なんとなくクラシテル

獣医という仕事をしている人間の生活の例の一。
ほとんどが(多分)しょーもない話。

規格

2010年04月20日 | 
の問題って大きいと思うのね。これ、結局は「スーパーで売る」のが主たる売り方になって、こういう事になっちゃったんじゃないか、と予想しているのだが。

 例えば魚について。こないだまで「マグロ」が大騒ぎになってた。マグロという魚について、特に食べたいとか、考えてないんだけど。高級魚である、以前に気になっていること。スーパーでの表示が「g単位」になってる魚って、マグロとサーモンだけなんだ。つまりまあ、この2種類は切り身で売っている、という事ね。で、他の魚はどうかというと、大きさがほぼ揃っている。問題だよ。
1)切り身の魚が増える魚全体を食べる技術が衰える。調理技術も食べる技術もだ。まあ、どっちが先かわかんないけどさ。
2)網でごそっと獲っている魚の大きさや種類ってもっとバラエティーがあって普通だと思うんだけど、そうじゃない大きさを揃えてないと、買い手が文句を言う、ということだろう。買い手の「アホさ加減」が増してる、ということ。工業製品じゃないんだから、という想像力が買い手の脳味噌から欠落しているわけだ。でも、そうなるように仕向けているのがスーパーの売り方なんだろうな。種類を揃える、大きさを揃える、陳列の仕方。そうしないと、売りようがない、という思い込みというか。しかし、本当にそうなのかな?

 同じことが農産物にもいえるのでは?揃った物を買うから、買い手の目利き技術が衰える、調理技術も食べる技術も堕ちまくり、という。どうも、そんな気がしてしょうがないのだが。
 だからさあ、マグロなんか、獲れなくしちゃえばよかったのにさ、と思っちゃうのよ、どうしても。そうすりゃ、近海漁業をもう少し真剣に皆が考えるようになったかもしれないのに。チャンスを逃した、と思っちゃってねえ。
コメント
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