の「白鳥湖」。オーチャードホールで観てきました。
とはいうものの、ここんとこ仕事がゲロキツなのである。疲れ切ってて、なんか、半分くらい寝こけてたような気がする・・・・。もったいない。。。
で、「白鳥湖」。まあ、「ジゼル」もそうだし「ロミオとジュリエット」もそうか。男性主人公がダメダメに見えちゃう、のはどうしたもんだろう?白鳥湖の筋書きはかなり有名です。オデットというお姫様がいて、悪魔のロットバルトに白鳥に変えられちゃう、で、人に戻れるのは夜の間だけ、という呪いをかけられる。そこへ王子が来て、自分が愛を誓って、呪いから解放する、と約束するんですけど、肝心の結婚相手選びの場で、ロットバルトの娘のオディールにコロッと騙されて(なのか?浮気じゃないのか?)オディールに誓ってしまう。で、どうするんだ~~?という話ですね。
なんかなあ、王子様を見てて、あんた、東出の親戚かい?と現代の自分は思っちゃうわけだ。主人公に共感できないというのは困ったもんだと思う。こういう物語系のバレエって男性側の方が全然出番が多くて、白鳥湖はもう出ずっぱり、なんとなく女性側にいつもスポットが当たりますけど、基本的には男側のお話なんじゃないかと感じているんだが。
ので、このお話を現代にもうちょっと沿った形にできないかなあと。王子さんとその母親との関係をちょっと変えてみたらいいかもしれない。
1幕を見ていると、王子さんは、母親が出てくると居住まいを正すというか、緊張するわけよ。あーこの人、今まで親の顔色うかがって、いつもいつも親の言うとおりにしてきたんだなあ。でも、結婚となると、自分の人生がかかってくるわけでしょ、そんなもんまで親の言いなりになるのは嫌だ、という気持ちが出てきて湖に行く。初めて自分の判断で動き出した人の話として捉えるとどうだろう?
というのは、自分の判断で初めて動くまず99.9%はミスる、ことになってるから。
そのミステイクの過程が3幕。で、3幕のラスト、ここで母親に王子さんがミスったって説明するんですが、ここで、どこの演出でも母親がヨヨと泣き崩れたり、気を失ったり、あんた、仮にも一国を仕切ってる王妃でしょうが、という情けなさなんですよ。これじゃあ、王子さんは自分のミスを挽回する気力が消滅しちゃうんじゃないかなあ。
ここで王妃様が根性を出して、ミスはしょうがない、きちんと落とし前つけに行ってこい!悪魔なんぞに一国乗っ取られてたまるか、そうされないようにこっちも踏ん張るから!!ってな感じになると筋がすっきり通るように思う。こうすれば、親と子供の関係が初めてフラットになるわけ。
子供のやらかした結果について、特に失敗について、親が過剰反応しすぎ、だから、ひきこもらーが増えちゃうんじゃないですかね。ミスったって、大概は挽回可能で、それを親が「ま、どうにかなるでしょ、応援するから踏ん張ってみなさい」とやれればいいんでしょうけど、ほとんどの親が「それみたことか~~!」とやるか「あ~~期待してたのに、がっかりだわ~~」とやるか、どっちかでしょ。これを「大きなお世話でい!」とぶちかませる子供は、特に男の子は無理じゃないですかね。だから、世の中が怖くなってひきこもらーになる。
実際には、判断ってミスの連続で、それを微修正しながら自分を鍛えていくものなんですけどね。他人に判断を預けっぱなしにしていて、いきなり大きな判断を迫られたら間違えるに決まってるんです。だから、王子さんのミステイクは親の教育のミステイクでもある。そこを親が認めて、子供のせいにしない、というお話に持っていった方が、4幕がすっきりすると思う。で、こういう話の進め方にしたら、悲劇で終了はまずいですよね。ちゃんと落とし前を付ける、結果に持ってくと。チャイコの流麗な音楽を悲劇に落とさないほうがいい気がするんです。
とまあ、そんなことを考えつつ観てました。寝てたけど。あーあ。