ここでちょっと休憩

ビーチリゾートが大好きな私の旅行記

人種は違ってもやはり人の心は伝わる ?

2008-10-05 | 南アフリカ

KK GUEST HOUSE AT OR TAMBO INTERNATIONAL AIRPORT

 

おまわりさんに私達お礼がしたかった。

おまわりさんは、”お金は受け取れない!・・・・じゃあ、ジュースを買ってくれと

白い歯を輝かせて笑ってた。

ゲストハウスに入ると、ママがお腹すいてない?飲み物いらない?と聞いてくれる。

子供達は、私達に至れり尽くせり。

夜中の12時過ぎて突然のゲストにたいして、とても手厚いもてなしだった。

私達8人の他には、もう1組ゲストがいた。

ゲストルームは4つしかないので、なんとママ達のお部屋まで提供してくれた。

リビングにPCがあり、使っても良いかと聞くと自由に使わせてくれた。

プリンターもコピーも貸してくれた。

軽食と朝ごはんとインターネット、飲み物込みで420R(二人分で)でした。(約8千くらい。)

よしおさんは南アフリカで食べたご飯の中でここで食べたものが一番うまかった!!っと言っていた。

私は長時間緊張していたせいか、どんなに良いにおいがしていても、何も口をつけることが出来なかった。

腹ごしらえをして、お酒を飲み、皆に笑顔が戻った。
南アフリカの夜中の2時。

日本は朝9時を迎える。

日本に電話を掛け始めた。

2台の携帯電話をフル活用して、旅行会社、知人、航空会社ありとあらゆる。

思いつく限りの場所に電話した。

私達の国際線の航空チケット買った旅行会社はチケットはありません。のただ一言。

何一つ力にはなってくれなかった。

誰も知らない旅行会社、先生がいつも使っていると言う旅行会社。

行く前から使えないと分かってたけど、緊急事態に陥ってもやっぱり使えなっかた・・・・。

インターネットでも、必死にチケットを探した。

 

 誰も、ベッドに行くことが出来なかった。

 いつまでもリビングに居座って、ひたすらネットと携帯と、アドレス帳を見つめ続けた。

 

 初めて、海外を旅すると言うことを知った。

 どれだけ、自分が無恥で無力かという事を知った。

 

 でも、政治も警官も腐敗していると思っていたジョハネスバーグの警察官は旅行者を守るため、一日中国際線と国内線をパトロールしてくれている。

 お金も要求せず、3時間近く私達に付き合ってくれた3名のおまわりさん。

 私達が、空港からタクシーに乗るまで見送ってくれた。

 

 一晩中、一睡もせず私達と付き合ってくれた、ホテルの子供たち・・・

 私達が眠らないから・・・セキュリティーの為、誰かが私達を見張っていないければならなかったのではないか?

(勝手に国際電話をかけたり、家のものを盗まないように・・・)

 夜中なのに、ママはいやな顔せず、最高のもてなしをしてくれた。

 自分たちの部屋まで提供してくれて、自分達は床で眠っていた。

 

 すごく、嬉しかった。 

 あの日、嫌な嫌な汗をたくさんかいて、胃はきりきりして、悲しくて、悔しくて、腹立たしくて、沢山走って、本当に疲れていた。

精神的に体力的にも疲れていた。

 こんな時、助けてくれた人達の心の優しさはとても、ありがたかった。

 

 



 


いつになれば、休めるのだろう

2008-10-05 | 南アフリカ

 

自動販売機にジュースを買いに行った仲間が、何故かおまわりさんと帰ってきた。

”おまわりさんがホテル紹介してくれるって”そう言った次の瞬間私の携帯がなった。

南アフリカの日本大使館だった。

”大丈夫ですか?今どこですか?”ほっとした。

”空港の中に居たおまわりさんがホテルを紹介すると言ってくれていますが、大丈夫でしょうか?”

”空港のおまわりさんなら大丈夫です。絶対に道でタクシーを拾ってホテルには行かないで下さい。ホテルの送迎を使ってください。明日又空港に戻られる際もタクシーには乗らないでください”そう教えてくれた。

夜12:00すぎ大使館の人は電話をくれた。

携帯の着信履歴をみると、何度も電話をくれていた。

 

”ホテルに行く前にもう一度国内線ターミナルまで戻りたい。犠牲になってくれた二人がこっちに向かってるかもしれない。最終便が到着するまで待ってくれないだろうか?”

