夢中人

sura@cosmic_a

スウェーデンからやってきた大人表情のマイキーを見ていたら動物愛護とリンクした

2020年04月10日 | 
こんにちは。suraです。
気が付けば4月も中旬になろうとしています。三寒四温ということで日もあれば寒い日もありますね。
昼間は暖かくてすでに素足にサンダルで出歩くこともあるのですが、朝晩などは、まだまだ寒くて夜などは電気ひざ掛けを使っております。
そんなひざ掛けなのですが、マイキーという猫のキャラクターが描かれてあるのです。

自分的には、マイキーというキャラクターの存在を電気屋さんで電気ひざ掛けを見るまで知らなくて、キャラクター商品をあまり選ぶことはないのですが、なぜかマイキー電気ひざ掛けを選んでしまったのです。
マイキーは、スウェーデンの陶芸家・デザイナーであるリサ・ラーソンの作品で、絵本の「マイキーはど~こだ?」のキャラクター。絵本は、マイキーとベイビーマイキーを指さしで探すという幼児向けの絵本みたいです。しかし、幼児向けのキャラクターにしては、このマイキーの表情は大人っぽくないかなと思うんです。

マイキーの表情はとても大人の雰囲気なんだけれど、その目はまだまだ好奇心に溢れていて、それでいて優しさも感じます。ですが、どこかしら企みも含んでいるような、決してかわいいだけの猫じゃないよのメッセージさえ感じる。
これが幼児向け絵本のキャラクターかぁと思いつつ、海外のキャラクターで愛想がないというか媚びてないというか、そんなキャラクターを時折見かけるかなと思います。例えばムーミンのリトルミィとか。あとスナフキンもそんな感じじゃないかな。そういえばムーミンも北欧のストーリーでした。
北欧のキャラクターって大人なのかな?というか日本のキャラクターが子供すぎるのか?子供すぎるというか無抵抗というか意思を感じないというか。。。ま、キャラクターですからいいと思うんですけど、なんとなくマイキーが猫というペットになりえる動物だからからか動物虐待とリンクしたんですよね。
ペットの動画をネットで見ていると、ぬいぐるみかキャラクターかと思うほど可愛らしくていいと思うんですけど、かわいいペットであっても生き物であるから意思もあるだろうし、いくらおとなしい性格でつくってあるといっても、それぞれの性格はあるだろうし、ペットを飼うにあたって、一部の方々だと思うのですがキャラクターを飼うような感覚で飼いはじめるのかなと思ってですね。
なぜならば、情報によると、飼いはじめて可愛く成長しなかったから捨てるとか聞いたりして、どうしてそんな事が出来るのか疑問に思っていたのですが、もしかしたら日本の無抵抗なキャラクターがリンクしてるのかなと、なんとなく思ってしまったのです。
最近では、コロナウイルスで外出自粛している今、ペットのレンタル需要が高まっているとありました。これは流行りのサブスクっぽいのかなとも思いました。女優で動物愛護家の杉本彩さんのインスタグラムにあったのですが、このペットのレンタルは、動物にとって大きな負担になることは間違いないとありました。
ペットに関して日本は恥ずかしながら海外に比べて向き合い方が遅れているみたいです。
ずっと以前から、そして今もいろんな方がペットとの向き合い方を言われていて、少しづつ、でも確実に今とは変わっていかなければならないと思います。
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緊急事態宣言のさなか見つけた手作りマスクの香りを楽しむという楽しみ

2020年04月09日 | Weblog
こんにちは。suraです。

桜が見事に咲き乱れている頃となりましたが、先日、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象に、法律に基づく「緊急事態宣言」が発令されましたね
非常事態宣言とは、自然災害、感染症(伝染病、疫病)のパンデミック、原子力事故などの災害や、戦争、テロ、内乱、騒乱など、健康・生命・財産・環境などの危機が差し迫っている有事(緊急事態)に際し、国家・地域の政府(地方公共団体を含む)などが法令に基づいて特殊な権限を発動するために、或るいは、広く一般・公衆に注意を促すためにそのような事態を布告・宣言することである。(Wikipediaより)とありました。
今、「有事」なんですね。有事と言ったら、武力行使の戦争状態をイメージしてましたが、今の敵は目に見えないウイルス。ネットを読んでいると、(ほとんどの)ウイルスは、ウイルス自体で増えていくことはなく、宿主して宿主のエネルギーをつかって増殖していくでいいのでしょうか??だからして生物としてはみなされていないみたいな事が書かれてあったかと思います。
生物としてみなされない目に見えないエイリアンが、ヒトの体内に入りこみ宿主して増殖していく、ヒトからヒトに介してヒトのエネルギーを使って増殖していっているのが今ということでよいのでしょうか。もしそうだとしたら、やはり、ヒトとヒトが距離を置く、接触をなるだけしないというのが一番良いということなんですね。
でも、そんなエイリアンが体内に入ったとしても、なんの影響もない無症状と言われる方々もいたり、日々の生活のこともあったりで、それまでの日常生活を緊急事態宣言でウイルスの存在を意識し、自分達がウイルスの増殖エネルギーにならないようウイルス撲滅対応生活にしなければならないということですね。
そんなことで、ヒトが集中している都市が緊急事態宣言の対象になっている。また、緊急事態宣言エリアにかぎらず、ヒトの人口密度が高い場所や空気の籠る場所を避け、秘密の会話が出来ない距離を取るということですね。
しかし、確固たる存在と思っていた都市が封鎖をしているのをネットやテレビで見ると脆さを感じずにはいられません。今や都市の人口密度は限度を越しているのかもしれませんね。なんでもそうですが限度を越すと悪影響ばかりが目立ちますよね。都市にウイルスというエイリアンが降り立つと増殖エネルギー源になってしまう。
ヒトがウイルスの増殖エネルギーになってしまうとウイルス撲滅対策生活をしなけれならない。ウイルス撲滅生活は職種によっては経済活動の停止になってしまう
今のような状況は、そうそうあるものじゃないと思っていたいけれども、今のようなウイルスに襲われることがこれから増えていくと言われる方もいらっしゃるみたいですね。
新型ウイルスに対しての薬やワクチンが出来上がるまで1年から1年半はかかるといわれていた。今回のコロナウイルスは感染したヒトが重症化する場合もあるが、重症化しない場合もありそうです。今後、検討もつかないウイルスが出現するということはありえるのだろうか?
地球上の人口は増えているワケだし、どちらにしろ、今後もウイルスというエイリアンは現れてくるに違いないとして、今の環境を変えていかなければですよね。都市の人口環境とか仕事の環境とか、教育の環境も入るのでしょうか?以前から言われてあったことですが本当にやらないと、次にどんなエイリアンがやってくるか不安がまったくないわけではないです

