シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「シェイクスピアの庭」(2018年、イギリス)

2020年04月01日 | 映画の感想、批評
新型コロナウィルス感染予防策を十分に身に着けたうえで、それでもいささかおっかなびっくりで京都シネマへ。この作品への期待度はマックス、小さなホールで満杯だったら、それはそれで嬉しい。でも・・・・このご時世、感染したらシャレにならない!どこまでも自己責任を自覚しながら。なんとも罪作りな新型コロナウィルスである。
作品中の言葉でも語られるが、「疫病は短剣のひと刺しではない、草刈り鎌で薙ぎ払われる如く 数多の死がもたらされるのだ」というセリフは、時代を超えて今に語り掛けてくる。

シェイクスピアが生きた時代も数々の伝染病で劇場は封鎖され、都市の機能は奪われ、そして何よりも多くの命が奪われた。あれから400年。現代の世界は・・・・・


グローブ座の火事を機に、断筆したシェイクスピア(ケネス・ブラナー演)は故郷に20年ぶりに帰って来るが、家族は「あなたは客人、だから最高のベッドでお休みを」と、冷たい対応。400年前も現代の単身赴任のお父さんも変わらないか!妻の側に立てばむべなるかな。「どれほどの名声と富を上げたか知らないが、20年も音沙汰なしでは。」しかも、華麗なる愛の言葉のソネットのモデルであったサウサンプトン卿の訪問を一緒に喜べったって!
文盲の妻は「その陰で私はどれほどつらい思いをしていたと思っているの!」
8歳上の妻アン・ハサウェイ(ジュディ・デンチ演)の恨み節は、思わず「よう言うた!」

サウサンプトン卿(イアン・マッケラン演)とのやり取りも深みがある。たった二人で対峙する意味深なシーンに、ソネット集を読んでいない私でもぞくぞくする。

一貫して、あの時代を彷彿とさせる、室内の暗さ、ろうそくの明かりだけが頼りの、「あなたは今どこにいるの?」と目を凝らしてしまうが、その緊張感も、新鮮。時代の重さを感じさせる。

シェイクスピア家はカトリック、いろいろ宗教がらみの対立も複雑だし、資産を作った義父の遺産の行方も気になる娘婿の清教徒の割には俗っぽさもあって面白い。相続できるのは男子のみ。遺産相続のためには男の子を生まなければならない、当時の相続制度の壁。
長女は文字が読み書きできる。だからなのか、父を客観視でき、寄り添う力があり、家族の気持ちを代弁もできる。そして父はこの長女をスキャンダルから見事に守ってみせる。
しかし、家に残っている次女と妻は文字が書けない、読めない。その苛立ちは胸に迫る。
とくにまだ独身の次女には、屈折した感情が渦巻いている。早世した双子の兄を愛してやまなかった父に、「かわりに私が死ねば良かったと思っているでしょ!」
11歳で疫病で死んだ息子ハムネットはすばらしい詩を書いていたという。
しかし、息子の死の真相と、詩を書いたのは本当は誰なのか。

「私の死後、妻には2番目に良いベッドを!」という遺言は、夫婦仲の悪さの証拠として有名な語り草だったが、どうやら真相は違うらしい。実は愛の証なのだと。
今作品では、父が息子の死の真相を突き止め、語り合う中で家族の再生が図られる、愛と希望にあふれた結末であった。その過程で、真相がわかってもなお、アンの「息子は疫病で死んだ!」は、全てをのみ込み、娘を守ろうとする母の愛の強さ。名優ジュディ・デンチに泣かされた。

シエイクスピアが「世の中の総てを知り尽くした特別な人」と外から言われても、生身の悩めるお父さんであったし、夫であったし、彼の残した作品ともどもに、どの時代にも通じる普遍性のある人間物語として、監督は描きたかったし、描き切っている。
シェイクスピアに精通し、時代背景を様々に置き換えて表現してきた監督ならではの、シェイクスピア愛に溢れた作品として、ケネス・ブラナーの代表作になった。私自身、監督のファンだし、読みつくしたとはおくびにも言えない似非シェイクスピア・マニアだが、本作は十分に堪能させてもらった。人間シエイクスピアがますます好きになった。
音楽を担当したパトリック・ドイルは監督の盟友ともいえる存在。エンドロールの楽曲が心地よい。歌詞の日本語訳がなかったのが哀しいが、ドイルの娘さんが歌っているとのこと。全編通じての音楽も素晴らしかったので、DVDの発売を早くも心待ちにしている。

