犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

朝鮮日報への朴裕河教授の反論

2023-11-15 21:13:14 | 慰安婦問題
写真:キム・ユンドク記者(朝鮮日報)


 朝鮮日報の批判記事に対し、 朴裕河(パク・ユハ)教授が同じ朝鮮日報に反論を寄稿しました。いずれ日本語版翻訳記事が出るのかもしれませんが、とりあえず拙訳で紹介します。

朝鮮日報の反論?

2023年11月14日 「朝鮮日報」韓国語版

【寄稿】「軍需品としての同志」… 私は日本の責任を明瞭に問うた

朴裕河(パク・ユハ)教授の反論-キム・ユンドク記者の批判に答える

 7日付の朝鮮日報でキム・ユンドク記者が「大法院判決は無罪だが朴裕河の主張が正しいというわけではない」と、私の本『帝国の慰安婦』を批判した。骨子は同志愛、売春的強姦を主張し、被害者に対する嫌悪を呼んでいるということだ。ところが大法院の判決は、ほかでもなく訴訟の主張でもあったそうした認識が事実ではないという判決だ。キム記者は判決文を読まずに判決について書いたようだ。

 何よりも私は「同志愛」という言葉を使わなかった。「同志的関係」「同志的側面」「同志性」などの単語を使っただけだ。そのような言葉で喚起しようとしたのは、当時、朝鮮は日本との関係で中国やオランダのように敵ではなく、植民地だったという事実だった。これまでの運動が、朝鮮を日本の植民地ではなく交戦国とフレーム化したため、慰安婦問題の解決が遅れているというこごがわかったからだ。

 『帝国の慰安婦』は、朝鮮人慰安婦問題を90年代に東ヨーロッパやアフリカで起きた部族間レイプのケースと変わらない「拉致/強姦=戦争犯罪」と規定し、法的責任を問うてきたこれまでの学問と運動の問題を指摘し、対立中だった両極端を批判し、第3の道を模索しようと提案した本だった。サブタイトルを「植民地支配と記憶の闘争」とした理由でもある。

 したがって、私の本における「同志的関係」とは、ただ朝鮮人女性たちが敵ではなく、被植民地人として「(帝国)国家に動員」されたという意味だ。同時に、帝国の一員として動員されたため、表面的に「同志的関係」だったが、強固な「差別感情」も存在したということも指摘した。小タイトルの一つが「軍需品としての同志」である理由だ。「同志的関係」の直視は帝国の責任をより明瞭に見せてくれる。

 軍需品として動員され、明日になれば死ぬかもしれない異国の地での厳しい状況の中でも、日本軍との心理的連帯は存在した。私はその事実を、ほかでもなく支援団体(挺身隊問題対策協議会)が作った証言集を通じて知った。行間に息づく当事者の人生と記憶をただ「犯罪被害者の心理」と片付け、「過度な愛着」という冷たい診断を下そうとしたのは、歴史に理想を投影しようとする欲望であり、エリート女性の傲慢だ。「慰安婦は日本軍を世話する存在(日本軍慰安婦、もう一つの声)」と話したペ・チュニハルモニの言葉を、キム記者はたぶん洗脳された者のささやきと考えたかったのだろう。しかし、暴力の複雑性に対する無知が生んだそのような「人間に対する没理解」(同コラムからの引用)のほうが、当事者にとってはさらに残忍であろう。

 売春婦だと主張する人々と、あくまでも強制連行だと主張する双方の主張から、私は同じ売春嫌悪を読みとった。なので『帝国の慰安婦』では、いわゆる売春かどうかは全く重要でなかった。非難対象になった「自発的売春」は引用であり、「売春的強姦」も、私は慰安婦を否定する人々を批判する脈絡で使用した。だから「売春を目的とした朝鮮人慰安婦も少なくなかったと(朴裕河が)強調」したというキム記者の主張は、単純な誤読を越えて、歪曲であり陰害(密かに人を害すること)だ。

 私はまさに挺対協が作った慰安婦証言集が見せてくれている通り、植民地としての構造的強制性はあったが、いわゆる強制連行は日本軍の「公的」方針ではなかったと言っただけだ。刊行以後、告発直前までの10か月間、ほとんどのマスコミが好意的に受けてくれていたのは、私の執筆動機と文章の含意をあるがままに理解したからだろう。10年以上の歳月が流れた後、大法院判決も『帝国の慰安婦』の趣旨が「「慰安婦の自発性」「強制連行否認」「同志的関係」とは遠い」と述べた。

 それにもかかわらず、キム記者が極右の論理を支える本として読んだのは、本の趣旨と脈絡を無視した結果だ。キム記者と同じように受けとった支援団体が、本のもう一つの中心だった自分たちに対する批判は隠蔽し、同じ言葉で訴訟を起こしたために『帝国の慰安婦』はなんと9年4か月も法廷に閉じ込められなければならなかった。私自身と国家がとものそのように消耗した。

 私は「国家責任を問いにくい」ではなく、「国家責任を「法的」に問いにくい」と書いた。女性たちは男性たちと違い、法の外で動員されたためだ。それは近代国家の女性差別の結果だと日本を批判した。私はただ国家責任を、これまでの主張とは異なる方法で問うただけだ。

 「業者」の存在を強調した理由は、慰安部問題が中間階級による下層階級の搾取問題でもあることを示すためだった。そのような指摘が日本の国家責任を薄めるものではないということは、過去に反省的な朝日新聞や毎日新聞が『帝国の慰安婦』を「帝国の責任」を問うた本として高く評価してくれた事実が証明する。

 したがって、慰安婦被害者を怒らせたのは私ではなく、私の本を歪曲してハルモニたちに伝えた人々だ。私の本が安倍政権と日本極右の論理を正当化するのに寄与したと10年近く主張してきた支援団体と寸分も違わないキム記者のコラムもそのひとりだろう。だが慰安婦に侮辱と蔑視があふれるなら、それは『帝国の慰安婦』のせいではない。自分たちのこれまでの主張を守るために私の本を勝手に解釈/非難/伝播した「誤読する読者」たちのせいだ。そのような読者の誤読が著者の責任ではありえない。

 学問とは、これまでの定説を批判して、前へ進んでいくものだ。なので、30年以上主流だったという事実が、ただちにこれまでの運動家や学者たちの主張の正しいことを証明するわけではない。実際に私とそれほど変わらない視点でこれまでの研究を批判する研究も、最近は出ている。前挺対協代表だったチョン・ジンソン教授すら、強制連行とは異なる認識を反映した報告書を、以前、出したことがある。キム記者がそのことを知らなかったのは、彼らがその事実を対外的には言わなかったからだ。

 朝鮮人慰安婦問題が強制連行であり不法だといって、法的責任にのみ執着してきた挺対協の運動家と主流学者たちは、韓日合意を『帝国の慰安婦』が導いたと非難したことがある。誰のための和解だったかは、そこから答えを見つけてほしい。告発直後、告発者の周辺の人々が日本語版も絶版すべきだと主張した理由でもあるだろう。


 朝鮮日報は、批判記事を載せるいっぽうで、朴教授に反論の機会を与えたことは評価すべきでしょう。

 「中央日報の低レベルな記事」のほうは、大げさに反論する価値もないと思ったのか、記事を書いたシン・ジュンボン記者に向けたメッセージを、自身のFacebookに載せただけのようです。

中央日報シン・ジュンボン記者へ(11月5日Facebook、韓国語)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バッハザールの夕べ | トップ | 末は博士か大臣か »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

慰安婦問題」カテゴリの最新記事