CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

祝 ゴルフ全英女子オープン 優勝 渋野日向子選手 42年ぶりの快挙

2019年08月06日 16時05分10秒 | ゴルフ
英国で開かれているゴルフ全英女子オープンの最終日で3日目まで-14で
首位にたっていた岡山出身の渋野日向子選手が最終日もスコアを伸ばし
-18とし優勝しました。
ゴルフのメジャー大会での優勝は1977年樋口久子が全米女子オープンで
優勝して以来42ねんぶり2人目の快挙である。
 
ハイライトシーンなどをyoutube動画より共有させていただきます。
 
Hinako Shibuno Highlights from the Final Round of the 2019 AIG Women's British Open


Highlights from the Final Round of the 2019 AIG Women's British Open

Hinako Shibuno Victorious at the 2019 AIG Women's British Open


渋野日向子選手が帰国会見 全英女子ゴルフで日本勢42年ぶりの快挙(2019年8月6日)

スマイルシンデレラ渋野日向子、全英女子ゴルフV=大会公式インスタグラムから

上の写真は2019年8月6日15:27頃 羽田空港でファンなどの声援に笑顔で答える
渋野日向子選手。 関西テレビのLIVE中継より


関連サイト:

関連Youtube動画:
 Smiling Cinderella
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R.ゴードン・スミスについて  

2019年08月06日 05時47分38秒 | 神戸情報

2019年8月6日付で下のブログ記事を書いた今回、若干の写真や記述を追加しました。

 https://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/e4a42b25c3052d91b18cc322f0ca7996

現在図書館で井伊春樹著「ゴードン・スミスの見た明治の日本―日露戦争と大和魂 」

角川学芸出版 (2007)を借りていること、以前に神戸外国人墓地で彼の墓碑を見つけた

ことからリチャード ゴードン・スミスについて調べて見ました。

まず、概要を掴むためイギリスの博物学者「リチャード・ゴードンスミス伝説」と

いうタイトルでgiovannuzzaさんがyoutubeにアップされている動画を紹介します。

リチャード・ゴードン・スミス伝説


リチャード・ゴードン・スミスの写真

 

出典:

井伊春樹著「ゴードン・スミスの見た明治の日本―日露戦争と大和魂 」角川学芸出版 (2007)


R.ゴードン・スミス(1858-1918)の略歴

 Wikipedia及び上述の書籍より略歴を要約しました

R.ゴードン・スミス(Richard Gordon Smith)(1858-1918)博物学者。冒険家。

日本に長く滞在し、各地の風俗、民話(怪談)の研究に従事した。

日本での調査や見聞録は日記として残され明治31年(1898)から大正4年(1915)まで

綴られています。

1858年 英国イングランド北西部のアーズウィックのバンクフィールドに生まれる

     父親は英国の鉱山王で大富豪

    始めの頃はフランスやノルウェー、カナダを旅行した博物学者やスポーツマン。

1879年 8月20日、21歳でカナダモントリオール出身のエセル・ニューカム(Ethel Nercomb)と結婚

    後にガスペ半島に入植し、間に生まれた子供は次々に急逝したものの、一男(1888年死亡)

