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コスモタイガー漂走記~熊野古道伊勢路編(3)

2018-10-05 | 熊野古道伊勢路run!!

三重県尾鷲地方は、日本で最も降水量の多い地区とされる。
名古屋や大阪といった都心部では降ってなくても、現地に行けば雨、なんてことも結構な確率であるらしい。
熊野古道伊勢路をやっつける上で、天気予報は絶対に要チェックだ。

とはいえ、貴重な休日の、さらにまた丸一日空いてるときなんてそんなにないからね!
この先、多少の雨なら強行することも、ありえるかもしれない、と思ってたりする。

2014年師走。
名前の通り忙しい時期だけど、輪番勤務の平日休みを生かし、今日という貴重な一日を、熊野古道に捧げることにした。

前回、JRの「快速みえ」利用だったからね、今日は近鉄にしよ♪
通勤の混雑に紛れて名古屋駅へ。
そこからは近鉄急行で松阪へ。

本音はここから前回の帰路に利用した「熊野古道特急バス」を利用したいところだけど、ちょっと時間的に合わないのさ。
だからここでJR紀勢本線の普通列車に乗換。

わずか10分で多気駅到着。
前々回、この何もない駅をゴールにしたせいで、随分と寄り道することになってしまった。(※熊野古道伊勢路編1参照

今日は単なる乗換。
ここまで来たら鈍行乗継に徹したいところだけど、適当な列車がなく、こんな所で長時間待ちぼうけはもったいない。

ってことで、不本意?だけど、すぐ後にやってくる特急「ワイドビュー南紀」を1駅だけ利用し、三瀬谷駅下車。
JR東海の場合、30km未満の特急利用は320円だから、まぁそれぐらいの贅沢はヨシとしよう。

時計はまもなく正午になろうとしている。
前回のゴール、道の駅「奥伊勢おおだい」とは背中合わせのような状態だ。

記念に駅舎をパチリ。(冒頭写真
さっそく今日のトレーニング開始とする。

駅前道路を100mほど直進すれば、百五銀行。
ここを左折すれば前回と重複。

見覚えのある本屋さんのところで左折すれば、まもなく「佐原」の交差点で国道42に出て、重複区間終了。

右斜め、いかにも深山渓谷に分け入っていく感じの狭路が見える。
もちろんこれが熊野古道なんだけど、ちょっと寄り道して(といっても50mほどだけど)、前回の終了地点の某電話会社のうら寂れた?ビルを記念に撮影しておく。


佐原の交差点に戻って、さっき見た狭路に入っていく。
ここからが実質的なスタート。
初っ端から街道オーラ満開で、テンション上るなぁ。

船木橋を渡る。
下を流れるのは宮川。
ここまで来るとかなりの渓谷美だ。


そのまま道なりに走ればすぐに「船木大橋南」の信号に出るけれど、その手前にショートカットして坂を上る道がある。
ここを左折し、別の県道(県道747)に合流。
鋭角に曲がる感じだ。

ここから約2km、県道run。
もっとも谷あいの静かな、船木集落を通るから、飽きは来ないけど。

左手、宮川で、その向こうは、さっきスタートした三瀬谷駅と大台町中心部の集落も見える。
何だかこの辺で熊野古道は、とんでもなく大回りしているようだ。

たまに車が通るぐらいの静かな道。
突然頭上に場違いな高架橋が現れた。
紀勢自動車道。

そこを過ぎるとまた別の小さな集落があり、興味本位に脇道に入っていくと「多岐原神社」。
鬱蒼とした、でも由緒ありげな神社だけど、残念ながらリサーチしてこなかった。

それより気になるのは、この神社から宮川岸に降りた所が、前回素通りしちゃった「三瀬の渡し」の降り口だったらしい。
でも何だかさびしげな雰囲気だし、先を急ぎたいので、パスして、早々に熊野古道に戻ろう。

