MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラルツウ-2-5

2010-04-19 | オリジナル小説

「放してやんなよ。」
はじかれたように振り向いたアギュはもう一人の天使と対面していた。
「バラキ!」
瞬間、バラキがその天使にかぶさっている。
「食べないでよね。そう言ってやってくれる?」
バラキの口の次元にだぶったまま、落ち着いてその天使はアギュを見て笑った。
「ルシフェル!」ミカジェルが喚く。
「堕天使め、貴様の助けなどいらない!」
「やれやれ。見る影もないねぇ。地上の君のファン達が見たら・・・」
ルシフェルと呼ばれた天使はため息を付いた。
「喧嘩したくないのは、こちらと同じなんだから。」
「シドラ。」アギュは力を抜く。
「コイツは大丈夫みたいだ。食べないでくれ。」
シドラに従うバラキは再び、一瞬で対峙した位置に戻った。
「ありがとう。」
新しい天使はにっこりと微笑む。
「ドラゴンの為にもおそらく良かったよ。なんたって天使なんて、まずいに決まってるからね。」
その言葉にアギュは笑って、思わず力を緩めた。
アギュを振りほどいたミカジェルは逃げるようによじれた空間の残骸の中に瞬く間にまぎれて消えた。あれほどいた、他の天使達も影形もない。

残ったのは、アギュともう一人の新しく現れた天使。
黒い肌と赤みを帯びた白い髪を持ち、黒光りする見事な羽は光によって玉虫色を放つ光の筋が浮かんだ。
「僕はルシィフェル。」
「暁の堕天使・・・光の子、ルシフェルか。」シドラがアギュに重なり呟く。
「そう、でも実はルシフェルと呼ばれる天使は沢山いるんだ。同じように4大天使と自称するものも何人かいるようにね。それらは単なる総称にすぎないんだよ。」
「ふふん。」シドラとバラキは再び離れていった。
「彼女は何?。君の眷属?。彼等のせいでこの僕らの空間が台無しだ。とは言ってももう修復したみたいだけど。」
確かに回りの空間は外から侵入した大きな質量を内包したまま、再び閉じられてしまったようだ。アギュだけはシドラとバラキの実体がこの地球を貫く、大きな次元、ワームホールにもはみ出して存在していることを理解していた。
「ケンゾクというのはドレイのことであろう?。カレラは、ソレには当たらないな。」
アギュは甲高い声で尊大に答えた。
「で、オマエをなんと呼んだらいい?」
「僕は別名、明鴉と呼ばれている。」
瞳は金色だった。

「すごい戦いだったね。」
天使はちぎれた次元の欠片が自動修復していくのにぼんやりと目をやった。
「こんなのは大昔に魔族と戦になった時、以来だよ。伝説だ。今頃、地上にも影響が出てるかもよ。突風とか雷とか。迷惑な話だと思わないかい?」
それからさりげなく、しっかりと金色の瞳孔がアギュを捕らえた。
「いったい君達はなんなんだい?」

「ワタシはアギュ。そして、ワタシの仲間である、シドラとワームドラゴン、バラキ。」アギュは慎重に言葉を選ぶ。アギュの声が深く低くなった。鴉と呼ばれる天使はそれに気がついただろうか。
「信じられないでしょうが・・・他の星からこの地球に来ました。あるものを捜して。」
天使は首を立てに降り、瞳の金色が増した。
「なるほど。ロードと間違われるわけだ。」
「アナタもロードを待っているのですか?」
「いや。」天使は躊躇った。「僕はあまり信じていない。眉唾だと思っている・・・いれば嬉しいのかどうかも・・・もう、わからない。」
つかの間、瞳は黒い瞼に隠された。
「だから、天使達に堕天使と言われるわけだ。だけど、そもそもね。それは、人間の信仰なんだよ。」
ルシィフェルは苦い笑いを隠そうともしない。
「僕も本物の4大天使達と同じくらいに古い存在ではあるんだけど・・・もともとはそんな話は影形もなかったはずなんだ。なのに、彼等はいつの間にか人間の信仰に自ら取り込まれてしまったわけだ。」
「それは・・・なぜです?」
「その方が、気持ちいいからでしょう?」
天使は声をあげて笑った。
「その方が目的があるから。自分は何者なのか、僕みたいにいつまでも果てしなく悩まなくても済む。賛美は気持ちいいですよ。賛美や信仰はおいしい。だからですよ。」
「なるほど。」アギュは呟いた。「アナタ方は、賛美を食べる?」
「賛美や高尚な誓いや願いとかね。主食は愛ですよ。」フフフと息が漏れた。
「もともと魔族と天使族の違いなんて食べ物の違いに過ぎないんです。波長の低いエネルギーを食べるもの達が魔族と呼ばれるようになり、高い波長の感情から力を得るもの達が天使族と呼ばれるようになって、別れただけなんです。」
「あなた、さっきデモンバルグのことを言っていたでしょう?」
「そんな前から?。では、ミカジェルと出会った頃から?」
「はい、あなた方の会話もすべて最初から立ち聞きしていました。そもそも、あなたに先に注目していたのはミカジェルより早いんです。カリブの夜からですから。」
「ああ、なるほど。」
アギュは解放記念日の夜に執拗に感じた視線を思い出していた。
「あなたは目立つから、どっちにしてもすぐ彼等も気がついたんですけどね。」
「明鴉、とやら・・・ワタシはデモンバルグを捜しているのです。」
天使は驚く。
「さっき探し物をしに来たって言いましたよね?。まさか、デモンバルグを捜す為にこの地球に来たとか?だとしたら、ヤツも有名になったものだ。」
アギュは笑って訂正する。
「それは違います。ワタシ達の捜しているものは遥か古代にワタシ達の星からこの地球に持ち込まれた危険なものです。そのことについてデモンバルグを問いただしたい。カレのことを教えてください。」
「それで、彼に目を付けたとしたら・・・それは正しいですよ。」
ルシィフェルは遠い目をした。
「ヤツは古いです。僕たちの誰よりも・・・そう言われていますから多分、そうなんでしょう。彼は治外法権です。僕らのどちらからも。彼はどちらとも関わらない。自分の獲物と呼んでる、あの魂以外はね。」
「・・・知っています。」アギュは渡を思い浮かべて、慎重に答える。
「そうだ。デモンバルグのことを聞きたいなら、僕よりもピッタリの奴らがいますよ。」ルシィフェルこと鴉は伺い見ることのできない天界をみるように目を細める。
「本当の4大天使達です。会ってみますか?。」
アギュは躊躇した。先ほどのミカジェルの歓迎の仕方を思い出したからだ。
鴉は悟ったようにクスリと笑った。
「大丈夫ですよ。彼等は何事にも無関心だから。」
彼は黒い羽を羽ばたかせた。ちなみに先ほどからアギュと明鴉は空間に浮かんだまま、明鴉などはおおきく羽を広げてはいたのだが、その空間では空気は動かず落ちてる感じも動いてる感覚もないところであった。
「会ってみたいなら、良かったら案内しますよ。僕も暇なんで。」
アギュはシドラ・シデンを捜した。すぐにシドラがバラキの頭に乗ったまま現れた。
「おっと。」と鴉が空間に突出して来たバラキの頭を嬉しそうに避けた。
「触ってもいいですかね。」
「駄目だ。」シドラはにべもない。
「アギュ、タトラがドラコを通じて通信を送って来た。」
シドラの言葉は飲み込まれ、意識だけがアギュに手渡された。
『デモンバルグが神月に現れたらしい。ユリが引き入れてしまったみたいだが・・・どうする?。ガンダルファによると切迫はしていないとか・・・ユウリの解放に力を貸すとか言ってるらしいが。』
アギュは明鴉に目を走らせた。ユウリの名前に心は動揺する。
「切迫していないなら・・・大丈夫でしょう。」
シドラはフンと鼻をならした。
『ほんとに大丈夫なのか?ユリが心配ではないのか?』
シドラの不満は痛い程にわかった。
しかし、アギュの思いは又違う。
アギュは前回の出来事の過程から、ある意味でデモンバルグと言う魔族を信用していた。彼が興味を持っているのはユリではない。彼が真に執着しているの渡だけだった・・・その行動に、アギュには計り知れない裏があるとしてもだ。
デモンが渡を傷つけるつもりなら、そのチャンスは無数にあったのだ。
しかし、彼は渡を守り庇った。それをアギュはこの目で見ている。
渡を守る為にデモンバルグは我が身を盾にする事まで、厭わなかったのだ。
デモンバルグが渡やその家族に正体を隠していたいのならば、神月の人間が他の人間とは違う存在だと・・・もしも、気づいていたとしても・・・その事実を周りに明らかにする等という恐れがあるはずもない。
この取引をデモンバルグは既に了承していると、アギュは確信する。
渡は大丈夫だ。そして、ユリも。ガンダルファもタトラも付いている。
アギュは深く息を吐き出していた。
それを睨むシドラ・シデンは肩を竦めた。
『フン!・・・上司だからな。』
少し離れた空間に浮かんでもいるバラキの頭は静かに別の空間に沈んだ。
「了解した、隊長どの。」皮肉な声音だけを残して。

