲出山」の他「糸の越」「積」「不老浜(室浜)」等の地名が残っています。
もっとも浦島太郎伝説は他の全国各地に残っていますが、昭和40年頃ここ詫間には何代目かの子孫だと言う方が住んでおられました。
私は「紫雲出山」駐車場へは車で行ったことがありますが、三崎灯台へは行ったことがありません。たいへん参考になりました。懐かしい思い出を紹介してくれて、ありがとう。