「告発」という映画を観ました。
舞台は、アメリカのサンフランシスコにあるアルカトラズ刑務所。
そこに一人の青年がいるのです。
彼は、17歳の時に、貧しさから5ドルを盗んだ罪でその刑務所に収監されているのです。
そこで、1000日間、独房にいさせられたのです。
そして、一人の若き弁護士。二人は、めぐり逢うのです。
二人の会話の中で、この弁護士も子供の頃に、兄の財布から5ドルを盗んだことがあって、
その時どうだったかというと、「次はやってはいけない」と注意されたと言っていたのです。
青年がなぜ長期に独房に入れられたかと言うと、刑務所の副所長の存在があるのです。
この話は実話みたいで、この事件がきっかけで、1963年にアルカトラズは閉鎖されて、現在では観光地になっていますよね。
映画の撮影に使われていたり、あと、ミュージックビデオなどでもみたことがあります。
この映画の事件以前から、アルカトラズでは、収監者にひどいことが行なわれていると噂にはなっていた様子でなのですが、
三人がめぐり逢ったことで、裁判でその事実が確認されたのです。
私は、この話には、阿修羅が潜むと感じました。
阿修羅は、正義を司る神。正義は闇に潜むと感じた。
以前、話題になった、興福寺の阿修羅像は三面六臂(三つの顔に六つの腕)ですよね。
なぜそうなのかと言うことを、いろんな風に解釈されていると思うのですが、この映画を観て思ったのですが、
一人の作用では正義にはならないのかなと思ったのです。人のめぐり逢いによって、そうなるのかなと。
その何人かの作用によって、一つの事となるのかなと。
だから阿修羅像には、顔が三つあって、身体は一つ。
腕のことは、はっきりはわかりませんが、それぞれのありかたというか、感情かなと思ってみました。
阿修羅のことをWikpediaで読み返してみたら、「阿修羅は帝釈天とよく戦闘をした」とあったんですよ。
そして、「阿修羅は正義を司る神。帝釈天は力を司る神」とのこと。
この「告発」からすると、裁判をするのですけど、相手は国なんですよ。いわゆる権力と戦っているのです。
それってつまり、力かなと思ったのですよね。
別に、権力が悪いと言っているワケではないのです。あの話をよく観てみると、彼らが戦っている相手は、
その時の常識のようにもみえるのです。
あの時に、アルカトラズに収監されていた青年を救い出すのは、どうやら非常識的なことの様だったのです。
でも、若き弁護士が、疑問を持って、あきらめず戦い続けたのです。常識の中で、非常識を訴えた。
そして、若き弁護士は、無関心ではなかったのですね。
世間は、どうやらアルカトラズで、非人道的なことが行なわれているという噂は聞いていたみたいなのですが、
(たぶん)無関心だった思うんですよ。
でも、若き弁護士が、法廷で戦う姿勢をみせて、それでマスコミが騒ぎ、世間が関心を持ったのではなかろうかと思いました。
あの裁判の結果は、世論も反映しているのではないのかなとも思います。
それまで非常識だったことが、常識に変わった。その瞬間が「正義」かなとも思うのです。
アルカトラズの収監された青年。若き弁護士。そして、刑務所の副所長。
この3人がぶつかり合って、その作用でそうなった。その姿が阿修羅像かなと思いました。
正義というのは、長く続かないのじゃないかな。きっとその瞬間だけじゃないかなと思った。
非常識が常識に変わる。逆に、常識が非常識に変わる。
それは、めぐり逢いによって、ぶつかり合う人の作用でそうなるのかもしれない。
なんか、そんなことを思う映画だったんですけどね、お話もよかったのですけど、俳優さん達がよかった。
刑務所の収監されている青年役に、ケビン・ベーコン。
若き弁護士役に、クリスチャン・スレーター。
このお二人のお名前は聞いたことはありましたが、あまり気にしてはいなかった。
でも、今回、この映画を観て、関心が湧きました。他の作品も観たいと思います。
そして、刑務所の副所長役に、ゲイリー・オールドマン。
よかった。。。ゲイリー・オールドマンが、副所長役で本当によかった。信頼できる悪役といいますか、
こぅ、なんていうんですか、いいんですよ。本当に、俳優さん達がすばらしかったです。
このお話は、歴史と言うストーリーの一部なんでしょうね。
その当時も、刑務所の収監者に処罰を加えることは禁止されていたようなのですが、
日本国憲法にも、それが書いてあって、「第36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」とあります。
あと、青年が5ドルを盗む行為をしたのは、17歳の時だったんですよ。
アメリカではどうだかはわかりませんが、未成年者ですよね。彼は、なぜ5ドルを盗んだかというと、妹の為だったんですよ。
妹は、その場にいて、青年は刑務所に連れて行かれ、妹は孤児院に連れて行かれたのです。
今だったら、青年も孤児院に連れていかれるかもしれませんよね。その時の時代背景というのもあったのだろうなと思うのです。
レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンも、ひとかけらのパンを盗んだことによって、すごく長い間、強制労働をさせられたんですよね。
そこから逃れられたのものの、彼は、牧師の家で罪を犯してしまう。でも、その牧師は、彼を許すのです。
そこから新たな彼の人生が始まったかのようでした。
歴史は、人のめぐり合わせによって創られるのかもしれない。
映画「告発」は、いろんなことを感じさせてくれるお話でした。
舞台は、アメリカのサンフランシスコにあるアルカトラズ刑務所。
