ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

大日本帝国復活だって。馬鹿なことを。

2016年06月26日 12時05分57秒 | 社会問題
今回、イギリスのEU離脱問題でネット検索していたら、「大日本帝国を復活させるにはどうしたら良い」という質問に突き当たった。

大日本帝国などというもの、あんなものは二度と復活しなくて良い。何を馬鹿なことを、と思った。

「帝国」の定義にもよるが、日本人に帝国の運営などできる訳がなかろう。

他国領土を掌中にしたとして、さて、どのように占領地の国民を統治していくのかね。はたまた、他国領土は取らず自国のみで帝国を築くならどういう国造りを目指すのかね。

その点は時間のあるときに追加するが、今回、イギリス崩壊危機は因果応報と思う面もある。
かつて中世時代、ヨーロッパ諸国が「新大陸発見」と称して、南北アメリカ大陸、アフリカで「キリスト教徒以外は人にあらず」と略奪、虐殺、処刑を繰り返し、イギリスに至っては三枚舌で中東問題の禍根を残すイスラエル建国問題を残している。

日本は甘すぎて植民地(学校等インフラ建設や出世・地位も与える異質なものだが)経営は大赤字だったがね。かつての「巨人軍」とやらみたいに同じ日本人に対してもおかしな処遇をしているしな。

(後日、追記予定)

さて、このことについても比較的丁寧に書いていこうか。

「帝国」というのは、文字どおり皇帝(日本の場合は天皇になる)を冠に戴き、統治する国家ということになる。しかし現在では必ずしも皇帝、国王等を元首に戴く必要はなく、何らかの強固な精神的権威、経済的活動体を冠でなく国家の背景として統治、運営する国家又は国家群としても良かろうと私は解釈している。

国王や皇帝というのは起源がどうあれ、祖先が高い人心掌握及び統治能力・精神的基盤となれるものも居たかもしれぬが、おおかたの場合は武力的強者であり、その血筋を受け継ぐ者であろう。

現在は宗教的、精神的、経済的基盤を持つ集団の影響力によって、国民の生命や財産、その他諸々の権利が保証されている国家及び国家群ということになる。

さて、現在の日本はというと、神道を明治に改編した「天皇教」は第二次世界大戦の敗戦で壊滅し、社会主義・共産主義は今や世界中どこにあっても成功しない惨状で終戦後以降現在迄に若者達が頼るべき思想の根幹とはならず、新宗教はどれもこれも淫祠邪教の類(大本教にはまだ少し期待しているが)。唯一頼みの綱だった日本経済は大量生産消費、細やかな消費者視点のものづくりが失われ、しかも売国政治家経済上層部のせいで見返りのない流出で危機的状況。軍事力は無知蒙昧な内部と貧欲な外国勢力(南北朝鮮、中共、ロシア、そしてアメリカ)の挟み撃ちで自力では国防も満足にできない有様である。

「帝国」復活に際して、再度「天皇教」を中心とした国家(群)を形成するのか、帝国維持に必要な経済力、軍事力をどのように当面は日本単独で形成するのかということも重要な問題なのだが、日本国民に「共通」に課す義務とその見返りとしての権利、精神的支柱・規範をどう「明確」に作り上げていくのか、これが最も大事である。

「共通」「明確」・・・これが大事なのである。多種多様な個性・背景を持つ者達に対して「普遍的」なものを追求し築きあげることができるのか、ということである。

(ここまで 2016/07/17)
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宗教的妄想でもするか

2016年06月26日 09時33分35秒 | 妄想
前回、前々回で宗教について触れたが、私も多少は知識はある。単なる情報としてだが。
私は無能、低能だから微細な知識はない。

自分の宗教観は「本地垂迹説」はまだしも「悪人正機説」等の方便のような極論は除外した仏教がベースである。それにスウェデンボルグの霊界を付加したものがおおよそ考えているものだ。

人間の生命に関することは、長期は因果律の下、短期は偶然+予定説である。

世の中を振り返ってみると、不公平、理不尽なことばかりである。
近年は整形技術や痩身技術が発達しているが、容貌の美醜は死ぬまでついてまわる。
頭の良さや特殊な才能もそうである。美しい人や頭の良い人、卓越した能力ある人が幸せな人生を過ごすかといえば必ずしもそうではないが、利点の多い人が良い人生を過ごす可能性が高いだろう。

そうなると、人間の人生は予め決まっていると言っても不思議とは思わない。人生の終着駅に辿るまでのルートは幾通りもあり選択の余地はあるし、人間の体は諸々の衝撃や病気にも弱く、偶然の災害死・事故死もあり、本来あるべきだった人生を全うすることはできないかもしれない。

悪い奴は徹底的に悪賢く暴利を貪り、最後まで恵まれた人生を送る。よくある話である。

死んだ後、霊というものがあるのかどうか私にはわからないが、「霊界」というものがあるとしよう。昔は、幼少の頃は「地獄」に落ちるということが恐ろしい時期もあったが、今は落ちるならしょうがないと思っている。自分の「霊格」に相応しいところにしか行けないのならしょうがない。

因果応報を突き詰めるなら「仏罰」というものも信じない。そんなのは池田先生にでもお任せするよ。

スウェデンボルグの「天国」は他の幸せのために働き続ける多忙なところで、とても自分に相応しいところと思えない。私は鬼畜、人非人、守銭奴、怠け者、女の子好きだし、逆にそんなところに落ち着けないだろう。

私にも聖霊か"あいつ"かどちらでも良いが、導いてくれれば良いが、人間にも詐欺師がいるように、そのような何かにも悪徳なものはいるだろう。だから導きに来ても信じないかもしれない(笑)。

悪徳宗教家、淫祠邪教の輩は、キリスト教と仏教、その他の宗教を統合したなどというが、厳密に解釈するならそれはありえない。人格の薫りがする神は、人間よりは遥かに能力が高いが「狭い」エリアの神と私には思わざるを得ない。
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