夢中人

sura@cosmic_a

映画『居眠り磐音』久しぶりに観た時代劇には「人情」があった。

2020年03月31日 | 映画
こんにちは。suraです。
少々間があいてしまいました。先日視聴しました「ユリゴコロ」が抜けなく、そのまま浸っていてもよかったのですが、それでは先に進みませんので、次のストーリーの視聴に入りました。それは映画「居眠り磐音」。時代劇です。



舞台は江戸時代。冒頭、3人の武士が登場してくるんです。3人は幼馴染で、九州の現在でいう大分辺りの藩から江戸にて修行中なのです。
そして修行が終わり、故郷に帰るのです。それはキラキラしていて、まさに青春の場面。3人がとても仲が良いというのがわかります。
そして、それまで一緒だった3人が自宅に帰るために、それぞれに分かれるのです。
ここまでが序章。このままっだったら、穏やかに日々が流れていくのだろという感じです。この後に予測もしていなかったことが起こるのです。
幼馴染の一人が自宅へ帰る途中で呼び止められ、嘘を吹き込まれるのです。その嘘によって、穏やかに過ぎて行く日々のはずだったストーリーは大波乱へと変わっていくのです。

その嘘を聞いていると、そこまで鵜呑みにしないよなというような嘘なんですよね。聞いたとしても、とりあえずは自分で確認くらいはするだろうという嘘なんですけど、
聞いた本人としては、頭真っ白になってしまったような感じで、真っすぐにやってしまった。。。見ていたこっちも、マジですか?!ここまでやる?な感じで、
ストーリーは順調に穏やかな日々をガタガタと崩していくのですそして主人公の磐音は脱藩していくのです。

映画『居眠り磐音』5月17日(金)公開(主題歌入り予告)


この嘘からストーリー展開が変わっていくのを見ていて創世記を思い出しました。創世記では、アダムとイブがエデンで暮らしているんです。
それも、穏やかな日々だったと思います。けれども神が食べてはいけないと言っていた木の実を、蛇が「食べていい。」と嘘を言って、イブは木の実を食べてしまう。
そこからストーリー展開が変わっていくのです。そして、アダムとイブはエデン追放となるのです。ここから繋がっていくストーリー。
嘘ってストーリー展開に欠かせないアイテムなのかもしれない。

しかし改めて考えても、あのような嘘であのような事態になるかな??とも思うのですが、時代が江戸時代で、しかも武士という立場からすると、
ちょっとでも変な噂を立てられると、お先真っ暗だったのかなとも思いました。組織ってそんなものなんですねぇ。
でも1回くらいは確認しろよと思う。鵜呑みというのは大損。

その後は藩を出た磐音のストーリー。侍から浪人へ転職し、1ルーム長屋住まい。鰻をさばきながら、めぐり合わせで用心棒の仕事をつかむのです。
用心棒ってことで事件が発生するのですが、その事件の主犯格といいましょうか悪役が柄本明さんなのですが、絵にかいたような時代劇の悪役で、
見ているだけでワクワクするんですよ。その最後も見事でありました
この悪役が悪役であるほどストーリーは盛り上がるかと思います。また、悪役は知ってる方が良いと思います。それは、元々よさそうな人の変身っぷりが楽しいし、ストーリーの中に入っていくわけで、安心して楽しく見ていられるかと思います。

江戸の街の景色や人の温かみ、そうそう、傷口に酒を口に含んで吹きかけるシーンを久しぶりにみたような気がします。
あと、小雪がちらつく中の花魁道中。小さな幸せを感じるシーンなど涙涙でした。
時代劇というのは、激しい感情の揺さぶりは少ないのかもしれませんが、江戸時代という舞台から「人情」というのがベースにあるのかもしれません。
人情ってなんだろう。「損得感情」が無いということなのか。
激しい場面がありつつも、どこか温かみを感じるストーリーでした。
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映画「ユリゴコロ」で現れた感情グラフ。小さな幸せをコツコツと。

