チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

指揮者がどうの、ではなく・・

2011年04月24日 15時20分01秒 | 市原フィル

雨の中、公共施設の仮練習場にオケのメンバーは集まっていた。しかし扉は閉まったまま。
みんな手持ち無沙汰のまま、待つこと30分・・時間はきっちり? お役所仕事ということか?・・
いやコンサートホールのリハーサル室のような施設は、時間きっちり使う団体が多いのだろう。

ようやく明け渡されたリハ室に椅子を並べ、総練体制が整ったのは予定より15分遅れ。
チューニングが始まりしばらくすると

「本日指揮をしていただく、私の師匠の○○さんです」

と団員から紹介があり、その背の高い男性がみなの前に立った。
初めてのオケの前に立つとはどんな気持ちなんだろうなんて思っていると
「私の言葉は語尾が不鮮明になると指摘されてますので・・・」というところから柔らかく入ってこられた。

第一印象で恐縮だが、話しの仕方、表情、ものごし、何度見ても漫画家の「蛭子さんだ!」と思ってしまう。
先ほど紹介してくれた団員がパキパキの「女傑」タイプとすると、こういう先生が合うのかも・・・
なんて思っていると、指揮棒が振り降ろされ、「蛭子さん」はプロの音楽家に変身した。

まず、フィンガルの洞窟からスタートしたが、指摘ポイントは、常任の小出さんと同じ。
正指揮者と相談する時間など無かったはず、音楽を演奏するという基本を持っているプロは同じことを感じるのだ。
総練の前半では、自分の味付けはせず「普通はこのように演奏します」という指導が多かった。

休憩後ニールセンに移行。
「これは大変珍しい曲なので」と図書館から借りてこられた小さなスコアーで練習が開始された。
僕など、名前すら知らなかったニールセンについても相当勉強、あるいは復習されてこられたと感じた。
下振りを引き受けられた以上、どのように総練を仕立ててゆけばいいのか、準備が大変だったと察した。

練習の終盤になると「蛭子さん」は、ご自分の解釈を交えて、音楽作りを楽しんでいたのではないかな。
前半では、初めてのメンバーばかりなので、とまどいや、遠慮もあったのかもしれないけれど、
どんどん音楽そのものに没頭して行かれた様子で、普段は指摘されないような団員や、エキストラにも
「ここは入りが遅れている」とか「聞こえない」とか・・よく覚えてないけどバシバシ指摘していった。

オケ側といえばは、全く新しい指導者なので、少しおとなし気味というか、ベテランの方々は様子見という風情?
「蛭子さん」から飛んでくる指摘は、結構刺激的で、新鮮だったんではないかと想像する。

さて、自分はといえば、そんな様子ばかり気になってしまうとこが、大変困り者なんだけど、
なんだか、事前に練習してきた実力は全く活かせず(いや実力どおりに)、大変悔しい状態で終了。
「蛭子さん」がどう振舞われるか、団員がどう受けとめているか、
かの「女史」も自分の引きで紹介した都合上いろいろ思いがあるんじゃないか
・・・など気にしすぎなのだ。

気にしすぎといえば、前の人とボーイングが違っただけで、「あっ間違った」と自分の弓が止まってしまう。
全然自信がないうというか、その場の応用が全然利かないレベルなんだよな~。
ボーイングなんか今は試行錯誤もあって その場で変更されてゆくと頭では分かっているんだけど・・

本日の収穫はといえば 「どこが弾けないのか」「どこでいつも落ちるのか」ということが、鮮明になってきたこと。
それにニールセンにも最近「愛着」を感じるようになってきたこと。
今後は弱点克服に集中した練習をしてゆこう。  ん~受験勉強みたいだ。

 

コメント (3)
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