マイナー作品故、ただでさえ少ない上映館と上映日数。新型コロナウィルス感染予防で映画館も厳しくなっている。奇跡的に見ることが出来た事にも感謝している。感染症にかからないためには、心にたっぷりと栄養をあたえて心身ともに免疫力を高めることに尽きる!と思っている。その意味でも、私は自信があるわ!笑
(アロママ)

原題:ALL IS TRUE
監督:ケネス・ブラナー
脚本:ベン・エルトン
撮影:ザック・ニコルソン
出演:ケネス・ブラナー、ジュディ・デンチ、イアン・マッケラン、キャスリン・ワイルダー、リディア・ウィルソン




「ジュディ 虹の彼方に」(2019年 イギリス=アメリカ)

2020年03月25日 | 映画の感想、批評
 20世紀を代表するアメリカの女性エンターティナー、ジュディ・ガーランドの晩年を描いた佳作である。この映画でタイトル・ロールを演じたゼルウィガーがアカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得したことは記憶に新しい。
 ジュディといえば往年の映画ファンには「オズの魔法使」(1939年)のドロシー役だが、アメリカでは国民的名画となっているから常時TV放映されていて老若男女を問わず人口に膾炙した名作だ。ヴィクター・フレミングはもう一本の国民的名画「風と共に去りぬ」(39年)があり、この二作で映画史に名を留める功績を残した。
 MGMの辣腕経営者ルイス・B・メイヤーは、今なら児童虐待に問われるほど寝る間も食事もろくに与えず、少女スターのジュディを徹底的にこき使った。貪欲そうなステージママがついているからジュディには逃げ場がなかったのだろう。彼女の実父はヴォードヴィリアンだったらしいが、その影は薄い。しかし、彼女の才能は明らかに父のDNAだと思う。メイヤーが彼女の父親を「同性愛者」となじる場面がある。ジュディはエリザベス・テーラーと並んで性的少数者を擁護したことで有名だが、父親っ子だった可能性を匂わせる。映画の後半、ロンドン公演のときに同性カップルに寄り添う姿が描かれているのもそうした背景がある。
 冒頭でホテルを追い払われた失意のジュディが長女ライザ・ミネリを頼って、あるパーティに姿を現すと、手持無沙汰のジュディに若い男(のちに5番目の夫となる)が声をかける。「世界一のエンターティナーがグラスも持たずにいるのを放っておけない」と。彼女がジョークで返す、「え?シナトラが来ているの?」と。男は「いや、あなたはシナトラ以上だ」と微笑む。たしかに、シナトラより上手いかもしれない。
 普通の女の子ではない超繁忙な少女時代を過ごし、MGM青春ミュージカルの盟友ともいえる少年スター、ミッキー・ルーニーに対する淡い恋心と失恋もあって、そうした諸々が彼女の精神を蝕み神経をずたずたにして不眠症、不安神経症を悪化させたのだ。3番目の夫が製作した「スタア誕生」(54年)でも、ジュディは現場でトラブって鼻つまみだったらしい。私生活は乱れ、五度にわたって結婚と離婚を繰り返し、何度も舞台に穴をあけた挙句、遅刻しては観客と口論になるという失態を演じた。もはや映画、TV、興行界から見放された。
 アメリカに残した幼いふたりの子ども(3番目の夫と親権を争った)と、普通の親子として一緒に暮らすことをひたすら願い、経済的自立のために決断したロンドン公演でも前述のような醜態を重ね、契約を打ち切られる。不世出の歌手はこうして帰米せぬまま、1969年6月、47歳の若さで客死したのである。(健)

原題:Judy
監督:ルパート・グールド
脚本:トム・エッジ
原作:ピーター・クィルター
撮影:オーレ・ブラット・バークランド
出演:レネイ・ゼルウィガー、ジェシー・バックリー、マイケル・ガンボン、フィン・ウィットロック、ルーファス・シーウェル

「リチャード・ジュエル」(2019年 アメリカ映画)

