夢中人

sura@cosmic_a

アフリカ

2009年09月25日 | Weblog
先日、本屋さんへ行ったら、アフリカ特集の雑誌が目に入った。
勝間和代さんの責任編集ということで、今のアフリカのことがいろいろと書かれてある。
COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2009年 10月号 [雑誌]

講談社

このアイテムの詳細を見る


どれもこれも気にはなるのですが、その中でも特に気になったところを。。。

『エチオピアとソマリアの国境地帯にあるオガデン地方で、現地の人々に生活の最低条件はどのようなもの聞いて周る調査をしていた。返ってきた答えは、「2日に1回は食事をして、1月に1度は薬を飲む」、「殺されないですむ暮らし」などというものだった』


『スーダン南部で、とあるNGO団体が平原の真ん中に壁で囲われているトイレを建設した。地元の部族の人々は中に入るのを拒否した。
野外で排泄したら太陽が排泄物の中に含まれる細菌類を破壊するはずだったところを、公衆便所では排泄物を貯えて細菌ごと守ることにもなりかねない。実際、ケニアのトゥルカナ湖では、公衆便所の建設と時を同じくしてコレラが流行するということが2度起きている』


『ある日、私はソマリアの兵士と話す機会があった。私の任務は、どうして武装勢力が難民たちから老人と子供向けの食糧を全て全て奪ってしまうのかを調べることだった。兵士は次のように語った。「年寄りと子供はとばっちりを食らっている犠牲者なんだ。子供達には子供はつくれるけど、文化はない。もしも俺たち大人が死んでしまえば、子供はアメリカ人みたいに育てられることになる。年寄りには文化はあるけれど、子供はつくれない。年寄りだけが生き残ったら、俺たちの民族は消えてなくなることになる。だから俺たちが文化を残すために、子供や年寄りの食べ物を奪っている。これは未来を守るための戦略なんだ」』


『埋もれた才能の「原石」からアインシュタインを探せ!」という記事で「天才や秀才と呼ばれるような優秀な人材は一定確立でどこの地域にも生まれるものです』


『アフリカ地域で行われている「割礼」のこと。そして「魔女狩り」のこと』

この辺りの記事を読んで思い浮かんだものがあります。
それは、ドストエフスキーの「罪と罰」。途中までしか読んでないんですけどこれが浮かびました。そしてもう一つ。先日DVDで観た「レ ミゼラブル」。本当は原作を読んだ方がいいんでしょうけどね。この「罪と罰」にしても「レ ミゼラブル」にしてもいろんな要素がふくまれているんだろうなと感じます。一言で言い表すことは出来ないんじゃないかな。

そんな記事の反面、こんな記事もあったりしました。

『今、アフリカでは「チーター世代」と呼ばれる急速に台頭している。アイデアや経験、意見交換するため、インターネットにアクセスするブローガーたち。その目的は、西側諸国で伝えられているアフリカ大陸のステレオタイプを崩すためだ。
「典型的な西欧人の目には、アフリカは暴力と飢餓、貧困と汚職がごちゃ混ぜになった冗談のような場所に映るのかもしれない。少々まともな場合でも、豪華なバカンスが楽しめる観光地の一つに過ぎないんだろう。だからこそ、アフリカ初のインターネット・ニュース番組A24Media.comの設置が待ち遠しくて仕方ないんだ。ようやく自分達の本当の姿について語れる時が来るんだからね』

これらの記事を読んでなんとなく思った事は、「自分達の国なんだから、自分達の手によって国を創り上げたいんだよ」といってるのかなと思った。

気になった所をあげてみたが、一つ一つ考えてみようと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラックダリア

2009年09月25日 | Weblog




今、世の中にはいろんな花があるわけですよ。花といったら、パッと明るくなるような色を思いうかべますが、
画像のように黒っぽい花もあるワケです。
画像には出してませんが、他にもバラやチューリップもこのような色があったりします。
まぁ、黒といっても、赤や紫が深くなっている感じでしょうか。
画像は、自分で撮ってもよいのですが、ちょっとお借りしました。

