MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

女達4-2

2009-11-17 | オリジナル小説




「ところで。」
マーサとワゴンが遠ざかるなり、待ち構えたように先陣を切ったのはドクターだった。カチンとカップが受け皿の上に置かれる。
「ミスター・ボブはいったい、いつまでここにいらっしゃるのかしら?」
「そのことだけど・・あたし・・」
「いつまででもよ。」クラリサが子供のように声を張り上げた。
「ボブは今日からここに住むの。居たいだけ居てもらうの。」
「でも、クラリサ!」ドクターは声を上げる。灰色の瞳が困ったようにクラリサを見ている。この人、目だけは美しいわとあたしは気がついた。
「ここはあたしの家なのよ。居ていい人は、私が決めるの。」
クラリサはドクターを見なかった。正面を向いて膨れっ面をする。
ドクターはあたしがあきれたことに、本当に子供に言い聞かせるように噛んで含めるようなゆっくりとした話し方をしている。
「彼は、あの・・その、わかるでしょう?。クラリサ様・・・彼はねぇ、男性なの。
女のカッコをしているけど、男の人なんです。ねぇ、よおく考えて見て。この家は女の人しかいないでしょう?。お母サンがなんておっしゃるか、考えてみて。男の人と同じ屋根の下に住んだりしたら、みんなだってあなたをどう思うと思うの?。色々と意地の悪いことを言われますよ。新聞や雑誌で色々書かれるの嫌でしょう?嫌だって言いましたよね。大学でだってですよ、あなたの評判が・・」
「ドクター・カーター?」クラリサは相変わらずドクターを見ないまま、あどけない子供のように顔を傾けたの。あたしはさっきから鳥肌が立って、クラリサ・デラから目が離せなくなっていた。これはなんなのかしら?。あたしは銀幕のマーゴットの演技を思い返した。クラリサは間違いない、演じているのだ。無垢なる子供を。
「ボブと一緒に住むのが嫌なら、ドクターは出て行ってくださって構わないのよ。」
ドクターが言葉を失って青ざめるのは気の毒な程だった。
「でも、彼の気持ちもあるでしょうし・・そんな一方的に・・」
ドクターは尚も喘いでいた。
あたしは辞意を告げるなら今だと思った。その時、それを察したかのように、クラリサが振り返りあたしの目を覗き込んだ。あの魔法のような青紫色の瞳で。
「ボブは帰らないわよね?」
その目には口調とは裏腹に先程の子供のような表情は微塵もはなかった。
「行くとこがないんだもの。私といてくれるんでしょ、ねぇ?」
あたしは口を開いた。彼女を悲しませたくなかった、でもあたしにだって・・。

「いいでしょう。」あたしの答えがどっちにせよ、太い声が打ち消してしまった。
「居てもらえば。」
ミセス・Dは何事もなかったように悠然とデザートを食べコーヒーを飲んだ。
「でも!マーゴにはなんて説明するんです?!」
ドクターがヒステリックに語気を荒げて腰を浮かせた。
「あの方こそ、ご自分の娘の評判を気になさるのではないですか?」
ミセス・Dは手を止めるとドクターに黙って椅子を向けた。ドクター・エッジの言葉にも鋭い非難が込められていいたけど、ミセス・Dのブラシで縁取られたボタンのような目にも意地悪なきらめきがあるとあたしは感じたわ。
「アドリナ、あなたは深刻に考え過ぎですよ。この方は、」あたしにちらりと目を走らせる。「あきらかに普通の男性とは違いますでしょ?いい意味でね。このデビットのように。」
始めてミセス・Dは例の謎の男性に手を向け、デビットなる男は尚も黙って会釈を返した。