再び県道に戻って約100m。
案内板があり、右の山の中に入っていけ、と指示している。


今日の目玉!
三瀬坂峠。

民家の間を急激な上り坂で高度を上げ、一気に山の中へ。
アッと言う間に完全にトレイルラン状態となった。


平日ってのもあるかもしれないけど、誰とも会わない、すれ違わない。
街道ランというより、完全にクロカン走。

右手にお地蔵さん。
宝暦地蔵と呼ばれている。

それを過ぎるとすぐ。
はい、登り切りました♪
どうやらここが峠の頂上。
とはいえ、両側は森林に囲まれ、足元にひっそりと標識があるだけ。


ここからは下り。
相変わらず山の中。
下りは得意だけど、調子に乗って膝痛めないように。

降り切った所で視界が広がり、ポツンと池がある。
三瀬坂池、の名がついている。

国道42に出た。
左折(南下)して、その国道を走る。


100m弱。
右斜めに分岐する小道がある。
地図を確認するまでもなく、これが熊野古道であることは明らかだけど、ここは信号も横断歩道もない。
気を付けて渡るしかない。

小道に入り、集落の家並みを走る。
小さな祠があったりして、ここが旧街道であることを静かに伝えてくれている。
滝原集落だ。

そういえば峠越えの前に、多岐原神社なんてあったことを思い出す。
きっと同じ由緒を持ってるんだろうね。

国42をそのまま斜めに横断。
ここは信号もあるからホッとする。

田んぼと民家の中、のどかな田舎道だ。
道なりだから迷う場所もない。

やがて両側が鬱蒼とした森となり、左側には広大かつ立派なお社が見えてきた。
「滝原宮」。
正式には、皇大神宮別宮瀧原宮。

要するに伊勢神宮の別宮で、天照大神が伊勢神宮に祀られる前、一時期この地に祀られていた、とされる。
いかにも凛とした雰囲気が伝わってくる。

ここは折角だから寄り道してお参りして行こう。
本殿は参道を通って随分と奥だ。
と思って鳥居をくぐった瞬間!

警備の職員に「境内は走るな!」と。
「え?本殿までかなりありそうですけど」。

職員曰く、「敷地内は神様のいらっしゃるので一歩たりとも走ってはダメ!バチ当りだ」という話。

え?そーなの?
知らなかった!

確かに熊野古道スタート地点の伊勢神宮も、地元熱田神宮も走ってないけど、それは人が多くて遠慮してたから。
逆に誰もいない家の近所の神社とかなんて、普通に走って駆け抜けてた。

だからバチが当たったのか、こんなしがないサラリーマンなのかもね。
今度から気を付けよう。

一歩たりとも、なんて念押されたからね、ゆっくりウォーキング♪
そして本殿到着。
お参りしましょうね。


そしてまた、入口の鳥居まで徒歩。
まぁそれはそれで、神々しい雰囲気や新鮮な空気を感じ取れて楽しいけどね。

鳥居を出て、トレーニング再開。
再び静かな集落の続く道。
街道名物?の集会所もあったりして、安心する。
走っていて飽きない風景が続く。

大紀町の役場前を通過すると、県道に合流。
と思ったら100mほどで今度は国42にも合流。
そこは信号になっていて、「出谷」という地名らしい。
合流地点手前に歩道橋があるから、反対車線に渡って、そのまま国道を進む。

と、思ったらまたすぐに右へ降りていく道。
この辺は要所要所に標示板があって、道中の助けになる。

くねくねと続くうねりが街道らしくていいなぁ。
またまた集会所を超えると、道なりに右へカーブ。

右側には学校らしき建物。
大宮小学校・大宮中学校と隣接している。
通学路として気を使ってるのか、道も広くなる。

これを超えると、人家すらない。
左折カーブで坂を下る。

気持ちよくこのまま下ってしまいそうだけど、すぐに右斜めに分岐するのが熊野古道。
再び古道らしいうねりの道になり、国42をいったんアンダークロスして回り込むようにして合流する。

300mほどは我慢して国道とお付き合い。
でも歩道は設置されてるから安心だけど。

左に分岐。
再び静かな集落の中をくねくねと伸びる旧街道。
ここは阿曽集落。

紀勢本線を踏切で渡る。
シャメするほどのポイントは特にないんだけどね、でも街道らしい「ニオイ」が感じ取れ、退屈しない。
楽しいなぁ。

小さな十字路。
熊野古道はそのまま直進だけど、案内板に「→阿曽温泉」とある。

トレーニング中だし、こんな所でゴールする予定はないけどさ、温泉か~、いいなぁ、と思いつつ、女々しくも足を向けてしまった。
右折して約100m。
郵便局と隣接する形で、そこに町営の温泉施設が建っていた。


