夢中人

sura@cosmic_a

0(ゼロ)

2012年03月31日 | Weblog
宇宙には始まりがあったんだ。。。なんて考えている今日この頃。メソポタミアに想いを馳せているさなかに、突如マヤというのが私の中に現れてきました。マヤというのは、メキシコ南東部を中心として栄えたマヤ文明です。そのきっかけとなったのが、Acid Black Cherryの最新アルバム「2012」です。このアルバムがきっかけで初めて知ったんですけど、どうやらマヤ暦では2012年に世界が終わるなんてことを言ってるみたいですね。いままでも何度か世界が終わるなんて予言があると聞いたことがあったけど、はっきり言って気にしたことはなかった。今回のマヤが言ってることもあまり気にならない。でも、世界というか、宇宙に始まりがあるとすれば、終わりがあるのかなとは思う。

ネットでマヤの事を読んでいたら「観測」とか「暦」というのを強く感じますが「0(ゼロ)の概念の発生」というのがあるんですね。この0(ゼロ)は、マヤだけではなく、バビロニアを含むメソポタミア文明でも使われていたみたいですね。今となっては0というのを当たり前に使っていますけど、改めて考えると0ってなにかなと思います。「無」なんだろうけど、数として数えていく場合の0って、「0、1、2、3、4、5・・・」となるわけですけど、この場合の0って、「無」でもいいんですけど、どちらかというと「空間」を意味してるのかなと感じます。そこに「空間(のみ)」が存在するということを言ってるのかなと思うわけです。で、その解釈で再び旧約聖書に目を向けてみると、聖書には文章毎に番号が振ってあるんですけど、1行目の「初めに、神は天地を創造された。」には1が振ってあるんですね。もし、0が空間を意味するのなら、この1行目の「初めに、神は天地を創造された。」には0が振ってあっていいのではないかと思いました。この世の始まりは「0」からだとすると、この世が終わるとするのならば、それも「0」なのだろうか。また、この世の終わり方の数字の並びはどんな風なんだろうか。「2・1・0・1・2」という感じでジワジワとやってきて、別の空間が出来上がるのだろうか。それとも、今年は2012年ですが、その数字の並びのように「2・0・1・2」という感じで、2から0にいくようにいきなりやってくるものなのだろうか。。。なんて書いていますが、この世の終わりのことはまったく検討もつきません。ただ、マヤに強く引き付けられている自分がいます。旧約聖書の事を書いている最中だったのですが、聖書の内容には、このマヤの事も含まれるのではないのかとなんとなく思ったりもしています。旧約聖書というのは、いろんなお話を集めたものみたいだし、もしかしたらそうかもしれない。また、未来を知る事は、過去を知る事なんですね。言い方を変えると、過去を知っていけば、未来がわかるということだと思うんですけど、マヤの人々は未来を予言しているみたいなんですが、それは、マヤの人々がその時代よりもずっと過去の時代を調べていて、その調査からの予言だったのかなと思うのです。現代のように、物理学とか生物学、そして考古学などがマヤにはあって、この遺跡は謎だらけだといいながら調査に励み予言した。そして、自分達が築き上げたものが調査される日がくることも知っていたのかもしれませんね。マヤの人々の国民性ってどんな感じだったんだろう。なぜかそんなことを思うのでした。

マヤの人々の国民性ってどんなだったんだろうと書いたけど、マヤの血を引く人々は現在でもいらっしゃるみたいですね。マヤ文明がある場所はメキシコですね。私の思うメキシコのイメージといったら、サボテンがあって、タコスがおいしくて、つばの広い帽子を被って楽器を持って演奏している感じかな。どちらかというと、陽気なイメージ。そんな陽気なイメージがあったメキシコですが、このマヤの事をきっかけにネットでいろいろ見て知ったのですが、現在、戦争をしているんですね。「麻薬戦争」みたいです。その麻薬戦争を知るきっかけとなったのは、ネットニュースでローマ法王がメキシコに訪問して麻薬戦争をやめる様に言ったという記事からだったんです。そこでもいろいろ思ったのですが、メキシコの歴史を振り返ってみると、ローマ法王がメキシコを訪問するというのもなんだか違うような感じ。この事も、古代マヤの人々は予言していたというのをチラッとネットで見かけたのですが本当の事でしょうか。。。ま、それはとりあえず今は置いといて、メキシコというのは資源があって、それを輸出して富を得たものの、経済危機があったり、貧富の格差もありで、苦しい状況にある国民がいるようです。どうやらグローバリゼーションの影に隠れてしまった人々がいるわけですね。そんな中で反資本主義を掲げ、マヤ系インディオの生活するための空間を求めて、自治運動を行っている人々もいるとか。 グローバリゼーションというのもありそうなんですが、政治の腐敗もあるみたいですね。

