その日は外遊びして家に戻ろうとしていた。晴れていた空に夕焼けの光が差し込み風も強くなっていた。近所のお寺のあたりでで雨が強くなる前に戻ろうと急いだ。夜風が強くなりそうそうで寝床に入った。うなりを上げる風で時々目が覚めて布団にもぐりこんだ。記憶はそのくらいだが、翌日以降の新聞で函館沖で連絡船など多数が沈没したというニュースを知った。
いわゆる洞爺丸事件だ。北海道の七重浜には多くの遺体が流れ着き新聞によっては遺体の写真まで乗せているものがあった。1000人を超える死者が出て海難事故としては最大級のモノ。親父は鉄道郵便局員。時折、連絡船に乗っての仕事もあったという。幸い非番で事故には合わなかった。しかし同僚はこれに巻き込まれなくなったと話してくれた。1954年9月末のことだった。アレから随分日が経った。歴史は一日一日にその足跡をしるしている。1954年9月28日のことだった。