つれづれ日記

チェリスト秋津のつれづれな日記です。

終りました

2011年04月01日 09時00分00秒 | コンサート
例の大植さんとのチャリティーコンサートの告知はしましたが、その後、詳しいことをお知らせできなかったこと、まずお詫びします。

僕の演奏曲目は、シューベルト「アルペジオーネ」、ブルッフ「コル・ニドライ」、フォーレ「夢のあとに」、バッハ無伴奏組曲より抜粋、クライスラー「愛の喜び」等でした。
他には、大植さんのピアノソロでベートーヴェンの「月光ソナタ」「イマジン」「Yestadey」「Westside story」もう一人のピアノの子と連弾でシューベルト、ブラームスのハンガリアン舞曲。ヴァイオリンとヴィオラの二重奏でモーツァルト。ヴァイオリンのソロでクライスラー「愛の哀しみ」、ブラームスのソナタ。ヴァイオリンとヴィオラとチェロでベートーヴェンの弦楽三重奏曲「セレナーデ」より抜粋などでした。

参加したメンバーは、バイオリン、ビオラ、ピアノがそれぞれ若い演奏家で、あとは僕と大植さんでした。(場所によっては、ご当地の演奏家の方が出演されました)

みんな、留学先で大植さんと接点があったようでした。現在進行形の人、既に帰国している人といろいろでした。
彼等はひとまとまりの若いグループ、大植さんと僕はおじさんのグループとしての演奏になってましたが、大体が大植さんと誰か、または独りでソロを弾くかのパターンしかあり得ないわけです。何故なら合わせが出来ないからでした。

それで終わってしまったら新しい出会いがないままになりそうな気がしたので、(というより若い人たちにチョッカイを出したくなったというのが、本音かも?)おせっかいな僕は、一日目のコンサートの最後の辺りで若い弦楽器の人たちに共演を持ちかけてみたのです。
嬉しいことに、すぐにノリノリの快諾をもらい、選曲は僕の独断でベートーヴェンの弦楽三重奏曲「セレナーデ」に決めました。

幸い僕が一日置いてコンサートに参加することになってたので、僕から送ったFAXの楽譜でみんなは譜読みをする暇があったのですが、問題は僕との合わせの時間がないことでした。

二日目当日は、朝11時から地元RCCテレビ局のロビーでのコンサート。



ここが終わって次のリーガロイヤルホテルでの出番までの間に、既にお客さんの入ってきた会場での急場のリハーサルをして何とか形にして、即2時からの本番を迎えるという、強行軍なのでした。



そのあと、また5時からエリザベト音楽学校でのコンサートまで、移動を含み1時間弱しかありませんでした。僕は、速攻腹ごしらえの食料調達のため、デパ地下を奔走したのでした。

ここで、ひとつ僕のコンサートやセミナーでのこだわりを披露します。

僕は、休憩はいつ頃するのか?  また、食べるものは確保してあるか?
等ということが気になるタイプなのです。
要するに、「腹が減っては戦が出来ぬ」を地でいっているひとなのです。
ですから、自分が主催しているものは、ここのところに非常にポイントを置いています。

で、本題に戻りますが、そのあと移動先の学校に着くや否や、「食事をする部屋を確保してください!」
とお願いし、先に一緒に着いた女の子たちと久々のちゃんとした食事を取り、ギリギリ5時の開演に間に合いました。
ここでは、そこのバイオリンの先生、コーラス、クラリネットの合奏(これが素晴らしく良かったことが印象に残ってます)等の演奏も加わり、僕らは出番は少なかったのですが、あっという間の2時間のコンサートでした。僕の知り合いも多数来て下さってましたが、最後はスタンディングオベーション(拍手喝采)となってました。



長々となってきたので、続きはまた。

ではでは







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