先日、テレビを観ていたらアメリカの芸能界のことが放送されていました。ゴシップネタみたいなことを言っていたんですけど、その最後に有名な女優さんなんですけど、その方が薬物依存だといっていました。すごく有名な女優さんなんですけど、思わずこの人もか。。。と思ってしまいました。アメリカの芸能界ネタって(ワイドショーネタですが)、日本で表面的なところしか見ていないのですが、薬物中毒というのをよく耳にします。日本でもまったくないということはないのですが、アメリカは多いような印象です。このアメリカに存在する薬物というのは、メキシコから入ってくるものなのでしょうか。
ネットに、メキシコは麻薬の主要な生産国、中継国であり、アメリカへの大麻およびメタンフェタミンの主要な供給元となっているとありました。メキシコのアメリカへのヘロイン供給では大きなシェアを占めていて、現在、アメリカ国内に流入する外国製麻薬のおよそ70%がメキシコの麻薬カルテルの支配下にあるとか。アメリカ合衆国国務省は、コロンビアで生産されメキシコを経由してアメリカに流入するコカインは全体の90%にも及ぶと見積もっていて、これらの違法薬物の即売による売り上げは年間で136億ドルから484億ドルになると見られているとか。アメリカによる電子送金の監視が厳しい現状から、メキシコの麻薬密売人は車やトラックによってメキシコへ麻薬取引の代金を持ち込んでおり、その金額も増え続けているとありました。アメリカもこの状況に困っているんだろうけど、メキシコはメキシコで、この薬物が原因で戦争が起こっているわけでしょう。メキシコ麻薬戦争とは、麻薬組織(カルテル)同士の縄張り争い、および、麻薬密売の取り締まりを強化しているメキシコ政府と麻薬カルテルとの間で起こっている武力紛争。この武力紛争によって多の人が殺害されている。メキシコの麻薬カルテルは、現在アメリカの違法薬物の即売市場を支配しているとか。なんというか、言葉の一部分を見ていくと「産業」のような感じですね。即売という形で外貨が入ってくるわけでしょう。そして即売市場という「市場」もあるんだ。やはり産業っぽいけど闇の産業なんですね。この闇の産業って他にもあると思うんだけど、これにも需要と供給があるワケですね。
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「2012」

2012年03月30日 | Weblog
『2012』(DVD付A)
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motorod


Acid Black Cherry最新アルバム「2012」です。
3月21日発売ということで、すっかり聴き込んでおりますが、聴いた印象としましては風の中にいるみたいです。荒野の中で風に身をまかせているみたい。
そして、マイナスイオンさえも感じます。
「生きる」ことをテーマに、マヤ暦の話や、世界週末時計の事が絡んでいます。
それらは世界の終わりということなんですが、世界週末時計は目に見える具体的な感じがしますが、
マヤについては、今ある世界の何が終わるのかという感じがします。
例えば、今現在世界をつくり上げているシステムというか流れや考え方の終わりかもしれないなと。

『2012』(DVD付B)
クリエーター情報なし
motorod


アルバムに物語が付いていて、挿絵に天使の絵が描かれてあるんですけど、すごくかわいらしんですよ。
また、ジャケットの裏になるんですけど、yasuさんが持っている世界終末時計の残り5分の針を一生懸命に時間を延ばそうと引っぱっているんです。
これは以前から話は聞いていましたが、軍事面の事を中心に言ってることなのかな?
もしそうだとすると国を守ることが使命の方々もいらっしゃるわけで、そうそう簡単に言えるものではないと思ってます。
日本の場合は憲法の関係が強いのか、以前からモヤモヤした雰囲気が立ち込めています。
このモヤモヤが出たり引っ込んだりの繰り返しっぽい。また最近出てきてる雰囲気ですね。
この話ってどうなるんだろう、この先もずっとモヤモヤのままなのかなぁって思ったりもしています。
『2012』
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motorod