2020年03月18日 | 映画の感想、批評


 1996年7月27日、実在の警備員リチャード・ジュエルはアトランタ・オリンピックの会場近くの公園で爆発物を発見し、多くの人の命を救った。マスメディアはリチャードを英雄と称賛したが、数日後、地元紙はFBIが爆発物の第一発見者であるリチャードを犯人ではないかと疑っていると報じる。ここからマスメディアの過剰報道とFBIの常軌を逸した捜査が始まる。本来、権力に批判的であるべきマスメディアがFBIの片棒を担ぎ、冤罪を生み出しているという皮肉。地元紙の女性記者が色仕掛けでFBIの捜査官から情報を聞き出すシーンがあるが、イーストウッドのマスメディアに対する不信感が表れている。
 リチャードは弁護士のワトソン・ブライアントと共に無実の罪を晴らす闘いに挑んでいく。とは言っても犯人探しの謎解きやサスペンスがあるわけではない。爆破事件まではスリリングな展開が続くが、後半はFBIとマスメディアに翻弄されるリチャードと母親の苦悩と彼らを守ろうとするワトソンの姿が描かれている。ワトソンはリチャードにFBIとの交渉戦術については教えるが、自ら爆破事件の新犯人を捜すわけではない。アクションも控えめである。
 リチャードはFBIや警察という体制側の人間に無邪気な憧れを抱いていて、拳銃を集めたり、警察官の制服姿で得意げに写真に写ったり英雄願望を持っている。FBIはリチャードの性格をよく見抜いていて、有利な供述を得るために、巧みに捜査協力を依頼する。ワトソンは能天気なリチャードが余計なことを話さないか気が気ではない。「わからないことを、わかったふりをしてしゃべってはいけない」と口を酸っぱくして忠告しているのだが、リチャードは自分は体制側の人間と思っているのか、FBIに協力的で自分に不利なことまでしゃべってしまう。ワトソンのイライラは募るばかり。この二人の関係がまるで漫才のボケとツッコミのようでおかしい。バディ・ムービーの面白さがある。
 ラスト近くのFBIの事情聴取でも、ワトソンの忠告にもかかわらず、リチャードはペラペラしゃべりだす。ワトソンは頭を抱えてしまうのだが、リチャードは最後に「自分が犯人であるという証拠を出せ。家宅捜査をして爆弾の部品でも見つかったのか」とFBIに迫る。FBIは反論できず、その後しばらくしてリチャードへの捜査は打ち切りになる。主人公の天然キャラが結果的に功を奏するところは「運び屋」にも通ずるものがある。単純で情熱的で、正直で作為なく生きている人間への共感。イーストウッドが描きたかったのはミステリーやサスペンスではなく、リチャードの人間性ではないだろうか。マニアックで英雄願望があるけれど、家族を大切にし、純粋な愛国心をもっている男・・・イーストウッドの愛するキャラクターがここにある。(KOICHI)

原題:Richard Jewell
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ビリー・レイ
撮影:イヴ・べランジェ
出演:ポール・ウォルター・ハウザー  サム・ロックウェル  キャシー・ベイツ

「ラストレター」(2020年日本映画)

