還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

半島巡りキャンピング旅行 二日目-2

2014-04-30 18:27:52 | 旅行
4月21日

=下田灯台 (1020-1030)=
下田港への入口、須崎半島の南西端にある小型灯台ですが、陸から離れた岩礁の上に立っており到達は不能です。

下田港より300ミリの望遠に2倍のテレプラスをつけて撮影

こちらは恵比須島より300ミリで撮影

恵比須島からの帰り道に近くまで寄ってみました。
行き止まりになっている所から電線沿いに歩けば灯台の近くまで行けるらしいので挑戦してみましたが、道はもちろん踏み跡さえありません。
能登島灯台での遭難未遂事件が頭をよぎり、今回は10分であっさり断念。
道の駅「開国下田みなと」まで引き返します。



=下田市内散策 (1040-1400)=
ご存知ペリー率いる黒船来着で有名な下田です。
米露との条約締結をしたお寺やペリーロード、吉田松陰が密航を企てて拘禁された所、唐人お吉こと斎藤きちの墓等々、幕末の世相を反映した場所が観光名所となっています。
そのせいかレトロな雰囲気を大切にしている街並みです。

なまこ壁の家や

昔ながらの銭湯

レトロな看板等
何となく懐かしい風景です。

天気予報どおり雨となりましたが、雨の似合うペリーロードを歩いてみました。

ペリー艦隊が上陸し条約交渉を行った了仙寺まで歩いた約700mがペリーロード(左の石畳の道)として整備されている。

平滑川

大正3年建築の草画房

草画房の石造りの蔵


開国祭りが行われている街らしくマンホールの蓋にも黒船が描かれている。


昼は地元の人に聞いてそこそこの値段で美味しいという「いず松陰」へ

東伊豆名産の金目鯛の煮付定食(¥2160)は美味だったが、美味しい料理の割には米が今一つだったのが残念。
出された箸袋には
「かくすれば かくなるものと 知りながら
 已むに已まれぬ 大和魂」
という吉田松陰の詩が書かれていた。

己の利益になる方へなる方へと行動する人(特に政治家)の多い現代だが、
処刑前に親を思って詠んだ
「親思う 心にまさる 親ごころ
 今日のおとづれを いかに知るらん」
と共に松陰の人柄が滲み出ている詩です。
何か松陰と縁のある店かと思ったが、単に店主が山口出身だからということだった。

「かくすれば かくなるものと 知りながら
 已むに已まれぬ 反原発」
と言いかえれば山本太郎議員そのものか。


平日の昼過ぎだったからか他の客は二組だけだったが、二組ともほとんど喋らずに黙々と食べている。
関西ではこんなことはなく、うるさいぐらい喋くりながら賑やかに食事を楽しむ事が多い。
関西人と関東人の違いなのか?それともたまたまの偶然なのか?
昨日は伊達でオシャレな関東人に感心しましたが、今日は別の違いを見た思いです。


=ハプニング発生=
技術の進歩は人間を幸せにも不幸(原発、核兵器等)にもしますが、方向音痴の自分にとってはカーナビほど有難い物はありません。
ナビのなかった若い頃は、ドライブに行くと方向音痴とナビ下手の二人は必ず途中で喧嘩になり、いつもお互い無言での帰宅になったものでした。
カーナビがなければこうしたキャンピング旅行なんて夢のまた夢の中のことでした。
本当に便利なツールですが、昨日あたりから衛星を捕捉する時間が遅くなっていたのが、今日になってとうとう衛星が受信出来なくなってしまった。
これがなければ旅が始まったばかりなのに二進も三進もいきません。

仕方がないので道の駅の観光案内所の方に伺って、カーナビを売っていそうな電器屋やホームセンタを走りまわったがこの近辺ではどこにも売っていない。
店員の「伊東まで行けば有るだろう」の言葉を頼りに、また予定を変更して東伊豆の端・伊東まで車を走らせる。
伊東のオートバックスでやっとカーナビにありつけましたが、予定外の痛い出費です。


=道の駅「伊東マリンタウン」 (1630着)=
今日の宿は伊豆半島最後に泊まる筈だった道の駅「伊東マリンタウン」

ショッピングセンタのような道の駅らしからぬ道の駅です。
海を眺めながらの温泉施設やマリーナもあります。
車中泊車多数。