3月8日は何の日?
1980年代にソ連(現ロシア)でヒットした「百万本のバラ」(1982年)は、もともとラトビアの「マーラは与えた」(Dāvāja Māriņa)という曲だったそうです。1968年にラトビアで作られた子守唄で、作曲はライモンズ・パウルス、作詞はレオンス・ブリアディス。
歌詞の内容は、ウィキペディアによれば、「大国ロシアに運命を翻弄されてきたラトビアの苦難を暗示している」とのこと。
バルト海に面した小国ラトビアは、以前より、ドイツ、スウェーデン、ロシア帝国など周辺の大国の影響を受けていましたが、第一次世界大戦後の1919年に独立を勝ち取ります。しかし、その後、第二次世界大戦が勃発、1940年にソ連とナチスドイツの独ソ不可侵条約の秘密議定書でソ連に併合され、以来、1991年まで50年間、ソ連の支配を受け続けました。そんなラトビアの苦難がこの歌に暗示されているということです。どんな歌詞なんでしょうか。
ラトビア語版の歌は、こちらで聴くことができます(リンク)。
また、こちらのページには、黒澤歩という方による日本語訳がありました(リンク)。
マーラが与えた人生
訳:黒澤歩
子供のころ泣かされると
母に寄り添って
なぐさめてもらった
そんなとき 母は笑みを浮かべてささやいた
マーラは娘に生を与えたけど 幸せはあげ忘れた
時が経って もう母はいない
今は一人で生きなくてはならない
母を思いだして 寂しさに駆られると
同じことを一人つぶやく私がいる
マーラは娘に生を与えたけど 幸せはあげ忘れた
そんなこと すっかり忘れていたけど
ある日突然 驚いた
今度は私の娘が
笑みを浮かべて口ずさんでいる
マーラは娘に生を与えたけど 幸せはあげ忘れた
ロシアの「百万本のバラ」とは、ぜんぜん違う内容ですね。
マーラは聖母マリア。母が娘に、幸せの薄い人生を、諦めの気持ちで歌い聞かせる悲しい歌です。
でも、この歌のどこに、「大国ロシアに運命を翻弄されてきたラトビアの苦難」が暗示されているんでしょうか。まったく理解できません。
それで、この歌について、ラトビアに住むロシア人(リンク)に聞いてみました。
「「百万本のバラ」の原曲である「マーラは与えた」は、「「大国ロシアに翻弄されてきたラトビアの苦難」が暗示されている、という説明を読みました。歌詞を読んでも、そんなふうには思えないんですが…」
彼女から、すぐに返信が来ました。
「この歌にそういう意味合いはないと思いますが。考えすぎだと思います」
「さっそくありがとうございました。ぼくもそう思います」
上のような解釈をした人は、原曲の作曲家や作詞家に取材をした結果かもしれません。でも、意図がどうあろうと、あの歌詞からそのような内容を読み取るのは難しいと思いました。
ここで思い出したのが、チョーヨンピルの「釜山港へ帰れ」です。
韓国の趙容弼(チョー・ヨンピル)が、1976年に歌ってヒットした歌で、その日本語版が、日本でも80年代に流行りました。
椿咲く春なのに あなたは帰らない
たたずむ釜山港に 涙の雨が降る
あついその胸に 顔をうずめて
もう一度幸せ 噛みしめたいのよ
トラワヨ プサンハンヘ 会いたいあなた
(以下略)
行ってしまった恋人を港で待つ、男女の愛の歌ですね。
ところが、同じ歌の韓国語版は次のようになっています。
花の咲く椿の島に 春が来たけれど
兄弟が行ってしまった釜山港で カモメだけが悲しく鳴く
五六島(オリュクソム)に 連絡船が帰ってくるたびに
声が枯れるほど呼ぶけれど 返事がない私の兄弟よ
帰っておいで釜山港に 恋しい私の兄弟よ
この歌は、行ってしまった兄弟の帰郷を待つ歌なのでした。
日帝時代(日本が朝鮮半島を植民地支配した時代)に、「強制連行」されていった兄弟について嘆く歌だったのに、日本版では、それが隠蔽され、当たり障りのない愛の歌に改竄された、などという説明を聞かされたことがあります。
ところが、「釜山港に帰れ」の韓国語版は、盗作だとして裁判に訴えられ、原告勝訴の判決が確定しています(リンク)。元の歌「忠武(チュンム)港に帰れ」(1969年)は、強制連行ではなく、男女の恋の歌だったのです。
結局、「強制連行」説は、でっち上げだったのでした。
「百万本のバラ」が「ソ連によるラトビア侵略の哀しみ」を歌ったものだ、というのも、何かの勘違いから生まれた俗説なのではないでしょうか。