今回のコロナウイルスの件では、トイレットペーパーやマスクが店頭からなくなってしまう状況がありました。今でもマスクは店頭にありませんですので手作りマスクで対応しています。

手作りマスクは、洗って何度も使いまわします。洗う時は殺菌効果が高いと言われているハンドソープを使っていいます。そのハンドソープを香りのいいものにしましたら、マスクをつけた時に、とても良い香りがして爽やかな気分になれたのです
自分は松山油脂の製品を気に入って使っているのですが、ラベンダーの香りがとても爽やか。他にもユーカリやグレープフルーツがあったりでマスクの香りを楽しでもいいのかなと思っています。
香自体はあまり長続きしないのですが、マスクを付けた時の爽やかさがよかったのです。


マスクの香りを楽しむ今回のコロナウイルスの件で楽しみを1個発見した気分になりました。使い捨てマスクでもできそうですが、生地がしっかりした分使いまわしマスクの方が効果は長続きしそうです。ただ、香りが強すぎる逆効果かもしれません。マスクをはずしたくなるかもです。
使いまわしマスクは、分厚くつくってあるので、夜洗って次の朝には乾いていません。なので使いまわしマスクは2枚~3枚持っている方がよいのでしょうね。
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映画『居眠り磐音』久しぶりに観た時代劇には「人情」があった。

2020年03月31日 | 映画
こんにちは。suraです。
少々間があいてしまいました。先日視聴しました「ユリゴコロ」が抜けなく、そのまま浸っていてもよかったのですが、それでは先に進みませんので、次のストーリーの視聴に入りました。それは映画「居眠り磐音」。時代劇です。



舞台は江戸時代。冒頭、3人の武士が登場してくるんです。3人は幼馴染で、九州の現在でいう大分辺りの藩から江戸にて修行中なのです。
そして修行が終わり、故郷に帰るのです。それはキラキラしていて、まさに青春の場面。3人がとても仲が良いというのがわかります。
そして、それまで一緒だった3人が自宅に帰るために、それぞれに分かれるのです。
ここまでが序章。このままっだったら、穏やかに日々が流れていくのだろという感じです。この後に予測もしていなかったことが起こるのです。
幼馴染の一人が自宅へ帰る途中で呼び止められ、嘘を吹き込まれるのです。その嘘によって、穏やかに過ぎて行く日々のはずだったストーリーは大波乱へと変わっていくのです。

その嘘を聞いていると、そこまで鵜呑みにしないよなというような嘘なんですよね。聞いたとしても、とりあえずは自分で確認くらいはするだろうという嘘なんですけど、
聞いた本人としては、頭真っ白になってしまったような感じで、真っすぐにやってしまった。。。見ていたこっちも、マジですか?!ここまでやる?な感じで、
ストーリーは順調に穏やかな日々をガタガタと崩していくのですそして主人公の磐音は脱藩していくのです。

映画『居眠り磐音』5月17日(金)公開(主題歌入り予告)


この嘘からストーリー展開が変わっていくのを見ていて創世記を思い出しました。創世記では、アダムとイブがエデンで暮らしているんです。
それも、穏やかな日々だったと思います。けれども神が食べてはいけないと言っていた木の実を、蛇が「食べていい。」と嘘を言って、イブは木の実を食べてしまう。
そこからストーリー展開が変わっていくのです。そして、アダムとイブはエデン追放となるのです。ここから繋がっていくストーリー。
嘘ってストーリー展開に欠かせないアイテムなのかもしれない。

しかし改めて考えても、あのような嘘であのような事態になるかな??とも思うのですが、時代が江戸時代で、しかも武士という立場からすると、
ちょっとでも変な噂を立てられると、お先真っ暗だったのかなとも思いました。組織ってそんなものなんですねぇ。
でも1回くらいは確認しろよと思う。鵜呑みというのは大損。

