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コスモタイガー漂走記~旧高野街道編(2)~前編

2024-08-05 | 旧高野街道run!!/更新中

★関西ネタです

 

【2018年12月某日】

社宅で過ごす週末、しかも雨も降っていないとなると、もう体がウズウズしてくるのさ。

昨日、紀州街道(1)を終えたばかりなのにね。

でもそのまま紀州街道の続きという気にもなれないからね。

 

まるで昨日のテープレコーダーのごとく、朝から朝食と洗濯をさっさと済ませれば、やっぱりもう一つの走破中の街道、高野街道に足が向かってしまうのさ。

 

最寄りの北浜駅から大阪メトロ堺筋線、天下茶屋駅で南海電鉄高野線の急行に乗換。

やってきました、林間田園都市駅。(冒頭写真)

時計はすでに11時をわずかに過ぎている。

 

名前から想像される通り、駅の西側には大規模団地が広がるものの、周辺は売店すら見当たらない。

東口に出て、早々にトレーニングを再開する。

 

駅前のヘアピンカーブを下り、国371に出て、道なりにしばらく走れば、前回のコースアウト地点だ。

斜めの道を下りてきたところだったよね。

資料によれば、ここからそのまま国道を走るようだ。

 

500m弱走れば、道路の右側にすり減ってしまった感がある「高野街道五里道標石」。

そうそう、高野街道お馴染みの道標石で、東海道や中山道の一里塚に該当するわけで、これがあると安心だね。

 

さらに国道を進む。

300mぐらいかな?

右へ分岐する道がある。

緩やかなカーブには旧街道らしい匂いがいっぱい(笑)

ということで、迷うことなくこの道ね。

いかにも旧街道らしいカーブが続くが、しばらくはシャメスポットもなさそうで、しかも緩やかな下りということで足は快調に進む。

左手にひっそりと橋谷地蔵尊なんてものがあって、ここが街道であることをこっそり教えてくれているようだ。

 

しばらくして左右に分岐。

ここは左の方が正解らしい。

もっともどっちを行っても150mほどで一緒になるんだけどね。

 

御幸辻なんて地名がいかにも旧街道らしい。

辻は十字路のことであり、その名前の交差点が、左手やや離れたところを走る国道にある。

右手離れたところには、その名の南海電鉄の駅もある。

 

「御幸辻南」の信号で、旧高野街道は国道371に合流。

国道を横断した先の、私道のような道が旧街道らしい。

でもすぐに右へ折れ、また国道に引き戻される。

 

200mほど走れば左手にひっそりと常夜灯。

そしてここで国道の反対側、左折する道があって、どうやらここを行くのが正解のようだ。

しばらくは古いお屋敷の間を縫うように走る。

 

再び国道に吸収され、そのまま走り続ける。

右側には橋本川が寄り添う。

 

しばらくして右手に「下小原田」というバス停がある。

資料ではこのまま国道を案内しているが、恐らくこのバス停から出ている小道が正解だろうな。

で、小道を少し先で左へ分岐していたものと思われるが、現代は消失しているんだろうと推測される。

 

というわけで、国道をそのまま走るが、この辺りは歩道もないから別の意味でちょっとした難所ではある。

50mほどで左へカーブするのが旧街道ね。

そのままさっきから視界に入っている高架(京奈和)自動車道)を潜り、そのまま道なりに。

 

しばらくはこのゆるやかな曲線道路に従って走るのみ。

こういう道は飽きないからなぁ、快調に足は進む。

 

少しづつ高度を下げ、家並みも増えてきた。

橋本市街地に入ってきたらしい。

 

久しぶりに信号を見たな。

その先、左斜めに分岐する狭路が高野街道であることは容易に想像できるが、そこに古い道標が建つ。

どうやらさっきの信号のところが追分になっていて(東屋四辻というらしい)、交わる道はこの辺りでは伊勢街道と呼ばれているようだ。

 

