夢中人

sura@cosmic_a

代謝

2012年06月20日 | Weblog
細胞のしくみ (入門ビジュアルサイエンス)
長野 敬
日本実業出版社


旧約聖書繋がりということで、この本を読んでみた。感想としましては、やはり細胞というのは、よくできているなと思いました。感心するくらいによくできているというか、しくみがすごいなと思いました。すごく楽しく本を読ませていただきました。しかし、この本を読み終えて、なにか一つ物足りなさを感じたんです。なんか足りなくないみたいな感じなんですよ。なにかなぁ思ってみたら、細胞というのは、いったい何のためにこんなに働いているんだろうと思って、そしたら、この本には、霊(たましい)のことが書かれてないから物足りなさを感じたんだなと気がつきました。

細胞があんなに一生懸命働けるのは、そこに霊(たましい)があるからじゃないかなと思った。そこに霊があるから、分裂とか代謝とかをやっているのではないかと思ったわけです。だって、その細胞というか肉体から霊がなくなると、それらの細胞の働きは止まるわけですよね?そして、そこにある細胞は、壊死をしていって最終的には滅びるわけですよね?そんなことを考えていたら、やはり細胞というのはそこにある霊のために存在し機能をはたしているのかなと思ったわけです。。。思ったわけなんですけど、でもですよ、霊のために細胞が存在し機能していくって、それだけでもなんか違わなくない?と思うわけです。 細胞は細胞でしなければいけないことがあるわけですよ。その細胞の原動力というか働くエネルギーの元の元は、霊だと思うわけで、細胞のために霊が存在していると言ってもいいのかなと思ったわけです。だから、霊と細胞は、お互い様なのかなと思いました。

ネットをいろいろみていたらプシュケーというのが目に付きました。プシュケーとは、「古代ギリシャの言葉で、もともとは息(いき、呼吸)を意味しており、転じて生きること(いのち、生命)、また心や魂を意味するようになった言葉である。」とありました。この文章を読んだときに、創世記2-7の「主なる神は、土(アマダ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」の所が思い浮かびました。息をするということは、体内に酸素を取り入れて代謝しているという事だと思うんですが、代謝するということは、霊と細胞が一つになっている状態で、それを生命といい、その状態をプシュケーと言うのかなと思いました。
プシュケーという状態をいつ頃の状態からいうのかなと思ったのですが、母親の胎内にいるころからかなと思ってみました。産まれたばかりの赤ちゃんを見ているとですよ、すでに性格があるなと感じます。あの性格ってどこで出来上がっているのかなと思うんですよ。母親の胎内にいる時の影響もあると聞きますがそれだけではなくて、霊にもともとの性格がありそうな気がするし、細胞の方にも遺伝子というのがあるわけでそこにも性格がありそうな気がするんですよね。性格というか意思といった方がいいのかな。どちらの影響が強いのかなとも思ったんですよね。産まれたての赤ちゃんもそれぞれなんだなということが不思議なんですよ。でも、生物というのはその環境に対応していく能力があるということで、その後の環境が大きく影響していくんですよね。いろいろ考えていたら、狼に育てられた少女の話を思い出したりしました。

霊と細胞が一つになった時、代謝がはじまるわけですね。代謝をするために、他の細胞を必要とするわけですが、そこから狩猟とか農耕とかが始まったわけで、そこから経済の話に繋がっていくじゃないですか。だから経済というのは、霊とか細胞レベルの話なんだなと思いました。というか、霊と細胞が一つになった時に現れる現象なんですね。
人間の3大欲求として、食欲、睡眠、性欲というじゃないですか。それはそれでいいと思うんですが、それらを欲求と言っていいのかなと思うわけです。ネットに、「生理的・本能的な欲求」生物が生命を維持し子孫をのこすために必要な欲求である。外界からの刺激や体内の状態に直接結びついた、短期的な欲求である。「主に身体内部の情報に基づいた欲求」呼吸・食欲・飲水・排便・排尿・睡眠欲・体温調節・性欲とあったのですが、体内には呼吸系、消化系、あと排出系や生殖系があったり、脳があったりで、それらは、それぞれの細胞があつまった「組織」。人間の体をつくっている細胞は100種類ほどあるみたいで、同じタイプの細胞が集まったものが「組織」で、大きくタイプわけすると、上皮組織、結合組織、筋組織、神経組織の4つのグループになる。人体の各種機能系は、骨格系、筋肉系、循環系、神経系、呼吸系、消化系、排出系、生殖系とありました。無数の細胞が、見事にシステム化されて全身の各種「系」をなしているということです。で、人間の3大欲求は、食欲、睡眠、性欲ですが、これらをなにが欲求してるのかなと思ったわけです。それらを欲してるのは、細胞というか霊というかプシュケーなのかなと思ったわけです。その欲求のために、呼吸系や消化系、生殖系などなどが体内には存在しているというか設置してあって、それらの細胞がそれぞれの役割で欲求をし、それが脳に伝わって意識になってあらわれるのかなと思ったわけです。だから、人間の3大欲求というのは、「欲求」ではなくて「義務」なのかなと思ったわけです。別の言い方をすれば、肉体は、細胞というか霊というかプシュケーのための装置なのかなとも思ったわけです。だから、恋愛ドラマで、「あなたが欲しい」とか「あなたじゃなきゃダメなの」とかいう類の台詞はですよ、細胞というか霊というかプシュケーレベルからの欲求であって、それが脳に伝わり、言葉として発せられるのではないのでしょうか。たぶん。 

