
写真:『観世流謡曲百番集』(1963年刊)より、「橋弁慶」
邦楽というと、三味線とか尺八とかお琴のイメージですが、CD屋さんの音楽分類では、サザンとかユーミンも邦楽に分類されていたりする。
辞書を引くと、
ほうがく【邦楽】①日本に昔から伝わる音楽。②日本の楽曲。▷(⇔洋楽)
となっていて、洋楽は、
ようがく【洋楽】西洋の音楽。「洋楽好きな人」(⇔邦楽)
日本の歌謡曲やフォークソング、ロックなども、音楽的には「洋楽」のはずですが、日本人が作り、歌っている(演奏している)という意味では、「邦楽②」なんでしょう。
じゃK-POPは洋楽なのか。邦楽じゃないでしょうけど、よくわかりません。
このあたりのあいまいさは、洋食/和食に似ているかも。天ぷらもとんかつももとは西洋からきた「洋食」だったのに、今はみな「和食」とみなしています。
私が生まれて初めて耳にした「音楽」は覚えていませんが、たぶん母が歌ってくれた子守唄や童謡でしょう。
でも、物心ついたときに覚えているのは「邦楽①」。
私は明治生まれの祖父母、大正生まれの伯母と同居していました。
祖父母は長年謡曲をやっており、60歳を過ぎたころには、近所の素人相手に教えていました。
伯母は、離婚後、小唄(江戸小唄)の師匠になり、弟子をとっていた。
なので、謡曲の稽古と小唄の稽古が週2回ずつ、自宅の二階で行われていたのです。
さらに勉強熱心は祖母は、小鼓(こつづみ) を習っていて、謡の朗々とした声や、三味線、小鼓の音が年中家の中に響き渡っていたんですね。
だからといって幼少の私が邦楽①を習ったかというとそんなはずはない。謡曲も小唄も子どもが聴いてよさがわかるわけないし、実際、お弟子さんはみな中年以上でした。
大学に入ってから、身近にそういう人がいるにやらないのはもったいないと思って、三味線をちょっと教えてもらったり、謡の手ほどきをしてもらったりしたことはあります。
どちらかといえば謡曲のほうに興味を持ち、観世能楽堂に毎月通って能狂言を鑑賞したり、初心者向けのいくつかの曲を祖母から教えてもらったりして、「会」に出たこともあります。しかし、長続きはしませんでした。
むしろ、父が亡くなったときに手にした小金でアップライトピアノを買い、バイエルから習い始めたピアノのほうに熱中していました。
大学を出たころに祖母は他界、また私が結婚し独立したので、伯母の小唄を聴く機会もなくなりました。
家には祖母が残した謡の稽古本がとってありますが、ほこりをかぶっています。
伯母が92歳で亡くなったとき、10挺ほどの三味線がありました。皮(猫皮・犬皮)は乾燥に弱いためすべて破れていましたが、棹(さお)はきれいに保管されていました。練習用の安物に混じって、1挺数十万円したという高級品もあり、伯母の死後、三味線屋さんに引き取りを打診したところ、今は三味線の人気がないということで、引き取ってもらえませんでした。
民謡は、地域によってはまだ人気があるかもしれないけれど、謡曲、三味線、筝曲(お琴)などはもはや骨董品的存在でしょう。
さびしいことです。
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