「何か、込み入った状況でも?」
言葉と意識下で行われたそのやり取りを明鴉は興味深気に見守っていた。
「どうします?。お二人の話し合いは終わりました?。」
「買った土産物を地上に置いて来てしまいましたから。」
彼のからかうような口調にアギュは静かに答える。
「取りに行ってもらいました。」
「なるほどねぇ・・・」
アギュ声にはなんの躊躇いもない。
「行きましょう。案内してください。」

スパイラルツウ-2-4

2010-04-19 | オリジナル小説


「やはり見つかりましたね。見つかると思っていました。」
そう言うと青年は両手を天へと広げその姿を再び、チェンジさせる。彼が空間から求めたのは白い羽だった。無から実体化した羽は彼を覆い隠すと同時に光となって彼を包んだ。
眩しいがアギュの輝きには及ぶべくもない。
そして瞬時に光は弾け、現れたのは左右に均等に伸びた美しい巨大な羽だった。
羽を背にいただいた潤んだ熱っぽい顔は、アギュの目の前にある。

「いえ、見つけていただかなくては。思った通りの方であるならば。」
渦巻く黄金の髪。白磁のような繊細な肌に褐色の長い睫毛に縁取られた紺碧の瞳。
バラ色の唇が蕾のように花開くと象牙のような歯が垣間見えた。
白鳥の羽を思わせる背から伸びる羽は体の左右に3倍はあるだろう。
羽を有した白人種の男は微笑んでいた。媚態に見えなくもない。
「オマエは・・・」
魔族があるのなら、その反対の存在もあるのだろうと予測はしていた。
今更、驚きはしない。しかし、この青年の持つ情熱には困惑させられる。
既にアギュの内面も相手に合わせて、チェンジしていた。
その清らかな信仰の権化のような姿にも油断はしない。
やや甲高い声で問いただす。それはアギュの内側の戦闘モードである。
「・・・オマエがエンジェルか。キリストのカミの眷属。」
「はい、そうですロード。・・・ご存知のように。」目を伏せ、腰を屈める。
「如何様にでもこのミカジェルにお申し付けください。あなた様の望む世界をここに築き上げる為であるのなら、私はどんな苦労も厭いはしませぬ。」
感極まったようにミカジェルの唇から言葉が迸りでる。
「どんなにか、この時を待っていたことか!。ああ、主よ、あなた様にはおわかりにならない?いえ、あなた様ならすべておわかりのはずです。ミカジェルはあなたを待って待って、何万年も恋いこがれておりました。主よ、どうか、主に仕える奴隷のように私をお召使いください。私は意志のないあなたの手足、いえ私自身があなた様の意志になりまする。」

アギュは更に困惑する。
「ロード?なんだ、それは?」「創造主のことですよ。『神』。この世界を作った全知全能の唯一神のことです。」
「ふふん。なるほど。コイツら、勘違いしてやがる。」
アギュの心がおもしろがる。

「悪いがテンシ。」アギュはかしこまる男に目を向けた。
「オレはロードではない。」
「しかし」天使は頑強に拝謁の姿勢を崩さない。「あなた様は天界から来られた。遥か宇宙からこの星、我ら子羊の世界に降臨されたのでしょう。私達、天使族はずっとずっと、この世の在りし日からあなた様を待っておりました。あなた様のおいでを。どうか、私達を召し仕えさせてください。そしてこの地上にあなた様の意志があまねく行き渡ったその時は・・・審判の約束が果たされたその後は、どうか予言の通りに私達を天上界の至福の世界にお連れ下さい。この閉ざされた星から私達をお救い下さい。」
アギュは天使の熱心な嘆願に光の中で顔を顰めた。
「ナニを言ってる?。戯言を、熱に浮かされて冷静な判断ができないのか?。そんなものは譫言にすぐない。オマエらテンシだろう?天上に導かれるのは、オマエらを讃えている下にいるニンゲンのはずだ。オマエらは導く方だ、導かれてどうするんだか?」
「それは真実ではありませんっ!」
ふいに花の唇からヒステリックな言葉がもれた。
「下等な生物が作り上げた勝手な信仰のことなど!。そんな妄想をまともにお取り上げになるなんて!あのようなものは、ご都合主義もいいもんなのです!。ロードならご存知のはずでしょう?!。あれらは我ら天使族の先祖があいつらから糧を取る為に人間の戯言から作り上げたもの、あれこそが戯言だったのですっ!。真実ではありません!なぜ、ロードがそんなことを言うのです!。本当のロードなのなら、あんな汚れた人間どもよりも私達の方があなた様のお造りになったものの中でより優れていることなど明白!。救いようのないひねこびたいじけた人間族のことなどはどうでもいいことなのです!。真実の物語は我々の救済のはずですよ!。」
顔を上げた天使の目に浮かんだものにアギュは心底、驚いた。
それは、増悪。
「人間族なんぞに価値はないのです。あいつらは我々の餌となる為にロードが作り出してくださったもののはずです!。あいつらを繁殖させ、管理する為にあなたが私達をこの星に作り出し据え置いたのでしょう?。あなた様の意志を何万年も果たして来た、我々こそが最も価値のあるものなのですよ!。」

「どういうこった?」アギュの内がささやく。「あの目をごらんなさい。あの目は狂信者の目ですよ。コレはまずいですよ。誤解を解くとしても、まともな会話ができるかどうか。コレは一筋縄では行かなくなってきました。」「ダメなら、破壊してしまうまでだ。どう思う?オレになら、ヤツラを殺ってしまえると思わないか?」「どうやら、人間の信仰とは別の信仰を彼等は作り上げているようです・・・と、いうことは、信仰が彼等を作り出したのではないってことになりますね。」「・・・そういうのはオレはどうでもいい。オレは戦ってみたい。」「ダメです、それは慎重に。」

「ロード。」その熱を帯びた狂った天使の目が迫って来た。
「どうしたんですか?私を救ってくださらないのですか?。私達はこの星の人間達の世話をしてきました。もう何千年も、何万年もうんざりするくらいに。私は、もう嫌なのです。奴らにちやほやされるのも、奴らに助けを請われるのも。こんな下賎のもの達から得られるもので何故、私達、天使族は生きていかねばならないのです・・・?答えてください!お願いです、どうか、ロード!」
天使の手がアギュの方に伸ばされた。飢えた憑かれた目をした者は、もう荘厳な天使などではない。狂った白い猛禽の姿でしかない。
「オレに触るな!」アギュは手を強く払い除けた。
「オマエはわかっていないな。オレはロードではない。オマエは一緒だ。オレから言わせれば、デモンバルグと同じ異次元生物に過ぎない。おそらく、オマエもホショクシャってわけなんだろ?。」
「デモンバルグ!」天使の美しい完璧な顔が歪んだ。
「お前はデモンバルグを知っているのかっ!」
「少なくともオマエよりは先に出会ったな。」
「なんですって!。私よりも先に・・・!デモンバルグと言葉を交わしたと言うのですか!?」
天使は汚れたものから遠ざかるように素早く身を遠ざけた。その仕草はさっきまでの熱狂とは掌を返すかのように極端なものだった。目には先ほどとは又違う形の狂人の光が垣間見えた。
「どうりで!おまえは!」
薔薇の唇には不似合いな耳障りなうなり声をはなった。
「おかしいと思ったんだ!ああ、お前なんぞを私の愛しい方と見間違えるなどとは!。ロード、神よ許し給え!。本当のロードだったら、デモンバルグ等と通じているはずはないのだ!デモンバルグ!あんな騙りと私を一緒にするなんて!あんな魔族の名前をロードが口にするとは!お前はロードではないな!」