ささ、まだまだ続くよ、トレーニング!
熊野古道に戻る。

小さな商店が点在。
宮川の支流、大内山川を渡ってすぐ、右手に現れたのが立派な観音堂。
古くから熊野古道の旅人を見守ってきた「阿曽観音堂」。


迷いようがない1本道をさらに進む。
左手、川向うは、JR紀勢本線阿曽駅。
まだまだゴール予定は先。

国42に再び吸収され、しばらくは国道run。

約1km。
川沿いに降りていく感じで左に分岐する道に入る。
この辺は、近畿自然歩道とも重複しているため、その案内板が建っていて判り易い。

阿曽の集落内をくねくね走ると、再び国42へ吸収され、何度目かの近藤run。
でも左手には、大内山川が寄り添い、癒しを与えてくれる。

ここでまた1km近く国道を走ると、大内山川を渡って、何やらモニュメントらしきものが現れる。

東屋とトイレもあって、歩行者であればちょっとした休憩ポイントではあるけれど、もちろんコスモタイガーは素通り。
ここを左折し、すぐ右に行くのが熊野古道。
まぁ雰囲気でわかるけど。

柏野集落。
ここも静かだなぁ。


いかにも地元民しか通らないうねり道を行けば、一段高いところに「宝蔵寺」。
由緒は知らないけれど、地元の人の信仰を集めた名刹の雰囲気だ。

またまた国42に合流。
約200mもすると、大内山川を渡る「拍野大橋」。
これ、渡るんだね。

道順的にはどう見ても橋渡って左、だけど、右へ少し戻る。
「垣内後(かいとじり)庚申塚」。
本来の熊野古道は、川を渡ってここを通ってたんだろうな。

軽く手だけ合わせて古道に復帰。
右に山、左に大内山川を見ながらの快調なrun。
やがて人家もなくなり、踏切でJR線を横断。

そこから1km。
見どころらしいところもなく、人通りもない山道をひた走る。

ちらほらと家並みが現れたら、左に某電話会社の紀勢交換所。
といっても、入り口の門が目立つだけで、広大な駐車場?の奥に、小さな無人ビルがある。
随分贅沢な土地の使い方をしてるんだなぁ。
この辺は撮影するものもないから、これ、シャメしとこっと。


振り返れば、正面は大皇神社。
山々を背景に、かなり奥深そうな神社だけど、まだまだ先は長いからね、ここはパスしよう。

歴史を感じる大きな民家が並ぶ。
素敵な集落だ。

伊勢柏崎駅への入り口となるT字路をそのまま直進すれば、まもなく右手やや高台に、「大蓮寺」。


リサーチ資料によれば、北畠家臣の山﨑家によって1569年に開基された、とあるから、これまた由緒も格式もあるお寺なのだ。
散策路もある立派な境内らしいけれど、これまた先を急ぐ旅の者。
お詣りだけして失礼する。

JR線を再び渡ってすぐ右へカーブ。
再び川沿いの道となる。
右側は、素敵な古民家が並んでいる。
ちなみに手元の資料では、県道538号、ということになっている。

右は崖、左は川。
人家もない1本道を走るだけ。

民家がポツンポツンと現れ、JR線の下を潜って間もなく。
正面に集会所らしき建物が見えたら左折。

そのまま国42に交差。
信号はないけれど、横断歩道があるから、そのまま直進。
すぐT字路になってて、右折。

わずか50m少々だけど、ここにも熊野古道が忘れられたように残り、国42に吸収された。

リサーチによれば、100mほど国道runしたところで左に分岐するはずだけど、残念ながら柵、その向こうは森。
森の上には紀勢自動車道が走っているから、建設時に消失したのかもしれないね。

仕方ないからさらに200mほど国道を走れば、右に分岐する道があり、案内板も建っている。
道なりに、集落の中を黙々と走る。

そのまま国42に合流、と思ったら、ここは変則4叉路になってて、「国昌寺」と書かれた石碑が建っている。
石碑に従い、右に90度折れるのが正解で、そのままその国昌寺に到着。