2020年03月11日 | 映画の感想、批評
 裕里(松たか子)の姉が亡くなった。その姉宛てに届いた同窓会に、姉が亡くなったことを伝えに行った裕里が姉に間違われ、言い出せないまま(そんなことあるか?とも思ったが)に、初恋の人と再会し、手紙でのやり取りが始まるところから映画が始まる。その手紙がひょんなことから、行き違いになり、出会う筈が無かった人々を繋げていく物語である。
 SNSが浸透し、手紙を書くこと自体が少なくなり(というか「私は無い・・・」)、企業間では年賀状を廃止するケースも出てきた時代に、本作品では、手紙(しかもラブレダー)が、時間を超えて、世代を超えて、繋がる。面と向かっては言えないこと、その時には言えなかったことを、手紙に綴る。あの時はそう想っていたのか。今もそう想っているのか。映画ならではの時間軸を自由に行き来して、「人」を照らし出していく。同じ時間を生きてきて、これ程、違う人生になっていくのか。手紙をきっかけとして、その人その人が生きてきた時間を包み込む「懐」のようなものを感じた。広瀬すずと森七菜は、一人二役となっているが、広瀬すずに至っては、一人三役(?)とも取れる幅の広さだった。雑誌で読んだが、監督は、劇中に出てくる『美咲』という小説も、映画の中では、その中身までは披露されないが、実際に書いて撮影に入ったとのこと。監督の作品に込める意気込みとストーリーの奥深さを感じた。
 広瀬すず演じる鮎美の妹役の森七菜に出会えたのは嬉しかった。「天気の子」の声優だそうだが、本作品の撮影時はほとんど無名で、オーディションで選ばれたとのこと。回想シーンの神木隆之介との告白シーンの表情は特に素晴らしかった。叶わない恋心とは分かってはいるものの、気持ちを吐き出さないと自分が潰れてしまう青春時代の切ない感情を表現していた。次回作にも期待したい。また、主題歌を彼女が歌っている。どこかで聞いたことあるなと思わせる懐かしい曲調で、本作品のイメージそのままであった。
 最後に、岩井俊二作品は、前作の「リップヴァンウィンクルの花嫁」に続いて2本しか観ておらず、熱狂的な岩井俊二ファンが多い中、この作品を取り上げることにどこか恐縮しながら、書いた。ファンとしては、豊川悦司と中山美穂の絡みを取り上げるだろうが、私は違う角度で書いてみた。もちろん、二人共、圧巻の演技で、短いながらも存在感たっぷりだった。
(kenya)

監督・脚本・編集:岩井俊二
原作:岩井俊二
撮影:神戸千木
出演:松たか子、広瀬すず、鹿野秀明、森七菜、小室等、水越けいこ、木内みどり、鈴木慶一、豊川悦司、中山美穂、神木隆之介、福山雅治他

「名もなき生涯」(2019年 アメリカ、ドイツ)

2020年03月04日 | 映画の感想、批評
 第二次世界大戦時ドイツに併合されていたオーストリアで、ヒトラーへの忠誠と兵役を拒否して死刑になった一人の農夫がいた。フランツ・イェーガーシュテッターという実在の人物の生涯を「シン・レッド・ライン」「ツリー・オブ・ライフ」のテレンス・マリック監督が描いた。

 フランツは愛する妻ファニと娘たち、母とファニの姉レジーとともに、山と谷に囲まれたオーストリアの小さな村で、農夫として暮らしていた。第一次世界大戦で父を失くしていたフランツは、1938年オーストリアがドイツに併合され、のどかだった村にも戦争の足音が聞こえてくるが、「罪なき人を殺せない。悪しき指導者には従えない」と兵役を拒否し続ける。しかしついに1943年召集令状が届き、エンス基地に出頭するが、ヒトラーと第三帝国への忠誠宣誓拒否を表明して逮捕された。

 ナチス・ドイツに飲み込まれてしまったオーストリア。フランツが暮らす小さな村でも無批判にナチスに傾倒し、兵役を拒否する彼に「裏切り者」「村に対して罪を犯している」などと敵意をむき出しにする村人が増えてくる。強硬ではないが「家族の安全を考えろ」「家族のために戦争に行くべきだ」と彼を説得しようとする隣人もいた。それでもフランツは自分の信念を曲げてヒトラーに加担することは出来なかった。敬虔なカトリック信者として神の前で正しくないことは出来なかった。

 父が戦死して残された母親の苦労を村の誰よりも知るフランツは、もし自分が死刑になったら残されたファニと3人の娘たちがどのような窮地に陥るのか想像に難くない。まして自分は戦死した父親と違って、国家に対する反逆者として死んでいくのだ。それでもフランツは自分の命を犠牲にしても、信念を貫くことを選んだのだ。

 果たして人はここまで強く信念を貫くことができるのだろうか、自分の命を犠牲にしてまで…。相手が強大であればあるほど抵抗する勇気を奮い起こすことは困難ではないだろうか。フランツは「もうすぐ戦争は終わるのだから、表面的に誓えばいい」というような決意を翻させようとする誘いを何度も囁かれるが、断固としてしりぞけ続ける。自分もフランツのように思考し行動できるだろうか。間違ったことにはっきりとNOと言えるだろうか。本当はNOと言いたいけれどなかなか言えない人たちと声を合わせることが大事なのではないだろうか。観るものに生き方を問いかける映画だ。(久)