2020年03月28日 | 映画
こんにちはsuraです。
今日は、映画「ユリゴコロ」の感想を書きたいと思います。

最初にこちらの↑ジャケット写真を見た時に、この3人の関係は何なんだろうと思いました。この感じから恋愛ストーリーなんだろうなと思って視聴しました所、そうではなく、この3人はもちろんなんですけど、他の人物達との関係性や状況が徐々にわかっていくんです。感想を一言でいうと「胸が締め付けられた」に限ります

主人公の名前は美紗子。始まりは感情の無い世界。子役さんから出てくるんですけど、陰鬱で未来なんて無い世界観。映画が始まって30秒かかったでしょうか、すでに話に入り込んでいて、自分の感情も陰鬱で無です
段々と美紗子も大きくなっていって、少々光が見えてきたのかな?と思いつつも、本人の感情は無。だから自分の感情も無
タイトルの「ユリゴコロ」というのは、「心のよりどころ」の聞き違いらしく、成長を重ねていくと、心のよりどころを見つけるのですが、その心のよりどころが光が無いというか、陰鬱なんです。
でも、美紗子も普通に成長していって、学校に行き就職していくんです。そんな普通の場面を見るというのも感情移入に繋がっていくんです。
すでに、どっぷりと自分の心は映画の中そして美沙子に友人ができるんですけど、その友人も陰鬱で、友人は自分を傷め付けることがユリゴコロの女の子なんです。
二人で傷め付け合いながら夢を語っているシーンなど、疑似体験にしたって、お先真っ暗この状況でどう話を繋げていくのか、先の話がよめない状態。
美紗子のユリゴコロによって登場人物は入れ替わり立ち代わり。

そんな美紗子が、ある日街角で「あなた」会うんです。「あなた」は洋介。洋介も陰鬱を背負った男。この洋介に出会ってから美沙子に光が差しだすのです。また、洋介にもです。その光は一筋から二筋と、ゆっくりと増えたいき、温もりも感じ「幸せ」という言葉さえ過るようになりました。
二人は結婚をし、小さいけれども十分な家で暮らし始め、洋介にも仕事が決まりました。二人でコツコツと幸せを積み上げてきました。
この辺りの場面が上がり感情ピークでそれまでが闇で、感情グラフが底辺で、横ばいどころか下がっていくばかりでお先真っ暗、先なんて無い、無の状態だったから、ここまで感情が上がったことが奇跡のようなんです
このささやかな幸せが沁みるんです。それまで無だったから、なんでもない小さな幸せが沁みて沁みて、子供もいて、この小さな幸せが続いていくんだろうと思っていた矢先に、過去の美沙子のユリゴコロが現れたんです自分の感情グラフも上がりピークからジワジワと下がっていく
映画『ユリゴコロ』予告編

この話には、完全に感情を持って行かれました。無から始まり、感情ピークがやってきて、そして感情下り坂。。。
けれども、あの細やかだったけれども小さな幸せが支えになるんですね。コツコツと積み上げてきた幸せ。幸せってなんだっけ?血の繋がりってなんだっけ?
ラストシーンは、あの家族が暮らしていた家。細やかだったけれども小さな幸せがあったあの家でした。
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シャイニングから40年後のテレビドラマ「微笑む人」は迷宮の重症化なのか?

2020年03月27日 | Weblog
こんにちは。suraです。
最近、日本の女性の睡眠時間は世界で一番短いと聞きました。
ずっと以前は7時間とか8時間睡眠時間を取らなければいけない体だったのですが、いつのまにか6時間とか、4時間睡眠時間を切らなけらばなんとかいけると思ってやっていましたが、最近では、7時間とか8時間に戻しました。
そうしましたら、肌の調子が良くなってきたような気がします。独りよがりかもしれませんが。。。