その後は藩を出た磐音のストーリー。侍から浪人へ転職し、1ルーム長屋住まい。鰻をさばきながら、めぐり合わせで用心棒の仕事をつかむのです。
用心棒ってことで事件が発生するのですが、その事件の主犯格といいましょうか悪役が柄本明さんなのですが、絵にかいたような時代劇の悪役で、
見ているだけでワクワクするんですよ。その最後も見事でありました
この悪役が悪役であるほどストーリーは盛り上がるかと思います。また、悪役は知ってる方が良いと思います。それは、元々よさそうな人の変身っぷりが楽しいし、ストーリーの中に入っていくわけで、安心して楽しく見ていられるかと思います。

江戸の街の景色や人の温かみ、そうそう、傷口に酒を口に含んで吹きかけるシーンを久しぶりにみたような気がします。
あと、小雪がちらつく中の花魁道中。小さな幸せを感じるシーンなど涙涙でした。
時代劇というのは、激しい感情の揺さぶりは少ないのかもしれませんが、江戸時代という舞台から「人情」というのがベースにあるのかもしれません。
人情ってなんだろう。「損得感情」が無いということなのか。
激しい場面がありつつも、どこか温かみを感じるストーリーでした。
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映画「ユリゴコロ」で現れた感情グラフ。小さな幸せをコツコツと。

2020年03月28日 | 映画
こんにちはsuraです。
今日は、映画「ユリゴコロ」の感想を書きたいと思います。

最初にこちらの↑ジャケット写真を見た時に、この3人の関係は何なんだろうと思いました。この感じから恋愛ストーリーなんだろうなと思って視聴しました所、そうではなく、この3人はもちろんなんですけど、他の人物達との関係性や状況が徐々にわかっていくんです。感想を一言でいうと「胸が締め付けられた」に限ります

主人公の名前は美紗子。始まりは感情の無い世界。子役さんから出てくるんですけど、陰鬱で未来なんて無い世界観。映画が始まって30秒かかったでしょうか、すでに話に入り込んでいて、自分の感情も陰鬱で無です
段々と美紗子も大きくなっていって、少々光が見えてきたのかな?と思いつつも、本人の感情は無。だから自分の感情も無
タイトルの「ユリゴコロ」というのは、「心のよりどころ」の聞き違いらしく、成長を重ねていくと、心のよりどころを見つけるのですが、その心のよりどころが光が無いというか、陰鬱なんです。
でも、美紗子も普通に成長していって、学校に行き就職していくんです。そんな普通の場面を見るというのも感情移入に繋がっていくんです。
すでに、どっぷりと自分の心は映画の中そして美沙子に友人ができるんですけど、その友人も陰鬱で、友人は自分を傷め付けることがユリゴコロの女の子なんです。
二人で傷め付け合いながら夢を語っているシーンなど、疑似体験にしたって、お先真っ暗この状況でどう話を繋げていくのか、先の話がよめない状態。
美紗子のユリゴコロによって登場人物は入れ替わり立ち代わり。

そんな美紗子が、ある日街角で「あなた」会うんです。「あなた」は洋介。洋介も陰鬱を背負った男。この洋介に出会ってから美沙子に光が差しだすのです。また、洋介にもです。その光は一筋から二筋と、ゆっくりと増えたいき、温もりも感じ「幸せ」という言葉さえ過るようになりました。
二人は結婚をし、小さいけれども十分な家で暮らし始め、洋介にも仕事が決まりました。二人でコツコツと幸せを積み上げてきました。
この辺りの場面が上がり感情ピークでそれまでが闇で、感情グラフが底辺で、横ばいどころか下がっていくばかりでお先真っ暗、先なんて無い、無の状態だったから、ここまで感情が上がったことが奇跡のようなんです
このささやかな幸せが沁みるんです。それまで無だったから、なんでもない小さな幸せが沁みて沁みて、子供もいて、この小さな幸せが続いていくんだろうと思っていた矢先に、過去の美沙子のユリゴコロが現れたんです自分の感情グラフも上がりピークからジワジワと下がっていく
映画『ユリゴコロ』予告編

この話には、完全に感情を持って行かれました。無から始まり、感情ピークがやってきて、そして感情下り坂。。。
けれども、あの細やかだったけれども小さな幸せが支えになるんですね。コツコツと積み上げてきた幸せ。幸せってなんだっけ?血の繋がりってなんだっけ?
ラストシーンは、あの家族が暮らしていた家。細やかだったけれども小さな幸せがあったあの家でした。
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シャイニングから40年後のテレビドラマ「微笑む人」は迷宮の重症化なのか?

2020年03月27日 | Weblog
こんにちは。suraです。
最近、日本の女性の睡眠時間は世界で一番短いと聞きました。
ずっと以前は7時間とか8時間睡眠時間を取らなければいけない体だったのですが、いつのまにか6時間とか、4時間睡眠時間を切らなけらばなんとかいけると思ってやっていましたが、最近では、7時間とか8時間に戻しました。
そうしましたら、肌の調子が良くなってきたような気がします。独りよがりかもしれませんが。。。