ABCのオフィシャルブログに書かれてあったんですけど、この「2012」が1位をとったそうです!
ブログには「みんなのおかげでデビュー13年目にして、初めて1位がとれました。」とありました。
yasuさんが素直に喜んでいるのがすごくうれしいです。
継続は力なりですね。本当にそう思う。
私は3年前くらいからのファンなんですが、その前からずっと前からぶれることなくロックミュージシャンでいたんですね。
本当におめでとうございます。

大阪城ホールでのクリスマスライブ映像もステキ!
Acid Black Cherry / 『2012』告知ムービー
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解説

2012年03月14日 | Weblog
「創世記」を読んでいると、なんだか科学や生物の本を読んでいる気分になってくる。いろんな解釈があるとは思いますが、「初めに、神は天地を創造された。」は「宇宙には始まりがあって、爆発のように膨張して現在のようになった。」とするビッグバン理論に当てはまると思う。そして、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」とあって、元素の周期表でみると「H(水素)」が1番目なんですよ。水素の語源はギリシャ語でhydor(水)genes(生じる)ということで、「水の面」は水素に当てはまるのかなとも思いました。この「宇宙に始まりがあった」という考えは、20世紀初頭では皆無だったみたいです。でも、1927年ベルギーの司祭で天文学者のジョルジュ・ルメートルが「宇宙は原始的原子」の爆発から始まった」というモデルを提唱し、1929年エドウィン・ハッブルの観測で、ルメートルの理論に対して基礎付けを与えることになったそうです。そして、ロシア出身の天文・核物理学者ジョージ・ガモフがルメートルの提唱したビッグバン理論を支持し発展させたとか。彼らは、当時の天文学界や物理学界では、アウトサイダー的な存在だったらしいです。あのニュートンも異端なんて言われていたみたいですけど、いわゆるアウトサイダーだったんですね。「アウトサイダー」って、「不良っぽい」みたいなイメージがあったけど、ちょっと違うみたい。こういう方々の事をなんというのかしら。こういう方々は、揺るがない勇気と信念と志が必要ということでしょうね。ビッグバン理論から導かれる帰結の1つとして、今日の宇宙の状態は過去あるいは未来の宇宙とは異なるというものがあるそうです。やはり、今とは違う前の空間があったということなんですね。そして、今とは違う後の空間もあるということなんだ。

天地創造の由来の後の話は、「地上」の話です。「主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出て、土の面を全て潤した。主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」このような始まりなんですけど、やはり水は生命の源なんですね。ここを読んでいるとそれを強く感じます。このお話は「エデンの園」のお話になっていくんですけど、エデンとは、元々シュメル・アッカド語で「平地」を意味し、メソポタミアの大平原を指すそうです。神は、平地の一部に園を造ったということなんですね。だから、その園の具体的な名前はないんだ。エデンという平地の中の一部の園なんですね。「主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。」ここを読んでいると、細胞とか核とかミトコンドリア、またDNAみたいなのが浮かんできます。その中の核は、細胞核といい、真核生物を構成する細胞小器官のひとつ。細胞の遺伝情報の保存と伝達を行い、ほぼすべての細胞に存在するとありました。この核が、園の中央の命の木と善悪の知識の木に当てはまるんじゃないかなと思っています。
「核」を漢和辞典で引いてみると、
「核」①さね。たね。果実の肉の中にあって仁ニン(胚ハイ、芽となるもの)を包むもの。果実の心シン。②すべて、物事の大切なところ。中心。なかみ。「核心」③かたい。堅実。④きびしい。⑤きわめる。しらべる。ただす。⑥イ生物学で、細胞の核をいう。ロ物理学で、原始核をいう。(解字)形声。木が意符。亥ガイ(転音カク)が音符で、かたい意を表す。木の実の中心のかたいシン、たね。転じて、物の中心。
核は、木が意符になるんですね。

聖書を買った時に解説本も買ったのですが、それよりも今言われている科学や生物学が、聖書を解説してくれているようだ。
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2012年03月07日 | Weblog
随分と間が空いてしまいました。反省しています。