おまわりさんもホテルの人も快く承諾してくれ、そして、”国際線から国内線までの道は危険だから、ついて行く”と言ってくれた。

 行きは日本男子2人南アフリカ男子2人。
 

 

 帰りは日本男子3人日本女子1人南アフリカ男子2人。

8人がまた出会えた!!
私達はいいからとチケット譲ってくれた人達はとてもとても、優しい。

必ず来ると信じて空港で待った人達はとても優しい。
皆でただ、有難う、有難うと言い合った。

”チケットをゆずってくれて、ありがとう”

”私達を探してくれてありがとう”

 

おまわりさんに見送られて、ホテルの車に乗った。

車は赤信号をどんどん無視して、進む。

赤信号で停止すれば、強盗に襲われる危険があるからだ。

 

突然車が高い塀の前で止まった。扉が自動で開き、見えたのは一軒家だった。

 背中に一筋汗が流れた。冷たい、冷たい汗だった。


 家に連れてこられた。殺されるかもしれない。

 

ドアに手をかけようとした時

 

 

わぁ~っとチビッコが出てきた

満面の笑みを浮かべて、ママとパパを出迎え、そして、ゲストの私達のスーツケースを運んでくれた。

 

ケープタウンの空港から、ずっと緊張していた心がやっとくつろぐのを感じた。

ぎゅっと握り締めたこぶしを開いたときのように、体に血が流れるを感じた。



怖い 失望

2008-10-05 | 南アフリカ

PM10:10分ジョハネスバーグの空港に到着した。

エミレーツが飛び立つのは10:30分間に合うかもしれない。

期待を胸一杯して見た、国際線の空港は誰も居ない、私達3人だけがぽつんと立っていた。

カウンターの電気も消され、薄暗い空港。ぼー然と立ち尽した。

誰も居ない空港はとても不気味だった。

あんな空港を見たのは初めてだった。

 

 

向こうから先人隊3人が歩いてきた。

エミレーツの事務所まで行ってくれていたのだが、駄目だったらしい。

何故かその事務所に案内してくれた人に100ランド(約2000円)くれと言われたらしい。

そしたら、中に入れてくれると。

持ち合わせが30ランドしかなかったので、それで中に入れてもらったらしい。

誰も居ない、中に・・・・・

 

私達は彼ら2人だけでも飛行機に乗れなかった事を残念に思った。

しかし、また6人になれた事がとても心強く感じた。

ほっとして、私達は少し落ち着くことにした。次を考えるまで10分くらい、ボーとしても大丈夫だろう。


 


世界一の犯罪都市に向かう

2008-10-05 | 南アフリカ

飛行機の中で落ち着くと、この飛行機の到着時間はpm10:00だと分かった。

ジョハネスバーグは国際線と国内線が600m離れている。

でも、走って、そしてエミレーツの出発が遅れてくれていたら帰れるかもしれない。

そこで、二手に分かれる事にした。

第一夫婦はひたすら走って国際線まで行く。

飛行機をなんとしても止める。

駄目ならこの夫婦だけでも飛行機に乗って帰国する。

 

第二夫婦の夫は残りの3人分のパスポートを持ってチェックインに備える、飛行機の乗れたとしても、残りの3人を待ってもらえなければ、パスポートをもって空港に残る。

私達夫婦と第二夫婦の妻は荷物をピックアップする。
走った、32歳以上43歳未満走った。

先陣チームエミレーツの事務所にまで駆け込んだ。後人チームはカートに山とスーツケースを積んでひたすら走り。

途中でおまわりさんに注意されたようだったが、ひたすら走った。

 

行きは、この600メートルはお日さまが居る明るい時だった。

しかし、あの悪夢の日は夜だ。明々と街頭で照らされているが、この街を荷物をもって小柄な日本人が歩く事を、怖いと思う余裕すらなく走った。

私は決して黒人差別主義ではない、しかし、集団の彼らは表情も見えずただ目の前にいるだけで、身がすくむ。



永い、永い1日

2008-10-05 | 南アフリカ

 

 

帰国当日、先生の娘さんが以前ケープタウンに住んでいたときの荷物を持って帰ってくれと頼まれた。

先生たちの帰国日は私達より2日後にだった。

ロスバゲッジした人たちは、荷物が無いから。

  

私達は手荷物機内持込用スーツケースとカバン、預けるスーツケースは夫婦で1つだったので、一つスーツを持たされた。

全員スーツケースを渡された。

悲劇は・・・ここに密売物が入っていたというものではない。

悲劇は荷物を持って空港に行きチェックインする時に起こった。

私達のnationwideチケットはキャンセルされているというのだ???

私は心配だから先生にリコンファームしてくれとお願いしていた。

彼女は”大丈夫”と言っていた。そして、何度も頼む私をみんなの前で。

”もう、いちこは心配性なんだから アハハハh”と私を笑い物にしていたのだ。

チェックインカウンターで騒いでいる最中に先生は・・・・・消えた。

 

先生は別荘に帰ってしまった。

理由は推測するしか,今は無いが、二日後に帰国する先生と娘さんのチケットもキャンセルされていたから、その予約した時の、プリントアウトを取りに帰ったのだと思われる。

往復2時間彼女は空港から消えた。

 

