夢中人

sura@cosmic_a

留无留无

2014年07月09日 | Weblog
万葉集1737 
大滝を過ぎて夏実に近く居て清き川瀬を見るがさやけさ
(大滝を過ぎて菜摘の近くにいて、清い川瀬を見る心のすがすがしさよ)

菜摘というのは、早春に女子達が食用の野草を摘み取ることだと思うのですが、
この歌は、滝の流れに乗せて自分の恋心の心情を歌っているのだろうなと思ってみた。

突然現れたのですよ。滝のごとく。ドウドウと動と突然。ほら、アイドルの歌みたいな感じで
突然現れたの~~みたいな感じで、キターみたいな衝撃的ぃみたいなそんな感じ。
出会い、それが大滝。
で、うまくいって菜摘という女子の側にいるわけでしょ。再びアイドルの歌みたいにですよ、
あなたを手に入れたの~の、ノリでしょうか。
滝のように力強い喜びw

で、やってきました清い川瀬。それは、まさに静。やすらぎって感じでしょうか
あなたの側にいるだけで~いい感じなの~

あ、そうですか、るんるんな感じなのですね。留无留无

秋保大滝を見て、この歌に出合ったのですが、そんな解釈となりました。
作者は男性でしょうね。「作者、兵部川原は未詳」としかありません。
万葉人 兵部川原はるんるんを歌にした。アイドルみたい

ふっふ~ん
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山寺

2014年07月08日 | Weblog
秋保大滝でマイナスイオンを堪能した後は、バスで愛子(あやし)駅まで行きJR仙石線にて山寺までいきました。山寺には立石寺がありました。
目指すはあの山の頂上。
だからして、登るワケです。階段を使って。時間の関係もあって駆け上がるのです。階段を。階段を駆け上がる。
駆け上がる。駆け上がる。階段を。駆け上がる。
こんな景色の中に階段があって駆け上がる。そして、展望台みたいなところに着き
景色を堪能。山間の町だぁ。この展望台からJR仙石線が見えるのですが、愛子から山寺まで乗ってきたワケなのですが、その間、ものすごい山道なんですよ。ものすごい山道で、よくここに線路ができたなぁと感動しつつ乗ってました。その電車の車窓から気になったのがこちら。
名前はマタタビだそうです。調べてみると九州にもあるような感じで書かれてましたが、九州で見たことあったっけ?とにかくこのマタタビの白い葉の所が太陽の光に照らされてキラキラしていてきれいだったのです。また旅。。。あ、マタタビがきれいだった宮城県と山形県の県境の山。すごい所に線路がありました。人間ってすごいなと感動。
景色を堪能した後は、帰りの電車に間に合うように階段を掛け下がる。電車に間に合うように掛け下がる。
奥の細道松尾芭蕉さんも来たワケですね。「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」ですか。さすがだな。。。しみる。。。
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秋保大滝

2014年07月08日 | Weblog
秋保大滝に行きました。秋保温泉からウォーキングしてみました。


秋保温泉からスタート。川に沿って歩いていくような感じだったのですが、その川の水がきれいできれいで、
きれいで、そんなきれいな川の水を眺めつつ、
木の切り株や木陰に物語を感じながら馬頭観音を地域の方に教えてもらいつつ
さくらんぼや蝶をカメラにおさめつつ、てくてく地域の民話を読みつつ歩く。
秋保温泉から秋保大滝まで車で20分ということだったので、歩けない距離ではないなと思ってスタートしてみたが、なかなか着かない。。。そう、田舎道の20分だったんです。信号待ちもない、車も混雑していない、そんな道の20分だったのですよ。。。道中、ものすごい山道というワケでもなく、田舎の住宅街を歩く。お天気は快晴。暑い、が、風がありまして、それには助かりました。バテバテになりながらも目的地を目指し歩く歩く歩くこと2時間ちょっとだったでしょうか、
秋保神社に到着。ホッとしつつも再び歩く。今度は山道。
整備されてはいましたが山道。山道を歩く。山道。光と影。光と影。光と影がきれい。
光と影をカメラにおさめつつ、ぐだぐだになりながらも歩く。そして見えてきた秋保大滝。おぉ、マイナスイオンって感じwおぉ。。。そして。。。
きたーっ!秋保大滝っ!!着いたっ!!!おぉっ!!まぶしいっ!まぶしすぎるっだはありませんか!
おぉ、見事でありますっ!
で、後ろを振り返ると、まさに「静」。滝が「動」であるなら、この景色は「静」。すばらしいではあませんか。道中くじけて断念しようかとも思いましたが、ここまで来て本当によかった。達成感もありつつ感動も一入でした。秋保というのは奥座敷と言われていたところらしく、昔はお殿様なんかが静養をしにこの道をあるいたのかなぁと思いつつ歩いていました。川のせせらぎの音、鳥達のさえずりとともに歩き、やさしすぎるくらいのそよ風、そして、たっぷりのマイナスイオンをご馳走様でした。
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杜の都

