日本の歌曲:からたちの花/この道/花/荒城の月/浜辺の歌/椰子の実/砂
山/波浮の港/平城山/赤とんぼ/初恋/浜千鳥/城ヶ島の雨/
早春賦/夏の思い出/花のまち/叱られて/中国地方の子守唄/
鉾をおさめて/ペチカ/曼珠沙華/野薔薇/出船/宵待草/雪の
降る町を/さくらさくら
演奏:歌手=伊藤京子/中沢桂/中村邦子/中村浩子/木村宏子/中村健/
立川清登
ピアノ=三浦洋一
CD:ビクター音楽産業 VDR-28057
このCDは日本歌曲の総集編といった趣のCDで、歌手には懐かしい名前が並ぶ。日本人ならこれらの曲は誰でも知っており、今更改まって聴くこともない、と思うと大切な何かを見失ってしまう。私が初めて海外旅行した機内で聴いたCDはこれらの日本の歌曲であった。日本を離れこれらの曲を聴くと、日本人としての自覚とか感性を思い知らされる。あ、日本人はこんな目で自然や人とのつながりを感じているんだ、と改めて理解できる。
これらの日本の歌曲を聴くと、いかにして日本の伝統音楽と西洋音楽を融合させ、新しい音楽の世界を切り拓こうとする先人達の意気込みというか、なみなみならぬ努力の積み重ねに圧倒される想いがする。その結果、生まれたこれらの歌曲は多分、世界的に見ても貴重な文化遺産に当たると思う。日本の童謡とか唱歌は、世界を見てもあまり例がないと言われる。その素晴らしさに感動し、英語に翻訳し歌っている外国の歌手もいるほどだ。日本の歌曲も同じことが言えると思う。ただ、これらの曲があまりに我々の傍にあるため、改めて聴くという機会が少な過ぎる。
問題はこれらの貴重な音楽の文化遺産を、どう後世の日本人に伝えていくかであろう。現代音楽への取り組みも必要なのかも知れないが、過去の遺産をどう発展させていくのかという取り組みが、あまりにおろそかになっていないであろうか。最近の殺伐とした世相の一因は、音楽の貧困にあるのではなかろうか、と私には思える。昔は子供からおじいちゃん、おばあちゃんまで一緒に歌える歌がたくさんあった。今は年代によってばらばらだ。もう一度日本の歌曲を聴き、未来につなげたいものだ。(蔵 志津久→ホームページ「クラシック音楽リスナーネット(CMN)」)
シューマン:歌曲集「詩人の恋」
演奏:テノール=フリッツ・ヴンダーリッヒ
ピアノ=フーベルト・ギーゼン
CD:独グラモフォン 429 933-2
シューマンの歌曲集「詩人の恋」はシューマンの“歌曲の年”といわれる1840年の作曲で、シューマンの歌曲でも最も名高い名曲である。青春の思いが脈々と息づいており、若者の心をの奥底を覗き見るような感覚がする。ピアノ伴奏も一般的な伴奏とは異なり、歌手と対等な存在感が溢れている。ヴンダーリッヒは夭折した独逸の名テナーである。そのビロードのような歌声を一度でも聴くと耳に焼きつく。現在でも詩人の恋のCDの中で一際高く聳え立つ名盤といえる。(蔵 志津久)
http://www.hi-ho.ne.jp/shitami/windex.html
演奏:テノール=フリッツ・ヴンダーリッヒ
ピアノ=フーベルト・ギーゼン
CD:独グラモフォン 429 933-2
シューマンの歌曲集「詩人の恋」はシューマンの“歌曲の年”といわれる1840年の作曲で、シューマンの歌曲でも最も名高い名曲である。青春の思いが脈々と息づいており、若者の心をの奥底を覗き見るような感覚がする。ピアノ伴奏も一般的な伴奏とは異なり、歌手と対等な存在感が溢れている。ヴンダーリッヒは夭折した独逸の名テナーである。そのビロードのような歌声を一度でも聴くと耳に焼きつく。現在でも詩人の恋のCDの中で一際高く聳え立つ名盤といえる。(蔵 志津久)
http://www.hi-ho.ne.jp/shitami/windex.html
リート集:ベートーベン=君を愛す/シューベルト=野ばら/シューマン=献呈/メンデルスゾーン=歌の翼他
演奏:バリトン=ヘルマン・プライ/ピアノ=レナード・ホカソン
CD:DENON 33CO 1254
ヘルマン・プライほど親しみ深い歌声を聴かせてくれるバリトン歌手はいないであろう。多くの名バリトンの歌声は威厳に満ち、一種近づきがたい印象を持つ。ところがヘルマン・プライは言うまでもなく名バリトンに違いないのであるが、歌い手と聴衆の間の距離が非常に近い、つまり親しみがわく関係を作り出す。このCDの最初がベートーベンの「君を愛す」である。あたかも隣にベートーベンが座って口ずさんでるような錯覚に陥る。この歌声を聴いただけで、いつものベートーベンの印象ががらりと変わるほどだ。リートはオペラと違い、ヘルマン・プライのような親しみやすさが何より大切なことである、と思う。録音も秀逸。(蔵 志津久)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4
演奏:バリトン=ヘルマン・プライ/ピアノ=レナード・ホカソン
CD:DENON 33CO 1254