当時の慣例で、街道の名前は、ゴール地点を指す。

伊勢に向かう道はみな伊勢街道だから、同じ名前の街道が複数あっても不思議ではない。

今のように全国規模でその日のうちに移動できたり、情報が瞬時に入る時代ではなかったから、それでも問題がなかったんだろうね。


そして同時にここが交通の要衝でもあったことの証左でもある。

そのまま足を進め、いよいよ橋本の街の中心だ。
国道24号の渡った先にあるのが、四里道標石と立派な常夜灯。


 目の前は紀ノ川のため、現代では道が大きく右に折れ、川沿いに進んでいる。

高野街道はここからは対岸まで舟渡しだったようだ。

背後には歯痛地蔵尊。
甘党でビール好きのコスモタイガー、虫歯も多いからね。
神妙に手を合わせておく。

現代ではここから舟は出ていない。
いったん国24に戻り、東へ向かえば、視野に入っていた橋本橋の北側のたもと。

ここに丁寧な観光案内板。
黒河(くろこ)道の紹介のようだ。

ここ橋本の街は、高野街道にとって重要な拠点の1つであり、ここから高野山へ向かう道は主だったところで7つあったらしい。
高野七口と呼ばれ、黒河道・町石道・京大坂道・相ノ浦道・小辺道・有田龍神道・大峰道の7つの道を指す。
そのうちのいくつかは、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部にもなっている。

まぁさすがに7つすべての道を走るのは難しい。
とりあえず今回は、江戸時代もっとも利用されたとする京大坂道を走ることを予定しているんだけどね。

たもとの反対側(東側)を見ると、大きな垂れ幕が掲げてあった。
前畑がんばれ!!
そう、あの前畑秀子さんね。

ベルリンオリンピック平泳ぎの金メダリスト、そして日本女子初の金メダリストとして、その業績は今も輝き続けている。
彼女はここ橋本市の出身。
幼いころから紀ノ川で泳いでいたなんて逸話をどこかで拝見した記憶がある。

その才能を見出したのが、名古屋の椙山女学園の初代理事長、椙山正弌氏。
いまでいうスポーツ推薦で椙山女学園(中学・高校)に入学させ、彼女を世界のトップスイマーへ押し上げていったのさ。(もちろん前畑さん本人の相当な努力があったことは言うまでもない)

橋本市民にとっても名古屋市民にとっても誇らしい人物であり、確かに垂れ幕通り、朝ドラの主人公になってもらいたいな♪
(※朝ドラに先んじて?翌2019年、大河ドラマ「韋駄天」で前畑さん扱われました♪上白石萌歌さんが好演しました。)

さて、この橋を渡らずそのまま国道を進めば橋本駅に向かうことになるけれど、さすがにトレーニングとしては距離的に短すぎる。
橋本橋を渡ってこのまま旧街道を進むことに迷いはない。
そしていよいよここから、高野街道は再び少しづつ登っていくことになりそうだ。
時計はまだ12時半を過ぎたばかりだ。


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2 コメント

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韋駄天 (コスモタイガー)
2024-08-22 13:48:59
更家様

コメントありがとうございます。

高野街道も中山道も東海道も、基本は同じなので慣れてくると地図見なくても自然とわかりますよね。
現代の国道の大半は、元々あった道を補い、バージョンアップする形でできたと思うので、当然の流れかもしれません。

そうです、韋駄天ではその上白石萌歌さんが、前畑さん役でした。
確かその前の回が、女性初のメダリスト、人見絹江さんの回でした。
演じた菅原小春さんの「私は帰れない!!」の熱演が昨日のことのようです。

韋駄天は大河ドラマとしては異端扱いされ、あまり評価が芳しくないようですが、地理歴史好きの陸上経験者としては、両方の要素が混じってる?感覚で、楽しめましたけどね。
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前畑がんばれ (ウォーク更家)
2024-08-06 22:19:04
旧高野街道が、国道に合流して、その後私道のような狭い道に分かれて、また国道に引き戻されて、というのは、東海道を踏破したときも同じだったなあ~、と懐かしくなりました。

江戸時代には、歯医者が無かったので、あちこちに歯痛地蔵尊が立っていたんでしょうね。

今回の熊本の南阿蘇鉄道のブログで、上白石萌歌のキリンのCMを取り上げたときに、どこかで見たことがあるタレントだな?、とは思ったのですが・・・
そうだったんですね!、熊本を舞台にした大河ドラマ「韋駄天」の前畑を演じていたんですね!、ブログを書いたときには気づきませんでした!(-_-;)
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