夢中人

sura@cosmic_a

緊急事態宣言のさなか見つけた手作りマスクの香りを楽しむという楽しみ

2020年04月09日 | Weblog
こんにちは。suraです。

桜が見事に咲き乱れている頃となりましたが、先日、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象に、法律に基づく「緊急事態宣言」が発令されましたね
非常事態宣言とは、自然災害、感染症(伝染病、疫病)のパンデミック、原子力事故などの災害や、戦争、テロ、内乱、騒乱など、健康・生命・財産・環境などの危機が差し迫っている有事(緊急事態)に際し、国家・地域の政府(地方公共団体を含む)などが法令に基づいて特殊な権限を発動するために、或るいは、広く一般・公衆に注意を促すためにそのような事態を布告・宣言することである。(Wikipediaより)とありました。
今、「有事」なんですね。有事と言ったら、武力行使の戦争状態をイメージしてましたが、今の敵は目に見えないウイルス。ネットを読んでいると、(ほとんどの)ウイルスは、ウイルス自体で増えていくことはなく、宿主して宿主のエネルギーをつかって増殖していくでいいのでしょうか??だからして生物としてはみなされていないみたいな事が書かれてあったかと思います。
生物としてみなされない目に見えないエイリアンが、ヒトの体内に入りこみ宿主して増殖していく、ヒトからヒトに介してヒトのエネルギーを使って増殖していっているのが今ということでよいのでしょうか。もしそうだとしたら、やはり、ヒトとヒトが距離を置く、接触をなるだけしないというのが一番良いということなんですね。
でも、そんなエイリアンが体内に入ったとしても、なんの影響もない無症状と言われる方々もいたり、日々の生活のこともあったりで、それまでの日常生活を緊急事態宣言でウイルスの存在を意識し、自分達がウイルスの増殖エネルギーにならないようウイルス撲滅対応生活にしなければならないということですね。
そんなことで、ヒトが集中している都市が緊急事態宣言の対象になっている。また、緊急事態宣言エリアにかぎらず、ヒトの人口密度が高い場所や空気の籠る場所を避け、秘密の会話が出来ない距離を取るということですね。
しかし、確固たる存在と思っていた都市が封鎖をしているのをネットやテレビで見ると脆さを感じずにはいられません。今や都市の人口密度は限度を越しているのかもしれませんね。なんでもそうですが限度を越すと悪影響ばかりが目立ちますよね。都市にウイルスというエイリアンが降り立つと増殖エネルギー源になってしまう。
ヒトがウイルスの増殖エネルギーになってしまうとウイルス撲滅対策生活をしなけれならない。ウイルス撲滅生活は職種によっては経済活動の停止になってしまう
今のような状況は、そうそうあるものじゃないと思っていたいけれども、今のようなウイルスに襲われることがこれから増えていくと言われる方もいらっしゃるみたいですね。
新型ウイルスに対しての薬やワクチンが出来上がるまで1年から1年半はかかるといわれていた。今回のコロナウイルスは感染したヒトが重症化する場合もあるが、重症化しない場合もありそうです。今後、検討もつかないウイルスが出現するということはありえるのだろうか?
地球上の人口は増えているワケだし、どちらにしろ、今後もウイルスというエイリアンは現れてくるに違いないとして、今の環境を変えていかなければですよね。都市の人口環境とか仕事の環境とか、教育の環境も入るのでしょうか?以前から言われてあったことですが本当にやらないと、次にどんなエイリアンがやってくるか不安がまったくないわけではないです

今回のコロナウイルスの件では、トイレットペーパーやマスクが店頭からなくなってしまう状況がありました。今でもマスクは店頭にありませんですので手作りマスクで対応しています。

手作りマスクは、洗って何度も使いまわします。洗う時は殺菌効果が高いと言われているハンドソープを使っていいます。そのハンドソープを香りのいいものにしましたら、マスクをつけた時に、とても良い香りがして爽やかな気分になれたのです
自分は松山油脂の製品を気に入って使っているのですが、ラベンダーの香りがとても爽やか。他にもユーカリやグレープフルーツがあったりでマスクの香りを楽しでもいいのかなと思っています。
香自体はあまり長続きしないのですが、マスクを付けた時の爽やかさがよかったのです。


マスクの香りを楽しむ今回のコロナウイルスの件で楽しみを1個発見した気分になりました。使い捨てマスクでもできそうですが、生地がしっかりした分使いまわしマスクの方が効果は長続きしそうです。ただ、香りが強すぎる逆効果かもしれません。マスクをはずしたくなるかもです。
使いまわしマスクは、分厚くつくってあるので、夜洗って次の朝には乾いていません。なので使いまわしマスクは2枚~3枚持っている方がよいのでしょうね。
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シャイニングから40年後のテレビドラマ「微笑む人」は迷宮の重症化なのか?

