トーク・アバウト・アメリカン

トークアバウトボーラ→300C→アメリカン。最近はアメリカからだいぶ外れてきています(笑)

カンボジア特別法廷傍聴記

2009-12-04 21:05:00 | ノンジャンル
昨日の続きです。
しかし、ャ求Eャgの時代は小学生でリアルに知らない世代ですし・・。どえらい事書き始めたなぁ・・と(笑)
先に逃げをかましますが・・ご興味ない方はキツイですので、ここまでで(笑)

傍聴席に座り、まずは外交官の方から渡された前回までの傍聴記録(日本語)を読み返しました。
当時、尋問担当だったモン・ナイ氏が被告の証人(←被告ではない)として、
「(カン・ケ(ック)・イウ)被告がやっていた事は知らない。私が何も知ろうとしない事は当時の共産党(クメール・ルージュ)の方針にかなっていた。私達はお互い他人の事を気にしてはいけなかった。」
「犠牲となった知人家族の事を考えると悲しい。しかしあまりにも混沌としていた。あの時代、私達はどうすることもできなかった。そして沢山の人が死んでいった・・。」

当時、守衛のヒム・ホイ氏(←被告ではない)は、自分自身が処刑されるのが恐ろしかった、と何度も繰り返した上で、
「1日で100人以上の人が処刑されていった。処刑は毎日朝の9時から始まり、夜中の2時までかかった。私達は夜明け前までに処刑を終えるように命令され、とにかく急がされた。そこに被告(カン・ケ(ック)・イウ)が来ていたが、気にする余裕はなかった。」
と証言しています。
考える事もためらう事も許されず・・。まるで殺人マシーンのように人を殺していく。「他人の事を気にしてはいけない」システムが行き着く所まで行き着いていた事を示しています。
またカン・ケ(ック)・イウ被告自身、数十日にわたる公判の中で、上層部の命令とはいえ拷問や虐殺を指揮してきたのは自分・・と全ての罪を認め、
「カンボジア国民は私を非難することができる」「奪われた多くの権利に比べれば、私の権利などものの数ではない」「私を犯罪者と指さしてほしい。石を投げられても文句は言えない」
とこれまで何度も謝罪を繰り返しているようです。
downニュース画像、コピペできませんのでデジカメで撮りました(笑)

しかし、この日の最終弁論で彼が最後に述べたのは、態度を一変し「これまでの法廷協力と引き換えに釈放してほしい」と言う言葉でした・・。

・・判決が出るのは4月ごろと言う事です。自らを守るために率先して命令に従ったとはいえ、サラリーマンで言えば、部門責任者。身につまされる所もあります・・。
死刑制度がない現在のカンボジアでは最高刑でも終身刑のようですが、どのような判決がでるか、注目したいと思います。

これらャ求Eャg派の行った自国民への虐殺、残虐行為は、平和な日本で暮らす私達日本人には遠い国で起こった、特殊な出来事に映るのも無理はありません。
しかし、たった一回ですが、この法廷を傍聴して思ったのは、どこの組織、集団でも・・このような事は起こりうる事なのだ、と。

新聞からの引用で申し訳ないですが、12月1日の読売新聞に「罪と罰」という、70年代の連合赤軍による凄惨を極めた仲間内のリンチ殺人事件に関する記事中に
「本当はやりたくなかった」
「いつ誰がリンチの標的になって殺されるかわからない、と言う異常な集団心理の下で生き残るためにリンチに加わらざるを得なかった」
とありました。
誰もが他人の苦しみに目も耳も心を閉じた時、恐ろしく閉鎖的なシステムが起動します。無関心、無関与。ただ自分の足元のみを見つめることだけが生き延びる道・・。
今、私達も似たようなシステムの入り口に立ってはいないでしょうか・・。

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