1980年代にソ連(現ロシア)でヒットした「百万本のバラ」(1982年)は、もともとラトビアの「マーラは与えた」(Dāvāja Māriņa)という曲だったそうです。1968年にラトビアで作られた子守唄で、作曲はライモンズ・パウルス、作詞はレオンス・ブリアディス。
歌詞の内容は、ウィキペディアによれば、「大国ロシアに運命を翻弄されてきたラトビアの苦難を暗示している」とのこと。
バルト海に面した小国ラトビアは、以前より、ドイツ、スウェーデン、ロシア帝国など周辺の大国の影響を受けていましたが、第一次世界大戦後の1919年に独立を勝ち取ります。しかし、その後、第二次世界大戦が勃発、1940年にソ連とナチスドイツの独ソ不可侵条約の秘密議定書でソ連に併合され、以来、1991年まで50年間、ソ連の支配を受け続けました。そんなラトビアの苦難がこの歌に暗示されているということです。どんな歌詞なんでしょうか。
ラトビア語版の歌は、こちらで聴くことができます(リンク)。
また、こちらのページには、黒澤歩という方による日本語訳がありました(リンク)。
マーラが与えた人生
訳:黒澤歩
子供のころ泣かされると
母に寄り添って
なぐさめてもらった
そんなとき 母は笑みを浮かべてささやいた
マーラは娘に生を与えたけど 幸せはあげ忘れた
時が経って もう母はいない
今は一人で生きなくてはならない
母を思いだして 寂しさに駆られると
同じことを一人つぶやく私がいる
マーラは娘に生を与えたけど 幸せはあげ忘れた
そんなこと すっかり忘れていたけど
ある日突然 驚いた
今度は私の娘が
笑みを浮かべて口ずさんでいる
マーラは娘に生を与えたけど 幸せはあげ忘れた
ロシアの「百万本のバラ」とは、ぜんぜん違う内容ですね。
マーラは聖母マリア。母が娘に、幸せの薄い人生を、諦めの気持ちで歌い聞かせる悲しい歌です。
でも、この歌のどこに、「大国ロシアに運命を翻弄されてきたラトビアの苦難」が暗示されているんでしょうか。まったく理解できません。
それで、この歌について、ラトビアに住むロシア人(リンク)に聞いてみました。
「「百万本のバラ」の原曲である「マーラは与えた」は、「「大国ロシアに翻弄されてきたラトビアの苦難」が暗示されている、という説明を読みました。歌詞を読んでも、そんなふうには思えないんですが…」
彼女から、すぐに返信が来ました。
「この歌にそういう意味合いはないと思いますが。考えすぎだと思います」
「さっそくありがとうございました。ぼくもそう思います」
上のような解釈をした人は、原曲の作曲家や作詞家に取材をした結果かもしれません。でも、意図がどうあろうと、あの歌詞からそのような内容を読み取るのは難しいと思いました。
ここで思い出したのが、チョーヨンピルの「釜山港へ帰れ」です。
韓国の趙容弼(チョー・ヨンピル)が、1976年に歌ってヒットした歌で、その日本語版が、日本でも80年代に流行りました。
椿咲く春なのに あなたは帰らない
たたずむ釜山港に 涙の雨が降る
あついその胸に 顔をうずめて
もう一度幸せ 噛みしめたいのよ
トラワヨ プサンハンヘ 会いたいあなた
(以下略)
行ってしまった恋人を港で待つ、男女の愛の歌ですね。
ところが、同じ歌の韓国語版は次のようになっています。
花の咲く椿の島に 春が来たけれど
兄弟が行ってしまった釜山港で カモメだけが悲しく鳴く
五六島(オリュクソム)に 連絡船が帰ってくるたびに
声が枯れるほど呼ぶけれど 返事がない私の兄弟よ
帰っておいで釜山港に 恋しい私の兄弟よ
この歌は、行ってしまった兄弟の帰郷を待つ歌なのでした。
日帝時代(日本が朝鮮半島を植民地支配した時代)に、「強制連行」されていった兄弟について嘆く歌だったのに、日本版では、それが隠蔽され、当たり障りのない愛の歌に改竄された、などという説明を聞かされたことがあります。
ところが、「釜山港に帰れ」の韓国語版は、盗作だとして裁判に訴えられ、原告勝訴の判決が確定しています(リンク)。元の歌「忠武(チュンム)港に帰れ」(1969年)は、強制連行ではなく、男女の恋の歌だったのです。
結局、「強制連行」説は、でっち上げだったのでした。
「百万本のバラ」が「ソ連によるラトビア侵略の哀しみ」を歌ったものだ、というのも、何かの勘違いから生まれた俗説なのではないでしょうか。
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