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長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 NHKテレビライブ中継を視聴して on 2015-8-9

2015年08月10日 05時04分32秒 | Weblog

2015年8月9日10時30分より11時50分までNHKテレビで表題の長崎平和祈念式典
の中継番組が放映されました。式典の内容を写真紹介します。


式典の流れに沿って写真紹介していきます。


上の写真は式典の会場となった長崎市 平和公園

0. 被爆者歌う会「ひまわり」の合唱、開式




司会者は地元の高校生が担当しました(下の写真)


次に長崎「平和の鐘」(下の写真)が鳴り響きます

 
1.原爆死没者名奉安
 

 

新たに3,373名の原爆死没者名簿が奉安された。
累計で16万8,767人



2.式辞
3.献水


4.献花






5.黙とう 原爆が投下された11時2分、長崎の鐘と共に1分間の黙とう
  遺族や被爆者代表、安倍晋三首相ら約5600人が黙とうした。

6.長崎平和宣言(田上富久市長)




 <長崎原爆の日>平和宣言全文  毎日新聞 8月9日(日)11時16分配信

「大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4千人が亡くなり、7万5千人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕(むしば)まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを1日たりとも忘れることはできません。

 原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。

 原子爆弾の凄(すさ)まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛(つら)く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。

 今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。

 70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。

 原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。

 若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。

 世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。

 私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。

 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。

 NPT加盟国の首脳に訴えます。

 今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。

 また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。

 改めて、長崎から呼びかけます。

 オバマ大統領、核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。

 日本政府に訴えます。

 国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。

 この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。

 11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。

 「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔(ま)き続けます。

 また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。

 現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。

 被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。

 原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

 2015年(平成27年)8月9日 長崎市長 田上富久」



7.平和への誓い 被爆者代表 谷口稜曄さん(86)














平和への誓い 全文

「70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。地獄はその後も続きました。火傷(やけど)や怪我(けが)もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。

 70年前のこの日、私は16才。郵便配達をしていました。爆心地から1・8キロの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩(たた)きつけられました。

 しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。

 それから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵(ふち)をさまよいました。

 そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。

 かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。アメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。

 戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。

 核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。

 私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。

平成27年8月9日

被爆者代表 谷口稜曄(すみてる)」



8.児童合唱(城山小学校 児童)





 

9.来賓挨拶
(1)安倍首相挨拶




安倍首相挨拶全文
「本日ここに、被爆七十周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。
そして、被爆による後遺症に、今なお苦しんでおられる方々に対し、衷心よりお見舞いを申し上げます。

 あの日投下された原子爆弾により、長崎の地が、草木もない焦土と化してから七十年が経ちました。当時、七万ともいわれる、あまたの貴い命が奪われました。惨禍の中、生き長らえた方々にも、筆舌に尽くしがたい苦難の生活をもたらしました。

 しかし、苦境の中から力強く立ち上がられた市民の皆様によって、世界文化遺産と美しい自然に恵まれた国際文化都市が、見事に築き上げられました。

 今日の復興をなし遂げた長崎の街を見渡すとき、改めて平和の尊さを嚙(か)みしめています。そして、世界で唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会の核軍縮の取組を主導していく決意を新たにいたしました。

 特に本年は、被爆七十年という節目の年です。核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議では、残念ながら最終合意には至りませんでしたが、我が国としては、核兵器国と非核兵器国、双方の協力を引き続き求めつつ、「核兵器のない世界」の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく決意です。この決意を表明するため、本年秋の国連総会に新たな核兵器廃絶決議案を提出いたします。

 八月末に広島で開催される包括的核実験禁止条約 賢人グループ会合並びに国連軍縮会議に続き、十一月には、パグウォッシュ会議がここ長崎で開催されます。更に来年には、G7外相会合が広島で開催されます。これらの国際会議を通じ、被爆地から我々の思いを、国際社会に力強く発信いたします。また、世界の指導者や若者が被爆の悲惨な現実に直(じか)に触れることを通じ、「核兵器のない世界」の実現に向けた取組を前に進めてまいります。

 今年、被爆者の方々の平均年齢が、はじめて八十歳を超えました。高齢化する被爆者の方々に支援を行うために制定された「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」も、施行から二十年を迎えました。引き続き、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策を、しっかりと進めてまいります。

