夢中人

sura@cosmic_a

ことば

2008年11月29日 | Weblog
ことば、コトバ、言葉。
道具としてのことば。
人によっていかされ方が違う。
。。。うん。違う。ことばの言い方によってもずいぶんと違う。
ことば、コトバ、言葉。
光透波。。。ですか。
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パスタランチ

2008年11月29日 | Weblog
 
  
三軒茶屋で食べたパスタランチがおいしかった。
また食べたい
なんだか三軒茶屋っておもしろそうなお店がありそうな感じですよね。
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等々力渓谷

2008年11月29日 | Weblog
東京に行った際に少し時間があったので、三軒茶屋からちょっと離れた所にある
等々力渓谷に行ってみました。
  
  

この場所を訪れたのは2回目。
前回は。。。10年くらい前かなぁ。
東京の住宅街にこんな場所があるんだぁなんで驚いたのを覚えています。
あの時と景色はあまり変わっていなかったけど、1つだけ「変わったんじゃない?」と思うことがありました。
それは、水の臭いです。
10年前に訪れた時に、景色はいいと思ったけど、水の臭いが気になったのを覚えています。
あんまりいい臭いじゃなかった。
その時に、やっぱり住宅街だもんねぇ。しょうがないことなのかなぁ。。。と思ってました。
でも今回はそれが気にならなかったです。
いや・・・ちょびっとはしたけど、あの時ほどじゃなかった。
あの川の水をきれいにされているのかなぁ。。。だとしたらいいことですよね。

秋の季節は忙しい時期で、気が付いたら終わっていたというのがパターンなのですが、
今年は思いもかけず東京で秋に出会えました。
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狂言劇場その伍

2008年11月27日 | 狂言
野村萬斎様が芸術監督を務められている世田谷パブリックシアターに行ってまいりました。
 
場所は、三軒茶屋。
三茶ってどこにあったけ~?と思いながら調べてみると渋谷駅から二駅目。
しかも、駅を出てすぐに、世田谷パブリックシアターにたどり着いちゃうんですね。
いい感じの場所にあるんですねぇ。そうなんだぁと思って、会場にはいってみると、
目の前には、写真でみたことのある「三間四方」の舞台。そして、しめ縄。
ここにやってきたんだなぁと思って席に着き会場全体を見まわす。
そこで目に付いたのが天井。空が画かれてあった。
へ~天井に空の絵が描かれてあるんだぁ。それって意味があるんだよねえ。。。などと
感動しつつ、いろんなことを思う。
で、この空間って・・・と思った時間があるんですよ。
それは、笛と太鼓の演奏があったんですけど、その演奏を聴いていたら、
「陰陽師2」で清明と博正が天岩戸に行く場面が浮かんできて、映画を観ている時はピンとこなかったけど、
笛は風で太鼓は時間だと感じたんですよ。
笛と太鼓が演奏される場所は、あの世とこの世の堺目なんですね。
笛の風と太鼓の時間で、時空を乱して、あの世とこの世の境目をつくっているんだと感じました。
映画の中では太鼓はなかったけど、だからあの場面で笛を吹いたんだぁと思ってしまった。
その笛と太鼓の生演奏を聴きながら、目の前の舞台上にあるしめ縄と会場の天井に画かれている
「空」が妙に気になりながら、なんていうんですか。。。こう。。。「ほっとけない空間」がそこにありました。
笛と太鼓のちゃんとした生演奏って初めて聴いたけど、よかったように思えます。


狂言ですが、「「苞山伏」「磁石」「彦市ばなし」を観ました。
この3つの狂言のテーマは「嘘」。
「嘘」によって物語が展開していくんです。
そして、この狂言を観終わった後に、自分なりのこの3つの狂言のキーワードをみつけました。
それは「道具」です。
「彦市ばなし」では隠れ蓑という道具が使われていました。
そして、「苞山伏」と「磁石」では、「嘘」というものが「おろかな刃」という道具となり、
また、自分を守る「盾」にもなるものだと教えてくれました。
嘘はついてはいけないけど、でも「盾」として使わなければいけない場合もあるんです。
「磁石」では、田舎者が旅の途中にたまたまであった詐欺師達に売り飛ばされそうになるんですよ。
それで、その気配に気が付いた田舎者は、逃げ出るんですが、
詐欺師が田舎者を追いかけて、追いついて刀で田舎者を切ろうとするんです。
その時に、田舎者はとっさに口を大きく開けて「私は磁石の精で、刀がのみたい」と嘘をいうんです。
それを見ていったいなんだと詐欺師はあっけにとられるんです。
この場面を観た時に、以前DVDで見た「ホテルルワンダ」を思い出しました。
ホテルルワンダの主人公の支配人は自分がかくまった人たちの命を守るために嘘をつくんです。
そこで争っている兵隊達に「このホテルを守った人には、会社が報酬をだすといっている」とか、
「ここで起こることはアメリカがスパイ衛星で見張っている」などの嘘をいうんです。
そして、この嘘を「盾」という道具にして彼は大勢の人の命を守ったんです。
嘘という言葉の道具を使ったんです。
これは、この田舎者も同じだと思います。

