ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

眼施~身施 地域通貨にも通じる精神

2007年07月05日 | 生活・暮らし・家事など

お金がなくても出来る施し「七施」という言葉を昨日はじめて知りました。
「和顔施(わがんせ)」「眼施(がんせ)」 「言施(ごんせ)」 「心施(しんせ)」 「身施(しんせ)」「床座施(しょうざせ)」「房舎施(ぼうしゃせ)」

「眼施」は優しいまなざしを注ぐ。「身施」は自分の身体を使って出来ることをする。あとの5つの施しもちょっと意識すれば出来ることばかりです。

私はいま、西千葉のゆりのき商店街で広がる「地域通貨・ピーナッツ」のピーナッツクラブといいご縁をいただいていますが、今日も「ピーナッツで何が出来るか」という話になりました。
地域通貨である“ピーナッツ”の説明と理解がなかなか上手く行かず、使っている私たちも何となくあいまいなままにこの円とは違った通貨をどう活用して行くかとそんな話題もしばしば起こってきます。

しかし、昨日知った「身施」はまさに地域通貨の考え方にぴったりではないかと思いました。今の時代、何もかもがお金に換算され、お金でほとんどのことが解決し可能になる時代でもあります。昔あった助け合いの精神もどこか片隅に追いやられ時給でいくら……△△でいくらとほとんどのことをお金で換算し解決する習慣がついています。
「身施」の精神は、お金でいくらの世界から離れて、自分の出来ることを出来る範囲で相手の望むことに添って奉仕する精神のようです。
関わるそれぞれの人たちが得意なことを相手の苦手をカバーしながら助け合う精神とでも考えればいいのでしょうか。
「身施」はやらせていただくことが奉仕ですが、もちろんそれだけでは円換算に慣れた現在の暮らし方の中ではお互いの気遣いもあり、こんなときに威力を発揮するのが円以外の地域通貨なのなのかも知れません。 

「収入が少なくなっても使うお金が減ればそれなりに暮らしが成り立って行く」
私はいまこのことを信じられるようになりました。
何もかも欲しがるのではなく必要なものを少しいただく……そんな分かち合いの精神がうまく稼動すれば経済の不足を心のゆとりで乗り越えられるように感じています。貧しくてもみんなが助け合った時代がありました。地球環境のことなどを考えれば経済優先の消費も見直さなければなりません。
私も「身施」や「眼施」で人様の役に立つことがあれば進んで取り組みたいと思います。

(写真は「地域通貨ピーナッツクラブ西千葉」の拠点のある「ゆりのき商店街」です)