変態の到着
トヨとハヤトは手をつないで、そろそろと歩いて行った。足元が材木やガラスが散乱していて危うかったからだ。最初に寝かされていた場所は窓のない廊下の端。ガラクタや板でバリケードのように覆われていた。その隅を抜けて程なく廊下のようなところに出る。薄暗さに目が慣れてきたのか、教室のような部屋が並んでいるのがわかった。「やはり、学校だよね。」二人は並んで割れた窓から外を見た。その時を待ったかのように雲の切れ間から月が現れた。沈んだ陽の痕跡が西を教えてくれる。しかし、見渡すところ民家の明かりらしきものも見えなかったのでハヤトはがっかりした。
「校庭・・・だね。」月のおかげで廃墟になった校庭は美しかった。ところどころ壊れたフェンスぞいに生えた木立から雑草が侵入を始めている。
「車が来ている。」唐突にトヨが指差す。「定期的に誰かが出入りしているんだ。」
そう言われると奥の校門らしきところから校舎までタイヤの跡が付いていた。
あとは深く轍を刻んだりしつつ幾重にも重なっている。
「それじゃあ、運が良かったら僕たち、見つけてもらえるね。」
「・・・それはどうかな。」トヨがそう言った時に微かなエンジン音が聞こえた気がする。「誰か来た。」「しっ!」トヨが手を引く。そう言う間に音は近づき、本当に眩しいライトが校門を浮かび上がらせた。「こんな夜中に・・」安堵と不安、半々か。
「あの車、変態だよ。」トヨの声に驚く。トヨの横顔は静かだ。校庭に目を戻すとちょうど車が校庭に乗り入れて来た。一瞬、ライトに黒い影が浮き上がるのが見えような。
「子供がいる?!」トヨが手に力を入れた。「君にも見えた?」笑み。
視線を戻すと影は消え、車は小さな校庭をまっすぐに進んで来ていた。
「逃げよう、隠れなきゃ。」二人は窓から離れる。
窓に並んでいる二つの白い顔を男は確認していた。
「やはり、ここにいやがったか。」歯ぎしりと共に。心の隅が自分を責め続けている。すけべ心を出して、目の前に餌につられた自分をだ。
あの子の手に触れた、確かに触れたのだ。少女は自分を森に導いた。そして、友達を助けて欲しいと言った。友達は廃校にいるというので彼の心臓が一瞬、フリーズする。その間に女の子の小さな指は手をすり抜け、木立の間に走り抜けて消えてしまった。
すごい速さだった。人間でないみたいな。
追うこともできず、唖然としていた彼が憤然、悄然として車に戻ってみれば・・・彼が苦労して運んできた獲物まで消えてしまっていた。
一人はどうでもいい、もう一つが・・。極上の獲物が。
だから言ったのに、と責める声。これでは大好きな子供の泣く声が聞こえない。
言葉はすでに彼の思考とピタリと重なっている。
彼が自分を立て直すまでには、少し時間がかかった。山の中で逃げた子供を探す算段がとっさに浮かばない。その時に、ふと浮かんだ言葉が『廃校』だった。
ひょっとしてと、根拠もなく希望が湧く。
楽観的に賛同する声。そうだよ、きっと。いるよ、だから子供を早く・・・泣かしておくれ。そんなわけない、罠だ。二つの声が混ざり合い、思わず男は頭を押さえた。主導権争いをする声は次第に落ち着き一つになる。
どっちにしても慎重にと。
彼はあの妙ちきりんな女の子の琥珀のような瞳が頭から忘れられないのだ。どんなに不自然で怪しいと思っていても。幽霊でも妖怪でもいいじゃないか。正体を確かめたいのだ。
待ってる・・・廃校で。廃校で助けを待ってると言ったのだ。助けに来てと。
それに、こんな山奥の彼だけが知る聖域で、誰が罠を仕掛けるというのだ。自分は一連の少女行方不明事件で全く警察の捜査対象に上がっていない自信がある。
男は再び、声を無視する。
獲物もそこにいるかもしれないと夢想した。いなくてもこんな山奥、朝方に麓で張っていればなんとかなるかも。その前に、あの少女だ。確認しなければ。
そう思ってここに来てみれば。
なんとも、逃した獲物が二人、揃ってここにいた。俺には天使がついているようだ。
それにしても。よりによってここに逃げ込むなんて。
あのガキどもも運のないやつらだ。逃げられると思うなよ。
笑みが浮かんで止められない。
子供を・・・早く、子供を・・・
車を停め、ライトを消す。エンジンが止まると周囲の沈黙と冷気が包み込みように迫って来たが男には慣れたものだった。いつもより纏わりつくように感じるのは気のせいだろう。月明かりのせいで、見慣れた光景が何かしら禍々しいほどの壮絶な美しさを演出している。それだけだ。
内なる声は高まり、彼を強いて急かす。早く早く、欲望を。慰めを。
苦痛に歪む幼い顔と哀願する泣き声が聞きたくてたまらない。大人だったら酷い仕打ちに耐えかねて自ら死ぬこともできる。だが、子供は・・・死ねる機会がいくらあっても自ら死を選ぶということがない。死ぬことができない。バカだから最後まで助けが、それも親の助けが来ることを待っているのだ。そしていよいよ・・・助けはもうこない、自分は死ぬのだとわかった時。その目に浮かぶ絶対的な絶望が男にはたまらない。
そして、子供たちの全員が親の名を呼びながら死んでいった。
掌中の玉として慈しみられ育てられた子はもちろんのこと、ほとんど顧みられず、どんなに虐待した親であってもだ。その度に男は、子供というものが大人から劣った愚かなものなのだということを繰り返し確信してきた。
なぜなら、親など呼んでも無駄なのだから。
呼ぶなら自分を・・・自らの生死を握る『神』を崇めなければなるまい。
その方がまだ救いがあるというものだ。
絶対的優位において苦痛と絶望を与え、その苦痛から、絶望から解放してくれる『神』。
男は傲慢に高揚しながら、手早くレインウェアの上下をまとい、ヘッドライトを装着する。肩から斜めに細身のロープをかけ、サバイバルナイフを忍ばせる。
獲物たちには朝から何も与えてない。腹を空かせているはずだ。その為に買っておいた菓子パンを忍ばせた。
なるべく捕まえる過程では殺したくはない・・・ひとまずは動けなくすることだ。
そして、と欲深い男は舌舐めずりする。あの少女を探すことも忘れてはならない。
結局、終わりよければ全て良しになる。