原題:A HIDDEN LIFE
監督:テレンス・マリック
脚本:テレンス・マリック
撮影:イェルク・ヴィトマー
出演:アウグスト・ディール、ヴァレリー・パフナー、マリア・シモントビアス・モレッティ、ブルーノ・ガンツ、マティアス・スーナールツ、カリン・ノイハウザー、ウルリッヒ・マテス

「スキャンダル」(2019年 アメリカ、カナダ)

2020年02月26日 | 映画の感想、批評
つい数年前に起こったアメリカのケーブル局FOXテレビでのセクハラ騒動。
実在の人物を本名で描き、ところどころフィクションも混ぜての、アメリカならでは告発映画。それも娯楽作品に仕上げてしまうという、日本では「ありえん!」
なので、ネタバレも含めての執筆をお許しください。
結論は既に承知の話し。とはいえ、こういう事件があったことはうっすら記憶にあった程度である。昨今のハリウッド女優たちを先頭に巻き起こった#Mee Too の動きが表面化するよりも以前に、企画も持ち上がって準備をされていたというから、それも凄い話。告発されたCEOがすでに故人になっていること、告発した女性キャスターは20億円を超える示談金を受け取る代わりに、事件について執筆も許されない守秘義務を負っていることも有名な話らしい。
実在のメーガン・ケリー(シャーロン・ステート演)の印象に近づけるべく、特殊メイクを施したカズ・ヒロ(辻一弘)が2度目のオスカー受賞でも話題になった。しかし、肝心のメーガンも告発したカールソンも観たことがない日本人の私にとっては、「まあ、きれいな女優さん!」なのだが。そこはカズ・ヒロさんにちょっと申し訳ない気もしつつ。

メインキャスターを降ろされ、すっぴんでテレビに出て反感も買いつつ、淡々とセクハラ告発を準備するグレッチェン・カールソン(ニコール・キッドマン演)。彼女の勇気と覚悟には敬意を表したい。
キッドマン、昨年も『ある少年の告白』の母親役には感銘を受けたが、年々、深みが増して、ますます好きな女優さんになってきた。初めて彼女をスクリーンで見たのは『プラクティカル・マジック』」だったかと。『めぐり合う時間たち』の演技には圧倒された。『グレース オブ モナコ』の王妃も重みがあった。声がかわいらしすぎるのが難か?笑
強さだけでない、告発した後の苦悩、特に孤独を悟って静かに涙するところは胸が痛かった。子どもたちに「ママ!」と声をかけられ我に返る。その表情の変化がキッドマンは上手い!

主役のシャーリーズ・セロンについてはほとんど観たことが無かった。なので、どこまでがメイクで、どこがこの人の本来の顔なのかは不明だけれど、一言!「かっこいい!」何より、この作品の制作者の一人だというところにも拍手!
トランプ大統領(当時は候補者)とのやり取りも爽快。ただ、アメリカのマスコミや政治事情、特にFOXが共和党支持というあたりをきちんと押さえられていなかったので、前半のキャスターとしての彼女の主張と局内での立ち位置が私にはわかりにくかった。男性キャスターの中にもセクハラ親父がいたというのだが。顔の識別ができない。協力してくれる夫と局内の男性陣とが見分けられず。うう、悔しい。
その分、CEOロジャー役のジョン・リスゴーの憎々しさ、嫌らしさが際立って、いかにもなエロ親父を演じきっていた。メイクの成果も大きいらしいが、私はリスゴーも過去作を知らないまま。
カールソンの告発後、野心に溢れたメーガンがどう立ち上がるのか、一緒に動くべきか逡巡する姿こそがこの作品のメイン。じわじわと広がる社内の人間関係の変化、波を起こす。女性の敵は女性でもある。ロジャーの妻や初老の女性秘書も本当は同じ被害者の立場のはず。

もう一人の若きキャスター、ケイラ(マーゴット・ロビー演)。彼女は架空の女性だが、登場シーンは本当に痛々しい。特に、女友達に「誰にも言えなかった」と涙ながらに告白するシーンにはこちらも泣けてきた。マーゴット・ロビーの前作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」での無邪気なシャロン・ステートが思い出されて、これからも期待できる若手女優さんの一人になってきた。次回作が楽しみ。な、だけに本作のケイラ役の熱演は胸が痛かった。