    三女(うち一人は1892にフランスで生まれる。三人はスミス死去の際に財産の

    分配相続を受けた)を授かった。

    妻と結婚して18年、スミスは旅に明け暮れ、家庭を顧みない人物になっていた。

    数々の試験にも受からず、祖父の築いた財産を相続して欧州を股にかけて狩猟三昧の

    生活を送っていた。

1898年 妻との不仲から逃げ出すためにトーマス・クックの世界一周パック旅行を利用して来日。

    大英博物館からの依頼も受け、生物に関する調査も兼ねていた。

    途中でスリランカやミャンマーなどの極東の地域で調査を行った。

明治31年(1898)12月24日、長崎に到着以降、翌年の1月11日まで日本に滞在

明治33年(1900)3月4日、横浜に到着。5月19日頃まで日本に滞在

        8月15日、神戸へ戻る。翌年の1月に離日

明治35年(1902)4月頃、瀬戸内海及び島々で魚類や小さな哺乳動物の採取を行う。

明治36年(1903)10月29日、横浜に到着。明治38年(1905)2月7日まで日本に滞在。

明治38年(1905)11月頃来日、長期の日本滞在の始まり。

明治40年(1907)3月16日、勲四等旭日小綬章を受賞 兵庫県知事服部一三の推薦

明治41年(1908)4月27日、東京浜離宮での観桜会に招待され上京したが観桜会は中止

明治43年(1910) スミスの資金繰りの悪化に伴い、妻に別居を通告

明治45年(1912)7月30日、明治天皇崩御。このころR.ゴードン・スミスは体調を崩した。

   明治天皇の葬儀は9月16日に終了。桃山御陵まで訪れかったが体調不良で訪問出来ず。

大正7年(1918)11月6日、神戸にて死去

スミスが日本に滞在したのは明治31年(1889)40歳から大正7年(1918)60歳に至る

20年間にも及びます。日本滞在の大半は神戸での生活であるが日本各地に出かけて写真や

スケッチを数多く残しています。神戸で亡くなり神戸外国人墓地に眠る。


スミスネズミ

 R.ゴードン・スミスは六甲山で日本固有の野ネズミを捕獲し標本にし、大英博物館で

「スミスネズミ(学名はMyodes smithii)」と命名・新種登録されました。

 スミスネズミは体重20~30gと小型で山地の湿潤な場所を好む。

日本哺乳類学会では希少種に分類。

発見されたのは明治37年(1904)のことです。

発見から約100年経って六甲山で捕獲されスミスネズミの存在は判明したが生態の詳細は不明。

 関連サイト:https://www.hitohaku.jp/blog/2010/08/post_823/

 

神戸でスミスと同居したくに子

上の写真はスミスと神戸で同居していた「くに子」 出典:ゴードン・スミスのアルバムより

 くに子(牛居こう)は和歌山県の出身で養女にでた横浜でゴードン・スミスと知り合った。

神戸で一緒に暮らし病床に臥せたスミスを懸命に看病したが大正7年(1918)11月6日に

スミスが亡くなったため春日野外国人墓地に葬った。

上の写真は春日野外国人墓地(明治後期) 出典:グルーム氏 個人アルバム

神戸における外国人墓地は慶応3年12月7日(新暦換算では1868年1月1日)の開港直後に

イギリスの海軍中尉ら4名の死者が出たため旧生田川東岸の小野浜に設置。

その後明治32年(1899)に筒井町に春日野墓地が設置された。

小野浜外国人墓地は昭和27年(1952)、春日野外国人墓地は昭和36年(1961)に現在の

場所(修法ケ原)に移転した。

 

スミスがくに子に送ったアルバム

上の写真はスミスがくに子に送ったアルバム

宛名にKumiko Oushiさん 発信人スミスを意味する from Joraが記載

日付は1902年(明治35年)5月10日


神戸外国人墓地に眠るゴードン・スミス

 

著書

 a)ゴードン・スミスのニッポン仰天日記 ()荒俣 宏/大橋 悦子  小学館(1993)

  内容:明治末期の日本を活写した絵入り、写真入り日記は、作者の没後長く框底に

  秘められていたが、近年約90年ぶりに孫の手によって発見された。

  シーボルト、エドワード・モースにつづく、日本を博物学した異国人の超仰天日記。

上の写真は日記の原文 当時の風俗、風景などの写真が多く貴重な資料である。

 

 b)大阪青山学園所蔵 日記8冊、昔話集5冊

 c)ゴードン・スミスの日本怪談集 (訳)荒俣宏 角川書店(2001)

 d)日本の昔話と伝説 南雲堂(1993)

   この本は明治41年(1908)ロンドンで出版されたものでスミスが収集した民話集

   邦訳は吉沢貞によりなされた

  

電子書籍

 Ancient tales and folklore of Japanというタイトルで写真が多用された記事を閲覧できます。

  (下記のサイト)

  https://archive.org/details/ancienttalesandf00gordrich/page/n5

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