2020年03月27日 | Weblog
こんにちは。suraです。
最近、日本の女性の睡眠時間は世界で一番短いと聞きました。
ずっと以前は7時間とか8時間睡眠時間を取らなければいけない体だったのですが、いつのまにか6時間とか、4時間睡眠時間を切らなけらばなんとかいけると思ってやっていましたが、最近では、7時間とか8時間に戻しました。
そうしましたら、肌の調子が良くなってきたような気がします。独りよがりかもしれませんが。。。

先日テレビドラマを視聴しました。それは「微笑む人」
主演は松坂桃李さん。そして尾野真千子さん。
お話の内容は、誰もがうらやむエリート人生を送ってきた男性が、ある日妻子を殺害してしまうんです。その理由が「本の置き場種が欲しかったから」。
先日から書いているシャイニングシリーズも、父親が妻子を斧を振りかざし襲い掛かっていく話になるのですが、話をみていく過程で、父親の苦悩が垣間見られるんですね。
1980年代の作品ではあるんですけど、生きていく像というかモデルが出来ていて、そこにある理想の父親像的なものに苦しめられているといところも感じられる。
たまに聞きますけど、小さいお子さんをお持ちのお母さん達が、メディアが描く理想の母親像に苦しめられるというのがあったり、子供は子供で、いい子というか親や学校が持っている理想像をクリアしていかなければならないのかなという感じもあったりします。
そんなシャイニングでは、心の不安というか、それが妄想なのか亡霊が現れて、鬼の形相で妻子に襲いかかっていく。斧を持ったりして明らかな鬼状態なんですよ。
それから40年たった2020年に放送されたドラマの主人公は、世間の理想像以上の存在。おそらく、子供の頃からすごくいい子で、親や学校の理想もクリアだっただろうのイメージ。一流大学を卒業し、大手都市銀行に就職している誰もが羨む存在なんですね。だけれども妻子を殺めた。それもシャイニングの時のような鬼の形相でもなく、斧などを持って襲うスタイルでもない。なにか、フッと思いついて表情も変えずに殺害してしまったのです。
シャイニングの場合は、テレビ版では最終的には父親が妻子を守ったんですけど、「微笑む人」の場合は殺害してしまったんですね。
しかも、「微笑む人」の場合、父親のサインがどこにもなかったのか、妻でさえそれを感じることができなかったのか、ディックのような手を差し伸べてくれる人もいないんです。
それは淡々と粛々とという感じでした。
シャイニングで描かれていた迷路。人の心は、あの時くらいからなのでしょうか、出口のない迷路に迷い込み、未だに抜け出せない。それより、その迷路の中でなんとか生きていくが、サインさえ出せず生き方が迷宮入りなのか。
「微笑む人」はホラーでもなくサイコサスペンスでもない。だから亡霊や怪物がでてくるわけでもなく、狂気にみちた人物もでてこない。
今や日常のドラマなのかもしれない。
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クオリア

2019年04月22日 | Weblog
神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。
だだし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。
蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
女は蛇に答えた。
「わたしたちは、園の木の果実を食べてよいのです。
でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。
それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存知なのだ。」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。
女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。



Amazon.co.jp: まぼろしの郊外

この本を読んでいると、人の生態系と都市化って噛み合ってないのかなと思う。
そうすると、都市は都市でいいけど、何が為の都市化だったんだろう。
都市化してくると、どうやら居場所がなくなってくるというか、よく聞く空虚感てやつを抱くようになるのか。
そして、それを埋め合わせようとするのに、別の空間を持つことで、心のバランスが保てるのか。
その別空間の持ち方が、それぞれで、最近ではテクノロジーで埋め合わせることもできるが、
どうやら危険もあるようだという感じでしょうか。

よくわかっていませんが、都市はもしかしたら何かの価値観で出来ているのかもしれませんね。
(価値観とは何に価値があると認めるかに関する考え方。善・悪好ましいこと、好ましくないこと、といった価値を判断する時の根底となるものの見方。)
それはそれでいいけど、なにかこぅ、息苦しさを感じるのかもしれない。
しかし、社会学の考え方によれば、人が人に価値観を伝達することは、そもそもできないらしく、人は単に環境から学習するだけとか。
だから、その都市がどんな環境で、その空間でどんな体験質の蓄積ができるか。。。なのか?