ずしんと来る作品。
娘世代の勇敢さに拍手を送る。と同時に、裏返せば我々やその上の世代からずっと女性たちがあいまいにしてきた、見過ごして知らん顔してきた、そのツケを娘世代がようやく返そうとしていることに、親世代が突き付けられているとも思う。
セクハラを受けた女性たちの心の傷を思うと胸が痛い。声を上げたところで、更に傷つけられる、今の世の中。アメリカに限らない、日本でも同じ。
幸いにも私は厳しい社会で仕事をしたこともないし、ぬくぬくと守られて生きて来たが、辛い体験をしてきた人たちが昔も今もいることは紛れもない事実。
どうか、こういう映画を作る必要のない世の中に早くなってもらいたい。
当事者がこれ以上傷つけられることのないよう、法的にも社会的にも守られる世になってもらいたい。
女性のみならず、男性の皆さんもしっかり見てもらいたい。
(アロママ)

原題:BOMBSHELL
監督:ジェイ・ローチ
脚本:チャールズ・ランドルフ
出演:シャーリーズ・セロン、ニコール・キッドマン、マーゴット・ロビー、ジョン・リスゴー

「1917 命をかけた伝令」 (2019年 イギリス・アメリカ映画)

2020年02月19日 | 映画の感想、批評


 本年度のアカデミー賞、作品賞は惜しくも「パラサイト」にさらわれたが、見事3部門(撮影賞、録音賞、視覚効果賞)を受賞した話題作。そのどれもが納得と思える究極の完成度だ。「アメリカン・ビューティ」で鮮烈な映画監督デビューを果たしたサム・メンデスが、実際に第一次世界大戦に従軍していた祖父から聞いた体験談をもとに、初めて脚本も手がけた渾身の一作。その最大の見どころは、見る者が戦場の最前線を主人公の兵士とともに走り抜けるという感覚を持てるように、最初から最後まで一つにつながって見えるという驚異の映像体験だ。
 物語は極めてシンプル。ドイツ軍の策略により全滅の危機にさらされた友軍1600人の命を救うために、伝令のミッションを与えられた二人の若き英国兵士が、危険な罠や敵の残留兵が潜む大地をひたすら突き進んでいくというもの。その姿を360度のカメラワークを駆使し、全編ワンカットで映し出すというのだから、その緊迫感や臨場感は並大抵ではない。兵士たちの不安や息づかいまでがまるで自分のことのように感じられ、滝から飛び降りるところや飛行機の墜落シーン、爆破された塹壕から抜け出すシーンなどでは思わず大声を出して叫んでしまいそうになる。
 いったいどうやって撮影したのだろうと思えるシーンをいっぱい提供してくれたのは、アカデミー賞に14回もノミネートされたという撮影監督ロジャー・ディーキンス。ワンカットの映像と言えば「カメラを止めるな」が話題になったが、今作とは次元が違う。カメ止めの揺れ動くカメラワークも楽しいのだが、デジタル処理がされているとはいえ、今作はカメラの動きやスピード、俳優の位置やセリフ、そして天候やセット等、すべての要素の詳細にまでこだわり、綿密に計算されてできあがった、完璧なワンカット映像なのだ。これは見事としか言いようがない。
 主人公の兵士二人を演じるのはジョージ・マッケイとディーン=チャールズ・チャップマンという注目の若手俳優たち。さらに二人を支えるかのようにコリン・ファースやベネディクト・カンバーバッチ等、イギリスを代表するスターたちが上官をかっこよく演じている。
 “美”にもこだわる舞台監督出身のサム・メンデス。「アメリカン・ビューティ」ではバスルームを薔薇の花でいっぱいにしたが、今回は戦場を桜(チェリー)で飾る。燃えさかる街の教会の炎や駆け抜ける地雷原の緑、そして忠実に再現された第一次世界大戦を戦った兵士たちの軍服姿や佇まい。こんなに美しい戦争映画を初めて見た。
(HIRO)

原題:1917
監督:サム・メンデス
脚本:サム・メンデス、クリスティ・ウィルソン=ケアンズ
撮影:ロジャー・ディーキンス
出演:ジョージ・マッケイ、ディーン=チャールズ・チャップマン、マーク・ストロング、アンドリュー・スコット、リチャード・マッデン、コリン・ファース、ベネディクト・カンバーバッチ

「ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密」(2019年アメリカ)