上から三番目は黒いひまわり。まぁ「黒い太陽」といったところでしょうか。
一番上はブラックダリア。名前を「黒蝶」といいます。

↑は本当の黒蝶。
えぇ。。。蝶、綺麗ですよね。私も好きです。アゲハ。。。綺麗ですよね。
私も蝶はいいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソフトパワー

2009年09月18日 | Weblog
ソフトパワーの部分ってどうなったのかな。。。すんごい気になるんですけど。
今、日本のソフトパワーといえばアニメですよね。日本のアニメいいですもんねぇ。
結構いろんな国で観られているんですね。すごい。
日本のアニメ(漫画も)に私は育ててもらったといってもいいかもしれません。
そしてもう一、絶対にはずせないのがあります。それは音楽。
なんといいましょうかJ-popといいましょうかJ-musicとでもいいましょうかそれです。
物心付いた頃に森昌子さんの「先生」を振りつきで唄っていたらしいんですけど、
この歌は誰がつくってるんだ~なんて見始めたのが松田聖子さんですね。
そこからいろいろ気になりはじめて、まぁロックバンド系が好きでした。
自分がいいなと思ったミュージシャンのを聴いたりしていたんですが、自分が仕事をするようになって
深く聴かなくなった時期もあったんですけど、ここ最近、少しなんですけどね聴くようになったんですよ。
そして今なんですけどね、Acid Black Cherryにすごいはまってるんですよ。
久しぶりにロック系がキターって感じなんですけどね、聴いてるとやっぱりロックバンドっていいなと思うんですよ。
それで、ボーカルのyasuさんが気になるわけで、ネットや音楽雑誌を観るわけですよ。
この音楽雑誌を買うなんざいつぶり?記憶にないけど。。。
それでyasuさんの記事を読むわけですけど、他のページもめくっていくわけですよね。
そうすると、いろんな方がいらっしゃるわけですよ。
高校生ぐらいの時だったらそんな雑誌を観て興味を持ったら、なんとかその歌を聴こうと努力したと思うんですけど、
それが今はですねなかなかなんですよね。。。
今ってですよ、懐かしい曲が流れていることが多いんじゃないのかな。私がたまたまそれを聴くだけ?
もしそうだとしたら、もちろん懐かしい曲もいいと思うんですけど、それでいいのかなぁって思うんですよねぇ。。。

いやなんで音楽の話なんだって感じなんですけど、
ああいうアーティストの方々がライブをされた場合、そこに大きな経済効果があると思うんですよね。
私自身も萬斎様の舞台を観るためにいろんなところに行かせていただきました。
そしてまた、8月の下旬に福山雅治さんが「音返し」ということで長崎市内で2日間ライブをされていたんですけど、
そこにも大きな経済効果があったなんて聞きました。
他にもこの長崎から北海道にライブを観るために行ったなんて話しもあったりします。
 
私はですね、音楽業界のことはさっぱりなんですが、この音楽が日本のソフトパワーになりえないかなと思うんですよ。
アニメ並みに。
まぁ、中身がわかってないから素人的な考えなんですけどどうなんだろうって。
アジアでは日本の音楽を聴いてるなんて話をきいたりするけど、他の国、例えばアメリカとか
これまたちらっと聞いた話なんですけど、アメリカで歌を売る場合は、アメリカのレーベルじゃないといけないと聞きました。
よく日本の歌手の方がアメリカデビューしてそのCDを日本で売る場合逆輸入とか言ってますもんね。
あと、イメージが変わっちゃうんですね。
ここのところですよ、もし本当だったら残念ですよね。自由の国アメリカらしくなくない?
まぁ、何度も言うけどよくわかってないんですけど、いろいろあるんだろうなぁと。
あのマイケルジャクソンの歌の中でも音楽業界のどうのこうのってあったりするし。。。