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はみ出し者

2019年04月04日 | Weblog
自分は絵画の事はよく知らない。が、以前、フェルメール展があったので鑑賞した。
フェルメール展に行くために行ったのではなく、たまたま美術館の前を通ったら「フェルメール展」とかいてあったので、
フェルメール。。。かぁ、聞いたことあるなぁ。ま、折角だし観ておこうかな、のノリでフェルメール展に入った
フェルメールに対しての知識は無い。かろうじて、光とか、ブルーが、などの事を耳にしていたくらいで、さほど興味はなかったが、
たまたま入った絵画展で心をつかまれるというのは、アリな事なので、少々期待しつつ鑑賞をいどんでみたw

フェルメールの作品数は少ないらしく、フェルメールと同じ時代にかかれたであろう絵画を沢山みたあとに
フェルメールの部屋というのがあって、そこに10作品もなかったと思うがフェルメールの絵が展示してあった。
最初に観た時の印象としては、「絵だな」と思った。や、写真やネットで見ると、表面が平らで、その時にみた印象とは違った感じだった。
絵を至近距離で見ることができて、表面はボツボツしていて、あぁ、絵だなぁって。
そんな絵をしばらく鑑賞してはいたが、そんな感動とか、心が動くとかそんな感覚はなかった
それよりも、そのフェルメールの部屋に入るまでに見てきた他の画家達が描いた絵の方が技術的に上なんじゃないかと思い始めた。
そこに掲げてあったフェルメール以外の絵は、リアルに観ても写真のようだし、動物の毛などフワフワしていて、かなりリアル感があった。
が、フェルメールの絵にはそれはあまり感じなく、やはり「絵」の印象wしかも、キャンバスが小さいと言っていいのか大作のようなものはなかったw
でも、なんでこんなに人気があるんだろうとジ~っとフェルメールの絵を観ていたら、なにかフェルメールの部屋に入るまでの絵よりクセらしきものがあるんじゃないかと思った。
なにかこぅ、それまでの絵とはなにか違うクセみたいなものなんじゃないかと。
それまでの絵は描くにあたって型がありそうな感じだけど、フェルメールもその型にはならってはいるが、こぅ、絵っぽく描いたのかと?
というか、写真が出来ることでも知っていたのか、絵は絵がいいと思ったのかと、挙句の果てにはフェルメールは、あまり絵は上手ではなかったのか??
くらいまでに思うようになった
結果、フェルメールは私の中で、はみ出し者となった決して優等生ではなかったはずw
と、いいつつも、アウトローとか野蛮人レベルではない。はみ出し者。もしかしたら、少々のKY
そこなのかもしれない。。。フェルメールの人気の謎はそこなのかもしれないとフェルメールの絵を観て感じたのでありました。

