朝寝のカプ

ネコは夜行性
そのため朝は食事の後
すぐに眠くなる
人間と同じか

涙がジワリと

2016-09-20 05:41:31 | 日記
仕事柄、新聞のチェックは欠かせない
一面から見ていきそして最後のページから前に遡るという
読み方だ。

そんな中、こんな記事にジワリと涙が出た
「流された街に幻のバス停」という見出しで
仙台市宮城野区荒浜に偽物のバス停が置かれているというもの

このバス停を置いたのは、アーティストの24歳の女性だという
いたずらかと思われた時もあったようだが
住民からは「あのバス停に勇気づけられたという」話が聞かれ
その後、偽者のバス停は6個まで増えたという

思い出も取り戻したい、元の風景に帰りたい
そんな思いが、このバス停にはこめられているようだ

早朝のひと時、もう一つの「ひと時」欄にも胸が詰まる
話があった。ダウン症の20歳の女性が記念の写真を撮るということで
写真屋さんが戸惑いながら撮影、しかし、その女性は出来上がった写真を見て
本当にありがとう、宝物と言ってくれたという

こんなに重くてありがたいお金は頂いたことがない
と、写真屋さんは締めの言葉で述べていた。
朝のひと時、新聞からいい話をもらった。
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三度(みたび)恐竜時代へ

2016-09-19 05:09:40 | 日記
福島県いわき市の石炭・恐竜化石館のことをまた書いてみようと思う。
ニックネームは「ホルル」化石を掘るから来たのかな。
このいわき近辺には、イワキクジラなどという地名が入った動物もいたということ
アンモナイトをはじめ骨格標本が数多く展示してあり
化石好きの小中学生以外でも興味をそそられる。
訪れた時にも中学生が、研究に来て化石を見ていた。

夏休みの自由研究などにはもってこいの場所ということができそうだ
フタバスズキリュウの発見者、鈴木さんは、その後この化石館にも勤めたことがあるという
実物化石も展示され数千万年という気の遠くなるような時代が
蘇ってくる。

化石館とともに、石炭の採掘の歴史も実物模型で展示され
当時の様子が回廊をめぐるように展示されている
出水が悩みの種で、これがのちのハワイアンセンターの現在の隆盛に
つながっている。災い転じて福となすの典型か
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リオ パラリンピックも終盤

2016-09-18 06:42:03 | 日記
連日熱戦が続く、パラリンピック
ハンデをものともせず競技に取り組む姿に
生きることの意味を改めて考えさせられる。

さて、福島いわきの話の続編だ。
いわきには、石炭化石館というところがある。
よく知られているのは「フタバスズキリュウ」の化石模型が
展示されている。

1968年(昭和43)にいわき市で、鈴木直さんが発見した。
正式の学名は「フタバサウルススズキイ」だ
中生代の大型の爬虫類の化石だ。
化石館の玄関にこの模型が飾られている。見上げてみるとその大きさがよくわかる
それと玄関前には実物大の模型も肉付きで展示されている。
こちらの方が、体つきがよくわかる。

約8500万年前という気の遠くなるような前の時代にこうした
恐竜が闊歩していたのだ

想像はできるが、現実のものとはなかなか思えない気分だ
時空を超えて現代に続く地球の歴史、気の遠くなる時間経過に
一瞬戸惑いを覚えた。
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塩屋埼灯台

2016-09-17 05:38:21 | 日記
しおやざきと濁らない。
そして,崎の字も「埼」を使う。
現在では燈光会というところが管理している。

明治32年に完成したが昭和13年の福島県沖を震源とする地震で
レンズが大破、塔も被害を受け已むおえず、破壊されてしまった。

その後復旧工事が進められたが、太平洋戦争時
アメリカ軍の艦載機によって大きな被害も受けている

一つの灯台が、様々な歴史を抱えているのだ。

44万カンデラの光度を持ち15秒に一回閃光する。
海面からの高さは73メートルある。

灯台には資料展示室も併設され歴史や灯台の機能が
わかりやすく展示されている。
歌にも歌われた「しおやさき}今でも光を放ち続けている。
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いわき 良いとこ

2016-09-16 15:06:50 | 日記
岩城とも磐木とも磐城とも書く
私にとっては小名浜の方がなじみが深い。
30年ほど前いわきを訪れたことを思い出した。

今回まず到達したのは
明治32年に開設された「塩屋崎灯台」
白亜の灯台で東日本大震災時は3日間は灯をともすことができたが
その後,故障、しばらくは点灯できなかったという

100段あまりの階段を一気に登るには普段の運動能力が
試されるようだ。
頂上の展望コーナーからみる太平洋はこの日は雲が多く
見通しは悪かったが
それでも地平線の彼方まで見通すことができた

夜になると40キロ先まで光が届くという
地震以来訪れる観光客は減ったと受付のおばさんが話していた
歌にも歌われた塩屋崎灯台」航行の安全を今日も光で
届けている。
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