先日テレビドラマを視聴しました。それは「微笑む人」
主演は松坂桃李さん。そして尾野真千子さん。
お話の内容は、誰もがうらやむエリート人生を送ってきた男性が、ある日妻子を殺害してしまうんです。その理由が「本の置き場種が欲しかったから」。
先日から書いているシャイニングシリーズも、父親が妻子を斧を振りかざし襲い掛かっていく話になるのですが、話をみていく過程で、父親の苦悩が垣間見られるんですね。
1980年代の作品ではあるんですけど、生きていく像というかモデルが出来ていて、そこにある理想の父親像的なものに苦しめられているといところも感じられる。
たまに聞きますけど、小さいお子さんをお持ちのお母さん達が、メディアが描く理想の母親像に苦しめられるというのがあったり、子供は子供で、いい子というか親や学校が持っている理想像をクリアしていかなければならないのかなという感じもあったりします。
そんなシャイニングでは、心の不安というか、それが妄想なのか亡霊が現れて、鬼の形相で妻子に襲いかかっていく。斧を持ったりして明らかな鬼状態なんですよ。
それから40年たった2020年に放送されたドラマの主人公は、世間の理想像以上の存在。おそらく、子供の頃からすごくいい子で、親や学校の理想もクリアだっただろうのイメージ。一流大学を卒業し、大手都市銀行に就職している誰もが羨む存在なんですね。だけれども妻子を殺めた。それもシャイニングの時のような鬼の形相でもなく、斧などを持って襲うスタイルでもない。なにか、フッと思いついて表情も変えずに殺害してしまったのです。
シャイニングの場合は、テレビ版では最終的には父親が妻子を守ったんですけど、「微笑む人」の場合は殺害してしまったんですね。
しかも、「微笑む人」の場合、父親のサインがどこにもなかったのか、妻でさえそれを感じることができなかったのか、ディックのような手を差し伸べてくれる人もいないんです。
それは淡々と粛々とという感じでした。
シャイニングで描かれていた迷路。人の心は、あの時くらいからなのでしょうか、出口のない迷路に迷い込み、未だに抜け出せない。それより、その迷路の中でなんとか生きていくが、サインさえ出せず生き方が迷宮入りなのか。
「微笑む人」はホラーでもなくサイコサスペンスでもない。だから亡霊や怪物がでてくるわけでもなく、狂気にみちた人物もでてこない。
今や日常のドラマなのかもしれない。
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シャイニングの続編ドクター・スリープの世界観に引き込まれた

2020年03月27日 | 映画
こんにちは。suraです。
今日は引き続き昨日からの雨が激しく降っていて雷までなっています。
どうやら今週いっぱいは雨のようです

今日は、前回に書きました「シャイニング(TheShining)」の続編「ドクター・スリープ」の感想を書きたいと思います。
「ドクター・スリープ」は「シャイニング」の40年後のストーリー。
シャイニングでまだ子供だったダニー坊やは、すっかり大人になっていました。
大人になったダニーは、アルコール中毒で不健康、荒んだ大人になっていた
この感じからすると、映画版「シャイニング」からの続編なんだろうなと感じます。
テレビ版のラストからすると、未来が荒む感じはしない。シャイニング(特別な力)を持ちながらも普通に生きていくんだろうな的な、ハッピーエンドの終わり方だった印象です。
映画だから映画版からの続編だとは思うのですが、所々テレビ版からの繋がりを感じる所もありました。
例えば、ディックという存在がいるんですけど、ディックもシャイニング(特別な力)持ちで、ダニーとテレパシーで交信できるんですね。それだけにお話の中ではストーリー展開をさせていく重要な人物と思えるのですが、映画版ではちょっと存在感があっけなかった印象でした。けれどもテレビ版の方では、ディックの存在が濃くて、一筋の光のような未来へと繋げてくれるんですよ。
そのディックはテレビ版からの繋がりだと思いました。ダニーの心の闇を解きほぐしてくれるような、他人なんだけど親戚のおじさんみたいな存在。
あと、バスルームに女性がいるんですけど、テレビ版からの印象が強かったような気がします。
だから、「ドクター・スリープ」を「シャイニング」の続編として見るにあたっては、テレビ版も映画版もどちらも見た方がよいのではないのかなと思います。