死というのは、代謝が止まることであるならば、それは、細胞と霊が分離することを言うんですね。その場合、細胞はこの世に遺伝子を残しておくことができるけど、霊は、あの世とは言われてはいるけれども、どこにいくのかわからないんですね。ということは、霊はどこからやってくるのかわからいということですね。
ネットを見ていたら「生命とは何かについて、はっきりとした定義を与える事は難しい。」とありました。ということはですよ、人類というのは、自分達のことがよくわかっていないということなのでしょうか。宇宙とか他の星なんかよりも自分達の存在が最大の謎なのでしょうか。

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DEAD END tour2012 Dream Demon Analyzer~夢鬼解析装置

2012年06月19日 | Weblog
Dream Demon Analyzer
クリエーター情報なし
motorod

DEAD ENDのライブに行きました。DEAD ENDは以前zeppFUKUOKAでライブ体験しているのですが、今回はワンマンのライブ。
目の前にしたボーカルのMORRIEさん。歌のイメージそのままな雰囲気。
最近エイジレスな方がいらっしゃいますけど、MORRIEさんもそんな感じですね。体とか体脂肪率0じゃないかと思わんばかりの感じ。
DVDで観るよりスリムでした。本当に日ごろ何を食べていらっしゃるのかなぁという印象。

DEAD ENDを知ったのは、yasuさんが影響を受けたバンドということで知ったのですが、MORRIEさんのことを魔界の帝王なんて言ってたんですよ。
それで聴いてみたところ、歌の雰囲気もそんな感じだし、ご自身もそんな感じ。
.。。だったのですが、前回の時は感じなかったのですが、今回歌っているお姿を見て思ったのは「エレガント」でした。
なんかですね、エレガントだなぁと思った瞬間があったんですよ。
なんていうんですか、歌的にはエレガントさを感じさせるのもではないと思うんですね。でも、歌っている姿はエレガント。

ライブというのは、対義語というか反対語的な事を感じることがあるんですよね。そこにあるのは「対」かなと思ったワケです。
「対」・・・タイ・ツイ①こたえる(こたふ)。ィ返答する。目の上の人にこたえる。ロ報いる②こたえ。また、むくい。
③むかう(向)。むく。向き合う。「応対」④あたる(当)。相手になる。「敵対」⑤あてる。あわせる。⑥ならぶ。また、ならべる。
⑦あいて。⑧つれあい⑨そろい。二つのそろい。つい。「対句」⑩上奏文の一体。天子の御下問に対して意見を申し上げる文。
○対島たじま・対馬つしま・対雁ついしかり
う~ん。。。なんかですよ、辞書を見ていると、対義語が書いてあるじゃないですか。
あれってなんでかなと思ったんですけど、その言葉の意味に、対義する言葉の意味も含まれるのかなと思った。
歌詞の中に「わたしはあなた」というのがあるんですけど、そんな感じかなと。天使と悪魔と言っても、似たような感じみたいだし、
天国と地獄といってもそんな感じだよなぁ。

DEAD END「夢鬼歌」PV-30second ver.-


ロックバンドをやっている方々で、このDEAD ENDに影響を受けた方というのが多いみたいです。おそらく、アラフォー世代が多いのかなという感じでしょうか。
そうじゃない世代の方もいらっしゃるとは思うのですが、おそらくアラフォー世代が多いのかなという感じかな。
と、いうことはですよ、だいたい中学生とか高校生の頃に聴いていたと思うのですが、だとすると、私も、だいたい同じくらいの時期に
ロックバンドとかを好きでよく聴いていたんですよ。自分的には結構好きでいろいろ聴いていたのではないかなと思っていたのですが、
当時のロック少年達は別の所をみていたんだなと思ったわけです。
いや、なんていうんですか、当時フッとよぎったことはあったんですよ。好きなものが流行ったりするなって。
や、なんていうんですか、それはそれでいいと思うんですが、や、ほら、見るべきところが違ったというかさ、なにやってんの自分的な。
ていうか、目の前に現れてくれないと反応するもしないもないわけで、や、世の中それだけじゃない。それだけじゃないと解っているんです。
その手の通の人と、素人が反応するのって違ったりもする事もあるじゃないですか。や、今までに自分が反応してきた方々は、
やはりいいと思ったから反応したわけで、でも、他にも反応すべきところは沢山ありそうだなとは思うんですよ。
や、ほら、反応するって、自分の意識よりも無意識のところが近いような気がするんですね。なんていうか。。。なんていうか。。。うん。そうなんですよ。
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大原美術館