「だから。」
アギュの反応は早かった。
「最初からそう言ってる。」
その言葉が終わる前に、アギュを打ち落とす為に伸ばされた羽がソリュートで激しく跳ね上げられていた。羽は固い響きを放ち、火花が散って羽毛が焦げる匂いが満ちた。アギュは伸ばされたかぎ爪を交わし、天使の爪がむなしく空を切るに任せた。
しかし、消極的な仕草とは反対に残酷な喜びと共に更に硬度を増した光と絡み合ったソリュートの剣を羽と羽の合わせ目に打ち込んでいた。
天使は目を見開いて、絶叫した。
白い羽が血飛沫のように吹き出し、落ちる先から実体を失い消えて行く。

アギュの内側は叫んでいた。
『殺せ!殺せ!』
もう片方はその意志にあらがって叫ぶ。
『ダメです!殺してはいけない!』
その2分された心に混乱した、統合された人格は理性を保つ為にできる第3の道を選択する。
羽に塗れたミカジェルをはじき飛ばすと、次元の中へと身を翻した。
「待て!逃げる気か!」

「逃げてどうするというんだ」
内部で不満の声があがる。
「まあ、待ちなさい。逃げたら逃げたで良いことがあります。」
アギュは人格を立て直した。
「ほら見ろ。なんだか、わらわらと湧いて出て来たぞ。」
ミカジェルの悲鳴に共鳴したのであろうか。肩越しに天使達が集まって来るのが見える。彼等は雲霞のように空を覆いつつあった。
「まるで渡りをする時のツルのようだ。」
「ツルにしてはやかましすぎます。」アギュは1人でクスリと笑った。
「ちょうどいいことを思いついたんです。まあ、見ていなさい。」


アギュは逃げると見せかけてある意図を持ってミカジェル達をより深い次元へと導いていった。臨海した肉体を変換しながら、次々と新たな次元を開いて行く。
怒りに目が眩んだミカジェルはそれに気づいてるのかいないのか、躊躇うことなくアギュレギオンの軌跡を的確に追って来る。
「なるほど。」
アギュは1人でしきりに納得していた。先ほどから、満足の笑みが浮かんでいる。デモンバルグでは果たせなかったことをアギュはミカジェルで実践していたのだ。これらの異次元生物がどこまでの次元を把握しているのか。
やがて行き着いたそこは、アギュがその能力で正確に把握している感覚で、この果ての地球に張り巡らされた何層もの次元の最も外側のものと思える空間だった。
「ここまでも来れるのか。星の造る重力で、星は幾層ものぶれた空間を内包している。」もう一人のアギュが問う。
「重複し、複雑に絡み合う・・・まるで、パラレルワールドのようだな。」
「そうです。死んだ星であっても構成する物質によっては磁力によっていくつかの次元にだぶってることがある・・・だけどそれは、おそらくずっと単純な構造なはずです。こういう核活星の場合は星の持つあらゆるエネルギー、生きてるものは当然として生きてはいないがマグマや酸素によって科学反応をし続けている・・・物質と呼ばれるものもすべて含んでです・・・その存在質量と熱によって幾つもの次元を細かく発生させている。」
「まるでドラコの言ったミルフィーユだな。そして、卵の殻のように閉じられてるってわけか。違うか?。ワームホールのように銀河の深部にまで通じるワープ空間とはお話にもならないほど小規模な次元なはずなんだろ?。」
「その通り。次元に関してはアナタの方が先輩ですものね。」
「感覚でわかっていても体系ずけることは苦手だ。オマエに任せる。」

アギュはいましもその次元に飛び込んで来た眷属達を引き連れた天使長を振り返った。
「そう、まさにここは閉じられた次元・・・そして、ここから先は?果たして?」
アギュは卵の殻を割った。
「どこに行った?!」ミカジェルの羽ばたきが止まる。「どこにいる?悪魔め!」
殻を逃れでた為に彼にはアギュが見えなくなったのだった。
「ロードを騙る悪魔、姿を現せ!」
その時、アギュの逃れた外次元の裂け目から巨大な竜が侵入していた。
「バラキ!」シドラ・シデンが叫ぶ。
「殺すな、戯れろとの仰せだ!」
バラキが咆哮し、その次元に溢れ出た体を捩るとジリジリとブレタその鱗に炙られた空間により、はじかれただけで手当たり次第の天使達が一瞬で塵々となった。
「フン!見かけ倒しの烏合の衆か!。弱い、弱い、そんな質量じゃ、バラキの腹の足しにもならん!」
シドラは思わず失笑を漏らす。
その姿は天使長ミカジェルのアギュに較べると色あせた青い目になんと見えたか。
「お前はなんだ!?」
ミカジェルの端正な表が動揺で歪んだ。バラキの侵入により、空間が激しく揺すられ崩壊を始める。崩壊した空間は周辺の次元と混ざり合い、激しく絡み悲鳴をあげた。そしてミカジェルの眷属達もその崩壊に巻き込まれ、蒸気のように音を立てて次々と蒸発していった。
「この!この、汚れたドラゴンめがっ!」
ミカジェルだけはその地震のように激しく揺さぶられ、ぶれて裂ける空間の上で辛うじてバランスを保ち、姿形を維持していたのはさすがと言うべきか。
「これは、まるで!これは、この世の終わりかっ?」
「そう、我は黙示録のドラゴンだ。」
シドラの悪ふざけ。バラキは自分の質量に見合う空間を破壊し尽くすとうねうねと巨大な蜷局を巻いて天使と対峙した。
「そうか!ハルマゲドンっ・・・!いよいよ、来たのか。」
ミカジェルの顔に恍惚の表情が浮かぶ。
「違いますよ。」
いつの間にか舞い戻ったアギュがミカジェルを後ろから拘束していた。
「!」
「残念ながら。」
アギュの手から伸びたソリュートが天使の羽を絡めとる。ミカジェルはアギュに腕を後ろ手に捻られ痛みの声をあげた。
歯を剥き出すその姿は人類の夢見る、天使とはほど遠い。
「さっきも言いましたが、ワタシ達から見ると、アナタもデモンバルグもなんら変わらないのです。興味深い、この星に生息する同じ生物に過ぎない。すべては研究と観察の対象なのです。そういった意味では人類と一緒です。ただし、人類は保護される対象ですから、彼等に害を成せばアナタ達を除かなくてはならない。」
「私を侮辱するな!あんな、魔族や人間と一緒にするな!」
「ワタシも魔族ではない。天使でもない。そして、ワタシはロードではない。ワタシは人間ですが、信じてはもらえないでしょうね。ただ、基本的にワタシ達はアナタと争うつもりはない。何万年も作り出されて来たこの星の秩序なら、それを乱すつもりはない。そのことを納得していただきたい。」
「誰が信じるか!私は4大天使に次ぐ存在なのだ、ロードの降臨までこの地を守り治めるのは私達、天使兵の勤めなのだ!」
アギュはうんざりして来た。
「やはりコイツは狂信者だ。理屈が通じない。」
「しかし、どうしたものか。」
「バラキで始末してしまおう。バラキも乗り気だ。」
シドラ・シデンの顔がつかの間、アギュの肩越しに現れ意見を述べた。シドラもバラキもまったく見えるところから移動していないにも関わらず。混乱した次元の成せる技だ。
その言葉を耳にしたミカジェルが今や、美しい姿をかなぐり捨ててアギュから逃れる為に牙を剥いた。ジクジクと嫌な匂いが回りに満ちる。天使の羽が硫黄の香りで燻っていた。
「放せ!私に手を下せば、全天使を敵に回すぞ!」