「ドクター・スリープ」の中ではジプシー達が登場してくるんですよ。そのジプシー達は人ではない存在。
その存在していく為には、人の魂というか生気が必要で、ドラキュラでもなく、あの存在をなんと言えばいいのか?ドラキュラといったら今では少々高級感がなければドラキュラじゃないというかドラキュラ「伯爵」とつくぐらいだから貴族っぽくて、しかも美しくなければドラキュラじゃないぐらいのポジションですけど、あのジプシー達は庶民的というかジプシーであって、取り分け美しいというわけでもなく、、、やジプシーの女性リーダーは美しい方でしたけれども、そのコミュニティ事態はそうでもなく、その特別感が無い所がリアルさを感じるというか、もしかしたらこういう存在いるかもねみたいな感じは受けました。
映画の中では、それぞれの頭の中というか意識が舞台になってることもあって、仮想現実っぽいところもあって、映画の中の出来事を体感している感じではあったけれども、あのジプシー達の存在がリアルに掛かってくるというか今っぽさもあるかと思う。
ラストの植え込みの迷路のシーンは印象深く、人の深層心理に迷い込んだようでした。
この植え込みの迷路はシャイニングの映画版の方で登場するのですが、どこか心の闇を表している感じもあります。
シャイニングができた1980年頃は、心の闇みたいなのがあきらかに全面に出てるというか、それが映画版の狂気という所で表されたというか、そんな感じだったのかもしれませんが、最近では、心の闇というかそれがあきらかに表現されないというか、あのジプシー達のように存在しているのかもしれませんね。
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映画版シャイニング(TheShining)はスタンリー・キューブリック監督がつくった生き物のようだった

2020年03月27日 | 映画
こんばんは。suraです。
今、雨が降っています今の時期の雨を育花雨ともいい、自分が暮らしている地域の桜は、まだ蕾で、この雨で蕾が膨らみ開花へといくのだと思います。
今年は、桜の下で花見弁当などを飲食することは出来ませんが、マスクをつけて、静かにゆっくりとウォーキングついでに眺めたいと思います。

前回、「シャイニング テレビ版」の感想を書きましたが、今回は「シャイニング 映画版」の感想を書きたいと思います。
テレビ版のDVDを見た時に、解説があったんですね。原作者のステーブンキングをはじめ、映画スタッフの方々が座談会のようにして解説されていました。
その中で、ステーブン・キングが映画版の方に対して、不満的な事を言われていたんですよ。それも結構な感じで言っていて、公にしかもDVDで保存されている状態でここまで言うかという感じで少々驚いたんです。



テレビ版を見て、すごく感動した後で、映画版はどのようなものなのかと、そこの所の興味もありつつ映画版を視聴しました。
そうしましたら、映画版は、テレビ版の後半部分がメインとなってストーリー展開している感じなんですね。
有名な場面である、斧を振りかざしているような狂気の部分が中心に描かれてあるかと思いました。
テレビ版を見ていると「シャイニング(The Shining)」は狂気が中心にくるストーリーではないというのは分かります。
テレビ版の解説を聞いていると、シャイニングの原作は非常に長い小説らしく、あれを映画の時間内で全てを表現するのは難しいとは分かる。
。。。けれどもという感じで少々ご立腹な感じでステーブンキングは言っていた。一つ一つの作品が自分の子供のような思い入れがあるのだなというのも感じました。

その反面、映画版のスタンリー・キューブリック監督の1シーンに対する物凄いこだわりの事も言われてました。
そのこだわりの話を聞いていると、物凄いというか少々異常じゃないかと思えるくらいのこだわりで、子役さんが出てくるんですけど、あの子役さんもやったのかと思うと「信じられない」という範囲。
しかし、映画版を見てみると、1シーン1シーンに強い気が吹き込まれているのか、1シーン1シーンが呼吸しているように感じました。
1シーン1シーンが独立して生きている。キューブリック監督は映画なんだけど生き物をつくったのかなという印象です。
そんなキューブリック監督のこだわりにジャック・ニコルソンはじめ出演されている役者さん達も応えられている。
舞台である山の中のホテルも外観とホテル内は別々のホテルだったということで、そこの所も凄いこだわりがあったのだなと思いました

