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「気まま時代」          (1938年 アメリカ映画)

2021年12月15日 | 映画の感想・批評
 フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの共演第8作。大恐慌下のアメリカ人に夢と希望を与え、RKOに莫大な利益をもたらした2人のミュージカル映画は前作「躍らん哉」(37)あたりから興行収入に陰りが見え始め、両人の希望もあり一時的にコンビを解消する。アステアは単独で主演し、ロジャースはミュージカル以外の映画に活路を見いだそうとした。アステアの新しい相手役はダンス経験がほとんどなかったため、興行的にはあまり成功せず、RKOはロジャースとのコンビを再結成して本作「気まま時代」(38)を制作する。巨匠アーヴィング・バーリンが歌曲を担当したが興行成績が芳しくなく、2人の決別は決定的となった・・・というのが映画史家の見方であるが、筆者には本作の脚本は過去の共演7作のどれよりもすぐれているように思える。これまでのアステアとロジャースの映画はどちらかというと歌とダンスを披露することを最優先し、ストーリーは単調でご都合主義的なものが多かった(ミュージカルとは往々にしてそういうものであるが・・・)。ところがこの作品は人物造形やストーリー展開が巧みで、ミュージカルというよりも30年代に流行したスクリューボール・コメデイに近い。
 ちなみに興行収入に陰りが見え、2人が一時的にコンビを解消するきっかけとなったと言われている共演7作目の「躍らん哉」(37)も、脚本は全盛期の「トップハット」(35)「有頂天時代」(36)よりも秀でていると筆者は思っている。ミュージカルの評価は必ずしもストーリーの完成度とは一致しないようだ。
 本作でも歌とダンスのシーンは相変わらず素晴らしいのだが、ミュージカルナンバーは4曲しか入っておらず、上映時間も83分と短く、パフォーマンス・シーンをコンパクトに凝縮した印象がある。それでもアステアがゴルフボールを打ちながら踊るコミカルなダンス、2人が夢の中で踊るロマンチックなダンス、テーブル越えのアクロバチックなダンス、催眠術をかけられたロジャースのエレガントなダンスetc.・・・見どころは満載である。

 精神科医のトニー(アステア)は友人のスティ―ブから婚約者のアマンダ(ロジャース)の診察を頼まれる。ラジオ番組の歌手であるアマンダはスティ―ブから何度もプロポーズを受けているが、どうしても決断ができない。トニーはアマンダの潜在意識をさぐるために夢判断を試みるが、アマンダは本当のことを話さない。実はアマンダは主治医であるトニーを好きになってしまい、夢の中でトニーとキスしたことを言えないでいる。でたらめな夢の内容を告げると、トニーは深刻な精神病であると勘違いしてしまい、麻酔をかけて潜在意識を解明しようとする。事情を知らないスティ―ブはアマンダを病院から連れ出してしまうが、麻酔がかかったままのアマンダはガラスを割ったり、警官を蹴っ飛ばしたり、ラジオ番組でスポンサーの商品をけなしたり・・・とやりたい放題のハチャメチャぶり。
 翌日、落ち着いたアマンダはトニーへの愛を告白するが、トニーは主治医への信頼を愛と勘違いしていると冷たく突き放す。そしてアマンダに催眠術をかけて「私(アマンダ)はスティ―ブを愛している。トニーはひどい人。犬のように射殺されればいい・・・」と潜在意識に刷り込んでしまう。「トニーは私(アマンダ)を愛していない」と吹き込んだ時に、トニーははたと立ち止まり鏡の中の自分と対話する。トニーの潜在意識はトニーにアマンダを愛していることを気づかせる。アマンダは催眠術をかけられたまま診察室から逃げ出してしまい、今度はライフル銃をもってトニーを追い回すのだが・・・

 アステアはこれまでの作品ではそそっかしくて惚れっぽく、ロジャースを追いかけまわす調子のよい男の役が多かったが、今回は仕事一途で女心のわからない堅物の精神科医を演じている。それに対してロジャースはいつもの自立した意志の強い女性と違って、優柔不断で壊れやすい患者の役でアステアに一途な愛を告白する。2人の役柄が入れ替わったかのような感があるが、堅物の精神科医がアマンダへの恋心に気づくところは、この作品のハイライトであり分岐点でもある。これを機に事態はドタバタを交えながら、ラスト・ミニッツ・レスキューに向かって一気に進んでいく。
 興味深いのはフロイトの精神分析がストーリーの底流をなしていることだ。ヒッチコックの「白い恐怖」(45)や「マーニー」(64)、増村保造の「音楽」(72)では精神分析を使ってミステリーの謎解きをしているが、本作は精神分析を揶揄しているようなところがあり、夢判断や潜在意識、催眠術がドタバタ喜劇のネタになっている。アマンダに本当に精神分析が必要であったかどうかも疑問だ。いずれにしても精神分析はエンターテインメント映画との親和性が強いようで、心を病んだ主人公は不安定で危うく、ミステリアスな魅力がある。
 本作はまたアステアとロジャースが初めてキスした映画として知られていて、” I Used to Be Color Blind ”に合わせて踊るダンスの最後でアステアはのけぞるロジャースの体を抱きかかえたままキスをする。このダンスシーンはスローモーション(4倍速の高速度撮影)で撮られているので、唇が触れる程度のものが長いキスになっている。長いと言っても数秒ぐらいで、引きのショットなので表情はわからない。濃厚なキスとはとても言えないのだが、このシーンは2人が初めてキスしたシーンとしてすっかり有名になってしまった。アステアは何故か相手役の女優にキスすることを頑なに拒否していて、アステアとロジャースは本作以前に7作のミュージカル映画にカップル役で出演しているのに、一度もラブシーンがない。当時始まったヘイズコード(映画界の自主規制)のためではなく、あくまでもアステアの意向からである。アステアの妻が共演女優との抱擁シーンをとても嫌がったからだと言われているが、アステア自身はこの噂を強く否定している。本当のところはわからない。ただアステアとロジャースの映画はラブシーンがなくても恋愛映画として何の遜色もない。なぜならダンスを通して2人は愛し合っているからだ。ダンスそのものが愛情表現なのだ。感傷的で月並みなラブシーンは傑出したダンサーには不要だ。(KOICHI)

原題:Carefree
監督:マーク・サンドリッチ
脚本:アラン・スコット アーネスト・パガノ
撮影: ロバート・デ・グラッセ
出演: フレッド・アステア ジンジャー・ロジャース  ラルフ・ベラミー