のどかな寺だなぁ。
お詣りしようとしたら、おばあちゃんが孫を連れてのんびり歩いてる。
見たことないおじさんが奇怪な格好で現れたから、不思議そうな顔をして通り過ぎていく。

ここには立派な公衆トイレも併設されていて、旅人にはとっても有難い。
せっかくだから、コスモタイガーも用を足していく。

このお寺の前がT字路になっいる。
熊野古道は右折、つまり今用を足したトイレの前を横切り、お寺の裏を通ることになるんだね。

川沿いに走るのどかな道。
田んぼに囲まれて見通しが良く、国昌寺だけが離れても目立っている。

案内板に従って突き当りを左折すれば、国42にぶつかる。
で、右折してわずか50mほど国道を走れば、またすぐに分岐。

この辺は国42とくっついたり離れたり。
でも案内板も整備され、迷わず走れるのはありがたい。
だから効率も良い。

道沿いにはひっそりと庚申塚もあり、ここが旧街道であることを教えてくれる。
約700m。

橋が現れる。
渡った先は国42。

でも熊野古道はここを左折。
そしてすぐにあるのが、大内山一里塚。


何だか久々に一里塚を見た気がする。
小さなお地蔵さんは当時のままだけど、樹齢400年の松の木は1982年に枯れてしまい、現在は2代目、ということらしい。

ここを過ぎると道は未舗装となり、ヒノキ林の中のトレイル状態となる。
さらに道は狭くなり、ほとんど獣道状態。
「ホントに道、繋がってるの?」と不安になるが、目印にヒノキに赤いテープが巻いてある、との予備知識は得てあるので、それを頼りに走るしかない。

登ったり下ったり。
やっとしっかりした道になり、ホッとする。

木製の小さな橋が現れた。
一応、芦谷橋、という名前が付いている。

大きな看板があって、左に行くと大内山動物園、なんてのがあるらしい。
こんな山の中に動物園があるなんて、ちょっと信じられない。
(※後日、ネットで調べたところ、自然と共有できる、かなり評判の良い動物園だそうです)

江尻橋南の交差点に出た。
国42を渡ってそのまま直進。

大内山集落。
またまた某電話会社の大内山交換所、なんてあったりする。
こんな所にまで設備を作るのも、大変だね~。


緩やかな上り坂の中に、昔ながらの床屋さんや酒屋さんがあったりして、なかなか楽しい空間だ。


右手に現れたのは、紀勢本線大内山駅。
ここも鈍行しか停車しない無人駅で、ひっそりしている。

その名も「大内山」の交差点で、国42に合流。
大紀町役場の支所や町立保育園を右に見ながら、しばらくは国道run。

夕暮れが近づいてきた。
12月は日が短いのが難点だよね。
ちょっとペースを上げる。

紀勢自動車道の高架を見上げ、さらに走ると、大内山大師堂なる看板が右手に。
資料にも載ってないけど、何だろう?
弘法大師に関係あるのかな?

それより、ここから左に分岐する道をやり過ごさないようにしないとね。
といってもわずか200mほどでまた国道に合流。

さらにしばらくするとまた左に分岐。
ゆるやかに下りつつ、忘れ去られたような道だ。


合流したところにバス停がある。
梅ヶ谷停留所。
前回帰路にも利用した、「熊野古道特急」バスも止まる停留所だ。


と同時に、「梅ヶ谷」の交差点。
ここは熊野古道ハイカー(ランナー)にとって、大きな拠点となるところ。

交差点からさらに200m進んだ右手に、不気味な?無人駅。
梅ヶ谷駅。

もちろん無人駅だけど、不気味さを醸し出してるのは、駅の裏が「八柱神社」になっていること。
人気のない夕暮れの神社は、結構寂しさを感じるよね。

境内に入ってみると、意外に広さを感じる。
ここをお参りして、今日のトレーニングを締めることとしよう。


さて、帰路をどうしようか。
2者択一。
このまま目の前の梅ヶ谷駅からJR紀勢本線鈍行の旅とするか、さっきのバス停から前回も利用した「熊野古道特急」バスを利用するか。
どちらもしばらく待てばやってくる上に、場所が場所名だけに、いずれもかなりの確率で座れるはずだだから、かなり迷う。