2014年07月07日 | Weblog
あの日、何も知らずにテレビに目を向けると、小さい漁港が映っていて、そこに大きな船が映っていたのです。その船は多少の波では動くはずもないくらいの大きさだったのですが、波の意思によって本来の船の動きではない動きをしていたのです。 
この鳥は、あの日の光景を見ていたのでしょうか。


杜の都仙台に行ってきました。仙台に行くのは初めてで福岡空港から2時間かからなく、なんの苦痛も無く簡単に行けてしまって「はるばるやって来た」という感じがまったくなく、良かったのか悪かったのかという感じでしたがグッと距離感が縮まり仙台は身近なエリアとなりました。
仙台駅に着いての第一印象は、すごく都会だなぁでした。ビルが立ち並び、交通量も多くてとても賑やか。若者も多くおしゃれ感も漂っている。


到着したのが丁度お昼時だったのでランチをとれる所を探索していたら、EDENという場所が目につきました。オープンカフェの様子なのですが、道路に面していなくて中庭スタイル。で、その中庭のガーデニングがいい感じ。ビルの谷間の空間で、隣のビルのコンクリートがむき出しではありましたが、なにかしら都会感があり、それを含めでとてもいい感じでした。
EDENを出て、駅周辺を探索してみました。並木がとてもきれいで、アーケードがありましたのでそこを歩いてみると、本当に賑やかで沢山のお店が立ち並び興味をそそられるばかりでした。興味をそそられあれやこれやみていたら、Acid Black Cherryセキスイハイムスーパーアリーナライブ会場行きのシャトルバスに乗り遅れていました。が、ライブにはギリギリ間に合いました。会場に入ってすぐに始まりました。
そのライブ会場は、市街地から離れているらしいと情報は入っていましたが、まさかあれ程とはと驚きました。ライブ会場へと行く途中の景色を見ていたら、家々が立ち並んでいるワケです。空港から仙台市内に入る途中の景色も同じことを思ったのですが、とても大地震が起きた後の景色には見えない。それは仙台駅周辺でも思った事で、どちらかというと住宅にしても市街地の建築物しても、比較的新しい感じがして町中が綺麗なのです。この疑問を訊いてみると、この地域はずっと以前から大きな地震があって、建物自体の耐震構造が優れているらしく、前回の東日本大震災でも地震による被害はそうでもなく、一番大きい被害は新幹線が受けたのだとありました。東日本大震災で大きな被害をもたらしたのは津波なのですね。
そんなしっかりとしているという建築物を見ていたら、今回のライブ会場のネーミングに「セキスイハイム」とありますが、セキスイハイムと言ったら住宅販売会社。これは、耐震構造に自身ありということで、この地にネーミングライツしたのかなと思ってみました。
今回のこの旅で、被災地という所へは行きませんでした。もちろん気にはなりますが今回は行きませんでした。現地の観光ガイドさんは、津波を受けた場所を見てみると津波の恐ろしさがわかると言われていました。また、被災地に住まわれていている方がいらっしゃって、その方々は大きな船が建物の上に乗ったりしている光景、それはただただテレビでしか見ているだけしかできなかった光景を実際に見ていらっしゃったようです。
移動する乗り物の中から、おそらく仮説住宅だろうなと思われる建物もありました。でも、仙台市内だけしか見ていませんが「復興」という言葉が適当なのかなとも感じました。復興というよりも・・・復興というよりも「リベンジ」なのかなとも。耐震構造が優れているというのはリベンジを繰り返してきたからそうなったのかなと思うし、日本語で言うところの「再挑戦」のなるワケかと思ってみました。
バベルの塔は、人間の可能性を信じる神と再挑戦に挑んでいく人間の話。


仙台に行っての感想は、一言でいうと「ここどこだっけ?」です。それはなぜかというと、全体的に建物が比較的新しい感じで東北らしさというか、地域性を感じる景色ではなかったと思うのですよね。また、東北弁というか東北なまりを感じなかったし、山を歩く機会があったのですが、天気がものすごくよいのはいいことだったのですが、暑くて予想外の日焼けもしてしまって、ここどこだっけ?あれ?私、九州からきたよね?みたいなそんな感覚に陥りっぱなしの状況でした。表面的にはそんな感じだったのですが「気」なるものは違ったのかなと感じました。杜の都の「杜」というのは、ふさぐ、とざす、封鎖するなどの意味があるとのことですが、土地的に何かを封印しているのかなと思ってみたのです。
何かなと思ってみたのですが、人間の欲的なものを封印してしまうのかなと思ったワケです。この旅ではよくお寺に行きました。仙台市内のアーケード内にもお寺があって、なぜかよくお線香と蝋燭をあげていて、あれらのお寺を巡っていると、京都というのは都なのだなというのを思いました。その時代の最先端の建築様式で洗練されているのが京都あたりのお寺なのに対し、今回のたびで巡ったお寺は自然の景観のなかにあるお寺と言ったいいのでしょうか、そんな感じの場所でした。
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