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米軍投下の機雷、神戸港に眠る 地元の資料館、調査続ける By 神戸新聞Next

2015年08月18日 17時35分09秒 | 神戸情報
米軍投下の機雷、神戸港に眠る 地元の資料館、調査続ける



太平洋戦争末期、日本の海上輸送路を断つため、米軍は日本沿岸に無数の機雷を投下した。神戸港も標的となり、周辺海域を含め300〜400個が落とされたという。終戦後も複数の旅客船が爆発で沈没、多くの犠牲者が出た。今も海底に沈んでいるとみられる“負の遺産”。実態はあまり分かっておらず、地元の資料館がこつこつ調査を続けている。(有島弘記)


 「対日飢餓作戦」。米軍が日本の輸送路遮断を狙った海上封鎖はこう呼ばれる。B29が瀬戸内海を中心に機雷を投下。その数は1万2千個超とされる。

 戦時資料などから神戸港と機雷について調べているのは「戦没した船と海員の資料館」(神戸市中央区)。同港沖を中心に300〜400個が投下され、1945年5月10〜30日には商船など計13隻が沈没するなどし、多数の犠牲者が出た。

 投下されたのは「感応機雷」とみられ、船舶のプロペラ音や水圧の変化、航行に伴って発生する磁気を海底で感知し、爆発する。戦後は全国で約8千個が残ったとみられる。

 終戦後、進駐軍の入港に備え、機雷を取り除く「掃海」作業が始まったが、同資料館の調査では全国で民間船137隻が沈没、または損壊。神戸港周辺でも45年8〜10月を中心に旅客船など6隻が被害を受け、少なくとも584人が死亡した。

 それでも「被害の全体像は定かでない」と同資料館の大井田孝さん(73)。渡米し、機密指定が解かれた米軍の公文書まで調べたが「資料が少なく限界がある」という。

 防衛省などによると、2013年までに感応機雷を6千個以上処理したが、神戸港周辺の処理個数は記録が残っていない。近年発見されるのは、埋め立て地造成などに伴うケースがほとんど。神戸港では5年前、ポートアイランド沖で1個が見つかったのが最後だ。

 今も3カ月に1回のペースで東京の国会図書館などに通い、調査を続ける大井田さん。「日本海側での投下も含め、まだ埋もれている歴史があるはず。郷土資料も掘り起こし、何とか体系的な記録を残したい」と話す。

 掃海隊が所属する海上自衛隊阪神基地隊(神戸市東灘区)によると、機雷が海底に残っていたとしても、既に腐食して感知で爆発することはないため、船舶の運航に影響はないという。

 【対日飢餓作戦】 太平洋戦争末期、日本への食糧や物資の海上輸送を阻止するため、米軍が爆撃機B29で日本沿岸に機雷を投下した作戦。「戦没した船と海員の資料館」(神戸市中央区)の調べでは、1945年3月27日から終戦直前まで5期に分けて実行された。瀬戸内海一帯や日本海側の港などにばらまかれた機雷は1万2千個を超え、各海域で輸送船が被害を受けた。一方で日本軍も敵潜水艦の侵入を防ぐため、重りと鎖でつないだ機雷など約5万5千個を海中に敷設した。
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