私達は唯一のネイティブスピーカーと肌の白いランクの高い人間を失った。

それでも、私達は一生懸命交渉する人、他の航空会社をあたる人、先生に預かった荷物を見張る人、皆それぞれの役割分担を果たした。

国際電話を使える携帯を持った私達夫婦は、先生の携帯に帰ってきてくれるように電話をするが、電源が切ってあるのか?電波が悪い場所に居るのか繋がらない。

日本大使館に助けを求めるが、とりあえず粘って交渉するしかないと言われる。

時間は刻々と過ぎていった。NATIONWIDEの最終便は飛び立ってしまった。

ようやく、先生が空港に戻って来た。

何しに帰っていたのかは不明のままだ。

問いただしたら、”私を非難するのは間違ってる、あなたはひどい人間だと”罵倒し始めた。

 先生はその勢いでチェックインカウンターで大声で騒ぎ始めた。

 裁判も辞さない。マスコミに言う。etc・・・騒いだ。

 するとカウンターに居たネイションワイドの職員は全員立ち上がり、事務所に戻ってしまった

 常軌を逸っした騒ぎまくる女は相手に出来ないというように・・・

 


 先生は少し、冷静さを取り戻し、マンゴウ航空のカウンターに行き6人分ジョハネスバーグに行きチケットを見つけてきた。

結局私達はネイションワイドの代換えチケットではなく。

自分達でまたチケットを購入する事になった。

ジョハネスバーグに行けば国際線が沢山出ているので、まだ帰国できるチャンスが広がるというのだ。

帰国予定だった経路

1/4 ケープタウン   18:15---20:30 ジョハネスバーグ
  ジョハネスバーグ 22:30---08:30 ドバイ
1/6 ドバイ 03:00---16:45 韓国
  韓国       18:50---21:00 成田

最悪20時間以上トランジット時間があるドバイまで行くことが出来れば、成田までの便を捕まえる事が出来る。

そうすれば少しでも出費を押さられる。

しかし、ジョハネスバーグで路頭に迷う可能性の方が高い・・・でも悩んでいる時間は無かった。

しかし、その日帰国するのは8人。購入できるチケットは6枚。

 

 

一人の女性と一人の男性が

”夫婦で来ている人達は離れちゃ駄目。私は月曜日仕事大丈夫だから帰って”と声をあげた。

彼女と彼はそうウソをついた。

 

 

 彼女は自宅でエステサロンを開いている、今回の旅行もお客様に許していただいて、厳しい日程で参加されていた。

もちろん月曜日もフルブッキングだ。

私達6人は二人を残してジョハネスバーグまでマンゴウ航空に乗り込んだ。

ウソは承知だけど考えられる余裕も無かった。

この中で夫婦で離れる勇気もなかった。  

先生にていよく、厄介払いされているのも解っていたけど、それでも私達には代わりの道を見つける余裕も無かった。

8人の大人が、パニックに陥っていたのだ。早口の英語でまくしたてられ、自分の話す英語に、”Pardon?””Pardon?”を繰り返されるだで、ストレスは冷静さを苛んでゆく。

大きな体に、表情の読みにくい黒い肌に包まれた顔は、意図せずとも私達にストレスを与える。


ケープタウンでの始まり

2008-10-05 | 南アフリカ

始まりは、日用品のお買いもの。

スーツケースの無い旅行者達は、真冬の日本からやってきた。

下着・服・靴・バス用品・化粧品全てのものをそろえなければならない。

同行者の望んだものは、出来るだけ安いもの。

スーパーへ出かけることになった。

もちろん、レンタル別荘に滞在する私達は食料品も調達しなければならない。

100%の食料自給率を誇る南アフリカ。

野菜は新鮮で、とても美味しかった。日本でもおなじみの野菜が、本来の味を教えてくれた。レタスの美味しいこと、パプリカのみずみずしいこと。

ビネガーと塩、ブラックペッパーだけで信じられなゴージャスなサラダが生まれる。

全ての、食料を買うことは楽しかった。

しかし、トイレットペーパーを始め、サランラップ、調味料まで

たった3日の滞在にこれらの物を買うのはどうしたものだろう。

私はいつもニュージランドの滞在の際は、友人たちと貸し別荘をシェアしていた。

もちろん1か月以上の滞在、一人2万円も出せば自炊生活費がまかなえて、とてもお得だ。

1か月滞在するも1週間滞在するも、同じ金額になる。

たった3日間、貸別荘はお得ではない。

総勢11人のパーティー、2軒の家を借り。

おまけに到着日がずれた組があり、5日間を11人で割る・・・・なんだか理不尽だ。

ロストバゲッジした人達には気の毒だし、私達夫婦は唯一荷物のあることを感謝しなければならないとこは、理解していたが。

貴重な3日間の1日を、ディスカウントストアーめぐりに費やし、ほとんどベンチで

座って待つことになった私達は、不満が募っていった。

南アフリカでもまだ、治安が良いケープタウンだが、スーパーの裏に連れ込まれて、ナイフで脅されてお金を取られる事も少なくない。

 みんなから離れて行動することは、厳禁だときつく言われた。

だから、結局座ってみんなを見ていた。