「彦市ばなし」は、自称「ウソつきの名人」彦市が、ただの釣竿を望遠鏡と偽って、
天狗の子から隠れ蓑をうばっちゃうんですよ。
たまたま出会ってしまった二人。
彦市が天狗の子から奪った隠れ蓑は、それを肩にかけると透明人間になっちゃうんです。
彦市は、その隠れ蓑を使って、お酒をたくさんただ呑みしようなどと自分の欲望を満たそうと考えるわけです。
この、彦市の考えは、私的にはせめられません。
だって、私だって隠れ蓑が手に入ったら、飛行機や電車などにそっと乗って、
あっちこっちに行きたいかもぐらいの考えはでてきます。
あの隠れ蓑を普通の人間が手にした場合、それを正しく使える人もそうそういないんじゃないかな。
隠れ蓑という「道具」は、人間の許容範囲外の力があるわけですよ。
日頃想像していたあれやこれやをやってしまおうとろくでもないことに使ってしまうのが普通の人間かもしれませんね。
あの隠れ蓑を天狗がどのように使っているかはわかりませんが、
天狗が使ってこそ隠れ蓑の力が発揮できるのではないのでしょうか。

私がこの話と重ねあわせたのが「薬」です。
たとえば、薬の中で麻薬系は病院で取り扱う場合はプラスに作用するんですよ。
病院には、傷みを抱える人がいて、それは、他人にはわからない想像を絶する痛みかもしれなくて
そんな時、麻薬系の薬がその痛みを抑えてくれるんです。
そんな薬を自分の欲望を満たすためや遊び感覚で使うパターンがあるみたいですね。
それはマイナスの作用だと思います。
また、睡眠薬も悪戯に使うパターンもあるみたいですね。

その「道具」というのは、正しく使える人の手元にあってこそその力を発揮できる物なんだと思います。
それで、ちょっと思ったんですけど、あの隠れ蓑を殿様が手にしていたらどうなっていたんだろうって。
私の想像は、殿様というのは、ある意味、天狗と近いような力があるわけですよ。
隠れ蓑を手にして、透明人間になったとしばらくは珍しがっているかもしれないけど、
殿様には、ある程度の物はあるし、ちょっとお願いすればなんでもかなえられる状況にあるはずです。
だから、隠れ蓑を持っていても、持っていなくてもだいたい同じような状況じゃないかな。
だから、殿様は、すぐに隠れ蓑にあきちゃって返しちゃうと思うんです。
彦市と天狗の子と殿様。
それぞれに環境がまったく違う3人。ここに私は「国」を感じました。
そしてそこに浮かんだ道具は「核兵器」です。
核兵器を持つ国それぞれに、核兵器を持つことの意味があって、それは意味が違うのではないのでしょうか。
ムム~。。。自分でもすごいところにたどり着いたなと思いました。
でもだよ、「核兵器」を「嘘」として当てはめた場合どういう風になるかな。。。ちょっと考えてみたい。

今回テーマになっていた「嘘」。
この「嘘」ってもっと深そうな気がする。
「嘘」って人間が持っている道具の一つですよ。
嘘をついてはいけない。でも嘘をつかなければいけない場合もある。
でもそれは「盾」として使う場合だ。
人をだまし、なにかを奪い取るような「おろかな刃」としての嘘はいけない。
嘘ってさぁ、結局は言葉なんだよね。
言葉って・・・
もう少し掘り下げてみよう。
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経済の事