先日テレビドラマを視聴しました。それは「微笑む人」
主演は松坂桃李さん。そして尾野真千子さん。
お話の内容は、誰もがうらやむエリート人生を送ってきた男性が、ある日妻子を殺害してしまうんです。その理由が「本の置き場種が欲しかったから」。
先日から書いているシャイニングシリーズも、父親が妻子を斧を振りかざし襲い掛かっていく話になるのですが、話をみていく過程で、父親の苦悩が垣間見られるんですね。
1980年代の作品ではあるんですけど、生きていく像というかモデルが出来ていて、そこにある理想の父親像的なものに苦しめられているといところも感じられる。
たまに聞きますけど、小さいお子さんをお持ちのお母さん達が、メディアが描く理想の母親像に苦しめられるというのがあったり、子供は子供で、いい子というか親や学校が持っている理想像をクリアしていかなければならないのかなという感じもあったりします。
そんなシャイニングでは、心の不安というか、それが妄想なのか亡霊が現れて、鬼の形相で妻子に襲いかかっていく。斧を持ったりして明らかな鬼状態なんですよ。
それから40年たった2020年に放送されたドラマの主人公は、世間の理想像以上の存在。おそらく、子供の頃からすごくいい子で、親や学校の理想もクリアだっただろうのイメージ。一流大学を卒業し、大手都市銀行に就職している誰もが羨む存在なんですね。だけれども妻子を殺めた。それもシャイニングの時のような鬼の形相でもなく、斧などを持って襲うスタイルでもない。なにか、フッと思いついて表情も変えずに殺害してしまったのです。
シャイニングの場合は、テレビ版では最終的には父親が妻子を守ったんですけど、「微笑む人」の場合は殺害してしまったんですね。
しかも、「微笑む人」の場合、父親のサインがどこにもなかったのか、妻でさえそれを感じることができなかったのか、ディックのような手を差し伸べてくれる人もいないんです。
それは淡々と粛々とという感じでした。
シャイニングで描かれていた迷路。人の心は、あの時くらいからなのでしょうか、出口のない迷路に迷い込み、未だに抜け出せない。それより、その迷路の中でなんとか生きていくが、サインさえ出せず生き方が迷宮入りなのか。
「微笑む人」はホラーでもなくサイコサスペンスでもない。だから亡霊や怪物がでてくるわけでもなく、狂気にみちた人物もでてこない。
今や日常のドラマなのかもしれない。
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シャイニングの続編ドクター・スリープの世界観に引き込まれた

2020年03月27日 | 映画
こんにちは。suraです。
今日は引き続き昨日からの雨が激しく降っていて雷までなっています。
どうやら今週いっぱいは雨のようです

今日は、前回に書きました「シャイニング(TheShining)」の続編「ドクター・スリープ」の感想を書きたいと思います。
「ドクター・スリープ」は「シャイニング」の40年後のストーリー。
シャイニングでまだ子供だったダニー坊やは、すっかり大人になっていました。
大人になったダニーは、アルコール中毒で不健康、荒んだ大人になっていた
この感じからすると、映画版「シャイニング」からの続編なんだろうなと感じます。
テレビ版のラストからすると、未来が荒む感じはしない。シャイニング(特別な力)を持ちながらも普通に生きていくんだろうな的な、ハッピーエンドの終わり方だった印象です。
映画だから映画版からの続編だとは思うのですが、所々テレビ版からの繋がりを感じる所もありました。
例えば、ディックという存在がいるんですけど、ディックもシャイニング(特別な力)持ちで、ダニーとテレパシーで交信できるんですね。それだけにお話の中ではストーリー展開をさせていく重要な人物と思えるのですが、映画版ではちょっと存在感があっけなかった印象でした。けれどもテレビ版の方では、ディックの存在が濃くて、一筋の光のような未来へと繋げてくれるんですよ。
そのディックはテレビ版からの繋がりだと思いました。ダニーの心の闇を解きほぐしてくれるような、他人なんだけど親戚のおじさんみたいな存在。
あと、バスルームに女性がいるんですけど、テレビ版からの印象が強かったような気がします。
だから、「ドクター・スリープ」を「シャイニング」の続編として見るにあたっては、テレビ版も映画版もどちらも見た方がよいのではないのかなと思います。



「ドクター・スリープ」の中ではジプシー達が登場してくるんですよ。そのジプシー達は人ではない存在。
その存在していく為には、人の魂というか生気が必要で、ドラキュラでもなく、あの存在をなんと言えばいいのか?ドラキュラといったら今では少々高級感がなければドラキュラじゃないというかドラキュラ「伯爵」とつくぐらいだから貴族っぽくて、しかも美しくなければドラキュラじゃないぐらいのポジションですけど、あのジプシー達は庶民的というかジプシーであって、取り分け美しいというわけでもなく、、、やジプシーの女性リーダーは美しい方でしたけれども、そのコミュニティ事態はそうでもなく、その特別感が無い所がリアルさを感じるというか、もしかしたらこういう存在いるかもねみたいな感じは受けました。
映画の中では、それぞれの頭の中というか意識が舞台になってることもあって、仮想現実っぽいところもあって、映画の中の出来事を体感している感じではあったけれども、あのジプシー達の存在がリアルに掛かってくるというか今っぽさもあるかと思う。
ラストの植え込みの迷路のシーンは印象深く、人の深層心理に迷い込んだようでした。
この植え込みの迷路はシャイニングの映画版の方で登場するのですが、どこか心の闇を表している感じもあります。
シャイニングができた1980年頃は、心の闇みたいなのがあきらかに全面に出てるというか、それが映画版の狂気という所で表されたというか、そんな感じだったのかもしれませんが、最近では、心の闇というかそれがあきらかに表現されないというか、あのジプシー達のように存在しているのかもしれませんね。
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映画版シャイニング(TheShining)はスタンリー・キューブリック監督がつくった生き物のようだった