スパイラルツウ-2-3

2010-04-19 | オリジナル小説


その頃、遠いアステカにアギュとシドラ・シデンはいた。
古代アステカ文明の首都であったテノチティトラン。現在のメキシコ・シティーでる。現在は雨期であったが、その日はまだ空には雲が多いが降ってはいない。
二人は現地のコーディネーター(言わずと知れたオリオン人の駐在員達)と会った後、ホテルに戻る途中であった。
東洋人に近いメキシコの人々に混ざると彼等は目立った。
しかし、外国人旅行客も多かったので二人が気にすることはない。
通りはかなりの人で溢れていた。活気がある。広い車道の両脇にゆったりとした歩道が続き数々の屋台が店を開いている。
甘酸っぱい食べ物の焦げるような香りが漂っている。英語、スペイン語、笑い声、喧噪が満ちている。
「愚かなものだな。」シドラがブツブツと言葉を濁す。
「この町は滅ぼされた神殿の上に築かれたのだろう?。前時代の文明の価値のわからない侵略者どもがあたら美しい都を破壊し尽くして、自分らの文明の方が優れていると証明しようとしたわけだ。」
この『果ての地球』に降り立って以来、この星の文明にシドラが難癖をつけることは始めてではない。その度に、アギュは面白く思う。
「アナタだって・・・オリオンの文明の方が優れているとでも言いたいのではないですか?。」
「馬鹿言うな!」シドラが遠慮なく上司を罵倒するのもいつものことである。
「おぬしは何を聞いている!。我が言いたいのはだ・・・」眉間に皺が寄る。
「むしろ、文明の質など、たいして変わらんと言いたいぐらいだ。」
「・・・?」アギュはシドラを見る。
「オリオンにも似たようなことがあった。あるというより、いまだにその繰り返しだ。我の故郷、ジュラだってあった。人類って奴は、基本的にとことん愚かなのだ!。」
「何千年経っても変わりませんか・・・」人類は始祖の地球から宇宙空間へと進出してもうすぐで、始祖の地球時間を基本としたオリオン銀河時間で1億年の記念年を迎えようとしている。
「おぬしだってそう、思ってるだろうに。なんだ、中央に行ったら急に政権よりか?良い子ぶりっこだな!かつてのオヌシは違った。反オリオン一辺倒だったくせに。まったくむかつく奴だったが、もう少しは骨がある奴と思っていた!。」
シドラはアギュに噛み付いた。
「おぬしは変わったな!別人みたいだ!」
実は別人なんですよと、アギュも言いたかったが言わなかった。代わりに笑った。
「そう思っていたなら・・・言ってくだされば、良かったのに。」
「・・・言っていたらどうだと言うんだ。」
「励まされました。」
ケッとシドラが顔を背けた。アギュはこう言ったやり取りが嫌いではない。
むしろ、元帥に昇進した自分に歯に衣を着せずに話をするものは・・・臨海進化体として研究所にいた頃も・・・今でもそんなにはいない。
中央も認めるアギュのお気に入り、ガンダルファとシドラ・シデンぐらいである。
(2匹のワーム・ドラゴンは別として。)
二人の会話の間も、物売り達が次々に声をかけて来たが、シドラが前に立ち塞がると慌てて向きを変えるものも多い。それでもしつこく商品を振り回し食い下がるものもいたが、シドラの険しい一瞥によってほとんどが身震いしつつ引き下がった。そんな彼等が離れるとそっと十字を切るのにアギュは気がつく。
シドラは既に気がついていたらしい。
「失礼な。」シドラが鼻を鳴らした。「われをなんだと思っている。」
「ここは大半がローマン・カトリックに改宗してますから。」
アギュはクスッと笑う。「アナタの迫力に圧倒されたのでしょうね。」
シドラはジロリと自分の上司を睨んだ。
「もとはと言えば、おぬしが軟弱な容姿に見えているからいけないのだ。まったく、くだらない土産ばかり買いおって。」シドラはアギュが抱えている包みの数々に露骨に軽蔑を示す。彼女の伸ばした手が近づいて来た新たな物売りの頭上を軽々とかすると、男の帽子が飛んだ。男は帽子を追いかけて拾うと別の獲物、白人の夫婦にターゲットを変更することにした。
シドラはそんな回りの一挙一動には一切構わずに真っすぐに歩みを進める。実際、遮るものがなかったら、彼女の軌跡は完全な直線を描いたことであろう。彼女がしぶしぶ歩みを乱すのは、内心どんくさいと思い始めた上司が面倒ごとに巻き込まれかけたと判断した時だけなのである。再び、シドラはアギュに文句を言い始める。
「だいたい、気にいらん。おぬしは天使で、我は悪魔か。」
「悪魔といえば・・」
「まだ我自身が会った事もないデモンバルグ等という輩のことは言って欲しくはないな。そんなものと一緒にされるのは我は断じて、御免だ。もしもだ、我がそのジンなんたらかんたらとかいう次元生物と遭遇したとしたならだ、」再び、シドラはフンと息を吐く。「我がその喉をギューギュー締め上げて、正体を吐かせてやるからな。」
「そうそう、うまくは行かないと思いますが・・・」
アギュはそう言いかけて言葉を止めた。
それは取り分け人の多いバザーの入り口付近に差し掛かった時だった。
目的地のホテルが通りの向こうに見えて来ていた。