この事をフェルメールの絵を観て以後たま~に考えている自分であって、結果、自分はフェルメールに心をつかまれてしまったのだなと実感している今日この頃なのです


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刹那

2019年03月12日 | Weblog
「新人類」に「オタク系」ですか。懐かしい。確かにそんな言葉ありましたね。
今では、すっかり「新人類」は死語になっているかと思います。てか、他の言葉になっているのかな?
近いイメージとしてはパリピ?なのかな?とにかく、「新人類」という言葉はなくなりました。
しかし「オタク」は残ってますね。しっかりと根を張って力強く生き続けている。ていうか、今では輝きを放っている存在かと感じる。
「新人類」にしても「オタク」にしてもメディアに影響を受けた分類ということで、確かにそうかなぁという感じです。
「新人類」といったら記号的消費って、あぁ、そうかぁ。。。というか、流行りものというか、短期的存在だったんでしょうね。
一方「オタク系」は、ある分野においてマニアックというか、専門知識が必要というか、長期的存在というか、
長期的な経済効果があったということでしょうか。
だから、残った、というか残したのかなと。今では、オタク産業だの、世界へ発信するオタク文化などなど、すっかり日本を形成している一部分。
オタクの世界がなければ 日本は生きていけないくらいの存在でしょうか。
「オタク」というカテゴリーを残すのに、物語(私にとっては「電車男」。マニアックな方々には他にあるかもしれませんが)をつけて、
私自身も、その物語にはすっかりハマってました。あの物語から、こぅ、暗がりというか、マイナーな所から、一気に輝きを放ち、
メジャーな所へやってきたような感じでした。
オタクが残ったというのは、流行り物というのは調査されるんでしょうね。いろんな内容があるかと思いますが、経済効果的な所とか。
で、オタクはイケるとなって、やはりそこは情報操作というか、それこそメディアによって日本を代表とする存在となった。

本の話の流れから「高校教師」を観ました。こちらも話題になっていたのは知ってましたが、視聴したことはなかった。今回が初めて。
このドラマにシンクロするティーン達がいて、あの図を彼女達がつくりあげるのに、社会的に問題があったということですね。
まぁ、本にも書かれてあった事は、メディアでも聞いたことがあったことで、でもホントなのかなという感じだったけど、
本にも書かれてあった。この件は、国内だけではなく、海外からも問題視されてましたね。
そんな町を彷徨うティーン達をフォローしようとされている先生方がいらっしゃるようですね。
確かツイッターでお見掛けしたかな。ご自身もそのような経験があって、で、ティーン達に声をかけているようでした。
このドラマもトレンディドラマなのでしょうか?おそらくそれまでのトレンディドラマといったらチャラチャラした感じの、ノリというか、
少々非現実的な感じもあったかなぁという印象でしたが、こちらのドラマは、設定というか舞台的にはとても現実的で、でも、お話し的には、
女子が強くなってきて、男子が弱くというか自信(でいいのか?)がなくなってきているところなどが描かれているかと思いますが、
それがその頃あたりから表面化していたとしたら、ドレンディードラマなんでしょうねぇ。
ドラマの印象を一言でいうと、自分的には「刹那的」かなと思いました。ただ「刹那」というのは自分的には、もの悲しいというか息苦しいというか痛々しいというかそんな印象でとらえてましたが、「刹那的-1時間が極めて短いさま。2あと先を考えずに、今この瞬間だけを充実させて生きようとするさま。
特に、一時的な享楽にふけるさま」ということで、これはこれでやはり刹那的かなと。

「新人類」という方々が、当時メディアでのインタビューで、普通の生活が高級ブランドの服着てや車に乗ることと言われていたのを思い出します。
借金も沢山あって、しかも何に使ったかわからないけど借金がある感じだったかなぁ。それが何か問題ありますかという感じで答えられていた感じだったかな。。。やはり長期的ではないというか刹那的だったかなぁ。

ん?刹那・・・仏教単位とな。なになに

制服少女たちの選択
クリエーター情報なし
講談社
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蛇行

2019年02月28日 | Weblog
宮台さんのお話を聴かせて頂いた時は、沢山の点と線が感じれました。
今回、初めて本を読ませていただきました。(全部は読み切れてませんが。。。)
本の方は、どちらかというと、縦に蛇行している感じでした。
グラフのように縦に蛇行しているというか、ピラミッドの大回廊は縦に蛇行するエネルギーが走る所と聞きましたが
そんな感じの、ていうか、グラフでいうと、横はそのお話をされてる時間??でしょうか。
縦は、いろんな知識がある人から無い人までいますが、その知識がある人から無い人への説明範囲??かな
それが繰り返し蛇行されているような感じを受けました。
「感情の劣化」ってプライドってことかなぁ。。。愛国ぶりっ子って。。。
元少年Aの手記は読んではいないけど、最近言われているいたずら動画にリンクしたり。。。
こぅ、何かにリンクするというか、解釈しながらというか読んでいくんですね。
宮台さんの本って難しいんだろうなと思っていましたが、この本に関してはでしょうか、読みやすいというか、
対話している感覚の感じでしょうか。