ヘルマン・プライほど親しみ深い歌声を聴かせてくれるバリトン歌手はいないであろう。多くの名バリトンの歌声は威厳に満ち、一種近づきがたい印象を持つ。ところがヘルマン・プライは言うまでもなく名バリトンに違いないのであるが、歌い手と聴衆の間の距離が非常に近い、つまり親しみがわく関係を作り出す。このCDの最初がベートーベンの「君を愛す」である。あたかも隣にベートーベンが座って口ずさんでるような錯覚に陥る。この歌声を聴いただけで、いつものベートーベンの印象ががらりと変わるほどだ。リートはオペラと違い、ヘルマン・プライのような親しみやすさが何より大切なことである、と思う。録音も秀逸。(蔵 志津久)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4
シューベルト、シューマン歌曲集
バリトン:ハンス・ホッター
ピアノ:ハンス・アルトマン
CD:オーストリアKOCH-DIGITALDISK 93145
ハンス・ホッターのバリトンとしての歌唱を聴くと、包容力に富んだ何か大きな精神世界にまどろんでいる心地良さを感じる。そして、ハンス・ホッターの歌の世界で欠かせないのが、スピーカーの前に広がる空間の存在だ。空間そのものがその存在意義を主張しているような気がしてくる。これが他の歌い手だと声そのものが直接聴き手に届く。ところがハンス・ホッターの歌は、一旦空間に広がり、その空間を通して聴き手の耳に聴こえて来るといった感じなのだ。これは単に歌が上手いとか、音質が優れているといった次元の話ではなく、音場そのものを深みのあるものへと変えてしまうような魔力を秘めている。そして一度でもその魔力に接した者なら、二度と離れられなくなる。(蔵 志津久)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC
バリトン:ハンス・ホッター
ピアノ:ハンス・アルトマン
CD:オーストリアKOCH-DIGITALDISK 93145
ハンス・ホッターのバリトンとしての歌唱を聴くと、包容力に富んだ何か大きな精神世界にまどろんでいる心地良さを感じる。そして、ハンス・ホッターの歌の世界で欠かせないのが、スピーカーの前に広がる空間の存在だ。空間そのものがその存在意義を主張しているような気がしてくる。これが他の歌い手だと声そのものが直接聴き手に届く。ところがハンス・ホッターの歌は、一旦空間に広がり、その空間を通して聴き手の耳に聴こえて来るといった感じなのだ。これは単に歌が上手いとか、音質が優れているといった次元の話ではなく、音場そのものを深みのあるものへと変えてしまうような魔力を秘めている。そして一度でもその魔力に接した者なら、二度と離れられなくなる。(蔵 志津久)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC
シューマン:歌曲集「詩人の恋」
バリトン:ジェラール・スーゼー
CD:英DECCA 440 065-2
ジェラール・スーゼーの“詩人の恋”は何時聴いても青春の雰囲気が舞い戻ってきて、何か日頃の俗世間の雑踏から離れ、別世界に一歩踏み込んだ気がしてくる。スーゼーはフランス人でフランス歌曲も多く録音しているのだが、ドイツロマン派の巨匠シューマンの歌曲「詩人の恋」を歌わしたら彼の右にでる者はそう多くはない。幾多の名盤がある“詩人の恋”だが、私はこのスーゼー盤が一番好きだし、私にとっては青春の思い出がぎゅっと詰まった宝物的存在だ。スーゼーは声質自体がビロードのように滑らかで、聴いていて耳に心地よいものを有しているのが何といっても大きな持ち味だ。ダルトン・ボールドインのピアノ伴奏とも絶妙なコンビとなっていて、一層完成度の高い録音に仕上がっている。終曲の後のピアノソロの部分を聴いただけでも“詩人の恋”の雰囲気が一気に聴く者に伝わってくる。
(蔵 志津久)
http://franzpeter.cocolog-nifty.com/taubenpost/cat5074701/index.html
http://www.mypress.jp/v2_writers/parisien/story/?story_id=605611
バリトン:ジェラール・スーゼー
CD:英DECCA 440 065-2
ジェラール・スーゼーの“詩人の恋”は何時聴いても青春の雰囲気が舞い戻ってきて、何か日頃の俗世間の雑踏から離れ、別世界に一歩踏み込んだ気がしてくる。スーゼーはフランス人でフランス歌曲も多く録音しているのだが、ドイツロマン派の巨匠シューマンの歌曲「詩人の恋」を歌わしたら彼の右にでる者はそう多くはない。幾多の名盤がある“詩人の恋”だが、私はこのスーゼー盤が一番好きだし、私にとっては青春の思い出がぎゅっと詰まった宝物的存在だ。スーゼーは声質自体がビロードのように滑らかで、聴いていて耳に心地よいものを有しているのが何といっても大きな持ち味だ。ダルトン・ボールドインのピアノ伴奏とも絶妙なコンビとなっていて、一層完成度の高い録音に仕上がっている。終曲の後のピアノソロの部分を聴いただけでも“詩人の恋”の雰囲気が一気に聴く者に伝わってくる。
(蔵 志津久)
http://franzpeter.cocolog-nifty.com/taubenpost/cat5074701/index.html
http://www.mypress.jp/v2_writers/parisien/story/?story_id=605611