人ごみの中から自分に注がれる視線をアギュは感じていた。
視線・・・思いと言うべきだろうか。アギュはできる範囲で意識を切り替える。臨海進化体が持つ、次元を感知する探査モードだった。
すると目の前にある光景は視界の中で、色とりどりのもやもやとした光の渦や色彩の霧に覆われた世界にたちまち姿を変える。
立ち登る人々の吐き出すエネルギーの奔流。話す度、笑う度、怒るもの争うものすべての口元から鮮やかなエネルギーが吐き出されている。その筋がいくつも彼等自身が放っている熱の中に吸い込まれて消えて行く。存在するものは存在するが故にその空間を少しだけ歪ませている。藁に身を寄せる牛や馬がその体の形に藁を窪ませるように。草も花も、全ての動力、車や機械。人の手によって積み上げられた建造物の一つ一つまでもが、そういった質量とエネルギーを空間に影響を与えていた。そうしてその通り自体、バザーが作り出す熱量は、その町、メキシコシティー全体が生命と非生物の躍動とそれらが創造する熱に上空で吸収されて一つの厚い層となり、結界のように町全体を覆っている。
先ほど、話にあったようにこの町は地下と地上との波動が違う。その地下から立ちのぼるのは冷たく暗い波動だった。生きて動くものを羨み、憎むかのように鋭く無数の槍が地上に伸ばされてくるのだ。その槍が人々を時々、貫く。それを感じる者も感じない者もなんらかの影響を受けている可能性はある。失われた過去というモノもなんらかのエネルギーを常に発していることを、アギュはここで知る。その過去と現在、プラスとマイナスが打ち消し合って大地が何重にもぶれているのだ。
臨海した自分には、とても居心地が悪い。
アギュはそんな次元の荒れ狂う渦の中で神経を研ぎし続ける。
それはまるで荒海で行う、波乗りのように極めて難しいものだった。
完全に臨海した姿を今ここで晒すことができたなら雑作もないことなのであろうが、このオリオン人の存在も臨海した人類のことも、何も知らない異星の人々の中ではそれは叶うはずなどない。
そんなアギュを周りから庇いながら立つ、シドラ・シデンの顔にも不安そうな影が浮かぶ。お連れは気分が悪いのかと親切に声をかけて来た旅行者を手の一振りで追い払ってしまう。旅行者はショックを受け、気分を害したまま離れて行く。
アギュは尚も集中する。その甲斐あって、彼等を取り巻く熱量の奔流・・・その中にほんのわずか・・・自分に向かって寄せられてくる流れをキャッチすることができる。それは奇麗な同心円の渦を画くその場の空間を少しだけ凹ませて、歪ませている。アギュの意識はその匂いというか、味というか感覚に、色々と思い出すことがあった。
それはかつて初めてイタリアに行った時から。バチカンからだった。
その時は深く気にしなかったのだが。
そしてこの間のカリブの夜。あの時も急用があって、正体を追求する暇がなかった。
同じものだろうか。何かが自分を追っているのか。
アギュは傍らのシドラ・シデンを見た。
シドラにそんな話をしても剣呑なだけである。
しかし、シドラはすぐに気がつく。
「カリブと同じか?」アギュは黙って首を傾げた。人差し指を前に出す。
「しばらくヒトリになりたい。」案の定、シドラ・シデンは眉を潜める。
「大丈夫なのか、それで?」
「危険はない。」ちょっと考えてアギュはすぐに言葉を続けた。「・・・と思う。」
「できればバラキと近くで待機していてください。」
なぜ?と言う言葉をシドラは飲み込む。
こういう時は彼女の鋭さが助けになる。
バラキから何かの忠告を受けたのかもしれない。
「我は退場する。」シドラはアギュより歩調を遅らせながら声を潜めた。
「なるべく近くにいる。」遠ざかる。
「くれぐれも近づき過ぎないように。」
用心に越したことはない。急速にシドラはアギュから離脱する。バラキが近づけるギリギリの空間の隔てたところへと、シドラは人混みに吸い飲まれるように消えた。
アギュは今や1人になり、通りの喧噪に包まれていた。
しかし、声をかけてくるものはなくなる。アギュが僅かに自分のいる空間をずらしたからだ。人々の視界から消えたわけではないが、彼等のほとんどはアギュをはっきりと自覚することはできなくなった。何となくの影、そう言えば誰かいたようなと後々人が語るそういう状態だ。
そのアギュの移動した薄皮一枚で隔てられる別の空間(ダッシュ空間レベル1と呼ばれる)が次第に緊張に満ちて行くのがわかる。アギュはゆっくりと歩く。人の流れに沿って、人々に合わせるように。子供を胸に抱いた父親はそうとは気づかず、アギュを押しのけて通る。彼はアギュに目を向けることもなく走り去る。胸の子供だけが不思議そうに振り返るが、その姿も人の中に消える。大声で叫ぶ売り子達と同じような大声で叫び返す、豊満な主婦達の群れが行く手を阻むが、アギュはゆっくりと平気でそれらの真ん中を進んで行く。人々は顔の前の蠅を払うような仕草をしたり、顔をしかめるがアギュには気がつかず唾を飛ばして値引きの交渉を続ける。
すでに目的のホテルの前を行き過ぎていた。
アギュは入り口を大きく迂回し、脇からバザーが開かれている広場へと入っていった。通り過ぎた、屋台の横の椅子では子供と猫が騒音をものともせず眠っていた。
猫の耳だけがピクリと動いた。

そして、彼に向けられてくる、そのわずかな波動にも変化が現れた。
近い。とても近い。
接触してくるつもりか。おそらくは。
アギュはふいに歩みを止めた。
ふいにそのモノと視線を合わせていることに気がついたのだ。

それは、小さな子供に見えた。男の子か女の子かは咄嗟にはわからない。そこら辺にたむろする子供の1人となんら変わったようには見えなかった。
黒い巻き毛に褐色の肌になんの変哲もない汚れたTシャツとジーパンを履いていた。
子供はアギュと目を合わせた瞬間から固まったように動かなかった。
整った顔立ちは幼いがその眼差しは子供の目はではないとアギュは見抜く。
その目に宿るものは少なくとも悪意とか恐怖ではない。
しいて言うならば、驚愕とでもいうのだろうか。
アギュは自分が必要以上に落ち着いているのを確認する。
微笑みかけると、子供の顔の緊張がほぐれた。
やはりこの子供だったのか。
アギュは子供のすぐ傍らに立ち止まった。
「やはり・・・」子供の口からか細い声が漏れた。
「わかるのですね。私のことが・・・」アギュは黙って小首を傾げてみせた。
「私待ってました・・・ずっとずっと・・・」
思いがけず子供の目から涙がこぼれ落ちた。
子供はアギュの前に膝を折り、うつむく。その光景に目を留めるものはいない。
「お待ちしておりました・・・マイ・ロード」
顔を上げた時、その子供の姿は白い衣を纏う、金髪碧眼の青年へと変わっていた。
そしてそれと同時に現実から僅かに剥離していたアギュの次元が、もっと深い他次元へと移行するのがわかる。アギュはその青年から押し寄せる波に押し流されるようにして、そこへ移動させられた。
人ごみは遠のく。それらは今や、画かれたぼやけた絵でしかない。
それらは、二人の遥か足の下に移動していた。
この者も次元能力を持つ。デモンバルグと同じく。
アギュは緊張を持って、目の前の何か言いたげな青年の言葉を待った。

スパイラルツウ-2-2

2010-04-19 | オリジナル小説



デモンバルグを実際に目にした後の黒皇女の心境は劇的に変わりつつあった。
シセリもそれを感じ取った。
そんな黒皇女へのシセリの奉仕は半端なものには終わらない。
互いにあらゆる手管を用いて二つの裸体は混じり合う。
荒い息と共に。シセリは思考を吐き出す。

しかし、デモンバルグが本当に一番古い悪魔だなんて信じられる?
あいつは本当に4大悪魔よりも強いのかしら?
デモンバルグよりも恐怖や絶望感をむさぼる悪魔ならいくらでもいるわ。
バゼルブルなんてあたいみたいな半端な魔族でも腰が引けちゃうぐらい・・そこまでやっちゃう~?ぐらいの容赦ない食欲魔人じゃない?
あいつなんて日がな一日、あの魂を追いかけて合間に食べてるのなんて大した恐怖に思えないくらいの淡白な代物じゃないの?
あんな低カロリー食で飢えを満たしてるような奴が世界最古の悪魔だなんてあたいは最近実は、ちょっと信じられなくなってきてるのよね。
(でも、シセリ、あんたはあいつの信望者じゃないのかい?)
確かに過去何度か、あいつに協力したことはあるわ。でも、その代わりにあたいが得られたものなんか一個もなかった・・・あいつはあの魂にしか興味ないのよ。あたいとこうして交わって何か分けてくれることもないし。正直、あたいに指一本だって触れたことないのよ、屈辱だったらありゃしない。あたいらにとって交わることは挨拶じゃないの?。まったく、心底ケチ野郎だと思ったわ。
あたいはね、デモンバルグが、世界で一番古い悪魔だっていうからちょっと興味があっただけなのよ、なのに。
あいつはさ、いつ見ても世界の動向なんか興味ないって感じで1人で忙しくしてるじゃない?・・あのときはケチな食欲よりも自分の主義主張にひたすら生きてる姿が、あたいにはかっこよく思えちゃったわけなのよ。どうせ、喧嘩売ったってきっと、あたいなんかが及ばないくらいに強いんだと思ったしね。ヘタに怒らせて食われちゃったりしたら、たまらないもの。だったら、媚を売る方が利口じゃない?
興味もあったから・・・こちらから、モーションをかけ始めたわけなのよ。
(デモンバルグが世界で一番古い悪魔だって話は、おそらく本当だよ。私より古い4 代悪魔からも聞いたことがあるからね。)
本当?信じられない。
(確かに今の体たらくじゃね。だけど、ご覧・・・4大悪魔もあいつには手を出さないだろう?あいつは不可侵領域なんだとさ。・・・デモンバルグはこの世界が何度か滅びる度に生き残って来た・・・あいつは仲間の魔族の恐怖をむざぼり食って生きながらえて来たんだって・・・あいつにどんな力があるのか知ってる奴で生き残ってる奴はいないのさ。)
だったら・・・だったらもっとさあ・・・もっと、それらしくしてくれればいいのに。あたいらみたいに・・・他の悪魔みたいに人間共を震え上がらせてさ・・・あのドイツ人達の脳裏に巣食って世界大戦を仕組んだのだってあいつじゃなかったじゃない・・・
(あれは4大悪魔や私ら全部が協力したのさ。おかげで末端のものまで充分に潤ったもんだろう。)
そうよね。天使達だってね。くすくす。
皇女様も何かしたんでしょう?
(私はこの日本でね・・・色々とね。仕込んで、軍国主義者達相手に吹き込んで回ったもんさ。面白いように人間達は私の手の平で踊ったものさ。肉親同士、疑心暗鬼になって憎み合ったり、あげくに殺し合ったり・・・殺しても罰されない魂はその罪の重さに潰されて弾ける前にほんとにいい味を出したもんさ。・・・勿論、私の企み・・・そんなものにはまったく動かされない奴もいたけど。そういう奴がいるからこそやりがいがあるってもんだ。透明な魂を持ったものの絶望や恐怖はたまらなくおいしいからね。)