あと気になるのがあって、このブログにリンクさせていただいているpolicywatchで
リニューアルする前の所にあったんですけどね、岸 博幸さんがなんか言われてたんですよね。。。
坂本龍一さんと話してたんですけどねなんて言われてたと思う。なんか政治がらみにこと。
あの時聞いた感じではちょっと理解できなかったんですけど、10回くらい。。。いやもっとかな
聞けばもしかしたらわかるかもしれないなと思ってですね。
でも、今はそんな場合じゃないかな。。。

ソフトパワーって大事ですよね。海外に発信するに限らず、国内においても大事なものだと思います。
なんかこう、政治的な感じで言ってるっぽい感じに取られるかもしれませんが、私は純粋に好きです。
そこんとこ誤解しないで~~~~~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

表情

2009年09月18日 | Weblog
阿修羅は正義を司る神といわれる。
阿修羅像のその表情は、何事にも惑わされることなく真実をみようとしているようにも思える。

真実・・・①表現されたものの内容にうそ偽りがないこと。また、本当のこと。②偽りのないものと認識された事柄。特に物事の奥深くひそむ本質的な事柄。③(形動)気持ちが真剣で心に偽りがないこと。真摯。④(形動)ことばの表わす真正な意味においてそうであること。⑤仏教で、絶対の真理。真如(しんにょ)。二(副)ほんとうに。心から。

でも、「正義」であってもそれに固執続けると善心をみうしなう。


そういえば、政治がちょこっと変わったと風の噂で聞きました。
なんかいろいろ変えようとしているみたいとこれまた噂でききましたが、それには結構な税金がかかるとか。
でも、まぁ、借金はどうなるんですかね。
あれはどうでもいいの?あれは一番にくるものじゃなくて、二の次三の次?もしくはそれ以下なのかな?
もしそうだったら、どうかなぁと思うんだけど。。。

とりあえず今のところテレビは見ないように心がけています。まぁ、朝のNHKニュースくらいでしょうか。
なぜならば、きっと今は雑音がはびこりまくりなんじゃないかなとの予想ができるからです。
そうじゃなくても先日の朝チラッと目にした番組でワーワーワーと得意げな感じで言ってて、朝からうんざりきました。
こっちは、しっかりはっきりとわかってるわけでもなくて、雑音に感化されてしまっては大変なことになってしまう。
私の情報収集はネットでやっておきます。ネットにて意識を創りあげます。

DVDにて映画をみました。
「レ ミゼラブル」「ルワンダの涙
「ルワンダの涙」は「ホテル・ルワンダ」と同じ背景なんですけどね、もう一度見てみようと思ったんですよ。
これはですよ、平民が武器を持ってしまって民兵になってしまったことで大悲劇が起こってしまった。
なんで平民が民兵になってしまったかというと、ラジオ放送があるみたいですね。ラジオ放送で煽り立てる。
邪悪な雑音がラジオから流れていて、それにやられてしまった。
こうやって考えると「放送」ってものすごい凶器になりえるものなんですね。
最近、誤報が目に付くんですけど、あれってペコリって感じででしかあやまっていないけど、
本当にあれでいいのかな。ものすごい疑問なんですけど。
「言論の自由」はわかるんですけど、なんか違わなくないと思うんですけど。

。。。というわけで、テレビには疑心暗鬼のところもありで、今は(これからかもかな)テレビを観るのは控えめでいきます。
テレビって、お金とか数字がものすごく絡んでいるみたいだし、そこに真実があるんだかないんだかって感じに思えます。
ネットで自分が感じるところをひろっていきたいと思います。

ところで私の大好きなyahoo動画がGyaoというのに変わったみたいです。
内容的にはちょこっとしか変わってないような感じ。
イマイチすごい変化を感じないんですけど、これから変わっていくのかな。
気になる所ではあります。

