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ぜひ復活を!~豊ノ島関~

2018-01-29 21:44:51 | 人生

大相撲初場所は苦難を乗り越えた栃ノ心の優勝が話題となっていますが、自分が応援している豊ノ島の復活を期待しています。関脇まで務めたのですがアキレス腱断裂の大けがで苦しんでいる力士です。ぜひ復活してもらって幕内の土俵で活躍する姿を見たいと思っています。頑張れ 豊ノ島関

初場所3敗4休の元関脇豊ノ島、現役続行を明言「関取復帰しないと引退できない」

1/29(月) 12:56配信・デイリースポーツ記事より

 初場所幕下五枚目で3敗4休だった元関脇豊ノ島(時津風)が29日、自身のインスタグラムを更新し、現役続行を明言した。2日目に左ふくらはぎを痛めて白星を挙げることができなかったが、娘らの励ましもあり、「もう一回上を目指します」と記した。

 インスタグラムには「がんばれ 豊ちゃん」と休場中に友人から贈られたデコレーションケーキの写真をアップ。「今場所はケガで3敗4休という結果になってしまいました。正直心は折れました。さすがにもう無理だ…」と文頭で無念さをにじませた。

 しかし、一方で夫人と娘からは「嫁と娘に絶対やめないでほしい!と言われました。嫁はケガなんだから!と…」と現役を続けるように励まされたことを明かした。

 豊ノ島自身も「正直今場所ケガしてなければ勝ち越せる自信もあった!」と関取復帰への手応えをつかんでいたという。

 同じようにケガを乗り越えた栃ノ心が初場所で初優勝を飾り、「そんな自分に勇気をあたえてくれたのは栃ノ心関!自分だけじゃない。ケガで悩んでる力士にはとても励みになる優勝だと思う!」と賛辞を贈った。

 その上で「もういいじゃないか?って思う人もいると思います。自分自身思ったくらいですし。でももう一回!もう一回上を目指します!正直関取復帰しないと引退できません!頑張ります!また温かい応援よろしくお願いします!」と、34歳のベテラン力士は前を向いた。


志を持つことの意義~夢の実現に向けて~

2018-01-03 21:35:36 | 人生

東京国際大・渡辺が30歳で初箱根「4年まで走る」

1/3(水) 17:34配信

日刊スポーツ

<第94回箱根駅伝>◇3日◇復路◇箱根-東京(5区間109・6キロ)

 東京国際大の30歳ルーキー渡辺和也(1年)が、7区7位で箱根デビューした。

 11年世界選手権5000メートル日本代表の実力者で日清グループに所属していたが、教員を目指すため17年に社会人から大学生に転身。右膝の故障を乗り越え、この日を迎えた。終始安定した走りも「力をためすぎてしまった」と持ち前のスピードは出しきれず、1時間5分20秒で区間7位。「まだまだ自分の力の半分も戻しきれていない。来年以降は区間賞を目指さないといけない」と課題は残ったが、「歴史ある箱根を走れて、すごく楽しかった」と喜びは大きかった。

 箱根駅伝の最年長出場記録は、39年に33歳131日で5区を走った中大の村社(むらこそ)講平とされており、4年次に走れば、33歳179日か180日となり、記録を更新する。渡辺は「もちろん4年まで走るつもりです」。まずはこの春から、全盛期のスピードを取り戻すことに注力し、36年ベルリン五輪5000メートル、1万メートル4位の陸上長距離界のレジェンド村社を超える。


新しい年2018年を迎えて

2018-01-01 21:18:50 | 人生

新しい年2018年(平成30年)のスタートです。少し風があったものの気持ちよい青空でよかったですね。

今年のモットーは【健康第一!】と【日々淡々と!】に決めました! 何をするにも心身共に元気でなければ取り組むことができません。そして無理をし過ぎるとオーバーヒートして挫折していまいます。そんな訳で、しっかりとペースを保って一日一日を大切に過ごしたいと思います


心穏やかに

2017-12-31 17:25:24 | 人生

平成29年、2017年もあと数時間で終わろうとしています。いろいろなことがあった一年でしたが、今日無事年越しができることにホッとしています。心穏やかに新年を迎えられそうです。皆さんよいお年をお迎えください。


2017年を振り返ってⅡ~自分の今年の漢字~

2017-12-30 16:56:32 | 人生

先日発表された今年の漢字は「北」。発表の後にも競馬の有馬記念で「キタサンブラック」が優勝し納得しましたよね。

そして自分の考えた今年の漢字はと言えば、「笑」です。通級指導で、日々の教育活動で、部活動の場で、そして私的な部分でも自分の周囲には自信を持って微笑むことができている人が増えてきていると実感しているからです。 これからも「笑」が絶えないことを願いたいですよね。


2017年を振り返って~マイ5大ニュース~

2017-12-29 21:37:38 | 人生

2017年も今日を入れて残り3日となりました。あっという間に一年が過ぎていったように感じます。

自分のこの一年を振り返ってみると次のような5つの出来事が印象に残っています。

①3月で定年となりましたが、再任用で引き続き教育の仕事に関われたこと。②中学校の通級指導が無事五周年を迎えられたこと。③市民体育祭1年生で久しぶりのベスト4入りを果たしたこと。④埼特研と川教研で校内支援体制について発表を行ったこと。⑤特別支援教育国語テキストの執筆を開始したこと。

そして何より健康で年を越せそうなことに感謝です。来年もよい年になることを願っています。


不安

2017-10-21 21:38:57 | 人生

昨日の朝から血圧が急上昇で体調がすぐれず休養しています。今夜は少しずつ下がってきてはいますが、まだ平常どおりにはほど遠い状況です。明日も無理をせず過ごしたいと思います。