社会という荒野を生きる。 (ベスト新書)
クリエーター情報なし
ベストセラーズ
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偶発性

2019年02月15日 | Weblog
父と娘の仲はギクシャクしていた。
その日は、父が会社の裁判で発言をもとめられていた日だった。
父はとても緊張していた。
朝ご飯を食べようとしていた時に、ピシッとアイロンがかかった、
さらに、とれていたボタンが縫い付けられてあったシャツがあった。
それは、娘がしわくちゃなシャツではいけないと娘が手入れをしたシャツだった。
それを知った父はとても嬉しそうで、
そして、勇気付けられたようで、
裁判で自分の発言をし、勝訴となった。

これはアレですかね、気持ちがうまく伝わらない父と娘であったが、
アイロンというテックによって気持ちが伝わり、
その偶発性が父の脳にアドレナリンか何かを発生させ、脳の活性化をさせた状況なのか。

テックによって気持ちを伝える。偶発性を生み出す。脳の活性化。
全貌はのみ込めてませんが、こんな感じからのスタートでよかっただろうか。。。
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トレンディ

2019年02月15日 | Weblog
「万引き家族」を観ました。
それはまるでネットの中の状況に近かった。
そこの場所にいると、そこの場所での名前があって、みんながそれぞれにリア充しているみたいだった。
それぞれにはリアルがある。

フジテレビと言ったら自分的にはトレンディドラマって感じなのですが、
映画の中の風景的にはあの時とは違うなぁと思いつつ、トレンディってどんな意味?ってことで、
〔トレンディは「流行」の「最先端の」という意味の言葉。
一方トレンドは「流行」や「趨勢(すうせい)」という意味の言葉。
「トレンディ」が形容詞であるのに対して「トレンド」は名詞。
ちなみに趨勢は「時代や社会などの全体的な流れ」という意味の言葉。

だとすると、あの「万引き家族」は、万引きをしているのはリアルな状況だけど、
一家族のようなあの状況はネットの中みたいだなと思ったワケで、
最先端やトレンドにも引っかかってくるかなぁと思いましたので、
だからして「万引き家族」はトレンディドラマ。。。いや、映画なのかなと思いました。
というよりか、90年代頃に観ていたトレンディドラマと言われていたドラマは、
いったい何のトレンディだったのかなとフト横切りました。

最近、映画を観る気力と体力がありまして、「七つの会議」からの、
今更ですが「半沢直樹」「下町ロケット」を視聴しております。
こちらのタイプのドラマも趨勢・時代や社会などの全体的な流れということでトレンディドラマかなと。
全部は視聴しておりませんが、画面から目が離せ感じですねw
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2019年01月04日 | Weblog
2019年新年明けましておめでとうございます。超久しぶりのブログになりました。

2019年1月1日、何気なしに早朝に目覚め、珍しくテレビのスイッチを入れましたら、NHKスペシャル「秘島探検 東京ロストワールド第1集南硫黄島」が放送されていました。
目覚めたばかりでボ~としながら見ていましたが、なんか目が離せなくて視聴を続けました。南硫黄島は東京都心から南1300kmの島で、四方は断崖絶壁で全く人を寄せ付けない秘境島。
そんな秘境島を調査をするということで、各科学者の方数人が島に入られていたのですが、その入って行く状況の過酷な事。
入口が崖で、ロッククライミングで登られていて、その時に、石というか岩がゴロゴロ落ちてきていて、本当に命がけ。
また、キャンプする場所は、島の中でも、なだらかな所と言っていましたが、テレビで見た感じでは、なだらかというよりは、ちょっとした隙間な感じ。
ジャングルの中で調査するというのに、半そで半ズボン。しかも、日焼けも痛々しい。。。なんという過酷な状況そこまでして調査などやらなくてもと思いつつも、各科学者のみなさん、とても楽しそう。テレビ画面を見ていて、とても生き生きとされているのが伝わりました。
各科学者さん達が調査されていたのは、この島の生き物でした。実際目にはしたことはない、カタツムリのかなり小さくなった、まるでそれは妖精のような生き物や、コウモリやカニなどの島の生き物が登場していました。
調査の結果、それらの南硫黄島を地元とする生き物達は、他の地域の同じ生き物とは違う状況下で生きているようだということでした。
例えば、コウモリは(この番組で初めて知りましたが)通常、歯に付け加え牙がしっかりとあるらしいのですが、島のコウモリは牙は無く、歯はボロボロ。
通常山の中腹にいるはずのない蟹が、この島では山の中腹にいたりする。。。他の地域の生き物とは生活環境が違うということで、視聴を続けていくと、この生活環境の違いは「食」からきているようでした。
まったく別の地域から3つのW(Wind Wave Wing)にのってこの場所にやって来てしまった生命。そこの環境で生きていこうとする命。
これを「進化」というべきか「適応」というべきか。。。