いやしかし、いろんな意味でネットがあって本当によかったなぁと思ってます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿修羅

2009年09月13日 | Weblog
阿修羅に逢いたくなりました。今話題の阿修羅像。
その少年のようなお顔立ちで千年以上この日本に存在する阿修羅像。


阿修羅、あしゅら、あすら、a-sura。。。なんですね。

Wikipedia-阿修羅
本来サンスクリットで「asu」が「命」、「ra」が「与える」という意味で善神だったとされるが、
「a」 が否定の接頭語となり、「sura」が「天」の意味することから、非天、非類など
訳され、帝釈天の台頭に伴いヒンドゥー教で悪者としてのイメージが定着し、位地を格下げされたと考えられている。
帝釈天とよく戦闘した神である。リグ・ヴェーダでは最勝なる性愛の義に使用されたが、中古以来、恐るべき鬼神として認められるようになった。

仏教に取り込まれた際には仏法の守護者として八部衆に入れられた。なお、五趣説では認めないが、
六道説では、常に戦う心を持ち、その精神的な境涯・状態の者が住む世界、あるいはその精神境涯とされる。
興福寺宝物殿の解説では、「阿修羅」はインドヒンドゥーの「太陽神」もしくは「火の神」と表記している。
帝釈天と戦争をするが、常に負ける存在。この戦いの場を修羅場と呼ぶ。
 
阿修羅の起源は古代メソポタミア文明のシュメール、アッシリア、ペルシャ文明とする説がある。
シュメールやアッカドのパンテオンに祀られていた神アンシャル。アッシリアの最高神アッシュル。ペルシアのゾロアスター教の最高神アフラ・マズダー。それらの神がインドに伝来してアスラとなり、中国で阿修羅の音訳を当てた。
シュメール、アッシリアの古代史と仏教のあ阿修羅にまつわる伝承との類似性も高く、信憑性のある事実として指摘される。

阿修羅は帝釈天に歯向かった悪鬼神と一般的に認識されている。しかし事実は少し違うと言われる。
阿修羅は正義を司る神といわれ、帝釈天は力を司る神といわれる。
たとえ正義であっても、それに固執続けると善心を見失い妄執の悪となる。このことから仏教界では天界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれる。
阿修羅を意訳すると「非天」というが、これは阿修羅の果報が優れていて天部の神にも似ているが
天には非ざるという意義から名づけられた。

う~ん。。。かなり深い。でも興味津々。
阿修羅の起源は古代メソポタミア文明。。。そうですか。

全てが理解できているわけではありませんが、そんな興味深い阿修羅像。
九州では九州国立博物館にそのお姿があります。
私は会いに行きました。が、お逢いすることは出来ませんでした。
なぜならば、ものすごい人でかなりすごい人で、待ち時間が長く、次ぎの用事もあり、また少々クラクラ気味もありで断念せざるおえなくなってしまいました。
開館時間に合わせて行ったんですけどね、そんな状態で直接お逢いすることができませんでした。
これはですね、これはですよ、私だけの為の阿修羅像の時間をお願いするしかないなと思いました。。。です。


阿修羅像にはお顔は三つ。それぞれ表情が違い、成長する過程のようなんですね。
最近思うんですけど、大人になっていくって「白」くなっていくことなんじゃないかなぁってね。
それまでわからなかった「グレー」だった事が、大人になっていくうちにわかっていくんですよ。そして「白」くなっていく。
まぁ、わかろうとする努力もしなければいけないんだろうけど、そうなんじゃないかなぁってね。
なんかねそんな気がするんです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