満ち足りたシセリの寝息に耳を立てながらも、皇女はまさぐりつぶやき続けた。





彼は目を覚ました。寒い。突き刺すような早朝の空気が夏を忘れさせる。
いつの間にか、寝袋から上半身がはみ出ていた。肩が冷えてしまっている。彼はバックからシミだらけのバスタオルを取り出すと肩を覆い、固くなってしまった筋肉をほぐす為に思い切り体を伸ばした。
手を伸ばしランプを消す。線香の灰が白くこぼれている。
朝日が埃で曇った窓を向かいの山の端から照らしている。天上の蜘蛛の巣が光っている。大きな蛾や小さな蛾が飾りのように窓の枠に止まっている。暗い時は見えなくなる雨水の染みた跡とカビが壁に滝のように線をつけている。朝日に洗われてそんなものさえ、描き込まれた壁紙の模様のようだった。
それらをぼんやり眺めた跡、彼は軽い驚きと共に起き上がった。
一晩中、『声』がしなかった。こんな夜は始めてだったことに気がついたから。
『声』は最初の夜からランプが照らす灯りの端を巡るように、クローゼットの影や木が割った窓の外、開いたままのドアの向こうに長く続く廊下からいつも彼向かって囁やいてきたのだ。彼を深く眠らせないように。
そして次第に昼も囁くようになった。片時も彼を安らがせないかのように。

『声』がなかったおかげで、彼は久方ぶりによく眠った気がする。夢も見なかった。
だが、我が身に安楽を許したことで、逆にそのことは彼をいたたまれなくした。
自分はもっと罰されなくてはならないのではないか。
彼は頭を振った。ここへ来たのはそんなことではない。いつまでも癒されない心の傷を癒す為ではない。もしろ、それをさらに押し広げるため。
失われた過去。失われた彼女を見つけ出すため。
彼女はどこにいるのか。あの時に見つけられなかったものが、時を経て今更見つけられるとも思わないが、彼は探さずにはいられない。
見つけなくては。
今日はあの『声』もしない。自分の精神が狂ったのかと戦くこともない。
彼は立ち上がった。何日かぶりに服を着替えよう。出かける為に。
今日は御堂山を越えた先まで行ってみようか。どこかに彼女の残した印があるかもしれない。自分への彼女のメッセージが残されているかもしれない。
彼女を捜しに行こう。
しかし、割れた鏡でヒゲをそり落としながらも彼の心に浮かんだのはウキウキとした気持ちとは正反対のものだった。
崩壊しかけた階段は足を乗せるポイントが決まっている。埃臭い薄暗いエントランスを抜けて、割れた窓を塞いだ板をどかした。
外の空気は深閑としている。谷底の屋敷は未だ、日影に没している。巨大な樫の枝がザワザワとなった。
屋敷の階段を降りながらも彼の気は晴れなかった。
どうしてだろうか。彼は唖然とする。
『声』のせいだった。
『声』がしないことが、かえって不吉な予感がするのだ。
彼は自分のこういった勘をかなりの確率で信じていたから。
何かが自分の乗っている表面の足下の奥で爪をといでいるような感覚。
まるで、厄災の前兆のようにだ。
彼は身震いした。







黒皇女は水底のような己の作り上げた空間の歪みの中から人影のしんがりを歩み去る男を見つめていた。
再び、時間がビデオのように巻き戻された映像。
井戸の底のような穴蔵から魚眼レンズで歪む現実界。
ここは皇女が自ら作り上げた次元。地底界。
黒皇女のむき出しの肌には汗が滴り落ちている。皇女は白い骨の床に引かれた黒いベルベットのシーツに直に腰を下ろしていた。何も纏ってはいない。その黒い磨き上げられた肌が暗い炎に照らされ浮かび上がっている。
その傍らには自慢の大きな鍋が置かれている。鍋の下の骨が燻されている竃の火は消えることなく、今もチロチロと瞬いている。熱を持たない楝獄の炎のように。今は戯れの情事の相手、シセリの姿はなかった。
「デモンバルグ・・・」静かに怨を含んで、皇女の口が開らかれる。
黒皇女はかつてこの世で一番、古い悪魔と称するデモンバルグと争ったことがある。
それは彼が今も血眼になって追っている魂に関わることであった。
結果、皇女は2度とデモンバルグとその獲物には関わるまいと誓っていた。
その誓いはかつて1度も破られたことはない。
黒皇女は意を決して立ち上がると60余年感、端正して世話を焼いてきた愛する大鍋の元に歩み寄った。その壷鍋も現実にある鍋ではない。皇女の霊力とでもいえばいいのだろうか。皇女が集めに集めた人間達の残留エネルギーを持ちえる限りの自分の精神エネルギーといったもので練り上げられることによって、始めて世界に実体化しうるものだとでも言えばいいか。
言わば、皇女にとって居心地のよいこの穴蔵のような場所は皇女が作り出した歪んだ次元の狭間。
黒皇女は自分の背丈の半分以上はある巨大な鍋の上に身を乗り出した。
2度と放すまいかのように鍋の淵を固く掴み、中でドロドロと煮られている混沌の中をジッと目を凝らして見つめた。
悪臭と腐臭の中に、けして混じることなく今もその光は漂っていた。
皇女は手を伸ばしかけて止める。忌々しい光。忌々しい魂め。
その光に触れることは魔物たる自分の肉を焼く事だったということを彼女はかろうじて想い出したのだった。鍋の底に満たされた混沌ですら自分には直接触る事は短時間が限界だ。だが、デモンバルグならば耐えることができるのだろうか。
ここにこの光があることをもしも、デモンバルグが知ったとしたら。
どうするだろうか?
黒皇女は一人、片手の指を噛む。
これはあいつの追ってる何かとは違う。
デモンバルグが追っているものがあの魂自体ではなく、魂の持つ秘密なのではないかと言うところまでは、前回の争いの時に皇女は看破していた。
皇女があの魂に似た、その光を見つけた時にどうしてもそれを手に入れたいと思い強引に手に入れたのはその為だった。
しかし皇女はただこうして持っていただけであって、デモンバルグが追っているその秘密のことは今だに検討も付かない。
あいつは皇女と違ってこんなものは欲しがらないかもしれない。
デモンバルグの追ってるものとただ性質が似ているだけのものなのだから。
しかし、これがまったく無関係であるとも皇女には思えなかった。
これがここにあることをデモンバルグは知らない。
知らせる気もなかったのだが。
ひょっとして、うまく使えば・・・恨みを晴らす為に利用できるかもしれない。
シセリの為などではなかった。
黒皇女にとって同じ魔族の女であるシセリはそんなに魅力のある女ではない。
皇女の好むのは人間の女。
それも汚しがいのある女がいい。
たゆとう光のように。
皇女は眩し気に目を細める。


この光はかつてこの地で皇女が手にかけたあの女が持っていたものだ。
その女の事を思い返すと今でも体がうずいた。
あの女を汚すことはついに叶わなかった。
あの女に情欲で身を焼かせ、自らの手で己の乳房をもみしだかせることができたなら。そのあられもない姿がどんなにか見たかったことか。
あの女が私の前に膝を屈っしていれば。
皇女はその女のすべてを手に入れただろうに。
その芯を心行くまで味わうことができたのだ。

