ここでちょっと休憩

ビーチリゾートが大好きな私の旅行記

ドバイがクール

2008-07-16 | ドバイ

前回、南アフリカ&ドバイの旅の時。南アフリカの検索をして、恐ろしい情報にぐったりして、24時間トランジットのドバイ情報ばかり検索してた。

そこで、出会ったのが。”ドバイがクール”

ドバイがクール―世界ナンバーワンずくめの楽園都市 (Jujiroブックス)

そこで、すっかり彼らに魅了された。

ドバイで海上油田が発見されたのは1966年。
2004年GDPの石油部門の割合は7%。
2010年までのそれを0%のすることが当面の目標。

石油産油国の気ままの金遣いや、短絡的な観光業育成はとはかけ離れたビジョンを持つ国。

 多くの産油国では、外国の干渉。戦争。国民の不幸。テロ。

石油が幸せを呼ぶというイメージからかけ離れているように感じる。

しかし、ドバイは世界一安全なリゾート地と呼ばれる。

人口の20%しか居ないドバイ人のほとんどは国家機関に職を持ち、富豪生活真っ只中だ。教育・医療がほぼ無料。

住居・土地・光熱費・海外留学・海外での医療まで政府の手厚い保護のもと暮す。

テロの代表的要因、貧困とは無縁の国。 

80%の外国人も、一度犯罪を起こすと、服役の後、二度とドバイに入国することは不可能だ。

また、社会不安の大きな要因に挙げられる、失業がドバイにはない。

外国人は仕事があってはじめて入国・居住が許されるため、仕事を失えば帰国あるいは国外退去しなければならない。

 すべての職業を持つ外国人が快適な労働条件で働いていないことは各メディアの報道からも流れているが、今の所大きな暴動につながっていない。

 水がなく、石油が出る国は、海水を淡水に変える。

そして、石油より飲料水の方が破格に安く買える。

莫大な石油資源を賢く使い、国の将来を見据え先行投資を行う。
国の礎となる教育に力をそそぐ。


”神の恵みである石油”そこから生まれる収益は当然国民のため、国の将来の発展ために使われるべきであるという、基本的な原則が貫かれ今のドバイがある。

 その表れだろうか?次のドバイの首長は現首長の二男に家族会議で決まったらしい。

長男より、次男がより優れた人材であり、現首長の意思を深く理解しているというのが理由に挙げられる。

1973年7月 パリ発アムステルダム経由の日航ジャンボがパレスチナゲリラに乗っ取られた。

離着陸要請に、どの国も拒否した。

人道的理由から、唯一許可してくれたのがドバイだ。
ラーシッド首長は乗客の安全確保を最優先に尽力し、説得を運輸政務次官・佐藤文生と3日3晩寝ずに続けてくださった。

佐藤氏はその彼の姿に”頭を垂れるばかりであった”とその功績を高く評価していた。

 しかし、その努力もむなしく、ハイジャック機は飛び立ったてしまう。

 のち北アフリカのリビアのベンガジで人質は解放される。

  乗客144人全員無事。

佐藤氏の評価によると、犯人達の当初の混乱状況を考えるとドバイ政府の働きかけのおかげで時間を引き延ばせたことが全員無事につながった。


私は、この人たちの作った国を見て見たかった。この人達の考える国に足を着けて見たかった。

ドバイがクールを読んで、すっかり首長達のファンになってしまった。