犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

ハンギョレ報道と朴教授の反論

2016-01-24 01:16:11 | 慰安婦問題

 ハンギョレ新聞に、ユン・キルヒョン特派員による長い記事が載っています(→リンク)。

 日本の永井和、和田春樹、金富子、韓国の安秉直などの論をつなぎあわせ、朴裕河『帝国の慰安婦』の論理が「空しい」と主張している記事です。あまりにも長いので、整理して紹介します。

[ニュース分析](1月22日)
従軍「慰安婦」は日本陸軍が主体となる典型的な人身売買だった

 「日本に法的責任を問える理由」を両国の研究成果から紹介る。

 内地で行われた慰安婦動員の資料としては内務省警保局資料がある。永井和京都大学教授は、『世界』9月号の「慰安婦問題―破綻した『日本軍無実論』」で「この募集が軍の依頼によるという事実が証明された時点で、犯罪の容疑が色濃かった行為が犯罪でなくなった」と指摘している。内務省は、内務省警局長の通牒「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」を出し、「現在内地ニ於テ娼妓其ノ他、事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上、且ツ花柳病其ノ他、伝染性疾患ナキ者」だけに海外渡航できる身分証明書を発行し、この場合にも、親権者の同意を得て女性本人が直接警察署に出頭しなければならないという厳しい制限を設けた。

 植民地朝鮮でも内地の日本と同様の方法で慰安婦募集が行われたと推定されるが日本とは違い朝鮮には内務省警保局長の通牒が伝わらなかったようだ。れについて和田春樹・東京大学名誉教授は、『慰安婦問題の解決のために:アジア女性基金の経験から』の中「朝鮮、台湾でも女性の募集に向けた要請が行われた。内地のように総督府、都知事、末端の警察などの協力が要請されなかったはずがない。(ところが)植民地の警察が、日本からの警察や東北地方の当局のように(軍が主導する慰安婦女性の募集に)反発したかは疑わしい。総督府は東京の内務省より中国現地軍の要求に応えようとする態度を見せた可能性が高い」と指摘している。

 また、日本政府当時「婦女売買に関する国際条約」植民地に適用されないように「留保」していた。金富子・東京外国語大学教授は「日本軍は、このような国際法のすき間を通じて、日本では国際法の縛りにより徴集できない、未成年で、売春業に従事したことがなく、性病がない女性を植民地である朝鮮や台湾で大量に募集して慰安婦にした」と指摘している。

 日本と植民地朝鮮との差別はこのように明らかだったため、朴裕河世宗大学教授がハルモニたちと日本軍が「同志的関係」だったと主張する「帝国の慰安婦」の論理は空しいものと言わざるを得ない。

 朝鮮人女性は、どのように動員されたのか。チョン・ソウンハルモニは、「里長が来て、日本千人針を作る工場に行って、1~2年だけ苦労すると、(連れて行かれた)父が帰って来る」という証言を残している。女性の動員に植民地末端組織が積極的な役割を果たしたことを示す証言だ。道を歩く処女(未婚女性)の髪の毛を引っ張って拉致していく「人間狩り」のような強制連行があったことを示す証言もある。カン・スンジャさん(仮名)は17歳の時、大聖堂に水くみに行って「刀を差し帽子被った」日本の軍人と思われる人に、就職させてあげるといわれて、強制的にトラックに乗せられたという証言を残している。

 朝鮮での慰安婦動員は、日本とは異なり、売春の経験がない未成年者が多く、その手法も「就職詐欺」がほとんどだった。一部の被害者たちの証言が事実だとすると、場合によっては「拉致」に当たる強制連行もあったものと見られる。日本政府や朴裕河教授などは、就業詐欺の主体は業者という理由で日本に法的責任がないとの見解を示しているが、業者の動員が、日本政府の徹底した保護と管理の下で行われたものであることを考えると、これまた空しい主張と批判せざるを得ない。

 朝鮮人慰安婦のほとんどが売春経験のない未成年者(少女)だったことを証明する客観的なデータがある。「米国戦時情報局心理作戦班」の「日本人捕虜尋問報告」によると、「これらの女性の中には、『地上で最も古い職業』に以前からかかわっていた者も若干いたが、ほとんどは売春について無知、教育も受けていなかった」と、捕虜としてとらわれた女性の「ほとんど」が売春経験のない人であることを明らかにしている。文書には、彼らの年齢も示されているが、動員時点の1942平均年齢は21.1であり、20未成年者は半分以上の12人だ

 『日本軍慰安所管理人の日記』によれば1942日、ビルマの慰安サービスのため、京城の陸軍司令部(朝鮮軍司令部)に依頼して703人の女性を動員したことが確認されている。ソウル大学アン・ビョンジク名誉教授は、慰安婦制度について、 「旧日本軍が組織した慰問団の存在は、慰安婦が単に慰安所業者の営業手段として個別に募集されたものではなく、日本軍部によって計画的に動員されたという事実を意味する。このような観点からすると、昔の日本の軍部が慰安婦問題について『関与』をしたという現日本政府の認識には問題があると思われる。日本軍部によって組織されたので、慰安所業者と慰安婦は軍属同様の待遇を受けた。(中略)(前線の)慰安所では、廃業(慰安婦をやめること)が困難であった。その理由は、軍編制の末端組織に編入され、軍部隊と共に移動するしかなかったからではないだろうか。このような境遇を『性的奴隷状態』と呼んでも構わないではなかろうか」と述べている。