南硫黄島の番組が終了後、引き続き「超体感 熊野古道 神秘の旅」を視聴。以前、旅をいたしました熊野古道。八咫烏が案内をされていました。
そんな番組の中で、熊野神社の総本宮である熊野本宮大社に祀られている神様のご紹介があって、家津御子大神、夫須美大神、熊野速玉大神が祀られているということで、その中の、家津御子大神の「家」は「食」の意味もあるということでした。
南硫黄島からの熊野古道。点と点が「食」という線で繋がりました。祀られている神様の中で、保食神というのがいらっしゃって、日本神話にも登場されるのですが、「食」というのは、食べていくこと、生きていくことはもちろん、「適応」というか、「進化」というのも含まれるのではないかと思いました。
自然(環境)を神といするならば、それに対して、それに向き合って生きていく、食べていく。どんな状況だろうと生きていく。食べていく。
それが、「適応」か「進化」か。。。
そんな思いも込められて神社には、「食」にまつわる神様が祀られているのだなと思いました。またそれは、太古からの想いなのかもしれません。

応・・・①こたえる。うけこたえる。「応酬」「応答」「呼応」(対)呼②したがう。状況にあった動きをする。「応急」「感応」「順応」③ふさわしい。「応分」「相応」④まさに・・・べし。

「進化」だと独自にという感じでしょうか。「適応」だと環境に沿ってという感じかなぁ。。。
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人間失格

2017年01月17日 | Weblog
「自意識」って、プライドやポリシーと類義語なのかなと感じます。

太宰 治「人間失格」を読みました。
この本のタイトルは、当たり前に知っていましたが、今回、初めて読みました。
斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋

「初めて読んでみての感想は、「ウケる」でした。ウケまくりました。おもしろい。
前半では、なんだか源氏物語を読んでいるような気分で、光源氏の心理でも書いているのだろうかと思いました。
後半では、もう、ボロボロ。くるところまできてしまったなぁ。。。という感じでしょうか。

この「人間失格」の主人公ですが、自意識が無いのか、もしくは、自意識が高すぎて、自意識が無いふりをしているのかとも思います。
それこそ、子供のころからそんな感じだったようで、反抗期なんて存在してないような人ですよね。というか、ずっと内面的には反抗しているのだけれど、外見には出せないというか、とにかく、流れのままというか、逆らわない感じでしょうか。

この「人間失格」ですが、大変気に入りました。喜劇と悲劇の融合。

自分は、どちらかというと華やかな舞台が好きかなというところもあるのですが、この「人間失格」の舞台は、どちらかというと華やかではない感じなのですが、それに相反しての華やかなと言っていいのか、そんな文章が引き付けてやまない感じなのです。
なんというか、筆運びという言葉が浮かんでくるのですが、あと接続詞ですか、その使い方がなんというか、お洒落というのは軽すぎるというか、感性というかセンス感じます。

この本自体は、古本屋で買ったものを、ずっと積読していたもので、本の中の字も昔の小さい字で、それぞれのページの紙も、すでにセピア色になっていて、決して自分が読める環境ではないにもかかわらず、すんなりと読んでしまったという、引き付けてやまない魅力といいましょうか、その文章というか文体に、すっかり惹かれてしまいました。

お話しの中で、絵のお話しがでてくるのですが、絵の解説している場面でもそうなのですが、ムンクと重なる所もありました。
芸術家は、99%の狂気を1%の正気(かな)でみると聞きますが、そんなのを感じます。
お話し的には、太宰さんの人生に近い所もあるみたいなのですが、なんていうのでしょう、こぅ、身を持って世の中に問いかけようとされていたのでしょうか。
文学というのは、ある意味、宗教的でもあるみたいで、この「人間失格」は(旧約)聖書に載っていてもよさそうな感じも受けました。