そこに一人の青年がいるのです。
彼は、17歳の時に、貧しさから5ドルを盗んだ罪でその刑務所に収監されているのです。
そこで、1000日間、独房にいさせられたのです。
そして、一人の若き弁護士。二人は、めぐり逢うのです。
二人の会話の中で、この弁護士も子供の頃に、兄の財布から5ドルを盗んだことがあって、
その時どうだったかというと、「次はやってはいけない」と注意されたと言っていたのです。
青年がなぜ長期に独房に入れられたかと言うと、刑務所の副所長の存在があるのです。
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この話は実話みたいで、この事件がきっかけで、1963年にアルカトラズは閉鎖されて、現在では観光地になっていますよね。
映画の撮影に使われていたり、あと、ミュージックビデオなどでもみたことがあります。
この映画の事件以前から、アルカトラズでは、収監者にひどいことが行なわれていると噂にはなっていた様子でなのですが、
三人がめぐり逢ったことで、裁判でその事実が確認されたのです。
私は、この話には、阿修羅が潜むと感じました。
阿修羅は、正義を司る神。正義は闇に潜むと感じた。
以前、話題になった、興福寺の阿修羅像は三面六臂(三つの顔に六つの腕)ですよね。
なぜそうなのかと言うことを、いろんな風に解釈されていると思うのですが、この映画を観て思ったのですが、
一人の作用では正義にはならないのかなと思ったのです。人のめぐり逢いによって、そうなるのかなと。
その何人かの作用によって、一つの事となるのかなと。
だから阿修羅像には、顔が三つあって、身体は一つ。
腕のことは、はっきりはわかりませんが、それぞれのありかたというか、感情かなと思ってみました。
阿修羅のことをWikpediaで読み返してみたら、「阿修羅は帝釈天とよく戦闘をした」とあったんですよ。
そして、「阿修羅は正義を司る神。帝釈天は力を司る神」とのこと。
この「告発」からすると、裁判をするのですけど、相手は国なんですよ。いわゆる権力と戦っているのです。
それってつまり、力かなと思ったのですよね。
別に、権力が悪いと言っているワケではないのです。あの話をよく観てみると、彼らが戦っている相手は、
その時の常識のようにもみえるのです。
あの時に、アルカトラズに収監されていた青年を救い出すのは、どうやら非常識的なことの様だったのです。
でも、若き弁護士が、疑問を持って、あきらめず戦い続けたのです。常識の中で、非常識を訴えた。
そして、若き弁護士は、無関心ではなかったのですね。
世間は、どうやらアルカトラズで、非人道的なことが行なわれているという噂は聞いていたみたいなのですが、
(たぶん)無関心だった思うんですよ。
でも、若き弁護士が、法廷で戦う姿勢をみせて、それでマスコミが騒ぎ、世間が関心を持ったのではなかろうかと思いました。
あの裁判の結果は、世論も反映しているのではないのかなとも思います。
それまで非常識だったことが、常識に変わった。その瞬間が「正義」かなとも思うのです。
アルカトラズの収監された青年。若き弁護士。そして、刑務所の副所長。
この3人がぶつかり合って、その作用でそうなった。その姿が阿修羅像かなと思いました。
正義というのは、長く続かないのじゃないかな。きっとその瞬間だけじゃないかなと思った。
非常識が常識に変わる。逆に、常識が非常識に変わる。
それは、めぐり逢いによって、ぶつかり合う人の作用でそうなるのかもしれない。
なんか、そんなことを思う映画だったんですけどね、お話もよかったのですけど、俳優さん達がよかった。
刑務所の収監されている青年役に、ケビン・ベーコン。
若き弁護士役に、クリスチャン・スレーター。
このお二人のお名前は聞いたことはありましたが、あまり気にしてはいなかった。
でも、今回、この映画を観て、関心が湧きました。他の作品も観たいと思います。
そして、刑務所の副所長役に、ゲイリー・オールドマン。
よかった。。。ゲイリー・オールドマンが、副所長役で本当によかった。信頼できる悪役といいますか、
こぅ、なんていうんですか、いいんですよ。本当に、俳優さん達がすばらしかったです。
このお話は、歴史と言うストーリーの一部なんでしょうね。
その当時も、刑務所の収監者に処罰を加えることは禁止されていたようなのですが、
日本国憲法にも、それが書いてあって、「第36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」とあります。
あと、青年が5ドルを盗む行為をしたのは、17歳の時だったんですよ。
アメリカではどうだかはわかりませんが、未成年者ですよね。彼は、なぜ5ドルを盗んだかというと、妹の為だったんですよ。
妹は、その場にいて、青年は刑務所に連れて行かれ、妹は孤児院に連れて行かれたのです。
今だったら、青年も孤児院に連れていかれるかもしれませんよね。その時の時代背景というのもあったのだろうなと思うのです。
レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンも、ひとかけらのパンを盗んだことによって、すごく長い間、強制労働をさせられたんですよね。
そこから逃れられたのものの、彼は、牧師の家で罪を犯してしまう。でも、その牧師は、彼を許すのです。
そこから新たな彼の人生が始まったかのようでした。
歴史は、人のめぐり合わせによって創られるのかもしれない。
映画「告発」は、いろんなことを感じさせてくれるお話でした。