2008年11月15日 | Weblog
なんていうかぁ。。。経済のしくみを知るよりも、
なぜ経済を上げなければいけないのかの答えを探す方がいいような気がする。
。。。なぜ経済を上げなければいけないのか?
間違っても贅沢するためじゃないよね。
なんていうんですか、こう。。。経済ってのは哲学ちっくな香りがただよってそうな気がする。。。
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おくりびと

2008年11月13日 | 映画
おくりびと」を観ました。
この映画は、ハンカチなしには観れないお話でした。
主人公の仕事は「納棺師」。この「納棺師」というのは始めてきいたような気がします。
この映画のポスターには「きれいになって逝ってらっしゃい」とありました。
いわゆる美容師さん的なお仕事なんですね。
「師」という文字がつくだけにそれは「技」でした。
ご遺体を、あの世に逝く準備として、きれいに身体を拭き、そしてお着替えをして
お顔を整えお化粧をする。
そのシーンがすごく涙が出てくるんですよ。
なんででしょう?。。。きっと「愛」だからでしょうね。

人はこの世に生まれてきて、それぞれにさまざまな人生があって、いろんなことを感じて、
そして死んでいく。
別の世界に旅立っていくんですね。そんな旅立ちにも身支度があるんです。
それを手助けしてくれるのが納棺師ということなんですね。

最近、演劇やこういうドラマを観て思うことがあるんですよ。
人の人生って、本当にスピリチュアルなんだなって。
この「おくりびと」の主人公は、最初はオーケストラのお仕事をしていたのだけれど、
いろいろ事情があり、それを辞めて、都会から生まれ故郷に戻って生活を始めるんです。
生活をするにはやっぱりお金が必要であり、また、チェロの多額の借金もあるみたいで、
急いで仕事を探しにいくんです。
そして、たまたま広告で見た求人欄。よく意味もわからず面接をして、その場で採用。
どんな仕事かは経験しながら理解していく。
いろんなことがあるんです。いろんなことが。
いろんなことがある中で、主人公の彼は「納棺師」という仕事に誇りをもつんです。
なぜ彼は生まれ故郷に戻ったのか。なぜ彼は「納棺師」という仕事に出会ったのか。
なぜ?・・・なぜ。そんな疑問がでてきました。
これって、ドラマとしてつくられているからそう思うのではなくて、普通に生活している
全ての人々に共通する疑問ですよね。
なぜここに生まれてきたのか、なぜこの仕事をしているのか、なぜこの人と出会ったのか。。。。
最近観るドラマはそんなことを感じさせてくれます。そして、人は、生きていくのに目標を持つんですね。
目標はなんでもいいんだと思います。
以前、お母さんが子供のためにテレビを買ってあげる映画を観ました。
その家は、お金持ちではなく、そのお母さんはその目的のために一生懸命に働くんです。
そして、子供の為にテレビを買ってあげるんです。
その「テレビを買う」という目標をたてて、買ってあげるまでの間に、そのお母さんには
いろんなことがあるんです。さまざまないろんなことが。
このいろんなことがあるのがドラマなんでしょうね。
このいろいろなことをどう受け止めるのか、どう感じるのか、そして、どう学ぶのか。
人生とは、「なぜ」の疑問と、そしてやっぱり自分は「どう」なのかということなのかな。
お話とはやはり「鏡」なんですね。
お話を知っていくことの大切さを改めて思います。
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まぼろしの邪馬台国

2008年11月08日 | 映画
吉永小百合さん・竹中直人さん主演の映画「まぼろしの邪馬台国」を観ました。
ある夫婦が邪馬台国を探すお話。お話の舞台は長崎県島原市。
邪馬台国説って日本のいろんなところにあるみたいなんですが、島原にもあったんですね。
私的には初耳でした。
長崎県では、「対馬」とか「壱岐」などの島で邪馬台国つながりがあるようなことは聞いていました。
。。。なんとなくですね、「対馬」は気になるんですよ。行ってみようかなという気持ちがあります。