「しかし、ですね・・!」ドクターは納得しない。「この人が!」
ドクターの骨張った指が思い切りあたしを指差すのを見てさすがにあたしも何か言わねばならないかと思った。でも、あたしはあたしのくるぶしに何かが触ったのでギョッとして飛び上がりそうになった。下に猫かなんかいるのかと思ってテーブルクロスの下を覗き込んだあたしが見たのはなんとジャネットだった。
「ねぇ、ほんとに下着はどっちなの?見てもいい?」ジャネットは声を潜め、ものすごく真剣な表情であたしに問いかけて来た。上ではドクターが更に叫んでいた。
「このミスター・ボブがそうだとは限らないでしょう!。この人はゲイじゃありません!。ただの女装癖なんです!、ただの女装好きの男なんですよ!。女のなりをして、安心させて牙を剥く詐欺師みたいなものに決まってます!。クラリサを狙って近づいて来たんですよ!」
あたしへの謂れのない中傷はエスカレートするばかりだったけれど、あたしには抗議するゆとりがとてもなかったわ。あたしはテーブルの下のジャネットをどうしていいかわからず、あたしなりの答えとして服の包みを足の間に強く押し付けワンピースの裾で膝で固く押さえた時、デビットなる男が身を乗り出すようにしてあたしに問いかけて来たせいもある。
「ええっ?」あたしは気もそぞろで問い返した。
「君はゲイじゃないの?。それとも、バイ?。ねぇ、君は男と女とどっちがすきなのかい?。」
デビットの笑顔は魅力的だったけど、確かに彼の口調には独特のねちっこい粘りがあったわ。
あたしは混乱したまま早口で口走っていた。
「あたしはどちらかと言えば、そりゃ男の人の方が好きだけど。」
今はクラリサ・デラに夢中なの・・・でも、それを今言う程、馬鹿じゃないわよ。それよりもあたしは今にもジャネットが実力行使に及ぶんじゃないかとそれが気になってちっとも話に集中できなかった。ジャネットの手が踵よりも上に伸びたら、思い切り蹴っ飛ばすべきかもしれない。それに隣でクラリサがずっと小さくクスクスと笑っているのも気になってしょうがなかった。
もうほんと、こんな話題、あたしはクラリサの前でして欲しくなかったのよ。
「聞いたかい?!アドリナ!」デビットは鬼の首を取ったように声を張り上げた。
「ミスター・ボブは男の人が好きなんだよ!。彼も真性のホモなんだ。」
「そんなはずないわよ!。この人に男のいい人がいたなんて話はこれっぽっちも出て来なかったわ!。彼は偽りのゲイよ、女が好きなのよ!。決まってるわ!あたしは騙されるもんですか!。」
「ねぇ、アドリナ。誰もが君みたいにセックスがしたくてしょうがなくて、10や15で可愛い同性の友人をベッドに引っ張り込むわけじゃないんだよ。」
「なんですって!」ドクターの顔が真っ赤になった。「失礼な!。なによ、あんただって好色なホモじゃないの!。ボーイスカウトで教官を誘惑して、ハイ・スクールでさんざんやりまくったって自慢してたのは誰なの!」
二人はテーブルを挟んでギャンギャンと下品なスラングを怒鳴り合い、ジャネットはあたしにテーブルの下から「ねぇ、下着を見せて」と繰り返し、クラリサは子供の声で笑い続ける。そんな数分感があたしには永遠に続くかと思われた。


「二人とも黙りなさい!。」
ミセス・Dが一括した。
「クラリサの前ですよ。」
あたしもその大声にびっくりしたけど、ジャネットも驚いたらしい。彼女の頭がテービルの下にゴツンと当たる音がしてグラスがカチカチと鳴った。
クラリサがチラリと下を覗き込んであらと言うように表情が動いた。困った顔のあたしと目が合うと納得したように、うふふと笑い返した。

完全に場の主役の座を奪い返したミセス・Dが喋っていた。
「ガタガタ言わないの、アドリナ。あなたも、知ってるでしょう。マーゴットの周りには、そういう方達が大勢いらっしゃるんです。わかるでしょ?。ハリウッドでは常識、公然の秘密です。むしろ、ハリウッドに深く根を降ろした証です。あなただってお仕事柄でも個人的にも、そんなことは熟知してらっしゃるでしょうに。何をいまさら。」
その太い声にはあざけるような調子があった。ドクターは唇を噛むと反論をやめ、ペタンと力なく椅子に身を沈めた。デビットが甲高い笑いを押し殺した。
「そうそう、僕たちのような健全なゲイだったらマーゴット様もミセス・Dも問題にするわけない。ちょっとしたお楽しみなら誰だって寛大にしてくれるだろ?。」
賛同を求めるようにミセス・Dを見る。
「問題なのは種馬になれるヤツだけなんだから。」
彼の最期の言葉にミス・エッジは唇を噛んで顔を上げ、ギロリとデビッドを睨んだ。
ミセス・Dはちょっと困ったお気に入りを甘やかすような視線を一時、デビットに注いだ。それから、その視線はクラリサへと流れた。
クラリサはその場にも会話にも全く関心がないように無邪気にケーキを突ついていた。洋梨のケーキは見事にバラバラになり、最早口にされる見込みはなくなていたわね。
あたしはミセス・Dに気取られないようにそっとテーブルクロスの下を覗き込んで見た。残念ながらジャネットは相変わらず真面目な顔して座り込んでいたが、最初程のあたしの下着への執念は失ったみたいに見えた。口に指を立てると、静かに後ずさりを始めた。それを確認するとあたしはテーブルクロスを元に戻した。
あたしもデザートへの食欲をもう完全に失っていたわ。