 
永井和教授は、次のように結論づける。
「軍から慰安婦経営を委託された民間業者や募集業者が詐欺・偽計によって女性を慰安所に連れて来て仕事をさせた。また、慰安所の管理者である軍は、これを処罰せず、事情を知っていながら、放置した場合、日本軍が強制連行をしていないと抗弁することはできない。そんな犯罪被害者である女性が、自分が日本軍によって強制連行されたと感じても、驚くべきことではない」(『世界』2015年9月号)

 これに対し、朴裕河教授は23日のフェイスブックで次のように反論しています。

<
怠慢な、あまりに怠慢な>

 寝つけない明け方、ハンギョレ新聞のキル・ユンヒョン記者が、また私を否定的に取り上げている記事を見てしまった。キル記者は私を監獄に入れたいのだろうか。彼は、学者の説をあれこれ引いているが、もともとの私が書いた論文は読んでいないようだ。

 敵に勝つにはまず敵を知れ。先日、チャン・ジョンイル先生は「ハンギョレ新聞の記者たちは少し勉強しろ」という趣旨のことを書いたが、それを読んでほしい。

 昨年11月頃に、夏に書いた論文を読みやすく要約してアップしようとしたが、あるメディアから連絡があり、掲載用に整理するために中断した。その後、起訴され、私は反論の文をアップする余裕がまるでなかった。

 キル記者に勉強してほしい文章は「歴史問題研究」34号に載っている。簡単に書いておく。詳しく知りたければ論文を読んでほしい。

1. 植民地警察も、人身売買を取り締まった。

2. 朝鮮半島には日本人が100百万人近くに住んでいた。当然、植民地の日本人女性も慰安婦として行った。私は和田教授を尊敬しているが、私が読んだ資料は朝鮮半島で発行された新聞だ。和田教授の話はそうした資料を読めなかった結果だと考える。

3. 騙されて連れて来られたケースでは、軍部が現地から送り返したこともあった。

4. あるいは軍部の裁量で慰安所以外のところに就職させたこともあった。この二つの事例は、軍部の基本方針が詐欺や拉致による人身売買を許容していなかったということを証明している。契約書を書くよう業者に指示しており、慰安婦になった当事者にも渡航許可願いを提出させた。

5. もちろん黙認する場合が多かったと思われる。だがその理由は、慰安婦の真の主人が業者だったからだ。言い換えれば、金を支払って買い受けてきたのが業者だったからだ。前借金云々は売春業者の「話」にすぎない。

6. 朝鮮半島から行った女性は「売春経験のない未成年者」だったと考えるのは、売春経験のある者は被害者ではないという考えから出たものだ。1970年のソウル新聞には、「花柳界の女性'も行った」とはっきり書かれている。こうした考えは、「朝鮮半島出身の日本人女性」の存在が知られていなかったために生じた考えだ。少女が慰安婦になるケースは、雑用をさせるために連れていった少女に業者が無理やり性労働をさせたケースや、少女が属していた共同体が彼女を保護できずにほうりだしたケースだ。幼い少女はこのようなケースでいつも犠牲の羊になるのだが、それは日本軍に限ったことではない。幼い少女を特別に愛好する性倒錯でないかぎり、わざわざ年端もいかない少女を連れ出す理由がない。

7. 永井教授の発言をよく見てみよう。キル記者は、「処罰しないで放置」した場合も、本人が「強制連行だと感じたら強制連行」だと言っているが、永井教授はそうは言っていない。私には、この発言は「なぜ(強制連行ではないのに)強制連行だと言うのか」ということに対する話だと思われる。


 こうしたことを、私は仮処分と民事裁判の法廷で、ずっと話してきた。もちろん書面や資料で出しただけなので、判事が読んだのかどうかはわからない。彼らは原告側が提出した学者の論文は読んだだろう。

 法廷には、イ・ジェスン、チョン・ヨンファンはもちろん、何の論理もなくただ非難するだけのアン・ジュングン研究所の某氏の文章まで提出されていた。本人たちがわかっているのかわかっていないのかわからないが、私を監獄に送りたがっている支援団体とメディアに、学者も加担してきた。

1月20日の刑事裁判法廷で、私は寃罪をこうむった罪人の気分を味わった。特に言うに言われぬ気持ちになったのは、判事も検事も弁護士も聴衆も座っているのに、私一人だけが立っていなければならなかった短い時間だ。

 検事も判事も弁護士も、キル・ユンヒョン記者と同じく、この問題について「判断」するには、結局学者の話に頼らなければならない。だが、学者間の論戦を、なぜ法廷でしなければならないのだろうか。

 この根本的なアイロニーを、学者も裁判所もメディアも、解消しようとはしない。

〈参考〉
慰安所日記を読む(8) 解題―第四次慰安団
慰安所日記を読む(10) 安教授の深謀遠慮
永井論文


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