夢中人

sura@cosmic_a

人間失格

2017年01月17日 | Weblog
「自意識」って、プライドやポリシーと類義語なのかなと感じます。

太宰 治「人間失格」を読みました。
この本のタイトルは、当たり前に知っていましたが、今回、初めて読みました。
斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋

「初めて読んでみての感想は、「ウケる」でした。ウケまくりました。おもしろい。
前半では、なんだか源氏物語を読んでいるような気分で、光源氏の心理でも書いているのだろうかと思いました。
後半では、もう、ボロボロ。くるところまできてしまったなぁ。。。という感じでしょうか。

この「人間失格」の主人公ですが、自意識が無いのか、もしくは、自意識が高すぎて、自意識が無いふりをしているのかとも思います。
それこそ、子供のころからそんな感じだったようで、反抗期なんて存在してないような人ですよね。というか、ずっと内面的には反抗しているのだけれど、外見には出せないというか、とにかく、流れのままというか、逆らわない感じでしょうか。

この「人間失格」ですが、大変気に入りました。喜劇と悲劇の融合。

自分は、どちらかというと華やかな舞台が好きかなというところもあるのですが、この「人間失格」の舞台は、どちらかというと華やかではない感じなのですが、それに相反しての華やかなと言っていいのか、そんな文章が引き付けてやまない感じなのです。
なんというか、筆運びという言葉が浮かんでくるのですが、あと接続詞ですか、その使い方がなんというか、お洒落というのは軽すぎるというか、感性というかセンス感じます。

この本自体は、古本屋で買ったものを、ずっと積読していたもので、本の中の字も昔の小さい字で、それぞれのページの紙も、すでにセピア色になっていて、決して自分が読める環境ではないにもかかわらず、すんなりと読んでしまったという、引き付けてやまない魅力といいましょうか、その文章というか文体に、すっかり惹かれてしまいました。

お話しの中で、絵のお話しがでてくるのですが、絵の解説している場面でもそうなのですが、ムンクと重なる所もありました。
芸術家は、99%の狂気を1%の正気(かな)でみると聞きますが、そんなのを感じます。
お話し的には、太宰さんの人生に近い所もあるみたいなのですが、なんていうのでしょう、こぅ、身を持って世の中に問いかけようとされていたのでしょうか。
文学というのは、ある意味、宗教的でもあるみたいで、この「人間失格」は(旧約)聖書に載っていてもよさそうな感じも受けました。

この「人間失格」は、これから先、繰り返し読んでいくと思います。他の太宰 治さんの作品も読んでみたと思います。

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系図

2017年01月16日 | Weblog
時代の中で育ってきたか、育ててもらったのか、親が子を育てるように、時代に育ててもらっているのかもしれない。

時代が親として、その同じ屋根の下に暮らしているとしたら、他の時代は、親戚みたいなものかな。

国の家系図なるものがありそうですよね。

弥生時代か、そのあたりの時代と中国文化とが掛け合わさって飛鳥時代が生まれ、ずっといくと明治時代とヨーロッパ文化が掛け合わさって、大正や昭和初期時代が生まれ、昭和初期とアメリカ文化が掛け合わさって、今の時代が生まれているという感じでしょうか。

これからすると、文化というのは、お嫁にいくのか、お婿にいくのかどちらかで、家から出ていくといっていいのか、そんな性質のものなのかもですね。

さらに、お嫁に来ていただいた文化の実家は親戚関係なのですね。

これからすると、日本文化も、どこかの時代で、お嫁に行っているのかもしれませんが、特に今、多くの国に行こうとしていると聞きます。

そこで、その国のどんな環境が生まれてくるのでしょうか。

日本国平成時代、その相手に選ばれているのが、どうやら遠い親戚(いや、近い親戚かな?)の幕末のような気がするのは気のせいでしょうか。

言葉を変えると、近代の終わりと始まり。

ここから、どんな子が生まれてくるのでしょうか。

しかし、そもそも、自国の別の時代との融合って歴史の中であるのだろうか。
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身の丈

2017年01月15日 | Weblog


人間の本来の姿はどこにあるのだろうか。

とうか、いままでの人間の歴史の中で、いつの時代が本来の人間らしい姿をしていたのだろうかとぼんやり考えていた。

それは、自分の中で「今でしょう」となった。

人間というのは、時代背景とか環境によって出来上がっていくのだろうし、だから「今」が時代に対して人間として生きていこうとしているのだと思う。

人間は、慣れる生き物というか、環境に順応していくのであって、自分が他の時代にタイムスリップしたとしても、なんとか生きていこうとするとは思うのですが、それは、おそらく100年くらいのスパンではないでしょうか。

環境設定もいろいろあるかと思いますが、江戸時代や、明治初期とかの市井の中では、おそらくですが、やっていけないのではないかと思われます。
大正や、昭和初期だったら、もしかしたら、なんとかやっていけるかもしれません。
大正や昭和初期となったら、近代となるから、今から見てほかの時代とは言えないですね。

「人間の本来の姿」というよりも、たまに耳にする「身の丈」なのでしょうか。
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Peace

2017年01月01日 | Weblog
新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

2016年のクリスマスに、イギリスのキャメロン元首相が
「Happy and Peaceful Christmas」というツイートされていた。
すごく響く言葉で、辞書をいろいろ見ていたら
「On earth peace and good will toward men.地には平和を、人に対しては善意を」というのがあった。
この言葉は、聖書からの言葉で、クリスマスに関してよくもちられるとあった。
「人に対しては善意を」というところは、徳積み的な所で、それはHappyかなと思う所で、
「Happy and Peaceful Christmas」と同じ意味かなと思った。

「On earth peace and good will toward men.地には平和を、人に対しては善意を」
この言葉の前後に言葉があると思う。
何が書いてあるのだろう。
一応、聖書は持っているが、この言葉がどこに書いてあるのかわからない。
聖書の言葉の引き方とか。。。ないですよね。
深い信者の方々は、だいたい暗記されているというし。

peaceを辞書で引いてみると、平和と最初にありましたが、治安、秩序ともありました。
治安・・・警察、軍隊などの強制力によって反乱や暴動などの社会混乱を鎮圧し、さらに殺人、強盗、放火などの犯罪を取り締まることによって国家社会の安寧秩序を保つこと。治安は社会生活上欠くことのできない重要な国家機能の一つである。

国家機能ですか。
それは、インフラに入るのでしょうか。
下部構造。
下部構造が上部構造を決める。





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