「さあ、コヒーでも飲んで気を落ち着けられたらどう?、ドクター。」デビットが素早く席を立つとワゴンに歩みより、コーヒーポットを手に戻って来た。ちょっと眉を潜めたのは、テーブルの下のジャネットに気がついたのかも知れないけれど彼は何も言わなかった。毒気を抜かれたようにドクターが差し出したカップにデビットは美しい姿勢で優雅に注いでみせた。それを見てあたしは彼の以前の職業・・ここで何をしているのかは知らないけど・・彼が以前はどこかでカフェのウエイターをしていたのは間違いないと確信したわ。
「考えても見なさい、アドリナ。マーゴの考えそうなことです。マーゴはミスタ・ボブとの交流を段階的な改善と受け止めるでしょう。女のカッコをしていても中身が男ならなおさらいい。今のままでは、どうなるかは目に見えていますからね。まったく、ケイジー・ミッキーがもう少し話のわかる男ならば良かったのに。マーゴットも困った人を後見人に指定したこと。時代遅れの堅物なんて。弱みがあるから断れなかったのですよ。」ミセス・Dは息を吐く。
「クラリサは、もう18歳なのですから、できるだけ早く本当はどうにかしておかなくてはならないのです。なにしろ、大事な発表が控えているんですからね。」
「しかし、それは!前から何度でも申し上げてますけど・・」
ドクターが声を詰まらせた。あたしをチラチラ見るところをみるとあたしの前では話したくはないのが明白だった。
「私の立場から申し上げます。その発表は時期尚早ですわ。」
「すべてはマーゴットの意思です。」
「母親だって娘を尊重すべきでしょう。クラリサ様の気持ちだって・・・」
「これはミッキーだってマーゴットに首を振らせることはできなかったんですよ。」
クラリサがそっとあたしの袖を引いた。
「ボブ、食べ終わったなら、行きましょう。」
「どこへ?」
「買い物。あなたの荷物も取って来なくちゃ。」
クラリサはそっとテーブルの下にも囁いた。
「ジャネットも。今が脱出のチャンスよ。」
後はお願いとでも言うようにデビットにも手を振る。
デビットは黙ってうなづくと、再びポットを手にミセス・Dの前に視線を遮るようにかがみ込んだ。

取りあえずその場に残りたくはなかったので、あたしはクラリサに続いて部屋を出たの。挨拶はしたけど、あきれたことにデビット以外は返事もしなかった。
入れ違いに部屋に入って来たマーサはジャネットがクラリサに隠されるように前を歩いてるのを見て驚きを隠して眉を持ち上げてみせた。ジャネットがクラリサから離れるなり、マーサを手伝う為にたった今、母親と一緒に上がって来たかのように振る舞うのにはほんとに感心しちゃったわ。この女の子は侮っていけない悪知恵に満ち満ちているに違いなかった。
残された二人はまだ話がありそうで、ドクターはミセス・Dの側に席を移り、二人は顔をくっ付けるようにして話こんでいた。デビットがその側に座り、マイ・ペースにデザートのお代わりを食べている。ジャネットは油断なく聞き耳を立てながら、マーサの方は能面のような顔で食器を片付けていた。
あたしは不思議だった。二人はクラリサを前にして、彼女がいないかのようにクラリサの話をする。クラリサはあたしと同じ18歳のはずなんだけど、ミセス・Dとアドリナ・エッジはまるでクラリサが保護が必要なロー・ティーンの女の子ように扱っていた。18歳になれば成人として自分が望めば、信託財産があればそれを管理したり今後の身の処し方をある程度選択できるはずだ。
だからそれよりも、謎はクラリサだった。
なぜ、あんな演技を?。演技だとおもうんだけど。
彼女は昨夜、ここは自分の家で自分の好きなようにできるんだと言っていたのに。
そうではないみたいじゃないの。何か事情があるのに違いなかった。
「あなたの話をしてるみたいなのに、いなくていいの?」
あたしは心配で聞いてみた。
「いいのよ。いつもあの調子だから。」クラリサはまた小さな子供の声で答えたわ。
演技は継続中ってわけ。