2020年03月27日 | 映画
こんばんは。suraです。
今、雨が降っています今の時期の雨を育花雨ともいい、自分が暮らしている地域の桜は、まだ蕾で、この雨で蕾が膨らみ開花へといくのだと思います。
今年は、桜の下で花見弁当などを飲食することは出来ませんが、マスクをつけて、静かにゆっくりとウォーキングついでに眺めたいと思います。

前回、「シャイニング テレビ版」の感想を書きましたが、今回は「シャイニング 映画版」の感想を書きたいと思います。
テレビ版のDVDを見た時に、解説があったんですね。原作者のステーブンキングをはじめ、映画スタッフの方々が座談会のようにして解説されていました。
その中で、ステーブン・キングが映画版の方に対して、不満的な事を言われていたんですよ。それも結構な感じで言っていて、公にしかもDVDで保存されている状態でここまで言うかという感じで少々驚いたんです。



テレビ版を見て、すごく感動した後で、映画版はどのようなものなのかと、そこの所の興味もありつつ映画版を視聴しました。
そうしましたら、映画版は、テレビ版の後半部分がメインとなってストーリー展開している感じなんですね。
有名な場面である、斧を振りかざしているような狂気の部分が中心に描かれてあるかと思いました。
テレビ版を見ていると「シャイニング(The Shining)」は狂気が中心にくるストーリーではないというのは分かります。
テレビ版の解説を聞いていると、シャイニングの原作は非常に長い小説らしく、あれを映画の時間内で全てを表現するのは難しいとは分かる。
。。。けれどもという感じで少々ご立腹な感じでステーブンキングは言っていた。一つ一つの作品が自分の子供のような思い入れがあるのだなというのも感じました。

その反面、映画版のスタンリー・キューブリック監督の1シーンに対する物凄いこだわりの事も言われてました。
そのこだわりの話を聞いていると、物凄いというか少々異常じゃないかと思えるくらいのこだわりで、子役さんが出てくるんですけど、あの子役さんもやったのかと思うと「信じられない」という範囲。
しかし、映画版を見てみると、1シーン1シーンに強い気が吹き込まれているのか、1シーン1シーンが呼吸しているように感じました。
1シーン1シーンが独立して生きている。キューブリック監督は映画なんだけど生き物をつくったのかなという印象です。
そんなキューブリック監督のこだわりにジャック・ニコルソンはじめ出演されている役者さん達も応えられている。
舞台である山の中のホテルも外観とホテル内は別々のホテルだったということで、そこの所も凄いこだわりがあったのだなと思いました

テレビ版と映画版どちらも見ていると、テレビ版はステーブンキングのシャイニングで、映画版はスタンリーキューブリックのシャイニングで自分の中では分かれています。
ステーブンキング作品ファンとしてはテレビ版を押したいところもありますが、映画版のジャックニコルソンのとり憑かれっぷりには圧倒され見応えはやはりあるという感じで、どちらも自分の中に書留られています。
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ホラーだけどラブストーリーだったシャイニングThe Shining テレビ版

2020年03月25日 | 映画
こんにちは。suraです。
すっかり春の陽気となりました。しかし、コロナウイルスの影響もあって、手放しで喜べない春の到来。。。
それは、日本だけではなく、世界中そのようです。一刻も早くコロナウイルスが終息するように願うばかりです。

コロナウイルス発症の頃に、テレビなどで情報番組を見ていると、1918年に猛威を振るったスペイン風邪の話を聞く機会がありました。
スペイン風邪は、世界中で5000万人の命を奪った史上最悪の疫病ということで、当時の人々がどのように過ごしていたのかとても気になりました。
今では、テレビやラジオやネットがあったりして情報が得られますので、自分の住んでいる地域の状況はじめ、国内中の様子や外国の様子までがわかります。
ウイルスという見えない物体が、これほどに現代生活に影響があるとは驚きです

今日、ブログを久しぶりに書きたいと思ったのは、先日観ましたDVDの感想を書きたいと思ったからです。
それはジャンルとしてはホラー恐怖系になるのですが、ホラーではなくラブストーリーではないかと思ったくらいのお話だったのです。
それはステーブン・キング原作の「シャイニング」。「シャイニング(The Shining)」といえば、1980年に制作されましたスタンリー・キューブリック監督でジャック・ニコルソン主演の映画「シャイニング」が有名ですよね。ジャック・ニコルソン演じる男性が斧を振りかざしてドアを壊している場面があったりする映画なんですが、その「シャイニング」でテレビ版があるんです。



自分は、この「シャイニング」テレビ版の存在は知りませんでした。DVDのレンタルショップにいって、「シャイニング」は有名だけど見たことないから見てみようという気持ちで手を出したのですが、映画版が貸し出し中でテレビ版しかなく、なんか写真の様子が違う感じがするけれど、「シャイニング」には違いないようだということで、テレビ版と知らずに視聴に入ったのです。
みてみるとジャックニコルソンはでてないし、なんか違うんじゃない?と思いつつも、話の中にはすぐに引き込まれて行きました。
テレビ版ということで通常の映画よりストーリー時間が長く、もちろんホラーということで亡霊達も出てくるのですが、舞台が美しい山々の中にある白亜の高級ホテルで、また、ホテルということで舞踏会の場面もあったりして、ホラーでありながら画面はとても華やかな印象を持ちました。
良かったのは、華やかな画面だけではなく、やはりストーリー。。。感動しました。。。
一家族のストーリーなのですが、現代社会の不安を抱きつつ、めぐり合わせで行き着いた白亜のホテルでの出来事。
そのホテルが建築された土地の話も少しでしたがあって、古代から現代にいたるまでの流れも感じることができました