この「人間失格」は、これから先、繰り返し読んでいくと思います。他の太宰 治さんの作品も読んでみたと思います。

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系図

2017年01月16日 | Weblog
時代の中で育ってきたか、育ててもらったのか、親が子を育てるように、時代に育ててもらっているのかもしれない。

時代が親として、その同じ屋根の下に暮らしているとしたら、他の時代は、親戚みたいなものかな。

国の家系図なるものがありそうですよね。

弥生時代か、そのあたりの時代と中国文化とが掛け合わさって飛鳥時代が生まれ、ずっといくと明治時代とヨーロッパ文化が掛け合わさって、大正や昭和初期時代が生まれ、昭和初期とアメリカ文化が掛け合わさって、今の時代が生まれているという感じでしょうか。

これからすると、文化というのは、お嫁にいくのか、お婿にいくのかどちらかで、家から出ていくといっていいのか、そんな性質のものなのかもですね。

さらに、お嫁に来ていただいた文化の実家は親戚関係なのですね。

これからすると、日本文化も、どこかの時代で、お嫁に行っているのかもしれませんが、特に今、多くの国に行こうとしていると聞きます。

そこで、その国のどんな環境が生まれてくるのでしょうか。

日本国平成時代、その相手に選ばれているのが、どうやら遠い親戚(いや、近い親戚かな?)の幕末のような気がするのは気のせいでしょうか。

言葉を変えると、近代の終わりと始まり。

ここから、どんな子が生まれてくるのでしょうか。

しかし、そもそも、自国の別の時代との融合って歴史の中であるのだろうか。
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身の丈

2017年01月15日 | Weblog


人間の本来の姿はどこにあるのだろうか。

とうか、いままでの人間の歴史の中で、いつの時代が本来の人間らしい姿をしていたのだろうかとぼんやり考えていた。

それは、自分の中で「今でしょう」となった。

人間というのは、時代背景とか環境によって出来上がっていくのだろうし、だから「今」が時代に対して人間として生きていこうとしているのだと思う。

人間は、慣れる生き物というか、環境に順応していくのであって、自分が他の時代にタイムスリップしたとしても、なんとか生きていこうとするとは思うのですが、それは、おそらく100年くらいのスパンではないでしょうか。

環境設定もいろいろあるかと思いますが、江戸時代や、明治初期とかの市井の中では、おそらくですが、やっていけないのではないかと思われます。
大正や、昭和初期だったら、もしかしたら、なんとかやっていけるかもしれません。
大正や昭和初期となったら、近代となるから、今から見てほかの時代とは言えないですね。

「人間の本来の姿」というよりも、たまに耳にする「身の丈」なのでしょうか。
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Peace

2017年01月01日 | Weblog
新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

2016年のクリスマスに、イギリスのキャメロン元首相が
「Happy and Peaceful Christmas」というツイートされていた。
すごく響く言葉で、辞書をいろいろ見ていたら
「On earth peace and good will toward men.地には平和を、人に対しては善意を」というのがあった。
この言葉は、聖書からの言葉で、クリスマスに関してよくもちられるとあった。
「人に対しては善意を」というところは、徳積み的な所で、それはHappyかなと思う所で、
「Happy and Peaceful Christmas」と同じ意味かなと思った。

「On earth peace and good will toward men.地には平和を、人に対しては善意を」
この言葉の前後に言葉があると思う。
何が書いてあるのだろう。
一応、聖書は持っているが、この言葉がどこに書いてあるのかわからない。
聖書の言葉の引き方とか。。。ないですよね。
深い信者の方々は、だいたい暗記されているというし。

peaceを辞書で引いてみると、平和と最初にありましたが、治安、秩序ともありました。
治安・・・警察、軍隊などの強制力によって反乱や暴動などの社会混乱を鎮圧し、さらに殺人、強盗、放火などの犯罪を取り締まることによって国家社会の安寧秩序を保つこと。治安は社会生活上欠くことのできない重要な国家機能の一つである。

