ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

清廉潔白、高貴で有能な政治家は想像上の産物である。

2016年06月12日 10時34分28秒 | 社会問題
貧しくとも清らかな心を持ち、品位高く、不正などしたことない、有能な政治家。

そんなのは存在しないと考えていて間違いない。

清廉潔白で高貴、かつ、自分を律することができて、有能な人なら、政界以外に存在する余地はある。

まず、清廉潔白な人というのは、物質的欲望に乏しくそれ以外の事に生きる喜びを見出している。仏教に精通しその通りと思う人達は「現世」に執着しないので、政治に積極的に関わり利益誘導しようと働きかける財界~ヤクザまでの国民の気持ちがまず理解できない。貧しい人達からの要求は同様な苦しい境遇を経たり想像力が豊かで慈悲深い人がいるなら理解できるが、無制限無条件に応えることは難しく、まず国を富ませて税金を巻き上げて、福祉のための「原資」を築きあげなくてはならない。

その過程において、競争相手、競合相手は山程存在する。政治家同士、官僚、利権周辺にたむろする民間人、そして民間人同士の争い。

「月光仮面」「水戸黄門」「鼠小僧」など居やしないと以前の投稿に書いたが、いや、ドラマに出てくるような、「何の罪もない素朴で実直な民間人、町人」だって、最近はそんなに居やしない。

それらの者達に伍して闘い抜き、又は相手をして納得、場合によっては翻弄して、自身が信ずる政策を実施していくには、「現世」を偏見ない曇りなき目で冷徹に見て、その「領域」に通用する法則等を発見して実行して行かなければならない。政治的に有能であるには「不人情」な事もできる最高の役者である必要がある。「この世は全て幻」などという浮世離れした人間では、国民の財産と生命は守れない。徹底的な人間不信者でなくては最悪の事態に備えることができない。
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