黒皇女は自分と寝た特高の男を思い出そうとした。
利用した駒の一つ。しゃぶりつくして捨てた。
あの女に較べたらなんと大味で詰まらない男だったことか。
栄養状態が悪い体、骨張ってしゃぶるべき肉もない。
芋と雑穀で作られた体だ。
ここでは特権を持たされたものでさえ、たいした食事などできなかったのだ。
特権を振りかざして、一番いいものをいの一番に人々から巻き上げていたはずなのに。
名前など覚えていない。

しかし、あの男の精神は見事に歪んでいた。
疑心と不信を自らの心から覆い尽くす為に極限まで高められた恐怖。それはおいしくない肉体を補ってあまりあった。自己欺瞞から来る狂信的な盲目。卑屈さと高慢を限り無く併せ持つ自己愛と歪み切った忠誠心。邪な肉欲と嫉妬心。
口で言う愛国心等と言うものは微塵もなかった。
自分では気がついていなかったが。あの頃はそんな人間でいっぱい溢れていた。
あの男が精神を病んで命を絶ったのも無理もない。勿論、そうなるように仕向けたのは自分だ。甘美なデザート。たかが、デザートでしかなかったが。
戦後の時代に生き残れるほど、したたかに胆が据わっていたらメイン・ディッシュにも慣れたのに。
それほどの男だったなら、自分が妻の座に座り世間を操るのも面白かっただろう。かつてローマや中国でしたように。自分にふさわしい人間の男を生きながらえさせもっともっと地獄を作り出す器へと導いてやるのだ。
そして勿論、最期には・・・そうやって太らせた獲物を料理するのだ。
とびきり、残酷に容赦なく。

皇女はふと、物思いを断ち切る。
映像が終わり、誰もいなくなった窓の現実界を上目遣いに見上げる目はギラギラと燃え上がっていた。

「あんたが悪いんだよ、デモンバルグ。」
ついに、皇女はつぶやいていた。
「あんたの方が私の餌場に踏み込んできたんだからね。」

スパイラルツウ-2-1

2010-04-19 | オリジナル小説
スパイラルツウ



     2.厄災は目覚め 天使は暁に舞う



薄暗い穴蔵の片隅にぐらぐらと鍋が煮立っていた。
髪の長い女がその火を管理している。
炎が照り帰る黒い肌と黒い髪。女は細身で上背があった。
「そこにいるのはわかってるよ。」
唐突に女は背後の暗闇に言葉を投げた。
「シセリ、あんただろう?」
「鋭いわね。相変わらず。」闇を二つに分けて豊満な白い肌の女が歩み出た。全裸であった。果実のような丸みと下腹の茂みを隠すこともない。
そして長い腕を伸ばして黒い女を包容した。
女も口を開き親鳥がヒナに口移しで物を与えるかのように相手の唇に舌を差し込んだ。しばらく、一つになった影。銀髪と黒い髪が混じり合う。
「お久しぶり、黒皇女様。」
シセリはようやく女から口を放して口の片側だけで笑った。
黒皇女と呼ばれた女は無表情にシセリの闇に染まる瞳を見つめ返す。
「・・・腹でも空かしたのかい?」
相手はプッ吹き出した。「その通りよ。あたい、お裾分けでもいただこうかしら?」
「ここは私の縄張りだよ。」皇女の声は低く、甘みもない。
「知ってる。」シセリはつまらなそうに体を放す。
「相変わらず、いい餌場を見つけるわね。」
回りの闇を見回した。「熟成されているようね。60年ってところかしら。」
「苦労したんだ。色々、繋げてね。」皇女は背を向けて鍋の中に何かを無造作に入れ始めた。腐った屍肉の腐臭が漂っている。シセリはその匂いに顔を顰めた。
「あたい、腐った肉は嫌い。」皇女は相手をしない。
「終戦がここのピークさ、戦後いっきに熟したわ。」空中に漂う何かを捕まえる仕草。
よく見ると朦朧とした煙のようなものや、腐臭が形を取った霧が鍋の回りに満ちていた。その捕まえた何かを皇女は躊躇いもなく口に放りこんだ。
口の中で反芻しながらけだる気にシセリを見る。
「荒らさないでおくれよ。荒らしたら、いくらあんたでも私は報復するよ。」
「まさか。あたいがあんたの縄張りを?よして、荒らすわけないでしょ。」
シセリは面倒くさそうにしながらも手を伸ばし、何かをほおばる。
「あたい、目的は他にあんの。」
「そうだろうよ。」皇女は足下から棒を拾い、鍋をかけ回し始めた。その棒は人間の足の骨であった。鍋を置く為に床から積み上げられているものは沢山の燻された人の骨だった。「そうでもなきゃ、あんたが私のところに来るもんか。」
「あら、えらくご謙遜ね。」
「あんたが古い悪魔に入れ込みっぱなしなのは誰もが知ってる。」
「それなら話が早いわ。」シセリが距離を測るかのような態度をかなぐり捨てた。
「手伝って欲しいの。」
黒皇女は手を休めないで鼻で笑う。「なんで、私が。」
「ここに来てるのよ。」鍋の動きが止まった。
「・・・デモンがかい?」
「そうなの。相変わらず、変な魂を追いかけてるのよ。食べもせずにさ。」
「ふうん。」皇女は再び手を動かす。「私やあんたが産まれる前から、あいつはずっとそうだったよ。あいつは・・・」
黒皇女の瞳孔の闇が渦巻いた。シセリにその動揺を感じ取らせない為か、手の動きは早くなった。
「なんで・・・あんたはデモンバルグになんて固執してるんだい?」
「あら、だってあたいらだって産まれたり滅んだり出入りが激しいじゃない?油断してたら、すぐに強い奴に食われてしまうし。なのに、有史以前から存在する悪魔なんてすごすぎるじゃないのさ。あたい、嫌でも気になっちゃうわよ。どうやって存在を維持して来たのかと思うと気になっちゃって。何か普通じゃないすごい力を持っているのかと思ってるわけ。なのにさ、あいつときたらどんなにくっついてもそんな力を見せてくれりゃしない。他の魔族を狩ることもしないし、やってることと言ったらさ、なんだかわからないあの魂のひたすらお守りだけ!。ああ、あいつがその気になればむかつく天使族なんて滅ぼして、人間を独り占めにできるのよ!この三千世界の王様にだってなれる力があるのに!」
シセリは話しながら感極まってか、つま先でクルクルと回りだした。美しい裸体に銀色にも見える金髪がまとわりつく。皇女はその姿にチラリと視線を走らせただけだった。手を休めて鍋の中を覗き込む。
その時、ふと美しい頭だけが体を裏切り、皇女の方へと止まる。「そう言えば」
「皇女様も古き悪魔の1人じゃぁなかった?」
「有史後だけどね。」フンと、皇女は再び手を動かす。
「いいかい、あいつより古い悪魔はみんな死に絶えたんだよ。」
「・・・!何、それ?」
シセリはすごい勢いで皇女の腕に自分の腕をに絡み付かせた。
「どうしてそんな大事なこと、黙ってたのよ。」
「・・・別に特に話すことじゃないだろ?私ぐらいのものならとっくに知ってることだからね。」
「それにしたって!」シセリの指が腕を縫うように皇女の乳房に伸ばされる。
「いったい何があったの?」
「わからない・・」黒皇女は唇を噛んだ。
「何か、恐ろしいことだよ。とても、恐ろしい。魔族が滅びる程のね。」
「天使族は?やつらはどうなったの?」シセリは勢い混む。
「4大天使以外は全部死に絶えた・・・」
「すごい・・・!」興奮でシセリの体臭が強く濃く匂い立つ。
その女の月経の香りを皇女も馥郁と鼻腔に深く吸い込んだ。
チリチリと下腹部に火が付いて行くのを感じる。
「そう・・・」皇女は黒い瞼を閉じた。
「そうだよ。それは何か、恐ろしいことなんだ・・・私達が死に絶えて・・・デモンバルグだけが生き残るような、」皇女は1人で何度もうなづく。
「・・・恐怖を司るデモンバルグだけがね。」
「あいつはあたいたちの恐怖も食べたってことだね。」
シセリの指は皇女の紫色の乳首をそっと摘む。
「・・・あんただってそれを知りたくないの?」
「何か絡繰りがあるんだよ、それはわかっている。」
皇女はシセリの手に自分の手を添えた。
「私もそれを追ったことがあった・・・」
「で、結果は?その結果はどうなの?皇女様?」
黒皇女は肩をすくめ、シセリは皇女の乳房を愛撫を続けた。
「あいつの秘密・・・あたい、それを暴いてやりたいの。」
「・・・やめときな。」
「でも、デモンバルグはもうあんたの縄張りに入ってるよ。」
シセリの言葉に皇女の欲情がわずかににぶった。
「どいときな。」おもむろにシセリの手を振り払い、軽々と巨大な鍋を傾ける。
黒い渦のような物が腐臭と共に床に流れ出た。それは石と骨が敷き詰められた穴蔵の床を伝い、二人を包み込むどこまで続くともわからない深い闇の中に溶け込んで行く。闇がさらに粘っこく深まったようだ。漂う霧も押し殺すような青い燐光を放ち始める。びっしりと満ちた腐臭は手で触れそうなほど濃い。
「さあ。」黒皇女が声をかけるとそんな漂う闇の表面がブツブツと泡立ち始める。ゆっくりと渦巻き、苦し気に身を捩りのたうち始めた。ドロドロと迫り来る闇を見つけるシセリの顔からは最早、嫌悪の表情はない。それは陶酔。
赤い口を半ば開くと舌を覗かせる。溜まった唾がその先からしたたり落ちた。
「ここはなかなか良い猟場だよ。あと百年は枯れないね。」
皇女は誇らし気にシセリの腰に手を回した。
闇にボコボコと浮かんでは消える無数の泡の数々。
よく見ると泡のひとつひとつに苦悶に満ちた女の顔が浮かんで弾けては消えて行く。
シセリはそれにうっとり目を据えたまま舌なめずりをしていたが、皇女はシセリの腰を抱いたままで考え込んでいるようだった。