結局選んだのは、熊野古道特急バス。
疲れた体には、JR鈍行のロングシート車より、観光バス仕様の乗り心地の良さは魅力的♪

案の定、松阪駅へ向かうバスは暖房も効いて暖かく、ウトウトしてる間に松阪駅到着。
今日はさすがに「ひょうたん湯」に寄る時間はない。
さっさと近鉄に乗換、名古屋へ一目散に帰宅するのみだ。

(※熊野古道特急バスは、2018年10月1日にダイヤ改正され、尾鷲市内で分割されてた2系統を統合・整理し、さらに各停化されました。これにより、「特急」ではなくなり、路線バス松坂熊野線、通称「熊野古道ライン」、として再出発しているようです。熊野市内まで乗換なしになった代わりに所要時間は増加しました。)




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4 コメント

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熊野古道ラン (ウォーク更家)
2018-10-06 11:53:32
船木橋からの宮川は凄い渓谷美ですね。

誰とも会わない三瀬坂峠は、ちょっと怖いです。
でも、柏野集落に出るとホッとしますね。

滝原宮ですか、伊勢神宮の別宮がこんな所にもあるんですね。

そうですか、神社の敷地内は神様がいらっしゃるので走ってはダメなんですね。

熊野古道へ行くには、熊野古道特急バスを利用するという手もあるんですね。
返信する
更家様 (コスモタイガー)
2018-10-12 13:16:43
熊野古道もここまで来るといよいよ真価を発揮?し始めます。
川はかなりの渓谷で、「ここまで来たか~」という感じです。

神社の中は神聖な場所。
というのは判るんですが、走ってはダメ、というのは初めて知りましたね。
もしそうだとすると、今まで数えきれないほど、バチ当たりなことをやってたことになります。

熊野古道特急は、つい先日(10月1日)時刻改正があり、「特急」ではなくなってしまいました。
各停になり、名称も「熊野古道ライン」(正式には三重交通松阪熊野線)と変更になったようです。

当然所要時間も増え、松阪発も早まりました。
まぁでもロングシートの鈍行車両に乗るよりは快適です。

いずれにせよ、紀勢本線・熊野古道ラインも、本数はかなり限られています。
事前のリサーチは欠かせませんけどね。
返信する
南紀の天気  (もののはじめのiina)
2018-11-29 09:20:34
尾鷲は雨の多い地域とは、学校で学びました。
此処には、学生の時に賢島から英虞湾などを見ながら昔の舗道のない山道をクルマで走り尾鷲に抜けるコースでしたが、景色は抜群でした。

当時は、熊野古道という知識もなく、ただ海沿いの南紀を巡って大阪を目指したものです。
1週間ほどのドライブ旅行は、瀞峡のライン下りのときだけが雨で、他は天気に恵まれた春の季節でした。

友の大学が学生運動のため閉鎖され、授業再開するとかしないとかが取り沙汰された時代でした。

繰り返しますが、長い長い長~い (コスモタイガー)さんの紀行記事でした。

   

返信する
南紀 (コスモタイガー)
2018-11-29 09:37:02
自分も学生時代に、尾鷲・熊野周辺をドライブしましたよ。
もちろん熊野古道なんて意識してませんでした。

当時はヘアピンばかりの国道をひたすら走ってましたが、今では国道42号も随所でバイパスが作られてますし、並走する高速道路もあり、文字通り隔世の感がありますね。

学生運動ですか!
「青春の蹉跌」でしたっけ?
そんな名前の小説を読んだことがありますけど、私の母校でも昭和30年~40年代前半は随分盛んだったと聞きました。
それどころか大学名そのまんまの「●大事件」という大がかりなものもあったようです。
幸い、私の学生時代は、小さなサークルみたいな形ではあったのかもしれませんが、大々的なものは何もなかったですね~。

かといって勉強もしませんでした(苦笑)
クラブ活動(陸上部)が中心の4年間でした。

あんなに勉強しなかったのに、この齢になって、なんでこんなに歴史や地理の本ばかり読んでるんだろう??

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