邪馬台国は、この日本に今から1700年くらい前にあって、その国を治めていたのが卑弥呼という女王。
この「卑弥呼」という漢字の使い方は「卑しいと呼ぶ」なんて書いてるから、確かによくないとは思いますが、
「ヒミコ」という響きはいいと思うんですよ。
この「卑弥呼」という呼び名は、中国の方で付けられたニックネームみたいなものなんですかね?
1700年前に付けられた名前なのに、なんて今っぽいんでしょう。
今っぽいから「ヒミコ」って覚えやすいし、言いやすいんだと思うんですよ。
あの飛鳥時代の推古天皇でさえ本名が豊御食炊屋比売命というそなんですよ。
これは今じゃちょっと違和感ありますよね。そうそう覚えませんよ。
その「卑弥呼」という呼び方ですが、当時はどう思っていたかはわからないけど、
今となっては、なんていいニックネームなんだと思う。
これってハンドルネームの「sura」も同じような感じなんですよ。ハハハハ。。。
そっか。。。だとしたら、その当時も一瞬「それってどうかな」と思ったかもしれないけど、
「まっ、いいか」だったかもしれませんね。それで今となってはよかったということでしょうか。
でも、だそうだとしたら、「卑弥呼」には本名があったんですよね。
なんだろう?それは誰にもわからないんですよね。でも、やっぱり、太陽つながりの名前っぽそう。。。

。。。話がそれましたが、この「まぼろしの邪馬台国」の中で、邪馬台国を探すのが宮崎康平・和子夫妻。
このストーリーによると、宮崎康平さんというのは、島原にとって影響力のある方だったんですね。
(お話によると)破天荒なところもあるみたいなんですが、地元島原で事業をおこして、
つまり、経済を活性化されていたんですね。
また、経済だけではなく、芸術活動もされていたみたいで、あの「島原の子守唄」をつくられたりされているんですね。
私は、あの映画を観る限りでなんですが、あの宮崎康平さんは、「霊感」に近い物があったんじゃないかなと思いました。
そうじゃなくても、「勘」というか「感」はするどかったんでしょうね。
それに、宮崎さんにいろいろ起こった出来事は、良い事も悪い事もその「感」の為のような気がするんです。
宮崎康平さんが島原の地に生まれたのは意味がある。
なにか。。。こう。。。スピリチュアル的なものを感じます。
そんな破天荒な康平さんに力になったのが妻の和子さん。
和子さんは、目の見えない康平さんに「私があなたの目になりますから」と言っていった。
そして、二人で邪馬台国を探したんですね。
なんだかロマンチック。夫婦二人で古代への旅をしていたんですね。
いろんなところに出掛けたり、こたつに座って、あーでもないこーでもないって、
邪馬台国は。。。卑弥呼は。。。って二人で話していたのかなぁ。。。
和子さんは、康平さんにとっての女神ですね。

邪馬台国論争なんて見かけたりして、「どこでもいいじゃん。日本のどこかにあったんだよ」と思っていたりしていたところもあったけど、
でも、この宮崎夫妻の事を知ったら、そんな風に考えちゃだめかなと思いました。。
本当に邪馬台国はどこにあったんでしょうね。

ところで、この妻の和子さん役を演じていた吉永小百合さんなんですが、以前、助けていただいたことがあるんです。
といっても、直接助けてもらったとかじゃないんですが。
それは、私が中学生か高校生だった頃でしょうか。そのころ、お気に入りの芸能人がいて、
そのポスターを自分の部屋に貼っていたんですよ。
そしたら、それを見て父がぶつぶつといいだしたんです。
そしてあんまりぶつぶつと言うものだから、言い返してやったんです。
「お父さんも吉永小百合さんの生写真を持っとるたい!」と。。。
そう、私の父は吉永小百合さんのファンだったらしく、吉永さんの生写真があるんです。
その写真なんですが、たぶん吉永さんの学生時代の頃でしょうか。
そこに写っている吉永さんはめちゃくちゃかわいいんですよ。超かわいい。
サユリストという存在があることに理解できます。
その写真はたまたま発見したんです。きっと隠していたんですね。
だから、それを言ってからは父は、私の部屋に貼ってあるポスターのことを何も言わなくなりました。
まぁ、母も父に「お父さんは小百合ちゃんが好きやったたい」といってくれたのもあるかもしれませんが。。。
あの時は助かりました。ありがとうございました。
宮崎夫妻のお話はとてもステキですね。
人の人生って、スピリチュアルなんですね。改めて思いました。
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調子

2008年11月08日 | Weblog
あのですよ。。。
最近、光に変えたんですけど、
調子いい時と、めちゃくちゃ調子悪い時があるんですけど。。。
こんなもんなんでしょうか。
投稿意欲減退の時もあります。
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