支配

2009年09月13日 | Weblog
狂言を観に行ってきました。

「棒縛」
太郎冠者 野村萬斎

主    月崎晴夫

次郎冠者 深田博治

後見   岡 聡史

二人に家来が留守中に酒蔵の酒を盗み飲みすると知った主人は、太郎冠者の両手をを棒に、
次郎冠者の手を後ろでに縛って出かけてしまう。
それでも酒が飲みたい二人は縛られたその状態で、なんとか酒を飲みたいと考え、そして成功する。
そのうちに盛り上がりに盛り上がって謡えや舞えやと大騒ぎ状態。愉快愉快な感じw。。。の所に主人が帰宅しちゃうワケ。
と、こんなお話だったんですけどね。非常に楽しいお話でした。
解説にも、観ているこちらも心楽しくなれる、狂言の代表作の一つですとありました。

「小傘」
僧   野村万作

田舎物 野村万之介

新発意 高野和憲

参詣人 月崎晴夫

参詣人 竹山悠樹

参詣人 岡 聡史

尼   石田幸雄

後見  時田光洋

この「小傘」は2回目。あらすじは田舎物が草堂を建立したのだが、堂守がいないので街出て探していると、
僧と新発意(しんぼち)(出家して間もない修行中の僧)がやって来たのですぐにつれて帰る。
しかし、この二人、実は賭博で食い詰めた主従であった。法事が始まると、僧は賭博で聞き覚えた傘の小歌を
お経のように唱えて参詣人たちをごまかし、皆が法悦に浸っている内
に新発意に布施を盗ませようとするのだが、なかなか上手くいかない。そうしているうちに念仏はますます高揚していき・・・。
というお話です。

狂言は、私にとって「鏡」。今考えていることを映し出してくれるものです。
そして今回感じたものは「支配」。
「支配」をネットで調べてみると「ある地域や組織に勢力・権力を及ぼして、自分の意のままに動かせる状態に置くこと」とありました。
ムム~。。。これも「権力」の意味合いと同様に、なんか違わなくない?と思うんですけど。
でも、先に読み進めていくと、『(統治)rule  (統制)control』とあったんです。
。。。これっぽくない。ルールにコントロール。
国が存在するうえでルールやコントロールは必要ですよね。これがなかったらめちゃくちゃになる。
そして「支配階級」とあったんですけどね、それは「政治的、経済的、社会的に勢力を持ち、国家や社会を支配している階級」。
ルールが「法」だとしたら、「法」はその時の生活の中からうまれてくるものだと思っているので、
それは社会から創られるものなのかなと思うんだけど、それをコントロールするのが「支配階級」と言われる方々かな。
でも、この「階級」という言葉があまりいい感じじゃないですよね。
まぁ、コントロールすることが出来る力をお持ちであるというか、スペシャリストというか、それをお仕事にしている方々の事ですよね。
やっぱりこういう方々がいないと国がめちゃくちゃになる。めちゃくちゃにならないために、統治rule統制controlという「支配」が必要なんですね。

いやなんで狂言を観て「支配」に繋がったかというと、狂言に出てくる人物達は欲にかられてる事が多いんですよ。
今回の「棒縛」にしても「小傘」にしても欲があるんです。
仏教を観てみると、人間というのは欲だらけなんですよ。欲によって生かされているみたい。
まぁ、欲といっても、全てが悪いものばかりじゃないと思うんですけどね。
でも、欲が強すぎると、つまり欲に支配されちゃうというのはよくないですよね。
欲に支配されるのではなく、欲を支配しなければなんですよね。
きっと人間は、欲からは離れることができないんじゃないかな。だから、そんな欲を支配し、うまく付き合っていく。
そして、この欲とうまく付き合うことで「愛嬌」が生まれるんじゃないかな。
人間ってそんなとこあるよねって、なんかほほえましくなるのかな。本当におかしくておかしくて、人間っておもしろいよねぇって感じ。
それが魅力になることもある。
狂言ってそんなとこも教えてくれているんじゃないかなと思うようになってきた。

支配は、ルール・コントロール。今までわかっていたようでわかっていなかったその意味。
誤解してとらえているものもあるだろう。そんな言葉の意味をもっと調べていこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする