MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

女達3

2009-11-09 | オリジナル小説
        あたしの迷い込んだ不思議の国の話


次の日、クラリサが案内してくれたこれ又、豪華絢爛な客室で熟睡していたあたしは尖ったノックの音で目を覚ました。
一瞬、どこにいるか焦ったけど薔薇の香りのする驚く程手触りのいいシーツが記憶を呼び覚ました。モゴモゴと何か言いながら、なんとかベッドを這いずり降りるとあたしはサイド・ボードに畳んで載せてあったガウンをどうにか纏ったわ。
昨夜、クラリサに案内されたあたしは着替えてバスルームを使わせてもらうなり速効でベッドに倒れ込んだの。(広くて豪華なバスタブにお湯をはる気力はとてももうなかった。なんともう時間は夜中の12時近かったの!)
閉まったままの重厚なカーテンの間から僅かに陽が差し込んでいたわ。これはあたしが昨日寝る前に少し外を見たんだけど、暗くて何も見えなかったからそのまんまになってたの。慌てて窓際に走り、重たいカーテンを力一杯開け、付けっぱなしだったスタンドを消し、あたしが脱ぎ捨てた上着とスカートが椅子の背にかけっぱなしなのを確認した。椅子と対の優美な小さなテーブルの下に汚い靴が転がっていたのをなんとかベッドの下に蹴り込んだ。準備完了。
とにかく寝起きだったこともあるし、あたしと母さんが住んでいたアパートを軽く越えるような広い部屋だったから、こんだけのことをするのにもあたしは軽く息を切らしていた。できればお客さんを迎え入れる前に顔も洗いたかったんだけど、ノックの音がますます苛立たし気にだんだん大きくなっていたのでそれはさすがにあきらめるしかないと心を決めた。
なんとなく、こんなノックは絶対クラリサではないだろうと直感的にあたしは思ったしね。

ようやくよろめきながらあたしが、どうにかドアにたどり着くと(なんとドアの鍵はかかってなかった!なんて礼儀正しい人達なのかしら!)そこには年配のメイドとおぼしき女性と痩せた針金のような女が立っていた。
メイドはふくよかな笑顔で自分がこの家のすべての家事を取り仕切っているマーサであると名乗った、それから朝早くあたしの睡眠を邪魔したことを詫び、食事の準備ができていてクラリサ様ができればあたしの同席を望んでいることを告げた。そしてもう一人の方に頭を向けた。
「こちらは・・」と言いかけるマーサに「それはいいから、早くすましてちょうだい。」と痩せた女はかすれた声でぶっきらぼうに遮った。
とっても感じが悪いってのがあたしの評価。
マーサは相手のそんな態度にも笑顔を崩さず、部屋付きのバス・ルームの洗面道具に不足はないかと尋ね、タオルは棚にあるので自由に使って構わないこと、勿論クローゼットの中のものも同様だし、もし足りないものがあったら自分に言って欲しいと優しく告げた。その濃い茶色の眼は真面目そうで、あたしの母さんを思わせた。そして、クラリサ様からとあたしの為にと着替えを届けてくれた。
(あたしの着ていた服がほころんだり裂けたりしていたことをあの僅かな間にクラリサはちゃんと見てとっていたらしい。あたしは奇麗なベッドに汚い服で入るのは申し訳ないし下着で寝るのも躊躇われたので、客室のクローゼットに掛かっていた薄いピンクの寝間着と同色のルームサンダルを拝借していた。)
クラリサが待ってる食堂の場所を説明すると、もう一人の女の針のような視線からあたしを励ますかのように笑顔で力強くうなずき、マーサはあたしに惜しまれながら退場していった。
するとそれを待ち構えていた仁王立ちしていた、もう一人の女がやっと口を開いた。
(マーサとのやり取りの間中も女は腕組みをしたまま、あたしを上から下まで何度もジロジロ見ながら、さもいらいらしてるようにずっと足を動かし続けていた。
あたしはさっきの不躾なノックはこの針のような女・・・ミス・エッジ?だと確信していた。)
「どうやって、取り入ったの?ねえ、あなたみたいなのが。」
開口一番、ご挨拶もなし。あたしは黙ってしまった。あまりにも失礼だと思ったから。この人はクラリサの世界に属する人にしては育ちが悪そうだとあたしは意地悪く考えを巡らせた。がらがらした声も外見と同じに棘だらけだし。
「ボブ・ギルバート。あなたのことは先ほど、調べたわ。お母さんが亡くなったのは本当にお気の毒ね。」その言い方にも表情にも、ちっともお気の毒に思っていない気配が濃厚だった。針女が腕を腰に当てると顎が戦闘的に突き出された。「だけどその翌日には、クラリサ・デラがあなたの面倒をみるように仕向けるなんて凄腕だこと!。いったい、どんな魔法を使ったのかしら?。なんであなたみたいな変態男がクラリサに!。女ならまだしも・・あなた男でしょ!。女装した男がクラリサと一緒に住むなんて!。何が朝食よ!冗談じゃないわ、今すぐ出て行って!。あんたみたいな輩のことは私、ようくわかってるのよ!。クラリサを利用して、世間の注目を浴びたいなんて考えてるなら、すぐに止めることね!。」
あたしは黙ったまま、針のように尖った彼女の顎をチラリと見据えた。
その顎がますます、もっともっと尖ってみにくくなる呪いをかけてその姿を想像してやったわ。そして、あらん限りの行儀をかき集めて丁寧に言ってやったの。
「どなたか知りませんけど、あたし着替えますから部屋を出てくださらない?」
美人ではない化粧っ気のない彼女の顔がぽっと赤くなった。
でも、出て行こうとはしなかったので、あたしは彼女を黙殺してクローゼットへと歩いていったわ。あたしにできる限りの完璧な歩きでね。
「私は・・アドリナ・カーター。クラリサの担当医よ。」
背中から棘の抜けた、小さな声が聞こえた。
「担当医?」あたしは眉をひそめた。クラリサは病気なの?。掛かり付けのホームドクターってことかしら。
あたしがガウンを脱ぎ捨てて部屋着のボタンを外し始めると、後ろでくぐもった息を飲む音がした。「・・失礼。」

振り向くとクラリサの担当医はいなかった。ドアも閉まっていた。
あたしはちょっとだけ胸がスーッとしたけど、別の部分では心が重くなった。
世間。まさに、今のが世間様の反応だってことはあたしだってお馴染み。
クラリサの世話になる、なんて夢は捨てた方がいいんじゃないかしら。
舞い上がってた昨夜は泡のように消えてしまったわ。
クラリサのよこした薄いベージュに黄色い薔薇が散った美しいワンピースも心を再び浮き立たせるわけにはいかなかったわ。
着てみると、丈が少し短いけれど横幅はピッタリだった。これがクラリサの服のはずはなかった。誰か、あたしの体格に見合う人がこの館にいるのかしら?
なんとなく、生地の新しさとか考えると新品かもしれないとあたしは推理した。
時間は午前10時。クラリサが自分で洋品店に行くとは思えない。
誰かが買いに行ってくれたのだろう。きっとマーサや担当医の他にもこの屋敷には大勢召使いがいるに違いなかった。そのうちの何人もがあたしのことをさっきのミス・アドリナ・エッジのように思っているに違いなかった。
でも。あたしはちょっと心を慰めてみた。昨日薄暗い中で、クラリサはあたしの服の汚れとか、あたしのサイズとかまでも見て取っていたのだわ。
でも、それはけして良いことばかりではない。コントのような爆発した髪でズグズグ泣いていた自分を思い返しあたしは今更ながら、恥ずかしさがこみ上げてきたの。
あたしは鉛のように重くなった足を引きずってバスルームに入ったわ。髪は、爆発した上に寝癖が付いて後ろが真っ平らになっている。こんな髪でよくミス・エッジと戦えたものだわ。スッピンのあたしはちょっと冴えない感じだし。でもあたし、肌は母さん似で奇麗だからと自分を慰めてから、備え付けの化粧品を使ってできる限りのことはしてみようと思った。マーサに洗濯してもらうのは申し訳なかったから、あまりにふかふかで染みひとつない白いタオル達は使えなかったわ。石けんを使って顔と手を洗った後、スカートの裏で顔を拭いた。自前の荷物と言えばそれだけだもの。後はティッシュ何枚かで完了。髪も濡らしてどうにか撫で付けて、引き出しに入っていたヘアピンとリボンを使ってどうにかまとめることに成功した。すべてが終わった後、あたしの顔色は相変わらず青白かったけど、どうにかワンピースに合う女に近い何かになった。あとは父さん譲りの鼻や顎の男らしい線に誰も目を向けてくれないことを祈るのみだったわ。
どうにかそれらすべてを20分ですませて、あたしはおっかなびっくり客室から廊下へと踏み出したの。自分の破れた服は丸めて腕に抱えていたわ。ストッキングは大きな穴が開いていたので履くのはあきらめ、靴はティッシュで出来る限りこすって汚れを落としてみたけど、それ以上どうにもならないかったからそれを履くしかなかった。
朝ご飯を戴いたら、お礼を言ってここを出るつもりだった。
そして家に帰ってあたしに仕事と家が捜せるか試してみるの。
それが今のあたしにできる最大のこと。


「ハロー!」迷いながら階段を降りようとした時、ふいに声がかかった。
階段の下に黒い皮のライダースーツの男が立っていたから、あたしはびっくりして足がすくんだ。「よく、似合うじゃない、それ。」
落ち着いて声を聞くと、すぐにその男は女だとわかった。
すっごく短い髪をしていたから、男にしか見えなかったのだ。
「あたいが買ってきたんだからね。朝っぱらからさ。」
女はガムをくっちゃくっちゃしながら顔を傾けた。あたしのワンピース姿を品評しているらしい。「ちょっと短かったか。あたいと同じぐらいだって言うから、それでいいと思ったんだけど。」
あたしは注視されて恥ずかしかったけれど、どうにか降りていった。
(ちょっと短過ぎる?。はしたなく見えないかしら?。)
「あなたが・・・買って来てくださったの?。どうも、ありがとう。あたしは・・ボブ・ギルバートよ。」
「うん、知ってる。あたいはレイ!」レイは笑って手を差し出した。手はやっぱり女の子だった。目は青く、近くでみると可愛い顔。そばかすの散った少年にしかみえない。
「あちゃー!靴はまずったね!靴もいったか。サイズはいくつ?」
あたしの足は女にしては大きかったから言いたくなかった。
「あの、食堂はこっちでいいのかしら。」
「そうだよ!。あたいが案内してやるよ!。」彼女はきびきびと歩き出した。
「最初は迷っちゃうかもね!。広いから。でも慣れれば、玄関を中心に左右対称だからすぐ覚えちゃうよ!。」
後ろから観察すると、確かにレイは女の子にしては背が高かった。体つきもすらりとしているけど鍛えた感じで起伏もあまりない。皮のスーツもブーツもまるで生まれつきのように似合っている。
「そうだ!」レイは歩きながらこちらを振り返った。
「朝から、来ただろ?」
「来た?」
「アドリナだよ。怒ってたからさ。」
ミス・エッジのことだとようやくわかった。
「焼いてんだよ。あんたに。」
「んまぁ?。」あたしは会話の唐突さに付いていけない。
「よう、バレン!、おはよう!。」
玄関ホールを通り抜ける時、開け放たれた両開きの巨大な木製のドアの外にクラリサがよく乗ってる車が止まっていた。
その車の側にいたスーツの女にレイが声をかけた。
車を移動しようとしていたらしい女は、運転席に座ろうとしていた動作を一旦止めると黙ってあたしを睨みつけた。
あたしはバレンと呼ばれた彼女に見覚えがあった。ゼミにも付いて来ていた、クラリサのボディ・ガードだったから。
あたしは会釈をするべきか迷ったが、レイがあたしの肘を掴むとどんどん先に引っ張るのであっという間にボディ・ガードの姿も玄関ドアも見えなくなった。
「くわばら、くわばら。」レイが囁いた。
「あいつも焼いてんだ。近づかない方が身の為だって。」
「あの~」あたしはやっとレイから肘をはずすと息をついた。
「さっきから焼くの焼かないのって・・・あたし全然、わかんないんだけど。」
「ええっ!」レイが大げさにのけぞる。「なんておめでたいのさ、あんたって!ボビー、ボビーって呼ばせてよ。いいでしょ?」
「いいわよ。でも、教えてよ、レイ。いったい、何が言いたいの?」
ふふんとレイは得意そうに笑った。
「ほんと、面白いことになってるんだから。まず、アドリナだけどさ。アドリナはさあ、もうほんとクラリサのことに心血を注いでるからさ。注いでるっていうか、あたいあれは絶対ほの字だと思うね!。だからさ、クラリサ様があんたをここに住まわせるっていいだしたのが断然気に入らないわけ。でもって、さっきのさ、バレンはさ、アドリナの彼氏だからね。あ、でもこれは内緒だよ。公然の内緒!。たまに来るけど、ミッキーの前でだけね。ミセス・Dの前でなら構わないからさ。それで、えっと、バレンのことだっけね。ただでさえ、アドリナがクラリサのことを仕事を越えて熱中過ぎだって面白くないわけ。でもそんなの杞憂だとあたいは思うね。クラリサ様はアドリナのことなんてその辺の家具ぐらいにしか思ってないと思うし。それを言うとバレンやあたいだってそうなんだけどね。」
レイは息を付くことなく長い廊下のドアを開きながら進んで行く。
「そんな感じで万事にすべてに無関心なクラリサ様がさ、朝一番でボビーをここに置くって宣言しちゃったわけだから、爆弾が炸裂したみたいなもんなんだ。そりゃあたいだって、マーサから聞かされた時は驚いちゃったよ。しかも、洋服を買って来いってクラリサ様のご所望でさ。細かい指示まであったみたいだしね。でも、あたいら使用人とは違ってさ、ボビーは御学友なわけだからさ。あたいはそんな特別なことだとは思わないわけよ。御学友っていったらば御友人じゃんさ?。まったく、アドリナもカリカリすることないのにね。」
同じ講義を取ってるってことだけで友人ってことになるわけないじゃない、とあたしは思ったけど口を挟まなかった。
「バレンはアドリナを好きだし、あたいにも彼氏がいるし、(彼氏はミッキーの会社で働いてんだ、配膳番長なんだよ。)別に仕事なんだからお雇い主様のそんなこんなのに気に病む必要ないわけじゃない?。クラリサ様がボビーと住みたいっていうのなら、住めばいいじゃん?。あたいは歓迎するよ。お抱えのドクターっていったってさ、ほんと所詮はただの使用人なんだからさ。まあ、それは別としてね、さっきのバレンってヤツはさ、仕事はキチッと完璧にしないと気に入らない人だからさ。クラリサ様のボディ・ガードとして穴があったんじゃないかってミセス・Dにネチネチいたぶられたのが我慢できないわけ。だから、それはそれであんたが気に入らないってわけなのよ。」
「なんだか。」あたしはクラクラしてきた。「ますます、わかんないんだけど。」
「ようするにまず、針・・・じゃなくてアドリナとバレンは付き合ってるわけね?」
「付き合ってるわけよ。」レイは明るく応じる。
「付き合ってる上に、焼いてるわけ。」レイはアハハと声をあげた。
「最悪よ、今朝から。痴話喧嘩でさ!。上は上であんたが同じゼミにいたって知って、ミセス・Dがお冠だしね!。クラリサ様、ピンチって状態よ。でも、クラリサ様もいざとなったらだんまり戦略でガンと押し通すからね。ミセス・Dのお小言なんて右から左に、もうなれっこになってるとあたいはにらんでんのさ!。」
あたし達はちょうど調理室のような部屋の前に通りかかった。かなりクラリサの待つ食堂に近づきつつあると思ったので、急いで情報を整理してみなきゃとあたしは考えた。アドレナとバレンはどうみても2人とも女の人に見えたってことは・・。


でも、それはふいに目の前の開いたドアから顔を出した人物によって果たせなくなったの。
「あ、いたいた!レイ、ねぇ、ねぇ、その人~?」それは髪をお下げにしたそばかすだらけの10歳ぐらいの少女だったの。「こんにちわ、あたしジャネット。あたし、スカート履いた男の人って始めて見た!。思ってたより、似合ってるとあたし思うよ、とってもステキ。もっと、コメディみたいに見えるかと思ってたのに!。それならそれで、面白いなって期待してたの。その点はがっかりだけどね!。それ以外では結構、あたしはいい線行ってると思うな。ええ~と、なんて言ったけ?この間、アドリナが言ってた~そうそう、そうだ、予想外の驚きってヤツ!。ほんとの女の人みたい!。女の人に見えるよ!、すごい!」
その子供は甲高い歓声をあげるとあたしのワンピースにむしゃぶりつき、レイよりもさらにマシンガンのようにしゃべりだしたわけなの。
この言葉は全部で10秒ぐらいの間に言われたんだとあたしは感じたわ。
完全にあたしの思考が停止したことはわかってくれるわね。
「おい、こら、黙れって!」レイがあたしからジャネットを引き放そうとしたけど子供はすばやく後ろに回り込んだ。
「ねぇ、下はどうなってるの?下着も女の人なの?見てもいい?ねぇ、ねぇ、ミスタ?ミス?、見てはダメ?」
「やめろって!マーサに言いつけるぞ!」

