北上大会から帰る新幹線、やまびこの中です。
競技がいつ始まるかも分からない状況ながら、売店で 売っていた焼おにぎり、これが味噌味でうまい!、は食べていましたが、それ一個で、精一杯の運動をした午後6時までのエネルギーは賄えません。
北上駅構内では弁当が売り切れていたものですから、やや焦って自販機でコーンスープというカロリー高めの物を買って乗車したのですが、
幸い車内販売で、海の幸山の幸、牛タン弁当も有りました。
選んだのは
からだの疲れと、悪くない結果と、これまでに無いほど多くの陸上仲間とお話しできた満ちたりの気分が財布の紐を緩めました。
1300円、前沢牛の柔らかいところが三枚乗っているにしろ、かなりの贅沢です。
ゴボウがまた旨いんだな。
さて、結果は見ずに帰ってきたことは書きましたが、
予選の上位八人で行われる決勝は、日本人五人、中国とインドの方が三人だったと思います。
5メートル31以上の記録がボーダーラインなので、5メートル47なんていう私の記録はいつ抜かれるか分かりません。
一方で、上位三人は遥か遠く。
六メートルをただ一人越え、決勝の一本目には6メートル42センチ(と、計測の声が聞こえました)まで伸ばした、記録もスタイルもビューティフルとしか言い様の無い、静岡のN澤さん、
続くのは、地元岩手の期待を背負い、新聞にもインタビューを受け、会場からも手拍子を受けるY田さん、そして東京マスターズの明るいムードメーカーにして、パワフル全開の昨年度覇者Y下さんがいます。
ただ、敬愛する大分のM浦さんが、私にアドバイスを下さいます。後半でストンと落ちる、頭が突っ込んだ着地は、踏み切りに上へ働く力が足りず、起こし回転(幅跳びやる人には基礎用語、一般流通はしていません)が打ち消せないから。
スピードは最初の六歩できめて、後は強く上に跳ぶための、踏み切りの形作りに心を傾けよう!そうすれば更に上の記録が出せる、とエールを送って下さるのです。
ドクターらしい、にこやかな表情で下さる理論的な話は腹にストンと落ちます。
決勝はそのアドバイスを実現するべく頑張りましたが、記録にまでは反映できず残念でしたが、
助走のスピードがうまく上がり、
踏み切る姿勢までは固まったように思います。
ああ、練習したい、強く思う決勝後でした。
栃木の盟友ワルさんと今年初めて会えたのも嬉しかった。超多忙なお仕事と、練習し過ぎという真面目な取り組みは、いつも頭が下がり、刺激を頂きます。
東京なH堂さんは、いつも応援してもらい、応援をするありがたい、心優しい友人です。400メートル走った直後に走り幅跳びに挑戦出来る、芯の強いアスリートは滅多にいるものではありません。
待ち時間が長かったのも、こうした仲間と話すことが出来る大きな要因でした。
岩手マスターズの皆様、役員や高校生をはじめとするボランティア、アジアの方々に気を配る通訳の皆さん、本当にお世話になりました。
気分が最高の状態で、東京に戻る50歳を1人作り出して下さったことは間違いありません。
ありがとうございました。
競技がいつ始まるかも分からない状況ながら、売店で 売っていた焼おにぎり、これが味噌味でうまい!、は食べていましたが、それ一個で、精一杯の運動をした午後6時までのエネルギーは賄えません。
北上駅構内では弁当が売り切れていたものですから、やや焦って自販機でコーンスープというカロリー高めの物を買って乗車したのですが、
幸い車内販売で、海の幸山の幸、牛タン弁当も有りました。
選んだのは
からだの疲れと、悪くない結果と、これまでに無いほど多くの陸上仲間とお話しできた満ちたりの気分が財布の紐を緩めました。
1300円、前沢牛の柔らかいところが三枚乗っているにしろ、かなりの贅沢です。
ゴボウがまた旨いんだな。
さて、結果は見ずに帰ってきたことは書きましたが、
予選の上位八人で行われる決勝は、日本人五人、中国とインドの方が三人だったと思います。
5メートル31以上の記録がボーダーラインなので、5メートル47なんていう私の記録はいつ抜かれるか分かりません。
一方で、上位三人は遥か遠く。
六メートルをただ一人越え、決勝の一本目には6メートル42センチ(と、計測の声が聞こえました)まで伸ばした、記録もスタイルもビューティフルとしか言い様の無い、静岡のN澤さん、
続くのは、地元岩手の期待を背負い、新聞にもインタビューを受け、会場からも手拍子を受けるY田さん、そして東京マスターズの明るいムードメーカーにして、パワフル全開の昨年度覇者Y下さんがいます。
ただ、敬愛する大分のM浦さんが、私にアドバイスを下さいます。後半でストンと落ちる、頭が突っ込んだ着地は、踏み切りに上へ働く力が足りず、起こし回転(幅跳びやる人には基礎用語、一般流通はしていません)が打ち消せないから。
スピードは最初の六歩できめて、後は強く上に跳ぶための、踏み切りの形作りに心を傾けよう!そうすれば更に上の記録が出せる、とエールを送って下さるのです。
ドクターらしい、にこやかな表情で下さる理論的な話は腹にストンと落ちます。
決勝はそのアドバイスを実現するべく頑張りましたが、記録にまでは反映できず残念でしたが、
助走のスピードがうまく上がり、
踏み切る姿勢までは固まったように思います。
ああ、練習したい、強く思う決勝後でした。
栃木の盟友ワルさんと今年初めて会えたのも嬉しかった。超多忙なお仕事と、練習し過ぎという真面目な取り組みは、いつも頭が下がり、刺激を頂きます。
東京なH堂さんは、いつも応援してもらい、応援をするありがたい、心優しい友人です。400メートル走った直後に走り幅跳びに挑戦出来る、芯の強いアスリートは滅多にいるものではありません。
待ち時間が長かったのも、こうした仲間と話すことが出来る大きな要因でした。
岩手マスターズの皆様、役員や高校生をはじめとするボランティア、アジアの方々に気を配る通訳の皆さん、本当にお世話になりました。
気分が最高の状態で、東京に戻る50歳を1人作り出して下さったことは間違いありません。
ありがとうございました。