国家機能ですか。
それは、インフラに入るのでしょうか。
下部構造。
下部構造が上部構造を決める。





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姿

2016年09月15日 | Weblog
佐藤優さんの「国家論」を読んでいる。
以前にも手に取って読んではみたものの、その時は、読み進めることが出来なかったが、今回は、所々を掴みながら、なんとか読み進めている。
国家論―日本社会をどう強化するか (NHKブックス)
佐藤 優
日本放送出版協会

読み進めていると、「本来の姿を失ってしまった人間を解放するための革命」という文章があった。
人間の本来の姿。。。?どんなのが人間の本来の姿なのだろう。
例えば、以前、テレビで見た、現代において文明社会とまったく関わりをもたない中南米に存在する「イゾラド」とかなのか?
最初、イゾラドの映像を見た時は、やらせなのか?とも思ったが、どうやら本当らしい。
以前は、彼らの存在確認はできていたが、接触することは無く、最近では、食料不足らしく、近隣の村付近にその姿を現しているとか。
現代において何故あのライフスタイルでいられるのか?どこの国や地域でも、元の元々はイゾラドのようなライフスタイルだったのかもしれないが、今は違う。
なぜイゾラドのライフスタイルは変わらないのか?ありえるのかそんなこと??と思ったけど、ありえるらしい。
ていうか、変化する必要がなかったのだろうなぁ。外界と接触する事がなかったというからかもしれないが、それにしてもって感じですよ。
人間本来の興味というか、「知りたい」という欲はなかったのでしょうか。
イゾラドだって自分達とは何か違う部族というか、人間がいるとはわかっていたと思うのですよね。そこをよくすり抜けてこれたなと感心の方が強い。
最近では、森林伐採によって住む所や食べ物が無くなってきているということで、近隣の村付近に表れて、食べ物をくれと言うだけで、物々交換の意識さえまだない様子だった。
また、村にお金をかけて宿泊施設をつくったのに、イゾラドが凶暴な事件を起こしてしまったがために、お客さんが来なくなって困っていると言っていた。
イゾラドを取材というか、カメラで撮るのに、小舟に乗って接触されていたのですが、その取材する人や着ている服、カメラなどにイゾラド達は興味を持っていました。
とくに子供と女性は興味がありそうな感じだった。それは自然の事だと思った。だから少し安心しました。
イゾラドが文明の中で生活している人と接触すると、感染するのか、一族がなくなってしまう事があるみたいですね。
「消えゆく部族」とか聞くとなにかこう、悲しい感じもしますが、いざ、文明社会とかかわりのない人々がいると聞くと驚きます。
イゾラドが、本来の人間の姿かといわれると。。。違うのではないかと思われます。
人間の本来の姿。どこにあるのだろう。
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潜在能力

2016年09月06日 | Weblog
国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事のインタビューを逆から読んでみたくなったので逆から読んでみたw

現在、すべての国、政府が取り組むべき課題は、財・サービス・資本・ヒトの自由な移動を妨げる障害での圧迫を減らし、潜在成長率の向上に向かうことである。
貿易や技術革新から打撃を受けた人々に対しては、国・地域の政策での支援が必要。

各国首脳に要請するのは、貿易、グローバル化の正当性の裏付けと、需要押し上げや格差解消に向けた対策。

英国の欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)決定後、英国民の富はポンド急落により減少しており、消費者や企業の信頼感指標も弱いと指摘した。
グレグジットによる本格的な影響は、英国とEUの通商関係の将来像がより明らかになる2017年まではわからないだろうとしたが、IMFは7月英国EU離脱決定を受けた不透明性の増大を理由に、2016年の世界経済成長率を3.1%に、2017年を3.4%にそれぞれ引き下げた。
10月初旬の世界経済見通しが下方修正となれば、過去およそ1年半で6回連続の引き下げとなる。

英国のEU離脱決定後も想定されていたような大きな危機は生じておらず、中国経済の移行もかなり進展しており、商品(コモディティ)相場も多少持ち直していると言うかもしれないが、これは表面上のことに過ぎないと指摘し、
2016年の世界経済成長見通しを下方修正するのは、「潜在成長力や生産性などに注目すると、望ましいシグナルは見られない」としているため。

2016年の世界経済予想を再び引き下げる公算が大きいとなっているのは、重要の弱含みや貿易・投資の低迷、格差拡大などが「景気」の足かせになっているとしているため。
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