テレビ版と映画版どちらも見ていると、テレビ版はステーブンキングのシャイニングで、映画版はスタンリーキューブリックのシャイニングで自分の中では分かれています。
ステーブンキング作品ファンとしてはテレビ版を押したいところもありますが、映画版のジャックニコルソンのとり憑かれっぷりには圧倒され見応えはやはりあるという感じで、どちらも自分の中に書留られています。
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ホラーだけどラブストーリーだったシャイニングThe Shining テレビ版

2020年03月25日 | 映画
こんにちは。suraです。
すっかり春の陽気となりました。しかし、コロナウイルスの影響もあって、手放しで喜べない春の到来。。。
それは、日本だけではなく、世界中そのようです。一刻も早くコロナウイルスが終息するように願うばかりです。

コロナウイルス発症の頃に、テレビなどで情報番組を見ていると、1918年に猛威を振るったスペイン風邪の話を聞く機会がありました。
スペイン風邪は、世界中で5000万人の命を奪った史上最悪の疫病ということで、当時の人々がどのように過ごしていたのかとても気になりました。
今では、テレビやラジオやネットがあったりして情報が得られますので、自分の住んでいる地域の状況はじめ、国内中の様子や外国の様子までがわかります。
ウイルスという見えない物体が、これほどに現代生活に影響があるとは驚きです

今日、ブログを久しぶりに書きたいと思ったのは、先日観ましたDVDの感想を書きたいと思ったからです。
それはジャンルとしてはホラー恐怖系になるのですが、ホラーではなくラブストーリーではないかと思ったくらいのお話だったのです。
それはステーブン・キング原作の「シャイニング」。「シャイニング(The Shining)」といえば、1980年に制作されましたスタンリー・キューブリック監督でジャック・ニコルソン主演の映画「シャイニング」が有名ですよね。ジャック・ニコルソン演じる男性が斧を振りかざしてドアを壊している場面があったりする映画なんですが、その「シャイニング」でテレビ版があるんです。



自分は、この「シャイニング」テレビ版の存在は知りませんでした。DVDのレンタルショップにいって、「シャイニング」は有名だけど見たことないから見てみようという気持ちで手を出したのですが、映画版が貸し出し中でテレビ版しかなく、なんか写真の様子が違う感じがするけれど、「シャイニング」には違いないようだということで、テレビ版と知らずに視聴に入ったのです。
みてみるとジャックニコルソンはでてないし、なんか違うんじゃない?と思いつつも、話の中にはすぐに引き込まれて行きました。
テレビ版ということで通常の映画よりストーリー時間が長く、もちろんホラーということで亡霊達も出てくるのですが、舞台が美しい山々の中にある白亜の高級ホテルで、また、ホテルということで舞踏会の場面もあったりして、ホラーでありながら画面はとても華やかな印象を持ちました。
良かったのは、華やかな画面だけではなく、やはりストーリー。。。感動しました。。。
一家族のストーリーなのですが、現代社会の不安を抱きつつ、めぐり合わせで行き着いた白亜のホテルでの出来事。
そのホテルが建築された土地の話も少しでしたがあって、古代から現代にいたるまでの流れも感じることができました

ドラマの中で戦っていたのは亡霊なのか、もしくは自分の中の不安なのか。。。
亡霊ならば(自分は見たことないと思うけど)見える敵。だけれども、自分の中の不安であれば、感じることはできるけど見えない敵。
今、世界中がリアルに戦っているコロナウイルスは見えない敵。
ドラマの中ではありますが、亡霊は目にみえて表情もわかり、意思疎通ができ、なんとか対処していたけど、目に見えない敵の対処法は「愛」だったように思えます。

もしかしたら今リアルな世界は「愛」が試されているのかもしれませんね。
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