2020年02月12日 | 映画の感想、批評
 

 ある朝、一代で財をなしたアメリカのミステリ作家がお城のような屋敷で、コレクションのナイフを片手に首を切って死んでいるのが発見される。通報を受けた警察は当時屋敷にいた故人の親族から事情聴取を始める。前夜は故人の85歳の誕生パーティが開かれ、高齢の母親、長女夫婦と放蕩息子、次男夫婦と十代の息子、長男の未亡人と大学生の娘、訪問看護師、家政婦が一堂に会していた。匿名の調査依頼を受けた探偵が警察の協力要請もあって乗り込んでくる。自殺と見る警察に対して、探偵は莫大な相続財産をめぐって親族の誰かが殺したと踏んでいるのだ。事実、故人と残された親族の間には個々に確執が存在したのある。果たして自殺か他殺か。他殺であれば真犯人は誰か。
 ひとことでミステリといっても、松本清張やクロフツなどのリアリズム派から、クリスティやクイーンの謎解き(パズラー)派まで様々だ。そういう点でこの映画は後者、すなわち反リアリズムのお遊び的な要素が強いミステリとなっている。故人はゲームも手がけていたそうだから、ゲーム的な趣向を凝らしていると見るべきだ。そこを踏まえないで真面目に見てしまうと、突っ込みどころ満載で、面白さが半減してしまう。
 故人に可愛がられ信頼されていた南米からの移民の訪問看護師がキー・パーソンとなっているが、彼女には嘘をつくと嘔吐癖があるという設定があって、それを現実離れしていると見る人には、そもそもこの映画は不向きだろう。これはゲーム的なミステリの定石ともいえるある種のお約束ごとであり、この条件が物語を面白くし、盛り上げるのに貢献しているといってもよい。
 しかも、反移民的な思考や差別、偏見を正面から批判する姿勢は社会派の一面を覗かせる。明らかにトランプの移民政策を非難しているのである。
 この種の映画のお決まりどおり観客の期待を裏切らず、話は二転三転して一筋縄では解けないストーリー展開となっていて飽きさせない。登場人物たちの証言内容と対比させるように、本当は何が起こったかを観客だけに小出しに見せるという工夫も成功している。ダニエル・クレイグ扮する探偵がその名声とは裏腹に一族に振り回されて一向に真実に近づけぬ凡庸さをさらけ出し、観客を含めたみんなを油断させるのだが、終盤で一転鋭い推理を駆使して真相に迫る変貌ぶりが面白い。(健)

原題:Knives Out
監督・脚本:ライアン・ジョンソン
撮影:スティーヴ・イェドリン
出演:ダニエル・クレイグ、クリス・エヴァンス、アナ・デ・アルマス、ジェイミー・リー・カーチス、クリストファ・プラマ、マイケル・シャノン

「家族を想うとき」(2019年 イギリス フランス ベルギ―)