最近、気になる言葉があるんです。それは「darkness」。闇です。テレビなどを観ていて、外国の方が話されていて、そこで「darkness」という言葉を使われているんですが、その「darkness」という言葉が妙にはっきり聞こえて反応しているんです。「darkness」とは闇であって、表面的にみるとあまりいい意味ではなさそうなんですけど、どこか心地よさを感じるのはなぜでしょう。
小型聖書 - 新共同訳
クリエーター情報なし
日本聖書協会

聖書を買いました。今までは図書館で借りていたのですが、本格的に解釈をしていくのであれば、図書館で借りるのではなにかと手間がかるので買いました。また、解説本も買いました。この解説本に書かれてあることが今の解釈だろうということで聖書と一緒に買いました。聖書は「創世記」から始まっています。まず始めに1週間の由来である「天地創造」の7日間が書かれてあります。第一日目は「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」です。初めに神は天地を創造されたとあるんですけど、二日目に「神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。」とあるんです。さらに三日目に「神は言われた。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神をこれを見て、良しとされた。神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草とそれぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。」とあるんです。第一日目に「天地を創造された」とあるんですけど、第二日目に天を造り、第三日目に地を造っているんです。話がだぶっているんです。旧約聖書というのは、もともとヘブライ語で書かれていて本来は翻訳が出来ないものみたいで、私が今読んでいるのは日本語に訳されているものなんですが、第一日目と第二日目、第三日目の「つくる」の字が違うんですよね。第一日目は「創造」第二日目と第三日目は「造る」になってます。「創造」の「創」には破壊の意味もあるわけであって、1週間の始まりの第一日目は「破壊」から始まっていると思うのです。だから天地創造の始まりは「初めに、神は天地を破壊された」という読み方もあるのかなと思います。天地を破壊したことによって「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり」ということで「闇」が出来上がったんですね。携帯辞書で「混沌」を引いてみると、「chaos ①無秩序、大混乱②(詩)天地創造以前、混沌(ギ神)カオス。③(数・物)カオス」とありました。やはり第一日目は天地創造以前ということで、「破壊」からなのではないのでしょうか。そして、神が天地を破壊して闇があった。その闇の中で神は「光あれ。」と言った。こうして光があったとありました。この部分を読んでいると、光を放つ物と言ったら太陽のような気がして、ここで神は太陽を造ったのかなと思ったのですが、第四日目で、「神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さい方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である。」とあります。とすると、第四日目に太陽と月と星が造られたようなんです。だから第一日目の光は太陽ではないみだいです。だとしたらそれは何なのだろうと思ってみました。第一日目にあったのは「闇」と「光」。それは言い換えると「黒」と「白」ではないかと思うのです。そしてさらに言い換えると、「陰」と「陽」ではないでしょうか。破壊によって「闇」が出来、そして言葉によって「光」が出来た。これからすると、神が一番初めに造ったものは「闇」ではないのでしょうか。

「創世記」は「天地創造」に先立つ物質はなにもなかったとしているみたいなんですが、私は天地創造以前に物質はあって、それらを破壊したんだと思う。全てをこっぱ微塵に破壊した。それは神の世界をも破壊したのかもしれない。それはなぜかというと、神は第五日目に「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼のある鳥をそれに創造された。とあったんですよ。第六日目には「地はそれぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うものの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」さらに「我々にかたどり、われわれに似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。とあります。第七日目に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。とありました。聖書には、これが天地創造の由来であると書かれてありました。そして次に、主なる神が地と天を造られた時、地上には野の木も野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。とありました。これはですよ、神が7日間で造った空間とは別の空間があるということですよね。だとしたら、神が7日間で造った空間は何かなと思ったんですけど、それは神の国でもいいんですけど、宇宙かもしれないなと思いました。だから、神は宇宙というか、神の国から造り直したのかなと思った。もともとあった神の国をも破壊した。そこで出来たのが闇。闇は前の空間と今の空間の、つなぎ目なのかもしれない。闇は黒。そして、言葉によって光が出来た。光は白。それは陰と陽。そこから物質が生まれた。全ての物質は陰と陽から始まっているんだ。
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