2012年06月18日 | Weblog
大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館した。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものである。。。と、ありました。1930年と言ったら、昭和5年。その周辺あたりの歴史を見ていると、1929年世界恐慌があるんですよ。世界恐慌と言ったら、世界的規模で起きる経済恐慌(world crisis)のこと。その時の日本の状況を見てみると、大戦後の恐慌、関東大震災、昭和金融恐慌によって日本経済は弱体化していたとありました。昭和金融恐慌は、後年起きた昭和農業恐慌(1929年の世界恐慌の影響を受けて主に農業に経済的打撃を受けた)と合わせて昭和恐慌といわれることもある。とあったんですけど、これからすると、この時の日本は、世界恐慌の影響はそんなになかったのかなという感じなんでしょうか。少しはあったのかもしれないませんが、どちらかというと国内の事情で経済が弱っていたのかな。どちらにしろ、日本も世界も経済が弱っていたということですね。でもそんな状況の中、大原美術館は開館した。ちなみに1年前の1929年にニューヨーク美術館が開館。なぜ世界恐慌のさなかに美術館が出来たんだろうか。

大原美術館創設者の大原孫三郎は、親の代から紡績業を営む倉敷の名家に生まれた。ネットを見てみると、ある人との出会いで意識が変わったみたいですね。1906年(明治39年)父親の辞任の後、倉敷紡績の社長となったと同時に、会社の福利厚生に力を入れたみたいですね。そんな改革に旧来の重役や株主は反対したみたいなんですが、これに対して「わしの目には10年先が見える」という言葉で押し切ったとか。また農業改革もしたり、社会問題の研究機関、病院などを設立したんですね。この大原社会問題研究所は多くの政治家などを輩出。さらに工場を蒸気による動力から電気動力への転換を図り中国水力電気会社(現在の中国電力)を設立。また、中国合同銀行(現在の中国銀行)の頭取となり、地元経済界の重鎮となった。さらに倉敷絹織(現在のクラレ)を設立とありました。これからすると、大原孫三郎というお方は改革派の方なんですね。会社という存在自体も社会貢献度が大きいとは思うのですが、それ以上に社会貢献を広げられているという感じでしょうか。クラレは現在、実質的な本社機能は東京と大阪にあるみたいですね。なんで倉敷じゃいけないんだろうと思うのですが、そんなものなんでしょうかね。商品としてはランドセルの「クラリーノ」があったりして、「マジックテープ」はクラレの登録商標だそうです。こうやって見ていると、企業にもドラマがありますね。創設者や社長が中心に話が進んでいくんだろうけど、その周りに沢山の人がいるんですよね。クラリーノやマジックテープは知っていましたが、クラレという会社名は知らなかった。初めて訪れた倉敷で知ることができました。旅行をしてこんなに印象の残る企業ってあるかな。初めてに近いかも。


大原美術館には沢山の絵画や彫刻、焼き物、古美術が展示してありました。その沢山の美術品の中で一番印象に残ったのがムンクでした。「女」という絵だったんですけど、すごい大作とかではなく、小さな絵で、絵の具も黒しか使っていなくて、ササッと描いたような感じの絵です。人物がというのは、それぞれ観ていると、描かれている人物は決していい人には見えないんでね。どちらかというと、内面というか、それぞれの欲が覗いているんですね。ムンクの絵は、人物の表面に現れる内面を描くというよりも、内面そのものを描いているような感じかな。何度もそのムンクの絵の前に戻ってきました。でもですよ、ムンクの絵って、どこに飾るのが適してるのかなと思う。ま、数点しか見てないからムンクを語るには早すぎるかなと思うんですけど、表面的な印象ではムンクって、こう。。。そう、悪霊めいてません?家じゃなさそうだし、ホテルとか会社のロビーもどうかなぁって感じだし。どちらかというと、美術館とかで観て、その絵から離れた場所で残像を思い浮かべ、思慮の渦に入っていくタイプの絵かなと思った。ネットを見てみると「生と死の問題、そして、人間存在の根幹に存在する、孤独、嫉妬、不安などを見つめ、人物画に表現した。」とありました。ムンク、非常に興味がわきました。深めていきたいと思います。もう一枚印象に残る絵があたんですけど、それはモネの「睡蓮」です。有名な絵ではあるんですけど、やっぱり印象に残りました。風景画というのは、人物が描かれていなくても人の気配を感じるものなんですね。でもこのモネの「睡蓮」は、まったく人の気配を感じさせず、どちらかというと妖精の気配を感じさせるんですね。妖精というとかわいらしいイメージになりますが、自然霊のことですよね。確か、へたに人間が近づくと危険だと聞いたような気がする。モネは妖精というか、自然霊を見たのかもしれませんね。こうやって印象的なものを振り返ってみると、霊的なものに反応しているのかもしれませんね。

あ、そうそう、あと、「童女舞姿」(岸田劉生)という絵があったんですけど、この絵って確か教科書に載っていたと思うんですよね。また、いろんなところで目にする絵だと思うんですよ。この絵を目の前にした時、ここに本物があったんだぁという感じでした。暗い部屋にあの絵を置いて、少しのライトをあてると、本当に女の子が今から舞うんだなと勘違いしそうな感じの絵ですね。あの扇を持った右手が今にも振り下ろされそうです。大原美術館というか大原コレクションですか。かなりよかったと思います。

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