「ミスタ・ボブを困らせのはいけません。」後ろから涼しい声がして誰かがジャネットの襟首を掴んで引き離した。
「ヘレン!助かったよ。」レイが見るからにほっとして言った。「これからあたい、ボビーを食堂に連れて行かなきゃならないのにさ。」
「放してよ、ヘレン。放して!あたし、何も邪魔してないでしょ!」
ジタバタするジャネットをびくともせずに押さえつけている手首は細かったけど思ったより力があるみたいだった。その女性は抑揚のない独特の話し方をした。
「ジャネット、あなたは今頃は調理場から出て廊下をウロウロしてはいけないはず。上でお給仕しているはずじゃないの?。」
「終わったもの!クラリサ様も、ミス・Dもモーニングは終わったもの!」
「あら。」あたしは顔を曇らせた。「あたし、遅刻しちゃったのね。」
「大丈夫。」レイがうなづいた。「まだ、コーヒーが残ってる。」
「急いで、行った方がいいわね。」
新しく登場した女はあたしに重々しくうなづいた。自己紹介の時間はないって示唆を受けたあたしは彼女をすばやく観察するしかなかった。スマートな制服、これは運転手のものだ。クラリサのキャデラックのお抱え運転手に違いなかった。この人も黒い髪を短くしているのがその制帽の下からも見受けられる。かなりのエキゾチックなインド系の美人でマホガニーのような肌をしてすごく大人な雰囲気。あたしの好きな雰囲気だったけど、波一つ見られない水面下ではあたしへの反感を燃やしているのかもしれなかった。ヘレンはジャネットを掴んだ手を放さず、猫の仔のように子供をつりあげていた。子供は情けない顔で助けを求めるようにあたしを見て口をパクパクさせたけど、あたしにはどうすることもできない。
ヘレンと呼ばれた女性は白い手袋をはめたままのもう片方の手を的確にあげて行き先をあたしに指し示した。
「そこの階段をあがって右。」
あたしは慌てて階段に向かった。レイが付いて来る。
階段のしたのドアが開いて調理場からワゴンを押してマーサが現れたのが見えた。
「ジャネット!どこにいたの?、デザートがまだなのよ。」
「だって!だって、あたし見たかったんだもん!」
「さあ、おしゃべりはいいから!すぐに準備を手伝って。ありがとう、ごめんなさいねヘレン。」
「お安い御用よ、マーサ。ところでクラリサ様は、今朝は少しはお召し上がりになったのかしら?。」
「相変わらずですよ。」マーサかヘレンか、どちらかのためいきが聞こえた。
「だけど、今日はちょっとだけご機嫌が良いみたいですよ、ヘレンさん。だって、卵は残らず召し上りましたからね・・・」
マーサの明るい声は室内に入ていって、聞こえなくなった。


「ジャネットはマーサの娘なの。」レイが階段を上がりながら耳打ちしたわ。「母子家庭ってやつ。離婚して住み込んでるの。ジャネットはここからスクールに通ってるんだ。夜もこっちの棟にいるのはマーサ達だけよ。あたいらは、あっちの棟に部屋があるの。だから、夕べはボビーに誰も気がつかなかったわけよ。」
「ここって。」あたしは息を切らした。「女の人しか、働いてないの?」
そういえば、客室に備え付けられていた室内着や備品には何故か男性用がなかったことをあたしは不思議に思っていたのだ。
「そうそう、みんな女ってわけ!。少数精鋭でやってるんだ。残りの人達には、こん中で会えるわよ。ミセス・Dは・・・まあ、会えばわかるか、とにかく、幸運を祈ってるからね!」
レイはあたしの前に素早く回り込むと、右手のドアに手を当ててあたしを1度押し戻し、ニヤリと笑いかけたの。
それから、召使いボーイのように優雅にあたしの手を取るとドアを開いたわ。


レイが囁いた。
「レスボスの館にようこそ。」