濃紺の制服女性が階段の下に控えていた。
レイの姿は見えない。
「ヘレン、車をお願い。今朝、話したとおりボブの引っ越ししますから手配してね。」
ヘレンは無表情に準備ができておりますと答えた。さっきあたしに会ったとかはおくびにも出さない。あたしを見ることもなかった。
あたしがクラリサとキャデラックの後部座席に乗ると、そのシートの手触りを味わう暇もなく助手席にバレンが乗り込んで来た。
彼女もあたしに目を向けることはなかったけれど、後ろ姿の全身から怒りが感じられた。これでは、クラリサに色々と話すことなんてできそうもなかった。
「さあ、行きましょう。」クラリサがはしゃいだ声をあげた。

その後、あたしはクラリサと買い物に行くことになってしまったの。
思い切り流されまくってるあたし。
だけどあたしは、あたしなりに抵抗した。あたしはなるたけ、必要最低限なものしか買わなかったわ。クラリサがなんでもかんでもあたしに買ってくれようとするのから、それは一時も気が抜けない大変な仕事だった。
「あなたって変な人ね。」
クラリサはその時は演技を忘れて心底、不思議そうに言った。
「だって、あたしはクラリサの養い子じゃないのよ。」あたしは行き場のない怒りに内心プリプリしていた。バレンが店に入ってからずっと、その時もピッタリ付かず離れず側に張り付いていたし。バレンの態度はあからさまにあたしは存在しないかのように振る舞うといったものだったから。あたしはこの隙の寸分もないスーツと完璧な化粧に身を固めたドクター・エッジの恋人だとか言うレズビアンの女が心底嫌いになりそうだった。
「あたしはクラリサの家に居候になるだけなんだから。あたし、家事を手伝うしアルバイトだって捜すわ。家賃だって、あたしに払える範囲でだけどお払いするつもりなの。」
「そんなのいらないわ。」クラリサはものうげにココアに口を付けた。
あたしが入ったこともない、デパートの奥地にあるお得意様専用のカフェだった。分厚い絨毯が引き詰められ、重厚な応接セットがそこここに置かれていて人は疎らだった。嬉しいことにそこにはバレンは入って来なかった。
あたしとクラリサだけ。あたし達は向かい合わせのソファの一つに隣同士に座っていた。向かいの席に腰を下ろそうとしたあたしをクラリサが招いたのだ。やっと二人だけになれたんだけど、あたしの心はそれまでに、朝の食卓からバレンまでに受けたモロモロの仕打ちでささくれ立っていたんだと思う。
「あのねぇ、あたしがそういうのは友達だからよ。あたしとあなたは御学友なんですって。だったら、ちゃんと友達らしくしたいの。」
我ながらずうずうしいと思ったけどあたしの口は止まらなかった。あたしはクラリサに説明した。
「こうなったからには、あたしはあなたとちゃんとした友達になりたいの。友達って対等なのよ。知ってるでしょう?。どっちかがどっちかに完全に寄りかかったりしないの。あたし、そういうのは嫌なのよ。」
「友達。」クラリサは目を丸くした。「私、友達なんかいなかったわ。」
「んまぁ。」あたしは言った。「そんな馬鹿な。」クラリサが学内パーティや式典に出た時に回りに付いていたお取り巻き達はお友達でしょ。
「違うわ。あんな人達。」クラリサは肩をすくめた。「あの人達は有名女優の母に頼まれたから近くにいるの。あたしを見張ってるだけよ。」
学内の心ない噂はドンピシャリ、正解だったってわけ。
「あら。」あたしが言葉に詰まっているとクラリサは私に手を回した。
「私、友達持つの始めてなの!私の友達になってくれるのね。私、嬉しいわ。」
どこまでが演技なのか、演技じゃないのか。あたしは今朝の態度をクラリサにじかに聞きたかった。実際に聞けたのはもっとずっと後、あたし達が本当に親しくなってからだったけど。
クラリサが体を離すと、あたしは謎のミセス・Dのことを尋ねてみた。
「ところで、ミセス・ダートンって・・・なんであんなに偉そうなの?」
あたしが尋ねた時、クラリサの顔にギョッとする変化が現れた。
美しい目に薄い膜が掛かったのだ。
「あの人は私の監視者なの。」抑揚のない固い声が美しい唇から漏れた。
そしてふいに微笑んだの。ギラギラした、だけど氷のような笑いだった。
「クラリサ。」あたしはぞっとした。「やめて、クラリサ。」
「驚いた?」クラリサはパッと表情を変えた。「冗談よ、あたしって演技派でしょ。あの人はあたしの母が送ってよこしたありがたくないお荷物ってわけ。あたしの回りの人は、全員、ミッキー派かマーゴット派かどっちかってわけなのよ。」
この時は、あたしはまさか・・・クラリサって実はちょっと足りないところがあるんじゃないかしらと、ちょっとだけ心配になった。もしくは、精神疾患?。
あのドクター・エッジ・カーターもいるし。
それはまあ、当たらずとも遠からずだったわけなんだけど。
その時はまだ、お金持ちなんだから、主治医がいるのは当たり前だと思ってたわ。
あたしは横目でしみじみと作り物のように形のいい細い手先を盗み見た。
こんなに美しいのに。天ってやっぱり二物は与えないってこと?

