風土記の丘だよりinかい

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古墳と後世の信仰(1)-銚子塚古墳

2009年09月23日 | 風土記の丘の遺跡・史跡


 昭和5(1930)年に国指定の史跡となった銚子塚古墳が、こんなふうに見える場所に
今回の話題が存在します。



 そこに存在する小さな祠(ほこら)・・・。
公園敷地の外側に接し存在し、正面を公園側に向けています。
つまり、公園の外側にある祠なのですが、公園側からお参り、
ないしはお祀りするようになっているのです。
どうしてそんな有り様をしているのでしょうか。



 この祠の覆い屋に、銘板が付けられています。
「伊勢大神宮」と記されていますね。
地元では、親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれています。

 実は、この祠は、元々は、銚子塚古墳の後円部頂上の一角に祀られていたものなのです。
昭和5年に指定されて以来、60年近く、問題にならずに、
銚子塚古墳を「お伊勢山」と呼んでいた地元の方々は、お伊勢山にのぼって、
お祀りを続けてこられたのです。

 しかし、昭和61年に山梨で「かいじ国体」が開催されるのにあわせ、
史跡の整備工事(第1次)が進められ、いま見る形になったのです。
国費をつぎ込んで、公園化する事業地の中に、信仰の場を置くことは、
日本国憲法の定め等により不可となりました。
そこで、隣地に位置を定め、地元の皆さんの手によって、こちらも移転整備されたのです。



 「お伊勢山」をおりた「お伊勢さん」の前に、これも移転されてきた灯籠があります。
灯籠の竿(さお)の正面上部に、「神前燈」の文字が見られます。そして・・・。



 その右側面には、「享保廿乙卯天」と刻まれているのが読み取れました。
享保20(1735)年は、江戸時代中期のこと。
このころ、つまり18世紀になったころ、地域社会は次第に豊かになり、
お金を寄せ合って、こうした御神灯の整備などが進められていますが、
これもそうして近世社会の動向を示すものといえますし、
またそれより前から、地域の人々によって祀られ、敬われてきた
ということも十分に考えられます。
 今回は、古墳と後世の信仰の結びつきを考える1回目として、
300年以上もの歴史が考えられる「お伊勢さん」についての話題でありました。

(撮影日:2009.9.18 撮影場所:

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