ドラマの中で戦っていたのは亡霊なのか、もしくは自分の中の不安なのか。。。
亡霊ならば(自分は見たことないと思うけど)見える敵。だけれども、自分の中の不安であれば、感じることはできるけど見えない敵。
今、世界中がリアルに戦っているコロナウイルスは見えない敵。
ドラマの中ではありますが、亡霊は目にみえて表情もわかり、意思疎通ができ、なんとか対処していたけど、目に見えない敵の対処法は「愛」だったように思えます。

もしかしたら今リアルな世界は「愛」が試されているのかもしれませんね。
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クオリア

2019年04月22日 | Weblog
神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。
だだし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。
蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
女は蛇に答えた。
「わたしたちは、園の木の果実を食べてよいのです。
でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。
それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存知なのだ。」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。
女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。



Amazon.co.jp: まぼろしの郊外

この本を読んでいると、人の生態系と都市化って噛み合ってないのかなと思う。
そうすると、都市は都市でいいけど、何が為の都市化だったんだろう。
都市化してくると、どうやら居場所がなくなってくるというか、よく聞く空虚感てやつを抱くようになるのか。
そして、それを埋め合わせようとするのに、別の空間を持つことで、心のバランスが保てるのか。
その別空間の持ち方が、それぞれで、最近ではテクノロジーで埋め合わせることもできるが、
どうやら危険もあるようだという感じでしょうか。

よくわかっていませんが、都市はもしかしたら何かの価値観で出来ているのかもしれませんね。
(価値観とは何に価値があると認めるかに関する考え方。善・悪好ましいこと、好ましくないこと、といった価値を判断する時の根底となるものの見方。)
それはそれでいいけど、なにかこぅ、息苦しさを感じるのかもしれない。
しかし、社会学の考え方によれば、人が人に価値観を伝達することは、そもそもできないらしく、人は単に環境から学習するだけとか。
だから、その都市がどんな環境で、その空間でどんな体験質の蓄積ができるか。。。なのか?

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はみ出し者

2019年04月04日 | Weblog
自分は絵画の事はよく知らない。が、以前、フェルメール展があったので鑑賞した。
フェルメール展に行くために行ったのではなく、たまたま美術館の前を通ったら「フェルメール展」とかいてあったので、
フェルメール。。。かぁ、聞いたことあるなぁ。ま、折角だし観ておこうかな、のノリでフェルメール展に入った
フェルメールに対しての知識は無い。かろうじて、光とか、ブルーが、などの事を耳にしていたくらいで、さほど興味はなかったが、
たまたま入った絵画展で心をつかまれるというのは、アリな事なので、少々期待しつつ鑑賞をいどんでみたw

フェルメールの作品数は少ないらしく、フェルメールと同じ時代にかかれたであろう絵画を沢山みたあとに
フェルメールの部屋というのがあって、そこに10作品もなかったと思うがフェルメールの絵が展示してあった。
最初に観た時の印象としては、「絵だな」と思った。や、写真やネットで見ると、表面が平らで、その時にみた印象とは違った感じだった。
絵を至近距離で見ることができて、表面はボツボツしていて、あぁ、絵だなぁって。
そんな絵をしばらく鑑賞してはいたが、そんな感動とか、心が動くとかそんな感覚はなかった
それよりも、そのフェルメールの部屋に入るまでに見てきた他の画家達が描いた絵の方が技術的に上なんじゃないかと思い始めた。
そこに掲げてあったフェルメール以外の絵は、リアルに観ても写真のようだし、動物の毛などフワフワしていて、かなりリアル感があった。
が、フェルメールの絵にはそれはあまり感じなく、やはり「絵」の印象wしかも、キャンバスが小さいと言っていいのか大作のようなものはなかったw
でも、なんでこんなに人気があるんだろうとジ~っとフェルメールの絵を観ていたら、なにかフェルメールの部屋に入るまでの絵よりクセらしきものがあるんじゃないかと思った。
なにかこぅ、それまでの絵とはなにか違うクセみたいなものなんじゃないかと。
それまでの絵は描くにあたって型がありそうな感じだけど、フェルメールもその型にはならってはいるが、こぅ、絵っぽく描いたのかと?
というか、写真が出来ることでも知っていたのか、絵は絵がいいと思ったのかと、挙句の果てにはフェルメールは、あまり絵は上手ではなかったのか??
くらいまでに思うようになった
結果、フェルメールは私の中で、はみ出し者となった決して優等生ではなかったはずw
と、いいつつも、アウトローとか野蛮人レベルではない。はみ出し者。もしかしたら、少々のKY
そこなのかもしれない。。。フェルメールの人気の謎はそこなのかもしれないとフェルメールの絵を観て感じたのでありました。