突然、クラリサはあたしに体重をあずけるように寄っかかって来た。
金髪の頭を預け、目を閉じていた。
儚い甘い、匂いが肩の下から広がってくる。
クラリサの肩は高級な薄い生地の下で限り無く華奢で、壊れ物のような体はしなやかで柔らかかった。
「ボブ、私いつもあなたと友達になりたかったのよ。」
あたしは驚いて、頭の芯が感激でジーンとしびれてしまったわ。
「・・・どうして?」言えたのはこれだけ。
「だって、あなたは正直なんですもの。」クラリサの瞼はまだ閉じたままだった。
「うらやましかったわ。あなたのように・・・生きられたらって。」
あたしの見間違いじゃなかった。彼女の目から奇麗なダイヤのような水が盛り上がっていた。
「クラリサ、クラリサねぇ。」デートでふいに泣き出してしまった女の子に遭遇した男の子のようにあたしは動揺していた。「ねぇ、ねぇ・・・泣かないで。お願い。」
一瞬、あたしはどうしていいかわからなかった。次の瞬間にあたしの頭に浮かんだのは母さんならどうしただろうと言うことだったの。
あたしが拾った病気の猫が助からなかった時、仲の良かった子に突然に意地悪された時、熱が出て咳が止まらなくて眠れなかった時に母さんが自然にしてくれたこと。
それを考えたら、あたしの迷いはなくなった。
あたしは不器用にクラリサの肩に手を回したわ。母さんがあたしはいつもしてくれたように、彼女の背中をできるだけ優しくゆっくりと撫でたの。
そして彼女の頭を膝に乗せて彼女の髪の上に静かに手を乗せた。クラリサはまったく抵抗しなかったわ。クラリサの震えがおこりのように時々彼女の体を突き抜けるのをあたしは感じていたし、あたしのスカートの薄い生地を通して彼女の暖かい涙があたしの膝に伝わるのがわかった。
ただ、あたしはそうやって彼女の涙が止まるまでじっとしていたの。

後で思い返すと本当に不思議に思ったわ。だって、クラリサは遠い星であこがれの存在だった。母さんがいなくなって、入れ替わるようにあたしの近くにクラリサが現れて・・・あたしはほんの数十時間後にはクラリサの頭を壊れ物のように大切に自分の膝に置いて、まるであたしのお母さんのように彼女の髪を静かに撫でていたなんて・・・・。
でもその時・・・回りの目なんかまったく気にならなかったあの時・・・あたしの頭には目の前にいて泣いている女の子のことしかなかったの。
よく、わからないけれど・・・あたしの感じたのは、クラリサの中には隙間なくびっしりと悲しみが詰まっていて、それを出してしまいたいのに悲しみが心の栓になってそれがうまく外にだせないでいる・・・そんな感じがしたのよ。
何かで苦しんでる人にあたしがしてあげられる唯一のことだったの。
クラリサはしばらくしたら、正気を取り戻したからバレンがもう「お引き取りになる時間です。」と迎えに来た時にそんな光景を見られなくて本当に良かったと思うわ。あたしきっと、バレンに撃ち殺されたかもしれないわね。