誕生日~健康に感謝!~

2017-09-24 20:40:45 | 人生

今日9/24は自分の誕生日。この歳になると誕生日が嬉しいと言うよりも、現在日々生徒たちや家族に囲まれて元気に過ごせていることに感謝の気持ち大です 今日も早朝から楽しくバスケ生活。とても充実していることにも感謝です。これからも一日一日を大切にしていきたいと思います。


おかげ様で~復活~

2017-09-04 22:04:39 | 人生

昨日ゆっくりと静養させてもらったおかげで、今日は仕事に支障をきたさずに仕事に復帰することができました。通級指導も順調に滑り出し、今日は5名の生徒たちと楽しく過ごすことができました。どの生徒も夏休み前に比べて逞しさが増してきたように思います。明日も楽しみです。


さすがです!

2017-08-22 21:15:59 | 人生

松山千春 即興機内唱の大サービス 出発1時間遅れのイライラ乗客和ませた

8/22(火) 5:59配信

デイリースポーツ

 歌手・松山千春(61)が20日に搭乗した全日空機の出発が1時間以上も遅れていた間に、機内で代表曲「大空と大地の中で」を熱唱する大サービスを行っていたことが21日、全日空への取材で分かった。


 遅延でイライラムードが漂う機内を和ませるため、自ら客室乗務員に申し出たもので、機長も特例で許可。サプライズ歌唱に乗客は大歓声と拍手で喜んだという。

 同社広報によると、松山が搭乗したのは札幌(新千歳)発大阪(伊丹)行き全日空1142便。午前11時55分出発予定だったが帰省ラッシュによる保安検査場が混雑した影響で、午後1時3分まで出発が遅れた。

 同0時50分ごろ、機内のイライラムードを感じたのか、松山は客室乗務員に「機内が和むように、歌いますよ」と申し出た。機内アナウンス用の受話器型マイクを手に取ると、空へのフライトに合わせ楽曲「大空と-」を澄んだ声で披露した。

 さらに乗客に「お疲れさまです。お怒りだと思いますが、地上係員も頑張っています。もう少し辛抱しましょう」と呼びかけ、乗務員の代わりに遅延を謝罪をするなど“千春節”全開の即興トークを披露した。コワモテで知られる大御所のサプライズに、機内のムードは一変。拍手と歓声で沸いたという。

 機内の保安上、通常は搭乗客の勝手な行動は許されないが、今回は客室乗務員が申し出を機長に報告。機長が特別に許可したことから実現した。同社広報によれば「前例がない」という。

 松山は大阪に到着後に生出演したラジオで「出しゃばったことをしているなと思うけど、みんなの気持ちを考えたら、何とかしなきゃ、みたいな。機長さんよく許してくれたな」と振り返った。

 海外の歌手では2011年、シンディ・ローパーがアルゼンチンの空港で足止めを食らった乗客の怒りを鎮めるため、代表曲「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」を歌ったことが知られる。

 また、飛行機内で歌唱した例では北島三郎が1985年8月に上空1万メートルの機内でコンサートを開催。座席の一部を外し、バンドスペースを設営し、生バンド演奏で歌い上げ、世界初と報じられた。

 また機内サービスとしては、2002年の日韓W杯でサッカーの試合の模様が、機内モニターに流されたという。


諦めない気持ち

2017-08-16 21:25:15 | 人生

世界選手権リレー・藤光、世の“控え”の人たちに「勇気を与えられたかな」

8/15(火) 16:12配信

デイリースポーツ

 ロンドンで行われた陸上世界選手権でメダルを獲得した選手が15日、羽田空港に帰国し会見を開いた。男子400メートルリレーでリザーブから決勝でメンバーに選ばれた藤光謙司(31)=ゼンリン=は、世の中で「控え」に回っている人たちを代表して「いつでも準備をしていれば、チャンスがまわってきたときに結果を残せることを証明できたと思うので、勇気を与えられたらいいのかなと思います」と語った。

 今回の世界選手権では、ケンブリッジ飛鳥のコンディションが良くないことを理由に、レース6時間前に藤光のアンカー起用が決まった。こうした経緯を「急に決まったことは決まったんですけど、いつでも行ける準備はしていましたし、これまでの経験でも何度かこういうことはあって。動揺はなかったですし、行けと言われたら行きますという感じでした」と余裕を持って振り返った藤光。銀メダルを獲得したリオ五輪のリレーでは出番はなく、一時は「一区切りというのもあった」と第一線を退くことも考えたと明かした。

 ただ、この悔しさが「大きな糧になっている」とも話す。藤光のように、チャンスがなかなか来ず、出番を待ち続ける立場の人は他の競技、またはスポーツでなくとも多く存在する。「去年の悔しさがなかったら今年の自分はなかったかなというのはあります」と、ともし続けた闘志が銅メダルにつながったと強調。「なかなか試合に出られない人たちって世の中にいっぱいいると思うんですけど、いつでも準備をしていれば、チャンスがまわってきたときに結果を残せることを証明できたと思うので、勇気を与えられたらいいのかなと思います」と語った。

 スーパースターのウサイン・ボルト(ジャマイカ)とも同じ時間を共有した。ボルトは負傷で倒れこんでしまったが、藤光は「僕が最初、同じ大会に出た時は天と地ほどの差があった中で、(彼の)引退レースという場面で同じ走順で同じ時間を共有できて、ああいう形にはなりましたけど、感慨深いものがあるなと思いました」としみじみと振り返った。