この事をフェルメールの絵を観て以後たま~に考えている自分であって、結果、自分はフェルメールに心をつかまれてしまったのだなと実感している今日この頃なのです


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刹那

2019年03月12日 | Weblog
「新人類」に「オタク系」ですか。懐かしい。確かにそんな言葉ありましたね。
今では、すっかり「新人類」は死語になっているかと思います。てか、他の言葉になっているのかな?
近いイメージとしてはパリピ?なのかな?とにかく、「新人類」という言葉はなくなりました。
しかし「オタク」は残ってますね。しっかりと根を張って力強く生き続けている。ていうか、今では輝きを放っている存在かと感じる。
「新人類」にしても「オタク」にしてもメディアに影響を受けた分類ということで、確かにそうかなぁという感じです。
「新人類」といったら記号的消費って、あぁ、そうかぁ。。。というか、流行りものというか、短期的存在だったんでしょうね。
一方「オタク系」は、ある分野においてマニアックというか、専門知識が必要というか、長期的存在というか、
長期的な経済効果があったということでしょうか。
だから、残った、というか残したのかなと。今では、オタク産業だの、世界へ発信するオタク文化などなど、すっかり日本を形成している一部分。
オタクの世界がなければ 日本は生きていけないくらいの存在でしょうか。
「オタク」というカテゴリーを残すのに、物語(私にとっては「電車男」。マニアックな方々には他にあるかもしれませんが)をつけて、
私自身も、その物語にはすっかりハマってました。あの物語から、こぅ、暗がりというか、マイナーな所から、一気に輝きを放ち、
メジャーな所へやってきたような感じでした。
オタクが残ったというのは、流行り物というのは調査されるんでしょうね。いろんな内容があるかと思いますが、経済効果的な所とか。
で、オタクはイケるとなって、やはりそこは情報操作というか、それこそメディアによって日本を代表とする存在となった。

本の話の流れから「高校教師」を観ました。こちらも話題になっていたのは知ってましたが、視聴したことはなかった。今回が初めて。
このドラマにシンクロするティーン達がいて、あの図を彼女達がつくりあげるのに、社会的に問題があったということですね。
まぁ、本にも書かれてあった事は、メディアでも聞いたことがあったことで、でもホントなのかなという感じだったけど、
本にも書かれてあった。この件は、国内だけではなく、海外からも問題視されてましたね。
そんな町を彷徨うティーン達をフォローしようとされている先生方がいらっしゃるようですね。
確かツイッターでお見掛けしたかな。ご自身もそのような経験があって、で、ティーン達に声をかけているようでした。
このドラマもトレンディドラマなのでしょうか?おそらくそれまでのトレンディドラマといったらチャラチャラした感じの、ノリというか、
少々非現実的な感じもあったかなぁという印象でしたが、こちらのドラマは、設定というか舞台的にはとても現実的で、でも、お話し的には、
女子が強くなってきて、男子が弱くというか自信(でいいのか?)がなくなってきているところなどが描かれているかと思いますが、
それがその頃あたりから表面化していたとしたら、ドレンディードラマなんでしょうねぇ。
ドラマの印象を一言でいうと、自分的には「刹那的」かなと思いました。ただ「刹那」というのは自分的には、もの悲しいというか息苦しいというか痛々しいというかそんな印象でとらえてましたが、「刹那的-1時間が極めて短いさま。2あと先を考えずに、今この瞬間だけを充実させて生きようとするさま。
特に、一時的な享楽にふけるさま」ということで、これはこれでやはり刹那的かなと。

「新人類」という方々が、当時メディアでのインタビューで、普通の生活が高級ブランドの服着てや車に乗ることと言われていたのを思い出します。
借金も沢山あって、しかも何に使ったかわからないけど借金がある感じだったかなぁ。それが何か問題ありますかという感じで答えられていた感じだったかな。。。やはり長期的ではないというか刹那的だったかなぁ。

ん?刹那・・・仏教単位とな。なになに

制服少女たちの選択
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蛇行

2019年02月28日 | Weblog
宮台さんのお話を聴かせて頂いた時は、沢山の点と線が感じれました。
今回、初めて本を読ませていただきました。(全部は読み切れてませんが。。。)
本の方は、どちらかというと、縦に蛇行している感じでした。
グラフのように縦に蛇行しているというか、ピラミッドの大回廊は縦に蛇行するエネルギーが走る所と聞きましたが
そんな感じの、ていうか、グラフでいうと、横はそのお話をされてる時間??でしょうか。
縦は、いろんな知識がある人から無い人までいますが、その知識がある人から無い人への説明範囲??かな
それが繰り返し蛇行されているような感じを受けました。
「感情の劣化」ってプライドってことかなぁ。。。愛国ぶりっ子って。。。
元少年Aの手記は読んではいないけど、最近言われているいたずら動画にリンクしたり。。。
こぅ、何かにリンクするというか、解釈しながらというか読んでいくんですね。
宮台さんの本って難しいんだろうなと思っていましたが、この本に関してはでしょうか、読みやすいというか、
対話している感覚の感じでしょうか。

社会という荒野を生きる。 (ベスト新書)
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偶発性

2019年02月15日 | Weblog
父と娘の仲はギクシャクしていた。
その日は、父が会社の裁判で発言をもとめられていた日だった。
父はとても緊張していた。
朝ご飯を食べようとしていた時に、ピシッとアイロンがかかった、
さらに、とれていたボタンが縫い付けられてあったシャツがあった。
それは、娘がしわくちゃなシャツではいけないと娘が手入れをしたシャツだった。
それを知った父はとても嬉しそうで、
そして、勇気付けられたようで、
裁判で自分の発言をし、勝訴となった。

これはアレですかね、気持ちがうまく伝わらない父と娘であったが、
アイロンというテックによって気持ちが伝わり、
その偶発性が父の脳にアドレナリンか何かを発生させ、脳の活性化をさせた状況なのか。