そんなことがあってからあたしは、くだらない意地やプライドなんか、どうでもよくなってしまったの。
溜め込んでいた怒りは嘘のように消えてしまっていたわ。
母さんがよく言ったように「流れに任せてみる」ってこともいいかもしれないとあたしは思ったの。
どうなるかわからないけど、心細い子供のように身を震わせて、膝の上で泣いているクラリサがあたしに側にいて欲しいと言うんなら、もう見捨てることなんかできないと思った。
空手の先生も言っていたわ。
人生って川は流れに逆らって、無理に泳ぎ渡ろうとすると溺れてしまうことがあるんだって。
「なるようになる」ってね。



次の日、あたしは業者と一緒にアパートを引き払った。
持って行くものは最低限にするしかなかったけど、それは簡単なことだったわ。
家具や大きな物は必要なかったし、クラリサの家には似合わないくらいにみすぼらしかったから。
母さんの思い出が目一杯詰まった家は手放しがたく、でも同じ理由で何を見ても辛くて仕方がなかったの。
大方のものは処分を頼んで、あたしは鍵の壊れた古ぼけたスーツケース(母さんが日本から持って来た)とあたしの学校用の安いボストンバッグの二つにあたしの服と母さんの着物を詰め込んだ。後は母さんの使っていた裁縫箱と嫁入り道具の懐剣ぐらい。
大家さんと母さんの友達が幾人かお別れを言いに来てくれたわ。
どこに越すのかと聞かれたけど、あいまいに答えるしかなかった。
大女優マーゴット・クリスティーン・オラブルの娘の家に引っ越すなんて言ったら、それこそなんて言われるかわからないじゃない。
あたしはどう言われてもいいけど、やっぱりクラリサのことが気にかかった。
ドクターの言うようにあたしがとんでもない厄災になってしまったらどうしよう。

今思うとあたしは武者震いをしていたかもしれない。
図らずもあたしの選ばされた・・・いいえ、違うわ。
あたしは自分で選んだんだから。
あたし自身が選択したこの結果・・あたしのこれから行く道はどうにも平坦な道には思えなかった。
クラリサと暮らせる!ラッキー!そんなものではない。
なんだかあたしの思ってる以上に何かがあるとあたしは感じていた。
そして、それは正しかったの。
なのに、あたしの最大の戦友はもういない。
(あたしの心の中にしか)
あとはもう、クラリサだけ。
あたしはこれから1人で切り抜けなくてはならないのだ。
どんなことも。
何が起こっても。

女達4-1

2009-11-17 | オリジナル小説
       あたしが招かれた気違いお茶会の話



私が明るい陽射しが満ちた食堂に入って行くと、正面にクラリサが座っているのが見えた。
その時のクラリサの印象は、なんていうんだろう。昨日、あたしを窓下から拾いあげてくれた時の断定的なクラリサではなかった。勿論、大学で見かけるマドンナ的なクラリサでもない。
心細くて途方に暮れた子供のような表情があたしには見えたの。
そしてその幼い子供はあたしが部屋に入ると同時に目を上げた。そしてその顔にはじけるような笑顔が浮かんだ。
これはあたしの願望的錯覚なんかじゃなかったと思うわ、絶対に。