皇女の耳に歌うようなシセリの声が響く。
「沸いといで。あたいの好きな憎しみよ。大好きな妬みよ。」シセリは喉を鳴らす。
「卑屈な自己憐憫。自虐の喜びよ。」
「愚かな女のなめる苦渋は、どう?。愚かさにも気づかない傲慢な女の身を焦がす嫉妬は?」黒皇女も静かに声を合わせる。
「ああ、それもおいしいわ。あたい、どちらもいける口。」
「それはあんたに残らずやってもいいよ。おもてなしにね。」
「愛してるわ、皇女様。」
弾ける泡の表面に一瞬、古びた衣服を纏った女工の疲れた姿が、身をひさぐ淫売宿の女の姿、病に犯されながら医者にも看取られることなく1人横たわる姿、工場主に淫売宿の女将にと激しく折檻される姿が次々に浮かんでは消える。
「出るわ、出るわ。」シセリが興奮して叫ぶ。
「ここは女の因縁のたまり場さ。」黒皇女は満足のため息を付いた。

しかし、シセリは様々な痛みを味わいながらも皇女がどこかうわの空であることに気がついていた。再び置かれた大鍋の方にチラリと視線を走らせたのを。
満腹になっても気が緩んだりはしない、したたかな魔族の女だった。
シセリが密かに観察したところ、それは魔族の女が・・・特に西洋で産まれた魔女達が用いるありふれた魔力で作られた鍋にみえる。皇女の鍋の底にはどこに続いてるのか、どこまでも深い闇があるはずだった。特に黒皇女と呼ばれるほどの女であるならば、その闇はどこまでも深いはずだとシセリは考えている。
確かに皇女の鍋は深い。しかし、シセリも知らないことがあった。
皇女が作り上げた練りに練ったマイナスのエネルギー。それが床にこぼされたその下にそれらの不吉な素材をぐつぐつと真に煮え立たせるものがある。流れ出ることのない虚ろに満たされた異次元。それは『混沌』と呼ばれる何かである。
その皇女の鍋から覗ける『混沌』の中には一つだけ白い輝きがあった。さっきから皇女の視線が気にしているのはその光である。それは、闇にもまれながら飲まれず、星のような輝きを失わずに水面にたゆとう月のように今も鍋の中空に浮かんでいた。
その光のことを皇女はシセリには告げるつもりはなかった。
シセリが肩越しに近づくと皇女は黙ってその視界を遮った。
「何よ。何か隠してるの?。」
「デモンバルグだけど・・・」皇女は冷たい声で続けた。
「私じゃ役に立たない。関わるのはごめんだね。」



暗い廃屋の中で男はじっと息を潜めていた。
再び表に帰って来た子供達は大人と一緒になったようだ。
彼は身を竦めて窓際から遠ざかった。彼等に見つかりたくはなかった。
やがてもう1人の声が加わり、何かつかの間、もめてる雰囲気だったが。
しかし、もう声は遠ざかって久しい。
カビ臭い湿った部屋の中はいよいよ、じっとりと闇が充填されつつある。
割れた硝子の隙間の形に壁にポツリと浮かんだ濃い赤い光ももうすぐ消えてしまうだろう。そうしたら、この山間の谷の底の放棄された屋敷の中はどこよりも一足先に夜となる。
もう誰も来るはずはない。
去って行ったもの達も戻っては来ないだろう。
このところ、夜中に肝試しと称してやってくる若者達だけが彼の心配の種だった。
滅多には来ない。しかし、すでに2回ほど彼は肝を冷やされていた。
最初の男女の集団は屋敷の前でコソコソと話をするだけですぐに帰っていったが、2回目の奴らはしつこかった。彼等はうるさいバイク数台を山道に乗り入れて大騒ぎでやって来た。空元気の若造共が1階の正面の窓を壊して侵入して来たとき、彼は慌てて荷物をまとめて屋根裏に逃げ込まなくてはならなかった。しかし、その時に彼が立てた足音が耳に届いたらしい。急に怯え上がった彼等はあっと言う間に戦意を喪失した。それでも時々、思い出したように奇声を発していたが、上まで上がる勇気はなかったらしい。そのうち階段をウロウロしている間に何かに驚いたらしく、突然盛大な悲鳴と足音と共に退散していった。バイクの爆音の中にもどこかの木立に突っ込んだり転んだりしている気配や悲鳴が混じり、来た時よりも騒がしかったくらいだった。
彼等の音がまったく途絶えた時は寂しくすらあった。
そうだ。今、思い返せば、彼等は口々に叫んでいたのだった。
『声がした!』『声がしたっ』と。
声?。
男は体を寄りかかっていた窓際からゆっくりと身を起こす。
寝袋の床に置いてある辺りを手探りして石油ランプを見つけた。
まだ、灯油は残っている。ライターで灯を灯す。家具も何もない暗い室内が照らし出された。作りつけのクローゼットは木のドアが片方だけしかない。
そのがらんどうの穴の奥に不穏な闇がちら付いているのが見えた。
部屋の隅はまだ薄暗い。しかし、彼の寝床の辺りは充分に明るくなった。
本も読めるくらいだ。彼が持ち込んだ傷だらけの黒い大きな革製の開いた鞄の中から数冊の本が覗いている。ここに来る途中のゴミ捨て場で拾ったものだ。
燃え残りの蚊取り線香の灰が床の上に円を描いている。
気楽な廃屋暮らしだったが、虫の攻撃だけは今だに慣れなかった。
これの残りもまだ充分にある。
彼は両手でランプを胸の上に抱くようにして横たわった。
蚊は防げても灯りによってくる虫はあまり防げない。彼は虫が炎に焼かれる音が嫌いだった。
しかし、この灯りが付いている間はあの『声』はしないのだ。
夜はなるべく眠りたかった。
例え悲しい夢しか見ないとしても。
しんしんと迫る静寂は物思いで嫌でも彼を苦しめる。
もう自分が彼女に会えるのは夢の中でしかないのだから。
彼はランプを両手でそっと枕元に置く。
ここに来るべきではなかった。
何より戻って来るべきではなかったのだが。