なんとなくクラシテル

獣医という仕事をしている人間の生活の例の一。
ほとんどが(多分)しょーもない話。

「クロストーク」

2014年02月26日 | 
ベストアンサーに選ばれた。まだ色々考えていることはあるので。ちょっと追加。

 クラシック音楽の低調ぶり、特にいわゆる「現代音楽」のカテゴリーに入る音楽の低調ぶりは相当なもんですよね。せっかく汗水たらして作った(はず)の音楽が初演以降再演される可能性ってどの位なんだろうか?もの凄く低率なんじゃないかと思うんだけど。そんな状態で、よく作曲家なんかやってますよね、と、クラシックの現代音楽作曲家の皆さんにお聞きしたいんですよ。どうやって食べてるんですか?

 その問題点は、一応週刊文春でも指摘はされてた。でもねえ、これ、原因が結構はっきりしていると自分ではかねがね思っているんだ。

その原因ー主にオーケストラ曲についてだけど
1)変な楽器を使い過ぎる。どこにあるのかわからんような特殊楽器だの、その演奏者(さらにどこにいるのか分からん!見つかっても、オーケストラの中できちんと求められる演奏ができるレベルの人物かどうか、まで考えちゃうと、ばくちですよね、頼むのは)を演奏のたびに探す、だけじゃない。そのエキストラに出来いかんにかかわらず、金を払わなくちゃならない。楽器の借賃・運搬費・保険、とかも考えたら、再演するには、よほどの理由が要りますよ。
2)演奏技術が高度すぎる。プロならいいけどさ、アマチュアだとまずお手上げ、という感じの曲の多いこと!!
3)演奏側のニーズを汲み取っていない。
特にこの件については、かなり言いたいことがある。高校生の頃はマンドリンクラブにいた。で、「邦人作品」とかいっちゃて、生意気にも藤掛廣幸氏の新作なんぞをバンバン弾いていたわけ。演奏するために藤掛さんのお宅に直に電話をかけて(公衆電話なんですよ~~。当時はテレカもなかったから、ちょっとでも節約するために部員が10円玉を山ほど集めてぼとぼとコインが電話機内に落ちる音を聞きつつ電話したわけ―百円玉を入れちゃうと、おつりが出ない、というのが公衆電話の怖いとこだった)自筆譜のスコアのコピーを送ってもらって、それをパート譜に写譜して練習して演奏会にのせる。大学でオケに入って一番びっくりしたのは、印刷されてるパート譜がある、ということだったもんね。オケでもう一つ、つまらんと思っていたことは、そういう「邦人作品」なんか、だーれも弾こうとしなかったこと。いや、弾こうにも弾けないわけですよ。ヘンな楽器+難しすぎる技巧=演奏不能、というわけ。
 しかし当時、それこそ邦人作曲家の大家は山ほどいたのに。武満徹さん等々・・・・・・・・。同じ時代を生きている人の、しかも日本人の作品をどうして弾けないのか?これは今でも痛烈に疑問だ。お答えいただきたいですよ。

 高校時代に藤掛さんや鈴木静一等の作品を演奏できたのは、要するに作品が扱いやすかったからですね。適切な演奏時間・適切な編成(高校生がつくる通常のマンドリンオーケストラの編成からはみ出さない)・適切な技巧(トライアルな技術が多少求められるけど、高校生の熱意と根性でクリアできるレベルのもの)であったと。それから、我々の気持ちにも合っていた。むかーしのヨーロッパの人が作ったマンドリン作品になんか共感できない、気分は確実にあって、だから「邦人作品」についついこだわる、これは正しかった、と思う。今でも、手書きのスコアは思い出せる。なんか、音楽やってる~~~!!という感じがもてたんですよ。お仕着せでない。

 そういうニーズは、日本の普通のアマチュアオーケストラには絶対にあると思うんだけどなあ。

 というか、日本ぐらいアマオケが多い国って珍しいんじゃないでしょうかね。なんか部活動の延長みたいに、週に一回集まって練習する、文化があるわけ。なのに、そのアマオケが楽しく練習し本番で演奏できる「邦人作品」のオケ作品がないってどーゆーことですか??普通の2管あるいは3管編成で難易度の低い曲を作る=レベルが低い作品になる、とでも思ってるんですかね?作る側がそれじゃあ、ふざけた話だよ。

 今回のゴースト騒ぎで、凄く不愉快なのは、ゴーストライターやってた新垣さんのセリフの節々から元自作の曲について、なんら愛着がなさそうな感じを受けたところ。所詮、こいつに書いてやってる曲は調性音楽で大した曲じゃない、というどこか小ばかにした印象があって。妙ちきりんなエリート意識が鼻につく。
 しかし、変な楽器+特殊技巧+崩れた調性+変拍子の連続なんて曲、シロートが手を出せる代物じゃない。一番ニーズがあるはずのアマオケの市場を完全に無視している。言うなれば自己満・自己完結の曲ばかり書きなぐってることになるじゃないですか。そんなもん、何の価値もないですよ。音楽ってのは、演奏してくれる人がいてこそ、初めて生きるものだから。日本にこんなにアマオケがある、普通の曲ならどこだって演奏してくれる可能性が高いんだ。普通の中で独自性を模索する、これは最高難度だと思うけどね、作曲家としては。それにトライする根性がかけらもないってことかね。作曲家の皆さんは。情けないよ。

 以前、どこかアマオケがコンクールか何かを主宰して、アマオケに向いている素晴らしい新作を集めてみたらどうだろう、と思っていたこともあるんだけど。新響とか。でもねえ、レベルの高いアマオケは、これまた鼻持ちならないエリート臭がふんぷんなんですよね。「俺たちゃお前らとは違うんだ」みたいな。ヤダヤダ、そういうハンパ軍団が席巻している業界ってことなのかな、クラシックって。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 無加水鍋 | トップ | 炊飯器 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事