テックによって気持ちを伝える。偶発性を生み出す。脳の活性化。
全貌はのみ込めてませんが、こんな感じからのスタートでよかっただろうか。。。
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トレンディ

2019年02月15日 | Weblog
「万引き家族」を観ました。
それはまるでネットの中の状況に近かった。
そこの場所にいると、そこの場所での名前があって、みんながそれぞれにリア充しているみたいだった。
それぞれにはリアルがある。

フジテレビと言ったら自分的にはトレンディドラマって感じなのですが、
映画の中の風景的にはあの時とは違うなぁと思いつつ、トレンディってどんな意味?ってことで、
〔トレンディは「流行」の「最先端の」という意味の言葉。
一方トレンドは「流行」や「趨勢(すうせい)」という意味の言葉。
「トレンディ」が形容詞であるのに対して「トレンド」は名詞。
ちなみに趨勢は「時代や社会などの全体的な流れ」という意味の言葉。

だとすると、あの「万引き家族」は、万引きをしているのはリアルな状況だけど、
一家族のようなあの状況はネットの中みたいだなと思ったワケで、
最先端やトレンドにも引っかかってくるかなぁと思いましたので、
だからして「万引き家族」はトレンディドラマ。。。いや、映画なのかなと思いました。
というよりか、90年代頃に観ていたトレンディドラマと言われていたドラマは、
いったい何のトレンディだったのかなとフト横切りました。

最近、映画を観る気力と体力がありまして、「七つの会議」からの、
今更ですが「半沢直樹」「下町ロケット」を視聴しております。
こちらのタイプのドラマも趨勢・時代や社会などの全体的な流れということでトレンディドラマかなと。
全部は視聴しておりませんが、画面から目が離せ感じですねw
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2019年01月04日 | Weblog
2019年新年明けましておめでとうございます。超久しぶりのブログになりました。

2019年1月1日、何気なしに早朝に目覚め、珍しくテレビのスイッチを入れましたら、NHKスペシャル「秘島探検 東京ロストワールド第1集南硫黄島」が放送されていました。
目覚めたばかりでボ~としながら見ていましたが、なんか目が離せなくて視聴を続けました。南硫黄島は東京都心から南1300kmの島で、四方は断崖絶壁で全く人を寄せ付けない秘境島。
そんな秘境島を調査をするということで、各科学者の方数人が島に入られていたのですが、その入って行く状況の過酷な事。
入口が崖で、ロッククライミングで登られていて、その時に、石というか岩がゴロゴロ落ちてきていて、本当に命がけ。
また、キャンプする場所は、島の中でも、なだらかな所と言っていましたが、テレビで見た感じでは、なだらかというよりは、ちょっとした隙間な感じ。
ジャングルの中で調査するというのに、半そで半ズボン。しかも、日焼けも痛々しい。。。なんという過酷な状況そこまでして調査などやらなくてもと思いつつも、各科学者のみなさん、とても楽しそう。テレビ画面を見ていて、とても生き生きとされているのが伝わりました。
各科学者さん達が調査されていたのは、この島の生き物でした。実際目にはしたことはない、カタツムリのかなり小さくなった、まるでそれは妖精のような生き物や、コウモリやカニなどの島の生き物が登場していました。
調査の結果、それらの南硫黄島を地元とする生き物達は、他の地域の同じ生き物とは違う状況下で生きているようだということでした。
例えば、コウモリは(この番組で初めて知りましたが)通常、歯に付け加え牙がしっかりとあるらしいのですが、島のコウモリは牙は無く、歯はボロボロ。
通常山の中腹にいるはずのない蟹が、この島では山の中腹にいたりする。。。他の地域の生き物とは生活環境が違うということで、視聴を続けていくと、この生活環境の違いは「食」からきているようでした。
まったく別の地域から3つのW(Wind Wave Wing)にのってこの場所にやって来てしまった生命。そこの環境で生きていこうとする命。
これを「進化」というべきか「適応」というべきか。。。

南硫黄島の番組が終了後、引き続き「超体感 熊野古道 神秘の旅」を視聴。以前、旅をいたしました熊野古道。八咫烏が案内をされていました。
そんな番組の中で、熊野神社の総本宮である熊野本宮大社に祀られている神様のご紹介があって、家津御子大神、夫須美大神、熊野速玉大神が祀られているということで、その中の、家津御子大神の「家」は「食」の意味もあるということでした。
南硫黄島からの熊野古道。点と点が「食」という線で繋がりました。祀られている神様の中で、保食神というのがいらっしゃって、日本神話にも登場されるのですが、「食」というのは、食べていくこと、生きていくことはもちろん、「適応」というか、「進化」というのも含まれるのではないかと思いました。
自然(環境)を神といするならば、それに対して、それに向き合って生きていく、食べていく。どんな状況だろうと生きていく。食べていく。
それが、「適応」か「進化」か。。。
そんな思いも込められて神社には、「食」にまつわる神様が祀られているのだなと思いました。またそれは、太古からの想いなのかもしれません。

応・・・①こたえる。うけこたえる。「応酬」「応答」「呼応」(対)呼②したがう。状況にあった動きをする。「応急」「感応」「順応」③ふさわしい。「応分」「相応」④まさに・・・べし。

「進化」だと独自にという感じでしょうか。「適応」だと環境に沿ってという感じかなぁ。。。
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