還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

彼岸の中日にルーツを思う

2012-03-20 21:16:36 | 日記
彼岸の中日を迎えても今日の最低気温は氷点下1℃(篠山では氷が張り、霜も降りていた)といっこうに寒さが緩む気配がありません。
それでも昼間は春らしい日射しに恵まれて、墓地は墓参の人で賑わっていました。

今日は妻と二人だけで双方の田舎へ墓参り。
墓の管理・清掃はいつも実家の方でやってくれているので、線香をたいて般若心経と光明真言を唱えるだけだが、ご先祖様に感謝を捧げる一日。
遠い先祖にも思いをはせ、自分のルーツに思いを至らせる。

幸い5年前に亡くなった父が過去帳を整理してくれていたので、遠い先祖の戒名まではわかるようになった。

記録に残っている最も古いのは享保19年(1734年)である。
徳川吉宗の時代で飢饉が多く発生し百姓一揆が頻発した時代、わが先祖はどのように生きていたのだろうか。

記録に残っていなくても連綿と続いてきた各家系の歴史に思いをはせると、人の一生は皆それぞれに遠い先祖からのバトンを次の世代に渡すためにこそあるのだと思える。
バトンを渡す寸前に倒れたり、バトンを落としてみたりとつまずくこともあるが、それも各家系の一コマであろう。

自分の人生は自分の世代だけのものではなく、子孫にも影響を与えるものだということを肝に銘じたい。
そう考えると家系を重視する昔の時代の結婚観にも一理があるように思える。

ましてや使用済み核燃料の処分方法も定まらないのに原発を稼働させるなんて、無責任極まりなく後世への背信以外の何物でもない。

官僚に洗脳されきった民主党は再稼働の方向に舵を切ったようだが、限りなく続くマニフェスト破りには開いた口がふさがらないし、政治の事を考えるのも汚らわしく思えてくる。
次の総選挙では徹底的に民主党を叩きつぶさなくてはならない。
それが我々の次世代への責任というものだろう。