 特に、原爆症の認定につきましては、申請された方々の心情を思い、一日も早く認定がなされるよう、審査を急いでまいります。

 結びに、亡くなられた方々のご冥福と、ご遺族並びに被爆者の皆様のご多幸をお祈り申し上げるとともに、参列者並びに長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私のご挨拶(あいさつ)といたします。

平成二十七年八月九日

内閣総理大臣・安倍晋三」



(2)パン・ギムン(潘基文)国連事務総長 
      代読は国連 事務次長のキム・ウォンス氏 挨拶


全文は以下のとおり。

キム・ウォンス 軍縮担当上級代表代行が代読

「この美しい街に原爆が投下されてから70年の節目にあたり、平和祈念式典に参列された皆様にご挨拶できることを光栄に思います。式典を組織された方々と、ここにお集まりになられた方々全員に感謝いたします。

市民の皆様は、長崎を最後にしなければならないという力強いメッセージを世界に伝えています。私たちは将来、核兵器の使用を許してはなりません。その人道的な影響はあまりにも大きすぎるからです。

私は心から、皆様とともに「ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒロシマ」の声を全世界に響かせたいと思っています。

私は5年前、ここ長崎を訪れ、1945年8月9日の恐ろしい出来事を、平和希求の高らかな呼びかけへと変えていった市民の力に、深い感銘を受けました。

長崎はこの点で、一致団結しています。市長をはじめとする公選の役職者も、市民社会組織も、学術団体も、学生も、そして被爆者をはじめとする市民の方々も、核兵器のない世界の実現に向けて国際社会を結束させるよう、全世界の各方面に働きかけていきました。

私は被爆者の皆様に敬意を表します。これら生存者の方々は、より良い未来に向けた期待を絶えず表明することで、この人為的な悲劇に人間の顔を与えているのです。

被爆者の平均年齢が80歳を過ぎた中で、私は世界から核兵器を一掃することにより、その遺産に報いなければならないという緊迫感を募らせています。

私が5年前に立てた長崎市民との連帯の誓いが揺らぐことは、決してありません。私たちの共通の目標を実現するため、私は積極的な活動を続けています。世界は70年というあまりにも長い間、核の影におびえて暮らしてきたからです。

田上市長の言葉にもあったとおり「人間が作った核兵器は人間が克服できます。人間こそが核兵器を廃絶できるのです」。

国連はこの目標の達成に向け、全世界の人々を動員していきます。」



Delivered by Mr. Kim Won-soo, Acting High Representative for Disarmament Affairs

It is my honour to greet all those attending this Peace Memorial Ceremony commemorating 70 years since the bombing of this beautiful city. I thank the organizers and all those who gather here.

The people of this city carry a powerful message for the world: Nagasaki must be the last. We cannot allow any future use of nuclear weapons. Their humanitarian consequences are too great.

I wholeheartedly join you in sounding a global rallying cry: No more Nagasakis. No more Hiroshimas.

When I visited your city five years ago, I was deeply inspired by the strength of its people, who have transformed the awful events of 9 August 1945 into a resounding call for peace.

Nagasaki is united on this point. Your mayors and other elected officials, your civil society groups, your academics, your students and your citizens – led by the hibakusha – have reached out to all corners of the world to unite the international community in pursuit of a world free of nuclear weapons.

I salute the hibakusha. These survivors present the human face of this man-made tragedy, refusing to relent in advocating hope for a better future.

As the average age of the hibakusha passes 80, I feel a growing sense of urgency to honour their legacy by finally ridding the world of nuclear weapons.

My pledge five years ago to stand in solidarity with the citizens of Nagasaki will never waver. I am proactively working to realize our common goal. Seven decades is far too long for the world to have lived in the nuclear shadow.

As Mayor Taue has said, “Nuclear weapons were made by humans, and humans can conquer them; humans can abolish nuclear weapons.”

The United Nations will mobilize the world’s peoples to achieve this goal.

(3)中村長崎県知事挨拶 略


10.合唱 千羽鶴(純心女子高校)







11.閉式


NHKテレビ番組では長崎原爆を象徴する下記3か所を紹介

(1)長崎原爆投下 爆心地
   

   

(2)山王神社
   

   

   

(3)長崎西高校

   

   
 


















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