<NHK‐FM 「ベスト・オブ・クラシック」 レビュー>
~東日本大震災で結ばれた日本と英国の固い絆 BBCフィルハーモニック 演奏会~

エルガー:変奏曲「なぞ」から「ニムロッド」
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
ベルリオーズ:幻想交響曲
指揮:佐渡 裕
管弦楽:BBCフィルハーモニック
ピアノ:辻井伸行
収録:2013年4月23日、サントリーホール(東京)
放送:2013年9月4日(水) 午後7:30~午後9:10
2013年4月23日、サントリーホール(東京)で行われた英国のオーケストラBBCフィルハーモニックの演奏会は、東日本大震災と大いに関わりがある。BBCフィルハーモニックは2011年3月に日本ツアーを行っていたが、日程の半ばで東日本大震災に遭遇し、止む無く中止となってしまったのである。そのため今回の日本ツアーは、演奏者の顔ぶれと曲目は以前と同じで、改めて開催し、完結させるという目的で行われたもの。演奏会の冒頭で指揮の佐渡 裕がその経緯を次のように聴衆に語りかけた様子から始まる。「我々のツアーのメンバーは、2011年の3月に広島をスタートし、10回の公演を予定していた。5回の演奏会が修了し、いよいよこれから横浜、東京と関東のツアーが始まるところで、3月11日の震災が起こってしまった。丁度オーケストラはベイブリッジを通って横浜に行く時だったので、橋の上で強い揺れを経験した。日本が大変なことになった、そして東北の人々を思うと胸が痛かったが、この素晴らしいツアーをもう一度再開しようといういうことで、2年間というオーケストラのスケジュールとしては最短の期間で、全く同じメンバーでツアーを再開ですることができた」
そして、当初この演奏会の予定にはなかったが、BBCフィルハーモニックが、東日本大震災の犠牲者のために、そして今も復興に当っている人々のために、演奏したいということで、最初にエルガー:変奏曲「なぞ」から「ニムロッド」が演奏された。佐渡 裕は、この演奏に先立ち「この曲は大変感動的な曲なのだが、曲が終わったら、拍手をご遠慮いただきたい。その後は大いに演奏会をお楽しみください」とコメントし、演奏が始まった。「エニグマ変奏曲」または「謎の変奏曲」とも言われるこの曲は、エルガーのオーケストラのための変奏曲であり、この作品の成功によって、エルガーの名前は世界的に知られるようになったという。主題に続く各変奏は、親しい友人たちへの真心のこもった内容となっている。何故、変奏曲「なぞ」と呼ばれるかは、どうも謎のままのようである。「ニムロッド」は、全部で14ある変奏曲の第9変奏に当たる。「ニムロッド」とは、ドイツ生まれのアウグスト・イェーガーにエルガーが付けた愛称のこと。エルガーは、イェーガーの気高い人柄を自分が感じたままに描き出そうとしたと言われており、アンコールピースとしても演奏される。曲の内容は、思索的で、静寂さに包まれ、それらが深い感動を伴って大きく表現される。ここでの佐渡 裕指揮BBCフィルハーモニックの演奏は、東日本大震災の犠牲者へ対する鎮魂の感情がこもっていることが、聴いていて自然に感じられる演奏内容でもあった。BBCフィルハーモニックへ対しては「心のこもった演奏をありがとう」と言いたい。
次の曲は、ピアノ:辻井伸行との共演でラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番が演奏された。辻井伸行が2009年6月、第13回ヴァンクライバーン国際ピアノコンクールで日本人として始めて優勝した時に演奏した曲でもあり、辻井伸行にとって、もとりわけ思い入れの深い曲であるはずだ。その意味から演奏前から期待は高まる。ここでの辻井伸行の演奏は、実に幻想的で、詩的に昇華された演奏を披露した。この曲はどのピアニストも持てる力を鍵盤にぶつけるものだが、辻井伸行の演奏は、これらとは全くことなり、静寂であると同時に暖かみがこもり、あたかもラフマニノフの心の中を覗き見るかのごとき、精神性の高い演奏に終始していた。それと「あれ」と感じたのは、昔の辻井伸行が奏でるピアノの音は、繊細極まりないもので、鋭利な剃刀のような雰囲気を宿していた。ところが、ここでのラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番の演奏を聴くと、そんな面影は姿を消し、堂々とした力強さが前面に出ていることに驚かせられる。これは、ヴァンクライバーン国際ピアノコンクール優勝という経験を経て、掴み取った辻井伸行の新境地として私は聴きたい。一方で、流れるような、歌うような、そのピアノ演奏のスタイルは、以前の辻井伸行の演奏と変わりはない。それにしても、辻井伸行の演奏は、実に詩的であり、歌心に富んでいる。そんなところに聴衆が辻井伸行を好む源が潜んでいるのであろう。
最期の曲目は、ベルリオーズ:幻想交響曲。この曲は、クラシック音楽の中でも最も演奏される機会が多い曲であり、多くのクラシック音楽ファンのお気に入りの曲の一つだ。それだけに、指揮者それにオーケストラの実力が試される曲といってもいいだろう。そして、この曲の持つ異様な雰囲気が、演奏会を盛り上げやすいところがあり、ほとんどの演奏は、この曲の持つ自虐的で、非日常的な世界を強調する傾向が強い。ところが佐渡 裕指揮BBCフィルハーモニックの演奏は、それらとは全く異なる演奏内容で、あくまで音楽的な美意識を追究し尽くしたといえる見事な出来栄えであった。この演奏を聴き終えたあと、幻想交響曲とは、こんなにも音楽的に豊かな潤いを持った交響曲であったのか、と改めてこの曲の持つ魅力を発見する思いがした。これは、指揮者とオーケストラのメンバー一人一人の思いとが完全に一致しなければ達成し得ない世界であることは間違いあるまい。それにしても指揮の佐渡 裕とオーケストラのBBCフィルハーモニックとの相性の良さが窺える。ドイツのオーケストラでも得られない、フランスのオーケストラでも得られない、そしてイギリスのオーケストラ出なければ出せない、奥行きの深い、豊穣さがこもった響きをこのオーケストラは確かに持っている。そして佐渡 裕の持つ明るく、スケールの大きいバランスの取れた豊かな音楽性が、このオーケストラの隅々に浸透していたことを聴いて取れたことも、今回の大いなる収穫であった。(蔵 志津久)