「ボブ、おはよう。よく眠れた?」
クラリサの前には既にコーヒーしか置かれていなかった。
二つほど席を隔てて横に、さっき会ったばかりのドクター針(エッジ)。
彼女はあたしを見ないように顔を背けてコーヒーを飲んでいた。
「お待ちしていました、ミスター・テイラー。」太い声がしてあたしは離れた席に座っている太ったおばさんに気がついた。「そこにお座りなさい。」
いやに大きな女性だった。見かけも態度も。年は結構、行ってると思うけどあきらかに絶対、リフティング手術をしているに違いないと思ったわ。パンパンに張った頬の張りは若さと言うよりは不自然だもの。きっともともとは、ブルドックのような顔だったに違いなかった。茶色でツヤツヤの巻き毛のセミ・ロングも染めているに違いなかった。ウィッグの疑いも濃厚。どことなくあたしは無意識にマーゴット・オラブルの出来損ないのまがいもののような感じがした。もともとは小さいのだろうと思わせるマスカラと付け睫毛で縁取られた濃茶の目も油断ができない雰囲気。悪趣味とまではいかないけど、派手で金の掛かった服装。エルメスだろうか。
彼女がクラリサを差し置いて、その場を取り仕切るつもりでいることは明白だった。
さらにあることに気がついて、あたしはとまどった。おばさんのいる席が主賓の席だったからだ。そこは、クラリサが座るべき席ではないのかしら。確かにこの場で、一番年齢が上なのはこのおばさんに違いないんだけど。マナーというのは年功序列とは違うとあたしは習っていたから。あたしは当惑を顔に出さないようにして、朝食に遅れたお詫びを述べるとおばさんが指輪を沢山付けた細いとはお世辞にも言えない指で差し示した席に座ろうとした。それはクラリサよりもかなり、主賓席のおばさんよりの席だった。
「ボブはこっちに。」
ほっとしたことにクラリサがすかさず、自分の隣にうながしてくれた。
「いいですわね?。ミセス・ダートン?。」そう言ってからクラリサは首を巡らして太った婦人に視線を向けたんだけど、心なしかその視線には緊張がこもってるようだった。勇気をかき集めた健気な子供。ミセス・ダートン、ミセス・D。レイが言ってたのはこの人に違いない。不思議の国の権力者?。
ミセス・Dは鷹揚にうなづいた。
「いいでしょう、クラリサ。あなたなら、そうしたいでしょうね。」
なんだか、すごくもったいぶってる感じ。
そのたった一言で含みがある当てこすりを言われたような嫌な気分になったけど、クラリサがはしゃいだように手で招いているから、あたしはその言葉の意味をあれこれ吟味して腹を立てることは止めることにしたの。
広いテーブルを主賓側とは反対に回り込んで行くはめになって始めて、あたしはアドリナ・エッジの正面に男の人が座ってるのに気がついた。今まで彼の背中側にいたから、クラリサしか見ていなかったあたしは気がつかなかったのだ。あたしは軽い驚きを覚えた。レイによると、ここはレスボスの館のはずでしょ?。
それはレイの冗談としても、ここには女の人しかいない言っていたのに。
この男性はミセス・Dとはあまりに対称的に、全然印象に残らない人だというのがあたしの出した結論だった。普通なら濃緑のスーツの上下を着たこの男が鮮やかな服を纏った女達が囲む食卓で真っ先に目立たないはずはないもの。それは主に彼の背中が纏っていた物静かな雰囲気にあるのかもしれなかった。ただし彼を正面からよく見てみると、シャツは鮮やかな黄色だしネクタイは押さえた色だけどピンクと白のストライプ、ネクタイ止めや袖に光るカフスは金でダイヤがはまっているのか陽光にキラキラと煌めいていた。ようく見ると地味とは全然、言いがたいセンス。あまり素人ぽくない派手な服を着てる割に、彼の印象が浅いのはひょっとして彼の顔のせいかもしれないとあたしは失礼な結論に達した。キチンと撫で付けた黒髪に真面目くさった表情を浮かべたその男は彫りの浅い木彫りの人形みたいだった。
同じアジア系にしても、ノルマン人の父親のゴツい血統に苦しめられてるあたしとは大違いだわ。
彼はあたしが座るとコーヒーを置き、会釈をよこしてきたが口は開かなかった。
だけどその切れ長の目は、まちがいない。あたしへの好奇心で溢れかえっていた。

「それはなあに?」クラリサがあたしの抱えてる丸めた服をマジマジと見た。
あたしはそれを座った膝の上に隠した。
「あたしの服なの。」小さい声で囁くとフウンとクラリサは肩をすくめた。
ミセス・Dがそれをとがめるかのように咳払いをした。