2020年02月05日 | 映画の感想、批評

 
リッキーは元建設労働者であったが、不況で仕事を失い、生活のためにゼロ時間契約の宅配ドライバーになった。ゼロ時間契約とは週当たりの労働時間が明記されず、労働者の権利が保障されていない不安定な雇用契約である。リッキーは1日14時間、週6日という過酷な労働を強いられていて、配達用の車も自分で用意しなければならない。そのため妻アビーの車を売ってしまい、アビーはバス通勤になってしまった。
 アビーは介護士として働いているため、二人の子供と向き合う時間がなかなかとれない。高校生の息子セブは傷害事件と万引事件を起こし、リッキーは反省の色のないセブを殴ってしまう。セブは怒って家を出ていき、両親は子供の非行が原因で喧嘩ばかりしている。小学生の娘のライザはバラバラになっていく家族を見るのが悲しくてしかたがない。そんな時、リッキーが暴漢に襲われるという事件が起きる・・・
 リッキーの働く宅配事業所の所長はマロニーという大男で、尊大な態度で、社員を厳しく管理している。周囲から「人でなし」と呼ばれても、業績を上げることに血眼になり、リッキーの家族を徹底的に追い込んでいく。この所長が敵役を実に憎々しげに演じていて見応えがある。前作の「わたしは、ダニエル・ブレイク」では明確な悪役がおらず、行政という見えにくい敵を相手に主人公が闘う姿が、どこか抵抗のための抵抗のように感じられた。「家族を想うとき」は不当な制度のもとで働く労働者の苦悩を、具体的な数字を盛り込んでリアルに描いている。
 暴漢に襲われた傷が癒えぬままリッキーは仕事に出ていこうとする。妻や喧嘩していた息子が必死で止めようとするが、リッキーは聞く耳を持たない。満身創痍になっても生活のために働かなければならない境遇は痛ましいが、私はそれほど悲劇性を感じなかった。父親のけがを契機に家族が一体となったからだ。この家族には乗り越えられない壁はないと思う。リッキーは前進する気持ちを失っていないし、家族は絆を取り戻してひとつになった。これほど心強いことはない。
 ケン・ローチは社会制度の批判に重きを置いているが、家族の崩壊を描こうとまではしていない。同じように格差社会に関心を抱く是枝裕和は、社会の不条理が家族関係を侵食していく様を描いている。是枝にとって最も重要なテーマは家族であり、ケン・ローチは社会問題にメスを入れることに第一義的な価値を置いている。
 原題の「Sorry We Missed You」は宅配ドライバーの不在者票に書かれた言葉で、「ご不在につき失礼します」というような意味。時間に追われているドライバーは不在の時が一番困る。ドライバーの苦労を象徴的に表している言葉だ。リッキーにはこれからも幾多の困難が待ち受けているが、ひとつひとつ乗り越えていくだろう。希望は失われていない。(KOICHI)

原題:Sorry We Missed You
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァ―ティ
撮影:ロビー・ライアン
出演:クリス・ヒッチェンズ  デビー・ハニーウッド リス・ストーン
ケイティ・プロクター

第三夫人と髪飾り(2018年ベトナム映画)

2020年01月29日 | 映画の感想、批評
 19世紀の北ベトナムが舞台。14歳の主人公メイが、絹業を営む裕福な家に、第三夫人として嫁いでくる処から物語が始まる。実話がベースである。ちらしには、監督のアッシュ・メイフェアは、『スパイク・リーが激賞し製作資金を援助した、「青いパパイヤの香り」「夏至」のトラン・アン・ユンが美術監修を手掛けるなど、巨匠たちも大きな期待を寄せる期待の新人監督』とある。こういった謳い文句には弱く、否応なしに期待が高まる。
 確かに、新人監督らしからぬ安定感を感じた。全編を通して、セリフが少ない。始まってから暫くは、山奥の神秘的なベトナムの風景の中をメイが嫁いでくるシーンで、人の動きと風景だけで、これから起きる人生の起伏など全く想像がつかないくらい雄大で、そして、静かである。映像美というのはこういうことを云うのだろうか。冒頭から映像に引き込まれる。カラフルだがシックな色合いのアオザイも美しい。
 1991製作のチャン・イーモウ監督「紅夢」の女性同士のドロドロしたストーリーをイメージしていたが、本作は、そういったものはなく、叙情的に「生」と「死」を生々しく形を変えて、繰り返し淡々と描いた映画だった。閉鎖的な狭い村社会が舞台なので、次々と起こる「生」と「死」が隣り合わせであることも生々しさを駆り立てる。飼っている牛が出産するが、生まれた子牛が病気なのか成長することなく安楽死させるシーン。生きた鶏の首にナイフを入れ、清血を出させるシーン。第一夫人の流産。長男に嫁いできた嫁の死。「死」の連続の中で、新たに誕生した第三夫人の子供。やっと、「生」の誕生と思われたが、その子供が泣き止まず、思わず、毒花に手を伸ばしてしまう主人公。でも、実際には口には持っていかない。
 冷淡に思えたりもするが、はっきりと「生」と「死」を区別させ、今、この瞬間の「生」を生きる者達(=自分も含む)に、現実を生きる辛さ、苦しさ、楽しさ、嬉しさ等々を感じることが出来る喜びを、言葉ではなく映像で表現している。
 全編を通して、ベテランの域に達するような作品だった。世界の映画祭で賞を獲得している。監督の次回作にも期待したい。
(kenya)

原題:「The Third Wife」
監督・脚本:アッシュ・メイフェア
撮影:チャナーナン・チョートルンロート
出演:グエン・フォン・チャー・ミー、トラン・ヌー・イエン・ケー、マイ・トゥー・フォン他