犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

「軍艦島」検証 3

2017-07-14 23:30:08 | 近現代史

 韓国の小説に『軍艦島』というのがあります。小説家韓水山の作品です。

 韓水山は1946年韓国生まれ。「軍艦島」の日本語版上巻の「日本の読者へ」によれば、同氏の初来日は1988年。その後、日本に4年間暮らしたそうです。

 中央日報の記事(リンク)によれば、「89年に東京のある古書店で『原爆と朝鮮人』という冊子に接した後、翌年から小説化作業に入った」とのこと。

 小説の原資料は、長崎在日朝鮮人の人権を守る会『原爆と朝鮮人』のようです。

 小説は最初、「陽は昇り、陽は沈む」というタイトルで中央日報に連載されましたが、3年連載したところで連載を中止。大学を休職して小説の書き直しを始め、15年後の2003年に題名を「カラス」に変えて出版(全5巻)。日本語版はその約5年後に「軍艦島」という名前で刊行されました(2009年、作品社。川村湊監訳)。さらに2016年に韓国版の「軍艦島」(創作と批評、全2巻)として再刊されたようです。

 この小説と映画「軍艦島」の関係はよくわかりませんでした。映画がこの小説を参考にしていることは間違いありませんが、小説は長崎における朝鮮人の被曝もメインテーマにしているので、軍艦島にフォーカスを当てている映画とは別の作品なのでしょう。

 小説「軍艦島」の下巻にある川村湊の解説から引用します。

 戦争の末期に実行されたこれら朝鮮人、中国人労働者の軍艦島での労働実態については、まだ詳細になっていない部分があまりにも多い。それは、言葉の定義そのものから始められなければならない場合も少なくない。たとえば、「強制連行」という言葉。これは、すでに植民地としての朝鮮から人々を連れ出し、いわゆる「内地」の労働現場で働かせたことを示す歴史的用語として確定していると思われるが、厳密な意味でそれが「強制」でも「連行」でもないという論議がある。小説『軍艦島』のなかにもあるように、朝鮮人の労働徴用は、総動員令や徴用令による、日本人全般に及ぶものであって、当時は「日本国臣民」とされていた朝鮮人にとっても例外ではなかったというのである。また、やはり、『軍艦島』の登場人物である李明国(イ・ミョングク)の場合のように、戦争末期の、誰が見ても現実的に「強制」であり、「連行」であり、奴隷的な労働現場であるような状況(尹知相や崔又碩の場合のように)となる以前には、自由意志による就業や渡日ということがありえたのである(もちろん、それは詐欺や甘言に近く、契約違反的なものが少なくなかったが)。

 端島炭坑に朝鮮で「募集」された朝鮮人労働者が働くようになったのは、1918年(大正7)5月からであり、端島炭坑では70人が就労した。これは、前年9月に、労働者不足から朝鮮人労働者の募集の認可を受けた三菱高島炭鉱が約150人の労働者を募集したのを皮切りに、翌1918年に334人が募集に応じ、そのうちの坑内作業に携わる166人のうち前記のように70人が、端島炭坑での坑内作業に従事したということである。


 1939年(昭和14)には、戦争の拡大、石炭生産量の拡大に拍車がかけられ、総動員体制の確立とともに、朝鮮人労働者の「募集」は「徴用」となり、まさに「強制連行」というべきものとなって、現在のところまでの調査によれば、端島炭坑を含む三菱高島炭坑では、およそ4千人の朝鮮人労働者が「連行(徴用)」され、強制的な労働に就かされたと見られている。


 1938年からの強制的連行による朝鮮人労働者と、それ以前の「募集」による朝鮮人労働者との待遇は明らかに差違があり、小説『軍艦島』に描かれているように、家族を呼び寄せ、日本人坑夫たちの住む居住区にいっしょに住む一部の朝鮮人と、劣悪な宿舎で奴隷的な扱いを受ける「連行(徴用)」された朝鮮人労働者との間には、待遇の大きな違いがあったのである。年齢的には14、5歳を下限に、10代の青少年が多く、二十代がそれに次いでいると見られている。少年を坑内労働に従事させるという不法性(非人道性)も問題にすべき点であったと思われるのである。


 また、小説『軍艦島』に、悲劇のヒロインともいえる錦禾(クムファ)が登場するように、端島には炭坑労働者や炭坑労働者に春をひさぐ朝鮮人売春婦(酌婦)が存在した。戦時中には端島には、森田屋、本田屋、吉田屋という3軒の遊廓があって、吉田という創氏名を名乗る朝鮮人の経営する吉田屋には、9人程度の朝鮮人女性が就業していたという。1937年6月には、本田屋にいた18歳の朝鮮人女性・盧致善(ノ・チソン)が「リゾール」と呼ばれたクレゾールを飲んで自殺するという事件が起き、本田屋の経営主で長崎県会議員だった本田伊勢松が、その死亡を当局に届け出ている。小説の中で、「吉子(キルジャ)」とされている登場人物の実在のモデルと思われる。1939年当時においてこうした売春を行う「酌婦」は、端島には27人、高島には49人いたと見られているが、このうち、相当数が朝鮮人女性であったと思われる(「三菱高島炭坑の朝鮮人強制連行」)。


 「強制連行」という言葉は、1950年代から使われ始め、1965年の朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』で流布されました。

 金英達は次のように説明しています。

 朴慶植氏の『朝鮮人強制連行の記録』以来、「強制連行」の言葉が、日本帝国主義の朝鮮植民地支配の悪業の一として、人口に膾炙しているが、この本のなかでは、日中戦争・太平洋戦争中、日本政府による朝鮮人の労務者・軍人・軍属・従軍慰安婦・「満州」移民としての戦争遂行のための動員を、植民地支配-被支配の関係における強制力や遠方地への動員に着目して、「強制連行政策」と称しているにすぎない。問題点を直截に表現し、世論にアピールする用語として「朝鮮人強制連行」なる言葉を使っているのであって、歴史用語として厳密に言葉の範囲を定義づけているものではないのである。しかし、この朴慶植氏の問題提起は、衝撃的に世論および研究者の意識を喚起し、それ以来、「強制連行」という言葉は独り歩きを始め、あたかも特定の時期における特定の事象を指す歴史上の専門語であるかのように受けとめられている。(金英達『朝鮮人強制連行の研究』2003年、明石書店。鄭大均『在日・強制連行の神話』2004年、文春新書より再引用)

〈参考〉
強制連行・強制労働・強制移住


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