絶妙のタイミングであたしの入って来たドアと反対の入り口からマーサが現れた。下の台所と繋がってるらしい。エレベターがあるのだろう。そして、その後ろから自分と同じぐらいの大きなワゴンを押したジャネットが続いた。そこもあたしの過ごした客用寝室以上に広い部屋だったから、運んでくるのが大変そうだった。あたしは思わず立ち上がって、彼等を手伝いたい衝動に駆られたんだけど・・・それはどうにかしてこらえなければならないことはわかっていたわ。
あたしは室内の観察に徹することにした。
部屋の全面は硝子ばりで植物が生い茂るサン・ルームと隔てられており、燦々と降り注ぐ光がヤシや観葉植物の葉に反射して眩しいくらいだった。
その反対の壁は彫刻に覆われた飾り戸棚になっていて、様々な陶器類・・・中国や日本のものやマイセン等のツボや皿、スワロスキーかなんかのオブジェやベネチア硝子の花瓶が飾られてちょっとした美術館状態。かなり興味を引かれるものだった。
テーブルは広くて細長くて、こんだけの人数で囲むのはとっても無駄な気がしちゃった。使われてるのはほんの端っこだけなんだもの。たったの5人。
このテーブルの広さがあったら、あたし一人なら充分暮らせる。
テーブルの上に銀器と共に無造作に並べられた美しいグラス類は噂に聞くバカラかしら。水がすごく飲みたかったのだけれど、自分で水差しから注いでいいのかわからなかったし、繊細で細いグラスの足はあたしなんかがヘタに持ったらぽっきり折れてしまいそうだった。
マーサがよくお眠りになれたようで、ようございましたとにこにこしながら、まるであたし付きの召使いのように隣に立ちお給仕を始めた。
マーサが並べてくれたのは伝統的なイギリスの朝食だったの。あたしは余計なことは考えないように目の前のナイフやスプーンの順番に集中しようとしたけど、カリカリのベーコンの臭いにあたしを裏切ったお腹がグーグーなっってしまった。クラリサはたぶん真っ赤になったあたしに気がついたはずだけど、何も言わずあたしを見てニコニコしている。どうしちゃったのかしら。この食卓に付いたクラリサは本当に無邪気な子供みたい。夕べの知的なクラリサはどこへいったのかしら。
クラリサは次にデザートを配ってるジャネットに微笑みかけ、自分の前に置かれたケーキに添えられたアイスクリームを繁々と観察始めた。
ドクター・エッジは相変わらず、意地でもあたしを見ないかのように目の前のクリームとフルーツを敵のように睨みつけている。
「パンのおかわりが欲しかったら、遠慮なく言ってください。」
マーサの手がほんの一瞬、やさしくそっと緊張に固まっていたあたしの肩に触れた。そんだけのことがどんだけのはげましになったことか。
ますます、あたしの母さんのようだと思ったわ。
あたしはまずはそつなくテーブルマナーをこなしたと思う。ガツガツもしなかったし(本当は、空腹でしょうがなかったんだけど)母さんが色々な礼儀作法については出来る限りあたしを仕込んでくれたのよ。母さんはあたしはやがてホワイトハウスにだって招待されるかもしれないんだから、その時に恥をかかないようにねといつも言っていた。
そのことを思い出したら、涙が出そうになったからあたしはなんとかこらえてスクランブル・エッグを飲み込んだ。


ミセス・Dが時々、世間話を話しかける以外は食卓は静かなものだったわ。ドクター・エッジも謎の男性も対して熱意のない受け答えを返していた。あたしも緊張してしまって、あんまり舌がほぐれなかった。1人だけ食事を取ってるせいもあったし。それだけじゃない、あたしはここに、クラリサの側に居れたらいいなという思いと、これはやっぱり夢でしかなくて、ドクター・エッジが言ったことが真実でクラリサの厚意に甘えるのは筋違いなんだから、食べ終わったらそれをクラリサに言わなければいけないという気持ちで正直、マーサには悪いけど味はよくわからなかった。マーサが勧めてくれたオレンジジュースのお代わりもあたしは断るしかなかった。ジャネットはデザートを配り終えて、下へ帰ったのか気がついたらいつの間にか姿がなかった。ジャネットが押して来た大きなワゴンが、コーヒーのポットとかが用意された小さなワゴンと並んで片隅にポツンと残されていた。
あたしはどうにかがんばって、ようやく皆さんと同じデザートにたどり着くことができた。マーサがあたしの皿を下げながら、ちょっとジャネットを捜すそぶりをしたけどすぐに自分であたしの為にコーヒーとケーキをお給仕してくれた。
そして、マーサは重たいワゴンを押して遠ざかって行った。