![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/9a/a33db9d527aee099b0335f5795b25b11.jpg)
昭和5(1930)年に国指定の史跡となった銚子塚古墳が、こんなふうに見える場所に
今回の話題が存在します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/b1/2826e90758fed8f43567444892f34b64.jpg)
そこに存在する小さな祠(ほこら)・・・。
公園敷地の外側に接し存在し、正面を公園側に向けています。
つまり、公園の外側にある祠なのですが、公園側からお参り、
ないしはお祀りするようになっているのです。
どうしてそんな有り様をしているのでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/a5/bd13fbccf234aaacbbff946aebaad464.jpg)
この祠の覆い屋に、銘板が付けられています。
「伊勢大神宮」と記されていますね。
地元では、親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれています。
実は、この祠は、元々は、銚子塚古墳の後円部頂上の一角に祀られていたものなのです。
昭和5年に指定されて以来、60年近く、問題にならずに、
銚子塚古墳を「お伊勢山」と呼んでいた地元の方々は、お伊勢山にのぼって、
お祀りを続けてこられたのです。
しかし、昭和61年に山梨で「かいじ国体」が開催されるのにあわせ、
史跡の整備工事(第1次)が進められ、いま見る形になったのです。
国費をつぎ込んで、公園化する事業地の中に、信仰の場を置くことは、
日本国憲法の定め等により不可となりました。
そこで、隣地に位置を定め、地元の皆さんの手によって、こちらも移転整備されたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/59/42d330a2e2dafac040b652c3a5432c4e.jpg)
「お伊勢山」をおりた「お伊勢さん」の前に、これも移転されてきた灯籠があります。
灯籠の竿(さお)の正面上部に、「神前燈」の文字が見られます。そして・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/57/7de9ad7015aba7e7eb2018db1e104bcb.jpg)
その右側面には、「享保廿乙卯天」と刻まれているのが読み取れました。
享保20(1735)年は、江戸時代中期のこと。
このころ、つまり18世紀になったころ、地域社会は次第に豊かになり、
お金を寄せ合って、こうした御神灯の整備などが進められていますが、
これもそうして近世社会の動向を示すものといえますし、
またそれより前から、地域の人々によって祀られ、敬われてきた
ということも十分に考えられます。
今回は、古墳と後世の信仰の結びつきを考える1回目として、
300年以上もの歴史が考えられる「お伊勢さん」についての話題でありました。
(撮影日:2009.9.18 撮影場所:
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